海外生活体験者・学生インタビューvol.87

interviewee_s_198_profile.jpg 斎藤瑞希さん。1989年生まれ。5歳から6歳までボストンで過ごした後ミシガンへ引越し、Maple Elementary Schoolを卒業後日本へ帰国。愛知教育大学付属小学に5年から編入、中学に進んだ後、親の都合で静岡の高校へ。東京大学文科Ⅰ類に進学し、現在、東京大学法学部2類(公法コース)3年に在籍。

─はいはい、それでは、よろしくお願いします!

はいはい、よろしく! そういう感じで始まるのか(笑)

5年生のときに1年早く卒業する

─うん、まぁ気楽―にですw  では順番に、ミシガンの小学校の話から聞きましょうか。日本人とは仲良くしてた? 英語の習得とかは?

私の学年には日本人が一人もいなかったんだよ! 別に,学校全体なら結構いたんだけど、本当にたまたま。あれかな? 私は小さい頃からいたから,学年を落としたりしなかったけど、大体小学校高学年でアメリカ行ったりすると、みな学年落としてくるでしょ? それで、本当は同い年の友だちはみんな下の学年にいた。じゃあ私の一つ上の人が学年落として来なかったのかって話なんだけど、何故かいなかった(笑)

だから、四苦八苦しながらも英語はよく身についたのかもしれないけど、一番助かったのは担任の先生かな。おばあちゃんみたいな人だったんだけど、すごく構ってくれて。なんか、私のために世話役みたいな?(笑) そんな感じの子を友だちに作ってくれて、その子と頑張ってたなぁって感じ。

─あぁ、うちそのお世話役よくやったよ(笑) 長かったからw

うん、私も後から来た転校生にはしてたw

─んじゃぁ、ミシガンの小学校の一番の思い出は?

何かなぁ。卒業するときの最後のパーティーかな! プロムみたいにドレス着てダンスパーティーとかするわけじゃないけど、確か私の年はスケートリンク貸し切りにして、みんなでスケートとかもして! すごく楽しかった! やっぱり最後の学年になった頃には仲いいしね。

最後の学年で思い出したんだけど、私の学年5年生で卒業だったんだけど、その前までは6年生で卒業だったの。

─え? なにそれどういうこと?(笑)

低学年の頃は6年生ってのが確かにいたのに、いつからかなんか卒業の年が5年生になってて! 何なに6年生どこ行ったの?!って感じでさ!(笑) 多分制度がちょうど6・3・3から5・3・4に変わったんだろうね。あともう一つ、私たちの学年だけ試験的に設けた制度で、なんか5年生と4年生の教室を一つの部屋にして、一緒に授業するってのがあって。

─うぉううぉうなんだそれ?(笑)

ホントにホントに。一つの教室を大きい部屋に改造して。だから一クラス60人くらいいて。でも確か算数、理科、社会は別だったのかな。国語とかは一緒にやってた。

─あ、そこは流石に配慮あるんだね(笑) まぁ、国語なんかそんなに変わらないしね。

うん、向こうは本読んでるだけだしね。でも、やっぱり親からの反発とか凄くて、確か、その反発のせいなのか、合同クラスでレストランを開くとかいう、よくわからない企画とかやって(笑) ちょうど文化祭的なときにね。その売り上げでプールとか行ったよ。

アメリカで床に座ったときはビックリした!

─なるほど、中々アドベンチャーしてきたようで(笑) で、向こうの小学校卒業したけど、日本に帰ったら小学5年生なわけだけど、日本とアメリカの小学校の違いってどんなんでしたか?

え?! いっぱいありすぎてわかんない(笑) 完全に違うじゃん!

─いやそこを何とか(笑) 授業形態とか人間関係とか。

んー、だっていくらでもあるよ……。例えば、日本の小学校って結構個人化っていうのかな? されてない? アメリカではみんな自分のファイルとか膝において、先生の周りの床を囲んで、座り込んでノートとったりしてたけど、日本では一人一つ机があるし。教科書だって、向こうは貸してるけど日本はもらえるし。机が一番ビックリしたかな、最初は! まぁ、って言っても、日本の小学校がどんなものかは知ってたけど。だから逆か、アメリカで床に座ったときはビックリした!

人間関係なら、男子かな。日本の子って、男の子でもグループとか派閥みたいのがない? 女の子じゃあるまいし!って思った(笑) それと、よく言われてることだけど、やっぱり、内と外の接し方は露骨だよね。普通ならぼちぼち仲良い子ととっても仲良い子、つまり小さい+(プラス)と大きい+でしょ? 日本って何か仲良い子とそれ以外の扱いが+と-で結局0!って感じ(笑)

クラスの中にヒエラルキーがある

あと! クラスの中のそれぞれのグループにヒエラルキーがある!

