海外生活体験者・社会人インタビューvol.72〜後編〜

interviewee_s_187_profile.jpg 瀬上純さん。1970年生まれ。宮城県宮城郡松島町出身。中学校から3年間、パナマ日本人学校に通う。帰国後は青山学院高等部に入学。大学は青山学院大学経済学部に進学し、学外で積極的に音楽活動を行う。93年に卒業後、株式会社セガに入社し、2000年より約8年間サンフランシスコに在住し、Sega Of America, inc.に所属。現在はサウンド・ディレクターとしてだけではなく、ゲームから派生したロックバンド「Crush 40」のギタリストとして世界で活躍している。

『ソニック・アドベンチャー』の作曲をしてサンフランシスコに

―入社後、瀬上さんは具体的にどういう仕事に携わっていたのですか?

入社後は音楽担当として、プログラミングをして曲を作るという部門に所属していました。しかし、当時はインターネットのような手段がなく、海外のフィードバックがすぐに分からない時代だったので、外からのフィードバックを得るために、旅行先で現地の雑誌を買ってゲームの評価を確認していました。海外のゲーム屋さんの店頭でも反応を見ていたりしていましたが、フィードバックが直接来ることはありませんでした。

ちなみに旅行中のことですが、セガという会社は日本国外にもたくさんのファンがいて、そういうプロダクトに曲を作るということは、ゲームを通じて自分の音楽を聴く人がいっぱいいたことに驚きました。

他にも、日本にいる様々なシンガーにアプローチをして、スタジオで曲をレコーディングしたり、そういう仕事を中心にやっていました。それが6年間続きました。そして、『ソニック・アドベンチャー』というゲームがあったのですが、そのゲームの音楽の担当をしており、それが日本だけではなく欧米でも売れていたため、それの続編をアメリカ市場を目指したものにしようとして、サンフランシスコへ転勤が決まりました。

―サンフランシスコでの生活はいかがでしたか?

私が住んでいた地域はサンフランシスコの郊外だったので、町としてはあまり大きくない場所に暮らしていました。前に住んでいた中米のときと違って、家族ができたので、それを両立することが大変だったなと思います。その時初めて、父がどれだけパナマで苦労したのか実感できました。まぁ、サンフランシスコの気候も過ごしやすくって、パナマの時とあまり変わらなかったですけどね(笑)

―瀬上さんはパナマとサンフランシスコに滞在していましたが、両国の共通点と相違点は何だと思いますか?

難しい質問ですね(苦笑) んー、まず、両国は車がないと何も出来ない状態だったし、日本と違って人が集中していなかったので、無理がなかったです。逆に相違点は、貧富の差ですね。無論アメリカにも貧富の差はありますが、パナマは発展途上国なので、先進国であるアメリカ以上に格差があるなと思いました。そこで改めて、発展途上国と先進国での生活の違いについて考えさせられました。

帰国子女はアピール術を持っている

―サンフランシスコで苦労したことは何ですか?

仕事面では苦労した経験がありませんでした。今まで何年も同じ仕事内容だったので、そんなに苦労した覚えはありません。ただ、生活面で大変苦労させられました。特に、娘の学校のことでした。私はアメリカの学校のことは知らなかったので、娘のホームワークを一緒にやったりして、とにかく娘のことで手一杯でした。もう分からないことだらけでした。

―確かに、私も海外に住み始めた頃、ホームワークに大変苦労させられました(笑)瀬上さんの娘さんも帰国子女にあたるわけですが、帰国子女の特徴は何だとおもいますか?

帰国子女はアピール術を持っているのではないかなーと、最近感じています。語学はあくまでもツールの一つであり、語学力がある=帰国子女ではないと思います。それより、帰国子女は人に負けないものを持っていると思います。一方、大半の日本人はあまり目立たないように控え気味です。帰国子女と普通の日本人の違いはそこじゃないかなと思っています。

―娘さんも現在、瀬上さんと一緒に日本に住んでいるのですか?

