海外生活体験者・学生インタビューvol.88

interviewee_s_200_profile.jpg 荒井美帆さん。1986年東京生まれ。12歳から18歳までをアメリカ・ニューヨーク州で過ごし、Croton-Harmon High School卒業後に帰国する。物心ついたころから抱いていた「獣医になりたい」という夢を叶えるために、東京農工大学農学部獣医学科に進学。現在5年生で内科学研究室に所属。

ブレイクスル―が訪れた

―小6で初めての海外生活ということで、最初は大変なことは多かったのではないでしょうか。その大変さを乗り越えて、現地に適応していく過程は、どのようなものでしたか?

最初は2、3年の短期滞在の予定だったため、渡米直後は、日本人のコミュニティの中で過ごしました。しかし、2年後に家族の仕事の都合で長期間住むことになって、日本人のほとんどいない現地校に入りました。私が孤独と無力感に襲われたのはそのときです。

英語ができないがために周りの中学生からからかわれることもありましたし、学校が嫌いになりました。そこで私は、周りからバカにされたくないという一心で、ひたすら勉強を頑張りました。辛い時期だった一方で、今から振り返ると、そのときの頑張りがあったからこそ今の自分があると思います。

2、3年が経過したとき、ブレイクスルーが訪れました。それは、急に英語がわかるようになることで、「喋っている言葉は違っても、みんな同じ内容を喋っている」という実感を持てたときです。周囲との間に作ってしまっていた壁が崩れるのを感じました。それまではひとりで我慢することが多い私でしたが、そこからは友だちも増え、ボランティアも、スポーツも、積極的に楽しみました。そして、私はアメリカ人の中に同化していき、アメリカを愛するようになり、アメリカでの高校生活を謳歌しました。常に「もっといろいろなことをしたい」と思っていた時期です。

相手の国や人に感謝する

―高校生活を楽しむ中で、進路をどうやって決めて、それに向けてどのような対策をされましたか? また、それを踏まえて、海外で生活する日本人はどのように生活をするべきでだとお考えですか?

私は物心ついたときから「獣医になりたい」という夢を持っていたため、高校時代にも「どうやったら確実に獣医になれるか」と考えていました。それを考える中で、アメリカの楽しさも永続的なものではなく、今の楽しさと自分の将来プランは区別して考えなくてはならない。獣医になるという希望を確実なものにするために、私は日本の大学で獣医を目指すことに決めました。日本の勉強をするために塾にも通いました。また、アメリカの大学で獣医を目指す選択肢も捨てずに、アメリカの大学からも合格通知は貰い入学を延期(defer)していました。

高校卒業後は東京で予備校の帰国生コースに通い、大学受験に挑みました。私はニューヨークで、塾などの環境の整っていた場所でそれまでも準備はしていましたが、やはり入試直前の焦りが出てからの方が桁違いに伸びます。帰国前に受験を意識しすぎるよりは、海外に出て来た日本人として、恥ずかしくない「何か」を作って帰ってくるのが一番ではないかと思います。

その「何か」を作ることと、相手の国の文化を決して軽視しないことは、海外に住む日本人として、半分は義務であると私は思います。私はアメリカが好きです。アメリカの文化が好きであり、人が好きであり、そこでできた友だちも好きです。アメリカで決して楽しいことばかりではありませんでしたが、総合的に考えると良い経験でしたし、それは常に現地の人に支えられて成り立ったものです。外国人として、どこかの国に行って住むには、それだけで相手の国や人に感謝しなければならないということを忘れてはなりません。

「帰国子女」というアイデンティティ

―荒井さんは、予備校を経て、第一志望である東京農工大の獣医学科に進学されますが、大学に入学してからは、苦労されたことなどはありますか? また、それをどのように乗り越えて行きましたか?

帰国後は、いわゆる「逆カルチャーショック」を経験しました。何故なら、私は高校時代に、アメリカに溶け込んで周りと同じように過ごすうちに、大幅に日本人離れしていたからです。大学入学当初は、周りの人たちとのミスコミュニケーションも多かったです。自分の中で「コミュニケーションはこうあるべきだ」と思っていたものが、多くの日本人大学生とはかけ離れたものになっていました。「この人たちとこれから6年間やっていけるのか」と不安に思うことも多々ありました。

逆カルチャーショックの中、私は、日本の帰国生の学力が一般に軽んじられてしまう風潮を悔しく感じるようになりました。「帰国生は勉強ができない」という偏見です。そう見られることの悔しさをバネに、決して楽ではない獣医学科の勉強を頑張ることができました。ただ、それは「帰国子女」というアイデンティティが、自分の中であまりポジティブな要素でなかったことの裏返しでもあったと思います。

しかし、そのネガティブさは、獣医の学生団体の活動を通じて、大きく変わることになりました。国内外の獣医学生と交流を持ち、定期的に勉強会を開く、交換ホームステイをするなどの活動に、力を入れました。そこでは、海外で培った自分の能力や性格が発揮される場が多く、1年間で100人以上の友だちができたと思います。私はようやく「帰国子女」というアイデンティティをポジティブなものと捉えられるようになりました。大学入学時には理解できないと思った周囲の人たちも、今では共に夢を目指すかけがえのない仲間です。

また、大学入学後、アカデミックな面で海外経験が役に立つこともいくつかありました。まず、レポート作成やプレゼン等は高校時代から慣れていたため、大学入学時から全く抵抗がありませんでした。次に、英語ができるので論文を読むのに有利です。さらに、インターネットでの検索などの情報収集も高校時代から経験していたので、その点でも周りの人より有利だったと思います。

―獣医学科を卒業した後の展望はどのようなものですか?

将来は、小動物の臨床獣医の道に進むつもりです。それが小さい頃からの夢です。人の心もケアする必要のある職業だと思うので、そういう意味では、人も動物もみるお医者さんになりたいと思います。

それを目指す上で、メンタルな葛藤には日々突き当たっています。具体的には、目指すものが生命を扱う仕事で、生かすも殺すも自分の手一つで決まってしまう職業を、果たして自分がして良いのかという葛藤です。ここで重要なのは、友人や先輩を含む多くの人と語り合い、葛藤を続けることだと思います。そのなかで、自分なりに覚悟を決めるべき問題なのだと思います。

将来海外に出ていくか日本に留まるかはまだわかりません。しかし、語学面でもメンタル面でも、海外に行くために障壁がなく、抵抗が断然少ないことは私の強みです。

Croton-Harmon High School :
http://chhs.croton-harmonschools.org/home

インタビュアーから一言

私が初めて荒井さんにお会いしたのは、高校卒業直後、予備校の帰国コースでのことでした。あれから5年、荒井さんはいつでもひときわ大きく輝きを放つ女性であるとともに、私の大切な友人の一人です。今回のインタビューを通じて、荒井さんの芯の強さと周囲の人を大切にする姿勢を改めて強く感じました。荒井さんは、毎日を楽しみながらも、自分の将来をしっかりと見据えて、確実に前進し続けています。彼女の活躍から、今後も目が離せません。
重城聡美。1987年生まれ。京都府出身。13歳から17歳までの5年間をアメリカ・テネシー州ノックスビル市で過ごし、Farragut High School卒業後に帰国。東京大学理科Ⅰ類に入学後、工学部精密工学科に進学。東京大学柏葉会合唱団などで歌三昧の学生生活を送る一方、家電量販店での販売員経験を経て掃除機マニアに。また、ベンチャー企業でインターン生としてウェブ関連の業務に従事する。2010年5月現在、東京大学大学院工学系研究科精密機械工学専攻の修士課程1年在学中で、ナノメートル計測の研究に携わる。