海外生活体験者・学生インタビューvol.82

interviewee_s_188_profile.jpg 竹本福子さん。1989年アメリカ生まれ。生後半年で日本に移住。小学1年から小学3年までカリフォルニア州で過ごし、その後帰国。中学1年から再び渡米し、コネチカット州とミシガン州に住む。ミシガン州Ernest W. Seaholm High Schoolを卒業後帰国し、現在は東京大学文科Ⅲ類の2年生。

―アメリカに約10年いたってことは聞いていたけど、行ったり来たりの10年で、その上アメリカ国籍まで持っているなんてびっくりです。今日は、よろしくお願いします。

よろしくお願いします。

最初の頃は泣いてばかり

―まずは、初めてアメリカに行った頃の記憶はありますか?

初めて行ったのは小学1年のときで、行く前に英会話教室に通ってはいたけど、現地で全く役に立たず……、最初の頃は毎日泣いてばかりいました。だけど、いつの間にか友だちができていて、1年後くらいには英語が話せるようになっていました。小学3年のときには、アメリカ人化していたというか、完全にカリフォルニア人になっていましたね。逆に日本語が危うくて、親が心配していたのを覚えています。

アジア人が多い地域で、日本人もいましたが、その頃一緒に遊んでいたのはアメリカ人ばかりで、英語しか喋っていなかったです。今では信じられないくらいアメリカ人していました。

―その後に、一度日本に帰っていますよね。

小学4年で日本に帰ることになったときは、現地に仲の良い友だちがいたので、本当に嫌でした。授業も日本の算数などは難しく、ついていくのに大変でした。ただ、その頃に、母の提案でミニバスケットボールのチームに入ることになって。そこが居場所になったというか、楽しみが見つかり、自然と学校でも友だちができるようになりました。だから、心配もあったけど、私は日本でやっていけない!というような、大きな壁にぶち当たった記憶はないです。日本語ドップリでひたすらバスケに打ち込んでいました。

―そんな楽しい時期にまたアメリカに行くことに……。

そう(笑)、中学1年でまた渡米すると聞かされたときは、本当に嫌で、反抗していました。

反抗したり、前向きになったり

―そりゃあそうですよね。やっと日本の学校に慣れた頃に渡米だなんて。コネチカットでの中学時代はどうでしたか?

正直、コネチカットに行くときは嫌々だったので、やる気がありませんでした。小学生の頃のように、また自然と学校に馴染めるかなと思っていたら、中学では友人同士のグループが既にできていて、なかなかうまくいかず、そんな自分にイライラして……。中学で渡米したときは、語学面よりも友人関係や環境に馴染むのに苦労しました。

高校に進学して、ESLの英語のクラスを出たり、バレーボールをやってみたりと、新しい環境にはなりました。ただ、自分のいた地域がニューヨークに近いこともあって、日本人が多く、学校でも日本人の友人が増え、その日本人の輪の中に入り込んでしまって。

―確かに……。自分では英語力のためにも、もっとアメリカ人の輪の中に入っていかなくてはとわかってはいても、日本人だとやっぱり安心するし、そこに逃げ込んじゃいますよね。

うん、そういう面で悩んでいたというか、違和感がありました。

―そんな頃にミシガン州へ。そのときも反抗しましたか?

高校のJuniorが始まる前に引っ越したんですが、このときはコネチカットでの日本人同士の付き合いにも疲れていたし、元々引っ越しが多い家族なので、コネチカットに少し飽きてきていて(笑)、ミシガン行きには前向きでした。ミシガン州で住むエリアを決める際にも、あえてアジア人が少ないところを選びました。

夏休みに遊びのつもりで帰国した

―では、ミシガンでの2年間で印象深かったことはありますか?

ミシガンでは、ボランティア活動にハマっていました。Detroit Zooで案内をしたり、子供のアートクラスをお手伝いしたり、夏休みにはボランティアのキャンプで山に2週間籠ったりと、とても楽しかったです。始めたきっかけは、アメリカでの大学進学のためでしたが、楽しく続けていました。うまくいくことばかりではなくて、自分のコミュニケーション能力の低さを知るなど、学ぶことも多かったです。

今、大学進学の話がありましたが、元々大学はアメリカに行くつもりだったのですか?