─ヒエラルキー?(笑)

クラスのグループの中にもあるじゃん。主力メンバーの集まるグループと、ちょっと大人しいグループと、いじめられっ子の男子が集まるグループみたいな(笑)

─あぁー確かにww ちなみにみずぽんはどこにいたの?

私は一番の上(笑)

─うぇい(笑) その経緯は?

なんかね、通学路に、クラスのヒエラルキーのトップみたいな子がたまたまいてさ。その子通学路に他の友だちがいなかったらしくて、一緒に学校行くようになって。あと、そのグループの中にミシガンの小学校で顔見知りだった子が一人たまたまいて! それでなんかもう、そのグループに抜擢って感じw

─奇跡的すぎる!(笑) まぁでも、人間関係ドロドロする日本の学校でも、比較的快適な生活を送ったわけだw

んー、そうでもないよー。いじめとかはされてないけど、なんか周りがみんな、才能があるうえのプライドっていうのかな? 結構激突したり意見まとまらなくて、大変だったり。中学も付属だからそのままなんだけど、クラス分かれたりしたから、完全にずっと一緒だったわけじゃないけど、生徒会とかは一緒にやったんだ。体育祭の応援団とかも。そういう主力メンバー上がってくるんだけど、いやぁ、とにかくまとまらなくて大変だった、あの頃は(苦笑)

あっ! 私素質あんじゃん!

─実に中学生らしいぶつかりあい(笑) じゃあ、さくっと高校の話に移ろうかな?

高校はねぇ。何やったかなぁ。部活くらい? あ、海浜教室とか高原教室行ったり、なんか色々してた。わりと自由に楽しかったよ。

─なんで東大にしたの?

んー、愛知教育大付属って岡崎高校にすっごく近くてさ、やっぱりほとんどの子がそこに行くわけよ。

─おぅ。公立東大入学数ナンバーワンの。

なんだっけね。そう、だから私も普通にしてれば岡崎に行けたし、東大とかも頑張れば行けたわけじゃん? で、それが静岡に引っ越すせいで行けないのももったいなぁって思って。静岡の高校もレベル的には全然悪くなかったんだけどね、人数的にも、生徒を東大に入れる!っていう意気込み的にも、やっぱり全然違って。だけど、ある日校長先生に呼び出されてさ、「あなたは素質あるんだから、頑張ってください。」って言われたんだよ! びっくり! そりゃ校長先生に言われたら頑張るしかないじゃん(笑)

─確かにww ご指名だからなwww

そうそう、あー、じゃあ、やっぱりちょっと頑張ろうと思って。しかも、あるとき一回模試受けてさ、そのときの判定でたまたま良い点が出て、「あっ! 私素質あんじゃん!」って思って(笑)

─みずぽんらしい実に明るい思考だと思うよ(笑)

うん(笑) でまぁ、たまに悪い点も出たけど、やっぱり一回良い点出したことあったから、素質はあるんだと思って、それでずっとやってたら、受かった(笑) 英語はやっぱり楽だったね。あれで皆より1教科というか下手すれば1.5教科分くらいは楽じゃん。その半面、国語は確かに苦手だったけど、国語苦手な人なんて一般の人にもいるし、だから基礎問題解いて頑張ってた。まぁ、で、無事合格したときは思ったね。「あ、意外と受かるもんだな」って。

─そんなトントン拍子でいいのか世の中(笑) んで無事合格と……、じゃあインタビューはこんなもので、(法学部の)授業行きますか? 今日はありがとうございました。

え? こちらこそありがとうございました(笑)

Maple Elementary School :
http://www.wlcsd.org/Maple.cfm

インタビューアから一言

斎藤瑞希さんは,私の所属するバレーボールサークルの女子代表をしていたのですが、いつも明るいポジティブ100%な学生です。中学の頃から、生徒会役員や体育祭の副グループ長を務めており、昔から活発な生徒だったんだなぁと思いました。彼女は一般受験で東大に入ったので、あまり帰国の話をしたことがなかったんですが、そういったことを話す機会が持てて、とてもよかったと思います。
上田千佳。1989年生まれ。京都出身。生まれてすぐ台湾に渡った後、4歳から13歳までをロンドン、中学3年 から高校1年までをニューヨーク、高校卒業までをロサンゼルスで過ごし、LAのWest High Schoolを卒業後、帰国し、東京大学文科Ⅰ類に入学。現在法学部2類(公法コース)3年に在籍。大学ではスポーツ愛好会バレーボールパートに所属し、 セッターとして日々練習に励みつつ、学外の社会人サークルでイラスト活動にも勤しむ。3年からは刑事政策を扱う川出ゼミでも奮闘中。