海外生活体験者・学生インタビューvol.83

interviewee_s_190_profile.jpg 安田亜衣さん。1989年サンフランシスコ生まれ。生後すぐに日本に移り、小学校3、4年生はニューヨーク州で過ごす。小学5年生から中学校までを、再び日本で過ごした後、アメリカのニューハンプシャー州のボーディングスクールSt Paul’s Boarding Schoolに留学。高校卒業後、帰国し、東京大学文科一類に入学。現在、東京大学法学部3年に在籍。

英語は自然に身に付いた

―小さいころは、どんな子供だった?

ただ外で遊ぶのが好きな普通の子だったかな。小学校3、4年生のときに親の仕事の都合でニューヨークのスカースデールっていう街に引っ越しました。

―日本を離れて、もしくは英語が話せなくて、辛かったこととかあった?

あまり辛くなかったかな。家族も一緒だったし。英語に関しても、そこまで苦労はしなかった。ESLも1年ちょっとで抜けられて。

―大分早いね!(笑)

隣の家の子と、よく遊ぶことがあったのね。むこうは、もちろん英語で話してきて、よくわからなかったけど、何も言わないのは失礼だと思ったから、日本語で返したりしてて。会話は成り立ってなかったけど、楽しく遊ぶことができて、そうこうしているうちに、自然に英語が身に付いた。あの子の存在が大きかったかな。

最初は、本当に辛かった

―そっか。それでその後に日本に帰ってきたんだよね?

うん。だけど、エスカレーター式の学校だったから、小学校も中学校も大体ずっと周りにいるのは同じメンバーで、中学が終わる頃には少し飽きてきていて、もっと世界を広げたいって思っていて。そんなとき、ちょうどその学校に交換留学のプログラムがあるっていうことを知りました。New Hampshireにある、St Paul’s Boarding Schoolっていう全寮制の学校で、いろんな国や地域からいろんな学生が来ているってことで、すごい興味が沸いてきて、行くことに決めた。1年間は奨学金がでるから、タダで行けたこともあって。

―そのときからもう意欲的だったんだね。高校生活は大変だった?

最初は、本当に辛かった。一つは英語。小学校のときに身に付いたものがあるから、大丈夫だろうって思っていたんだけど、実際に行ってみたら全然わからなくて、宿題もめちゃめちゃ時間かかるし。だけど、ルームメイトがアメリカ人の女の子二人だったんだけど、その子たちが簡単な言葉にして説明してくれたり、二人で劇をして教えてくれたりしてくれて。それで、1年くらいしたら大丈夫になってた。やっぱり24時間英語漬けだと、上達も早いよね。

もう一つ辛かったのは、ホームシックになったこと。日本が恋しかったし、家族が恋しかった。だけど、ルームメイトの子もホームシックになって、部屋で泣き始めちゃって、その子を慰めてたら、「私だけじゃないんだなあ。」って思えて、それからホームシックもなくなったかな。

こんなのも日本の学校じゃないよね

―それからは、問題なく楽しい高校生活を送れたんだ?

うん。いろんな人がいたけど、最終的には寮が一つの家みたいになってた。卒業して、しばらくたった今でも、あそこはMy Second Home っていう感じがある。

―高校の授業は、やっぱり日本とは違った?

全然違う。特に、Humanities っていう、歴史と国語が混ざったような授業にはびっくりしました。アメリカ史とか、ヨーロッパ史とかを勉強しながら、歴史に沿って、そのときの文学や絵画を学んでディスカッションをするっていう授業だった。しかも、この授業では日本みたいに授業で完結しちゃうんじゃなくて、授業の中で興味を持ったことを自分で図書館で調べて、それを次の授業の持って行って、またディスカッションをするっていう形だった。自分が興味を持って自主的に勉強をしているなぁっていう実感がすごくあった。

あと、Art、Music、Danceのどれかを選んで授業を受けないといけなくて、私はピアノを習っていたからその授業をとってみた。それが実は、先生と一対一で練習をするっていう授業で、すごく楽しかった。こんなのも日本の学校じゃないよね。

あとはボランティアかな。アメリカ人に日本語を教えたり、老人ホームにピアノを弾きにいったりした。これも日本ではやったことがなかった。このときに、「小さなことでも、人の役にたてるんだなぁ」ってすごい実感したかな。

―他にアメリカに留学して変わったところはある?

ルームメイトが、遊びにいかずにずっと私の宿題を手伝ってくれたことがあって、その時すごく感動した。だから、自分も誰かが困っていたら助けられる人になりたいってこの頃から思うようになった。

あと、むこうの学校ではいろんな国の人が来ていて、みんな勉強とかスポーツとか遊びとか、何事にも一所懸命で、まさに Enjoying their lifeって感じだった。そういう生き方を見て、すごく刺激を受けたかな。

―アメリカに留学したことはいいことづくし?

