海外生活体験者・学生インタビューvol.80

interviewee_s_184_profile.jpg 内山俊之さん。1989年アメリカ・イリノイ州生まれ。0歳から2歳までアメリカ・イリノイ州に過ごし、日本に帰国する。3年間日本に滞在した後、6歳から18歳までアメリカで過ごす。ニューヨーク州の Tappan Zee High School を卒業後、一橋大学商学部に合格。現在、一橋大学商学部経営学科3年に在籍中。専攻は経営組織論、経営戦略論。2010年2月からスペイン・マドリッドに立地する大学に1年間留学する予定。

吉江:インタビューをさっそく始めるね。よろしくお願いします。
内山:よろしくお願いします!

Sesame Streetで英語の特訓

―まず、海外の滞在経歴について教えてください。

アメリカのシカゴで生まれて、2歳になってから日本に一度、帰国した。小学校を入学する直前に、再び渡米し、ニューヨーク州に小学校1年生から高校卒業まで滞在していました。

―当時のシカゴに住んでいたときのことや、幼稚園にいたときのことは覚えていますか?

さすがに、シカゴにいたころはまだ小さかったから、全く覚えてないや(笑) でも、幼稚園にいた頃は、よく走りまわっていたり、運動したりと、活発な子だったかな。

―では、小学校にいた頃の印象的な思い出を教えてください。

そうだね。僕は現地の小学校になかなかなじめず、最初の頃は毎日泣いていたことを覚えている。英語も全く喋れなかったし、先生に「トイレに行きたい」とも伝えられないし、すごく苦労したよ。それに気付いた両親が、なんとしてでも英語をすぐに覚えさせたいと思ったらしく、毎日Sesame Streetといったテレビ番組を僕に見せて、英語の訓練をさせていた。

―滞在し始めた頃は、やはり大変なのですね。

「苦労」といっても、自分の場合はまだ6歳だったから、中学校・高校から急に海外生活を始める人ほど大変ではなかったと思う。学校に毎日通っているうちに、いつの間にか英語が喋れるようになっていたし、学校生活にも上手く溶け込んでいた。でも、英語を喋り始めて、親にも友だちにもすごく驚かれたのは今でも覚えている。振り返ってみると、子供の力ってやはりすごいなって思うよ。

僕の住んでいた地域の子供は、全員小学校から高校まで通う学校が同じだったんだ。それで、高校時代、小学校の頃の自分を覚えている友だちによく「お前、あの頃は全く英語喋れなかったのにな(笑)」って言われてた。

―現地の生活を送っていて、日本人としての自分を意識したことはありましたか?

当時はあまり意識していなかったかな。小学校のときから、自分はもうアメリカ人だと思っていた。中学時代、現地にいた友だちの家に遊びに行ったときは、自分の家の雰囲気とは全く違うなと感じたけど、そのときに、日本とアメリカの文化の違いを感じるのではなく、ただ単純に、他人の家が自分の家と違うのは当たり前だとしか思っていなかった。

現地にあった日本語の補習校にも週一で通っていたけど、なぜ周りのアメリカ人の友だちは行く必要がないのに、自分だけ行かなければならないのか不満だった時期があった。現地校ではアメリカ人として過ごしているし、日本語なんて学ぶ必要なんてないと感じていた。そのときは、親に対して日本語を喋らず、英語で返事をしていた記憶が……。

―アメリカ人として暮らしていたのですね。しかし、今はもう日本に帰国して、日本の大学に通われていますよね。なぜ日本に戻られたのですか?

高校3年生のときに、日本に一時帰国する機会があったんだ。そのときに、電車や道端にある広告に書いてある漢字を読めなかったり、親戚とスムーズに会話をすることができていなかったりすることに気付き始めた。「自分はこんなに日本語ができないのか!」と思い、すごくショックを受け、悔しかった。それで、ちゃんと日本語をしっかり勉強して、日本でも不自由なく暮らせるようになりたいと思った。そういった理由で、日本に帰国して、大学に入ろうと思ったんだ。

そのときに、「日本人」である自分を意識し始めたのかもしれない。英語は出来るのに、日本語を上手く喋れない日本人なんて、恥ずかしいなと思うようになった。それでアメリカに戻ってから、平日は現地の高校に通いつつ、土曜日には補習校、日曜日は別の日本人向けの塾に通って日本語の勉強をしていた。結局、小さい頃から補習校に通っていて良かったと思えるようになった。

―そして、今の大学に入学されたのですね。大学では何をしてきましたか?

まず、大学1年目は、ボート部に所属していた。でも、半年で辞めちゃいました(苦笑)

―どうしてですか?

部活に入る前は、まず日本的なものを経験してみたかった。例えば、先輩と後輩の関係とか、その上下関係で生じる敬語のやり取りだとか(笑) そういった慣習は、アメリカに住んでいた頃は、日本のアニメやドラマでしか見たことがなかった。だから、現場で体験してみたかった。

そういったものから、色んな楽しい思い出が残っているけれども、スポーツばっかりの生活になってしまった。人間関係も部活だけで留まってしまい、英語を使う機会もほぼゼロ……。このまま4年間続ける自分を想像することが難しくなり、結局辞めることにした。

日本に来る留学生は「日本が大好き!」

―今は何か団体に所属していますか?