私と一緒に住んでいますが、娘は今までpre school から middle schoolの初めの頃まで現地校に通わせ、補習校に通ってなかったせいか、あまり日本語が……(苦笑) 本人は本を読むことが好きなので、今まで英語の本を中心に読んでいました。ですから、最初はインターに通わせていましたが、これからは徐々に日本語を習い、普通の日本人と同レベルに話せるようになってもらいたい。それが、親としての努めだと思います。

―サンフランシスコで仕事していて、そこで得たものは何ですか?

何かモノを考えるときに、日本人に向けたモノでもなく、アメリカ人に向けたモノでもなく、全世界に向けたモノを考えたときに、両方の見方をどっちも考えることができたことが、サンフランシスコで得たことだと思います。それでも、ヨーロッパだったら国によって文化が違うし、考え方も異なっているので、どうすれば商品が売れるのかについて考えるのは、なかなか骨の折れる作業です。

―現在はどんな仕事をしているのですか?

現在もサンフランシスコにいたときと変わらないのですが、日本というマーケットというよりもアメリカやヨーロッパの方が市場の規模が大きいので、そこに向けたゲームがどうすればヒットできるかを考えながら作っています。今の仕事がモチベーションとなっていますし、これからも長い間モノを作るという仕事を続けたいと考えています。

また、「CRUSH 40」というバンドの仕事もしています。サンフランシスコに行く前に結成したバンドですが、そこでギターをやっていて、世界に向けてアピール出来る場があるので、それも私にとってモチベーションのひとつとなっています。

―ということは、高校・大学時代に行っていた音楽活動が今に繋がっているということですね。

大学卒業後、バイトしながらバンドをやるという道を選んでいたら、こういうことにならなかったと思います。ただ、あの頃にギターをやっていて本当に良かったなと思っています。大学のときに友だちにゲーム業界を紹介してもらい、こうして自分が作った音楽がゲームの中に入って、世界で売られるものになったので、それが私にとって誇りになりました。

―もっと話をお聞きしたいのですが、そろそろ時間なので、最後に一言お願いします。

先程も言ったと思いますが、帰国子女は何かをアピールできる術を持っています。これは帰国子女だけが持っている特権です。興味を持ってもらえないと、スタート地点に立てないので、その術を持っていることを活かして、自分を売り込むことが大切だと思います。

―本日は本当にありがとうございました!

週刊ベイスポ11月10日発行号掲載
今週の人: 瀬上 純 (せのうえ・じゅん) さん :
http://www.bayspo.com/kurasu/kurasu8xx/kurasu845/845.html
Wikipedia : Jun Senoue
http://en.wikipedia.org/wiki/Jun_Senoue
JUN SENOUE official website :
http://junsenoue.com/site/
Crush 40 myspace official :
http://www.myspace.com/crush40official
Crush 40 channal(動画) :
http://www.youtube.com/crush40

インタビューアから一言

瀬上さんは世界で活躍しているとお聞きしていたので、最初はとても緊張していましたが、実際とても優しい方で、話も弾み、インタビューの半分はゲーマーの雑談のようになってしまいました(笑) しかし、インタビューを振り返ると、社会人として活躍なさっているだけでなく、良き父親として子どものこともきちんと考えている誠実な方だなと気づきました。そんな魅力を感じさせ、世界中で活躍している瀬上純さんを、これからも応援したいと思います!

前編はこちら>>
徳井洋平。1989年生まれ。三重県出身。小学1年から中学3年まで、アメリカのロサンゼルス、シカゴなど、様々な土地で暮らし、高校3年間はカナダのト ロントで生活し、Pine Ridge Secondary Schoolに通う。大学受験を機に帰国し、立教大学社会学部に入学。現在3年に在学中。大学では、朝から講義、午後は放送研究会のサークル活動のため、多忙を極める。趣味はサッカー観戦で、ACミランのカカをこよなく愛す。