大学進学については、コネチカットにいた頃は、周りに日本人が多いこともあって、日本でと考えていましたが、ミシガンに住んでからは、迷いつつもアメリカでの進学を考えていました。予備校に通った夏も、本当は夏休みに遊びに帰るつもりで帰国しただけだったんですよ。

―えー!? ど、どういうことですか?

日本とアメリカの大学で悩んだ末に、アメリカでの大学進学を春に決めていました。既に大学にも入学金などの費用は払い込んだ状態で、日本に遊びやバイトをするつもりで夏に帰国したんです。母は、一応予備校の申し込み期限を調べていたようですが、私は全くそんなつもりはありませんでした。

日本に帰って突然日本が大好きになったとか、何か決定的な出来事があったわけではないのですが、突然予備校に通う気になりました。自分でも何故?っていう感じです。漠然と感じていたのは、アメリカで生まれ長年アメリカに住んでいても、自分はアメリカ人ではなく日本人なのだという想いです。にもかかわらず、自分は日本のことをよく知らないため、自分の存在の裏付けというか、基盤ができていないように感じていました。そんな自分の中身を探したかったのかな、と。正直、今でもなぜ突然心変わりしたのかよくわかりません(笑)

―アメリカにいると、すごく「日本人」として扱われることがありますよね。

日本人はどう考えるの?と意見を求められたり、日本の文化を紹介してと言われたり……、でも自分はそれに答えられない。日本人って何なの?という思いがありました。だから、日本に住んでみて、日本語で文章を書いたり本を読んだり、物事を考えてみたかったのだと思います。

―そんな急に決めた日本の大学受験だったんですね。でもその半年で頑張って東大に合格しちゃうのはさすがです。

予備校の授業では、日本語で文章を書いたり、小論文の講義で物事を深く考えてみたり、テーマも面白くて楽しかったです。

日本の大学を選んで本当に良かった

―では、どんでん返しの末に入学した東大ですが、1年通ってみていかがですか?

入学当初は、周りに帰国子女がいない環境でやっていけるかなと心配でした。その上、一般生に対して抱いていた、ガリガリ勉強ばかりしているイメージは、みんながプレゼンテーションなどを難なくこなすのを見て、脆くも崩れ去り、劣等感すらを味わうこともありました。でも、自分ができることからコツコツ頑張っていけば、変に引け目を感じる必要はないとわかったし、今では日本の大学を選び、東大に入って本当に良かったと思っています。

授業以外では、苦手なスポーツであるはずのバトミントンサークルに雰囲気が良かったので参加してみたり、帰国子女や留学経験のある知人らと英語の劇を駒場祭で披露してみたりと、大学生だからこそできることをやっています。

―では最後に、これからの大学生活で何かやろうとしていることや目標はありますか?

漠然とですが、幼い頃から続けている油絵などのアートによる街づくりに興味があります。それに関連して、まだ決まっていませんが、今年の夏にペルーにあるクラフトなどのアート作品製造で生計を立てている人々の団体でのインターンシップに応募してみました。1年生は、授業など目の前の課題をこなしていくのでいっぱいいっぱいだったので、今、少しずつ目の前が開き始めていて、行動を起こしつつあります。いろいろなことにチャレンジしながら、本当に自分がやりたいことを少しずつ絞っていければと思います。

Ernest W. Seaholm High School :
http://seaholm.birmingham.schoolfusion.us/

インタビューアから一言

竹本さんとは予備校で出会ってから、今でもお互い予定を合わせては会う大切な友人です。いつも店から追い出されるほど長話をしているのに、今回初めてアメリカの滞在歴や大学受験の経緯について知りました。日本人ばかりの環境から、あえて正反対のミシガンに引っ越すことを決めたり、大学ではA+間違いなしの英語ではなく、あえてスペイン語とフランス語を履修したりするなど、その常に上を目指す姿勢には脱帽です。夏のインターンシップに向けても動き出していることを知り、私も刺激を受けました。これからも近況を報告しながら、刺激し合うことのできる友人でいたいと思います。
宮崎紗絵子。1989年生まれ。愛知県出身。高校1年の夏からアメリカ・カリフォルニア州のサンディエゴで暮らし、Rancho Bernardo High Schoolに通う。高校卒業後帰国し、2009年早稲田大学法学部に入学。現在2年に在学中。大学では、法律サークルに所属し活動している。趣味はミュージカルなどの舞台鑑賞。