海外生活体験者・社会人インタビューvol.76

interviewee_s_197_profile.jpg 古川英太さん。1974年生まれ。中学高校をシンガポールで過ごす。シンガポール・アメリカン・スクールを卒業し、帰国後は関西学院大学商学部に入学。アメリカへの留学や香港現地法人での実務経験を経て、2002年に現在のストラテジック・デシジョン・イニシアティブの前身となるSDI香港法人を設立し、中国でのリサーチ、マーケティング事業を開始。その後、中国本土に100%子会社を設立。07年に本社を東京へ移転し、ベンチャーキャピタルを中心に約3億円の資金を調達。事業領域を新興国全域に広げ、現在に至る。モットーは「No Pain、No Gain」と「継続は力なり」。

1年間ずっとチキンバーガー

―時系列形式にお話を伺っていき、「海外生活で得た経験がどのようにいま生きているか」という点を突っ込ませていただきたいと思います。

お手柔らかに(笑)

―中1でシンガポールに行かれたわけですが、最初はどうでしたか?

渡航する前の最初のイメージは、ものすごい未開の土地だったな。当時はインターネットもなかったから、想像するしかなかったんだけど。ジャングルの中に、よく東南アジアにあるような高床式の家が集まっているようなイメージだったね(笑) 実際は日本で住んでいたとこよりも都会で驚いたけど!

最初に入った学校はアメリカンスクールだったんだけど、日本人の男子は全くいなかった。その環境のおかげで、最終的には英語の上達につながったのだろうけど、初めは全然楽しくなかったな。全く言葉がわからないしね。スクールバスを逃すと家に帰れなくなるから必死だったし、カフェテリアでは「チキンバーガー」しか言えないから、1年間ずっとチキンバーガーばかり食べてたよ(笑)

日本人にはがっかりした

―シンガポールにいて何を感じましたか?

まずは、海外の金持ちはけた違いだということ。シンガポールは台湾や香港からお金持ちの子弟が集まっていたから、レベルが全然違う。財閥の御曹司やシンガポールで1番の金持ちの子供もいた。それこそフォーブスに載っているようなね。それを見て、日本人はちっぽけだなぁって感じて、あいつらみたいになりたい!って、単純に思った。それが起業した一つの動機になるんだけどね。

あとは、日本人のナショナリズムの弱さかな。高校に入ったときに「国間戦争」みたいのがあったんだ。例えば、タイ人と韓国人で張り合って喧嘩をするみたいなさ。おれも1回タイ人に呼び出されたことがあるんだけど、その時に日本人の先輩に相談しても、誰も一緒に来てくれなかったんだよね。助けてくれたのはハーフのマックスだけで(笑)

日本人にはがっかりしたし、もっと日本人としてのアイデンティティを持った方がいいと思った。ナショナリズムとかだけじゃなくて、ビジネスの面でも海外に大勢いる日本人を繋いで、利用しないのはもったいない。華僑が身内だけであれだけの影響力を持っているように、日本人も、日本人としての存在感をアピールできるはず!

やりたい気持ちがあれば、どうにでもなる

―大学は日本に帰ってきたわけですが、どうでした?

とにかく勉強はしなかったね!(笑) そしてバイトばかりしていたかな。在学中に2年間アメリカへ行ったんだよ。その経験が大きかったかもしれない。アメリカへ行ったきっかけは、彼女がアメリカに留学したからなんだよね(笑)

―2年間ですか!? どんな経験をなされたのですか?

旅行の気持ちでアメリカに行ったんだけど、その生活水準の高さと環境に驚いて、住みたくなったんだ。そこではいろいろな人に会った。アメリカが好きでたまらなくてヒッピーやっている日本人、コックの夢を持ち続けている日本人とか、みんな「夢」を持ってた。アメリカン・ドリームみたいな大きな夢じゃなくても、夢があった。

そのヒッピーの人なんて、1回ビザが切れて国外退去になっているんだけど、どうしてもアメリカに戻りたいから、アメリカから知り合いの女性を日本に呼んで、結婚までして、またア戻ってきたんだって。そういう人たちに会ううちに、「やりたい気持ちがあれば、どうにでもなる」って思ったね。要は、どういう環境に自分がいるかじゃなくて、その環境から何をどこまで学ぶかは自分次第だし、そういう姿勢でいる限り「無駄」はないと思う。

―すごい勇気の出る言葉ですね!

チャイニーズ・ドリームを夢見て

―大学を卒業してからのことを教えてください!

大学を卒業する前に、中国を旅行した。後で一緒に起業した森辺も含めて4人で、3週間かけて中国を縦断してシンガポールまで行ったんだ。それが97年だったんだけど、中国の可能性の大きさを知った旅だったかな。アメリカン・ドリームならぬチャイニーズ・ドリームを夢見て、中国に関連した事業を興そうと森辺と決めた。

大学を卒業したあと、日本では全く就職活動をしなかったね。香港へ行って職を探したんだ。日本はすごく好きだし、住みやすいけど、もっと厳しい環境に自分を置きたかった。ビザの関係とかもあって、なかなか決まらなかったんだけどね。最終面接へ行く前に、関西国際空港で胴上げして送り出してもらって、香港へ向かったんだよ。幸いにもちゃんと就職先は決まって、中国語を勉強しつつ頑張った。

会社は大きな会社ではなかったけど、そのときに得た経験が、今すごく役に立っているのは感じるね。とりあえず、31歳のときには「お金持ちになる!」っていう目的があったから、それに向かってすべてを吸収していったかな。そうこうしているうちに、ある日森辺が来て「おれは今月で会社辞めたから、お前もやめろ」って言われて、会社を辞めて起業したんだ(笑)

起業した当初は大変だったな。とりあえず暇な時間が1番つらかったかな(笑) 当時は、まだ中国を「世界の工場」としてしか見ていない時代だったんだけど、「工場」としてではなく「市場」としての価値を見出して、その方向性でビジネスをしてたんだ。でも、初めは商品アレンジからコンサルまで、とにかく色々なことをやった。青森から九州まで、サンプルの商品を車に積んで渡り歩いたりしてね(笑)

04年から情報サービスを中心に展開するようになって、今に至る感じかな。31歳は過ぎちゃったから40歳で金持ちになるのを目指してね(笑)

“No Pain, No Gain”

―最後に、これから就活をしたり、社会に出たりする帰国子女に一言お願いします!

「和僑」=日本人のネットワーク。海外で頑張る人、活躍する人、勉強する人、遊ぶ人、夢を追いかける人、様々な形で多くの日本人が世界で頑張っています!! 他の人にはない、海外での経験を持つ帰国子女が、グローバルな視点でグローバルに活動をして、華僑や印僑に負けない「和僑」を作り上げて、世界に誇る“日本/ジャパン”を作りましょう!

インタビューアから一言

初めての社会人インタビューということで緊張していたのですが、終始笑いの絶えない1時間でした。しかし、冗談を交えつつも、熱い想いや大事な言葉をいろいろと教えていただき、話しているだけで元気の出るようなインタビューでした! これからも是非いろいろなお話を聞いてみたいと思います。本当にありがとうございました!
畑悠歩。1988年神戸生まれ。14歳から18歳までイギリスのロンドンに滞在。St. John’s Leatherheadを卒業後、帰国する。予備校で受験勉強をした後、慶應義塾大学に入学。現在、経済学部3年に在籍中。大学では、金融系のゼミで国際 経済と金融を学びつつ、学園祭の実行委員会にも所属している。