うん!(即答) あの3年間で、今の私の基礎ができたと思う。

ロースクールに行っちゃうと、ずっと法律ばっかりになる

―それで日本に帰ってきて東京大学に入ったんだよね。どんな大学生活だった?

まず大学に入って、テニスサークルに入った。テニスは高校のときからずっとやっていたし、絶対続けたいと思ってたから。最初の2年間はほとんどテニスに費やしちゃったかな。レギュラーになったら、かなり練習も厳しくなって大変だった。

―やっぱり大学入ったら最初は遊びたくなっちゃうよね(笑)

だけど、2年生から法学専門科目が少し増えてきて、将来のことを考え始めたのね。ロースクールに進学しようかなって考えてて。そうしたら、父親の紹介でアメリカに本拠地を置いてる弁護士事務所でインターンすることになったの。私の担当の人が、アメリカの大学出身の人で、その人はUndergraduate ではEconomyとMusicをやっている人だった。

その人はその後ロースクールにいって、弁護士になった人だったんだけど、そういう話を聞いていたら法学部からロースクールに行っちゃうと、ずっと法律ばっかりになるし、それはイヤだなぁって思い始めた。しかも、弁護士の場合、クライアントの利益をすごく考えなくちゃいけないし、大手の弁護士事務所に務められることになっても、そういうところは高額だから、助けられる人も限られてくる。そこから他の道も考えるようになった。

そうしたら、今度はその事務所の人が別のインターンを紹介してくれた。衆議院選挙の民主党の候補者の選挙事務所でのインターン。そのときは、政治にはあまり興味がなかったのだけど、インターンをしていくうちに、「政策ってどう作られていくんだろう」って、すごい興味を持ち始めた。そのときから、官僚っていう仕事に興味を持ち始めたの。集約された民意とか国全体を見渡して、どういう政策を作っていくかを決める上ですごく大事な役割を担っているから。

アメリカに行ったときにすごく感じたのは、グローバル化はどんどん進んでいて、世界はすごいスピードで動いているっていうこと。日本も乗り遅れちゃダメだと思ってる。国家間でのやりとりが増えていく中で、どう日本がリーダーシップをとっていくかっていうのが課題だと思う。そういうのに自分も貢献できればいいと思ってて、自分が日本に帰ってきて、向こうで経験したり学んだりしたことを社会に還元したいとも思ってる。その手段として、官僚っていう仕事がいいかなって思う。

誰か特定の利益よりも社会全体の利益、基盤を考えたい

―官僚になれたら具体的に実現したいことは?

まだ、しっかり決まっている訳ではないけど、経済面に興味がある。日本は、結構 originality とか creativity がないって言われるけど、そうじゃないと思うのね。ただ、営業力とかビジネスのやり方に問題があると思う。企業や市場の中で、チャレンジ、再チャレンジできるような基盤が今はできていない。そういうのを作るのは政府の仕事だから、そこで官僚として貢献したい。

でも、日本の経済成長だけにがむしゃらになるのではなくて、国際社会も一つのコミュニティだと考えて、全体としての分配の問題も考えなくちゃいけないと思う。途上国で、環境基準が甘いからって、それ利用して成長目的だけに途上国を搾取していくのも違うと思う。誰か特定の利益よりも社会全体の利益、基盤を考えたい。

具体的なことは全然わかんないんだけどね(笑)

―すごいね(笑) 他にいままでの人生を通して学んだことは?

何事も無駄とは思わないで、全部活かそうと思えば、何でも活かせるってことかな。大学の最初の2年間、テニスばっかりやっててよかったのかな。。。って思うこともあるけど、テニスをやってたおかげで、友だち増えたし、体力もついたし、早起きできるようになったし(笑) なんでも前向きに考えればどうにでもなると思う。

―今日は、忙しい中インタビュー受けてくれて、本当にありがとうございました!

St Paul’s Boarding School :
http://www.sps.edu/

インタビューアから一言

話を聞いていて、彼女は環境にすごく恵まれていると思いました。しかし、それは決して運なんかではなくて、彼女のひたむきな努力、何事も素直に受け止めてそこから何でも学ぼうとする姿勢、そして何よりも、周りを明るくする彼女独特の朗らかな人柄があってこそのものなのだと強く感じました。彼女には見習うところがたくさんあって、今回のインタビューはすごく刺激になりました。忙しいのに快く協力してくれて本当にありがとう!!
越島健介。1989年ロサンゼルス生まれ。2歳から9歳まで神奈川県で過ごした後、再び渡米。Scarsdale High Schoolを卒業。帰国後、東京大学理科一類を目指し、約1年間受験勉強をするが、不合格となり、早稲田大学先進理工学部に進学することを決める。現在、電気情報生命工学科3年に在籍。