今は、留学生のボランティア団体に所属していて、新規留学生の支援をしてます。例えば、来日したばかりの留学生が、市役所でしなければいけない事務手続きや銀行口座を開設する際の通訳をしてるよ。

―なぜその団体に入ろうと思ったのですか?

それは、まず自分の英語力を活かしたかったから。ボート部に所属していたときは全く英語を使わなかったからね。さすがに英語を忘れはしないだろうと思ったけど、使っていないと不安だった。

あと、色んな国で育った人と交流を持てば、刺激になると思ったことかな。よく日本では、日本人ではない人を「外国人」って一括りにすることがあるけれども、日本に来る留学生って、アメリカで知り合ったような人たちとは全く違う人たちだと感じた。

というのは、日本に来る留学生というのは、「日本のこういうところが好き」という人が多くて、自国以外の文化・価値観に強い興味を持つ人の気持ちが興味深かった。

スペインでスバル自動車を売る

―面白いですね! 他にも何か課外活動をしていますか?

この間の春休み中に、大学が主催しているスペインの企業研修に参加した。5週間という短い期間だったけれど、ものすごく面白くて、行って良かったと思っている。

―どのような研修内容だったのですか?

研修先の企業は、日本では「商社」に当たるもので、主に自動車の輸入・輸出に携わっている企業。僕は、その企業の子会社である「スバル・スペイン」に配属され、そこのマーケティング部門とPR部門の社員の下で研修を受けて来た。スペインではスバルはまだ小さい企業であったから、その2つの部門の社員にくっついて社内のミーティングに参加したり、日本のスバル自動車はどう売られているのかなどについて報告書を作成し、プレゼンテーションを行なったりした。

印象に残っているのが、PR部門で与えられた仕事で、まだスペインではブランド名が浸透していないスバル自動車の知名度を上げるためのイベントに参加できたことかな。自分の片言のスペイン語で自動車評論家にスバル自動車のレビューを依頼したのも面白かった。もちろん仕事の他に、レアルマドリッドの試合をタダで観戦することができたり、週末はスペインの色んな都市に旅行することができたりしたことが一番楽しかった。

―とても勉強になりますね。何か研修で辛かったことはありましたか?

スペインでの企業研修だったので、社内で使用される言語は英語ではなくスペイン語で、なかなかコミュニケーションを取るのが大変だった。アメリカの中高でスペイン語を習っていたけど、実際に使われていたスペイン語に付いていくのが難しかった。だから、結局、社員の方たちとは英語で話すことが多かったかな。外国語でのコミュニケーションの本当の「大変さ」を初めて味わったかもしれない。でも、今まで行ったことのない国での企業研修だったから、そこでの仕事環境はすごく新鮮で、刺激的だった。

このインターンシップのおかげで、来年の春からスペインに1年間留学する決意ができ、残りの大学生活で何を勉強したいかというイメージが少し湧いてきた。

海外と日本を行き来する

―とても良い経験を得られて羨ましいです。大学のゼミはどういった基準で選んだのですか?

まず、以前から経営組織論を学びたいと思っていたのもあるけど、スペインの企業研修に参加したことで、日本だけでなく世界でも通用するような基本的な知識や能力を身に付けたいとすごく思い始めた。そこで、経営組織論の他に経営学の基本を勉強できるゼミに入りたいと思い、今所属しているゼミに入った。

―では、将来は海外でも働くということも視野に入れているのでしょうか?

この先何があるかわからないけれども、今のところは日本に一生居続ける気はあまりないかな。スペイン語圏であれ英語圏であれ、一つの場所に留まることなく色んな国を行き来できる仕事に就きたいと思っています。

―お互い将来について考えることが多い時期ですよね。今日は話を聞けて嬉しかったです。ありがとうございました!

こちらこそ、ありがとうございました。

帰国子女大学入試・合格体験記vol.29
http://www.rtnproject.com/2009/07/vol29_2.html

インタビューアから一言

大学受験の頃から知っていた内山くんは、努力家であり、ストイック精神が強い人だなと感じました。彼は、悔しさをバネに今まで様々な壁を打ち破ってきて、学ぶ点が多々ありました。また、インタビューを通じて、帰国子女ならではの悩みを持つ仲間として、共感できることも多くありました。内山くんは、アメリカと日本の両方のアイデンティティを持っているということで、自分は一体何者なのかについて色々考えることもあったのでしょう。また、大学で会ったら色々話を聞かせていただきたいと思います。
吉江奏太。1989 年生まれ。小学6年生から高校卒業まで米国カリフォルニア州サンノゼ、サンタバーバラに滞在。Dos Pueblos High Schoolに通う。高校ではバスケ部に所属し、州大会CIFに出場。高校卒業後、日本に帰国し、一橋大学経済学部に入学。現在3年に在籍中。大学では開発金融を専攻し、バスケ・サークル代表を務める。国立バスケットボール・リーグ2010主催者。