海外生活体験者・社会人インタビューvol.77〜第3編〜

interviewee_s_199_profile.jpg 天野憲哉さん。1982年生まれ。東京都出身。高校卒業後、一橋大学・社会学部に入学、法学部に転部。大学2年次に、アフリカ・ウガンダにあるADEOというNGOで5ヶ月間研修生として働く。帰国後、アデオジャパンを設立。また、ユース団体のネットワークYDP Japan Networkを設立。現在、政府系金融機関に勤めて5年目になる。

皆でやって、レバレッジ利かせて

―2006年から社会人になられたんですね。

そういう意味では、アデオジャパン始動の2004年で既に就活始めてるんだよね。それを分かっていながら、2005年の12月からアデオジャパンメンバーとハウスシェアリングをしていて、ミーティングに使ったり、物品置き場になってたりした新緑荘に入って。1回目のwAdsが終わった直後くらいに、もうこの規模のマネジメントを、俺と小栗んちで荷物を分散してやるのは無理だって結論になって、で、一緒に住んで場所を設けようってなって。

―天野さんにとって、こういう運営の魅力って何ですか?

まぁ、一応のやりたいことっていうのはあって、それをやるためには1人でやるよりは2人で、2人でやるよりは3人。そこで1+1が2以上、1+1+1が3以上になるようにするっていうのはおもしろいじゃん。皆でやって、レバレッジを利かせてやったほうがインパクトがあるだろうから、やるにはどう運営したらいいかってことに、すごく興味があった。

あと、NGOって組織そのものが、そういうことをちゃんとできてないって問題意識もあったから、「ボランティア」みたいに見られるのが嫌だったし、それをどうすればいいかとか考えるのは面白いね。とは言え、今となっては、何の団体かよくわからなくなって来たけどね(笑)

問題意識に対して誠実でありたい

―アデオジャパンの理念・方針は?

NGOの業界に限って言えば、当初の理念と今のアデオジャパンの現状が全くかけ離れていて、話すのもおこがましいんだけど、これも多分森さんの影響が強くて、森さんは卒業してすぐの就職先をNGOにするのはやめなさいっていう人なんだよ。やっぱりNGOって、人を育てる余力もないし、組織体としもプロフェッショナルにはなり切れていないから、それは全然ダメだと。自分はNGOやってるんだけどね(笑)

もう一個、ADEOの前身AEF(アフリカ教育基金)は会計が問題で潰れたんだよ。当時、日本でもベスト5に入るくらいの大きなNGOで、その規模でやっているNGOは今では殆どないくらい。そのNGOが外務省のお金をちょろまかしたみたいな事件があって。ローカルスタッフの給料とか払えなくなるから、現地の日本人スタッフが軟禁されたり村から出れなくなったりして、プロジェクトが一気に止まっちゃったから、すごいゴタゴタしたの。その状況をUNHCRの依頼を受けて現地へ行ったのが森さんだったのよ。

UNHCRの人と一緒に現地に行ってローカルスタッフの話を聞いて、軟禁されてる人のために金集めて払って、そういうことを森さんがやっていて。そのときにAEFのウガンダのディレクターだったのがDr. Wesonga。で、WesongaにUNHCRの方から、このプロジェクトを引き継いで欲しいって依頼されてできたのがADEOなんだよ。今は違うけど、僕が行った頃のウガンダのオフィスっていうのは、元AEFのオフィスで、そこには日本語の文庫本とかも置いてあったんだよね。

そういうのもあって、しっかりプロフェッショナルな組織を目指していかなきゃいけないなーって意識は、すごく強くあったかな。まぁ、実態はね、人を育てることもあんまりしてこなかったし、会計もずさんだったし、カウンターパートとの関係もずさんで、いわゆる学生団体の問題とか矛盾をはらんだまんまではあるんだよね。でも、社会人になっても僕が続けるのは、やっぱりどんな形であろうとも続けて行くっていうのは大切だから。それは、僕の問題意識に対して誠実でありたいという想いの表れかな、と思います。はい。

社会人天野、金融官僚になる

―じゃ、話を社会人に移しましょう。社会に出て1年目、すぐに京都へ行ってしまいましたね。どうして金融機関を選んだんですか?

就活に関して考えると、「これまでは何をやってましたか?」これはもう変えられない。でも、「これから何をやりたいですか?」ここは変えられる。「これから何をやりたいかに結び付けた、これまで何やってきたか」を言えればよい。さらに、もう1個ポイントは、「なんでそこを結び付けるためにこの会社なんですか?」っていうのを話せれば、まぁ、ある程度納得はしてもらえると思う。

これまで草の根の公的な活動をしていて、今後は、大きな仕事で公的な仕事をしたい。テーマは幅広い方がよくて、国内・海外両方に関係のある組織がいいなと思っていた。今の会社はそれに当てはまったんだよね。それで、最終的にこの組織に行こうって思ったのは、やっぱり人なんだよね。やっぱりある程度話の分かる人と一緒に仕事したいし、頭いいなと思う人と仕事したいっていうのは、僕の中では重要な条件だったし。もう一つは、留学ができるっていうのは、魅力的なポイントではあったね。それはもう入ったときから念頭にあった。

これからやりたいことって観点から言うと、金融が合うか合わないかってことなんだけど、じゃそもそも僕がやりたいことってなんだろう?っていうのが、昔から悩んだし、今も悩んでいて、答えはみつかっていないかな。

社会運動をやる「資格」ってあるのか

―エイズ業界に、天野さんとか小栗さんみたいな、いわゆる普通のヘテロな人が関わることって、当時は新しいことでしたよね。そこについては、どう考えていたんですか?

エイズに関する活動をやりだした頃に、もちろん色んなバックグラウンドを持っている人が業界にいたんだけど、活躍している人の多くは女性やゲイの人が多くて。ゲイでこういう活動やっている同世代の人たちには、すごくインスパイアされて、ファッショナブルだし、活動を上手く見せる能力も高い。それに加えて、彼らにはアクチュアリティがあって、自分たちの問題なんだっていう力があるよね。コミュニティに対して僕らはやっていくんだと。

なんかそのアクチュアリティみたいなところを考えたときに、僕は社会運動をやる「資格」ってあるのかっていうのは、いつもぶつかっている壁なんだよね。生まれたときからある程度裕福な家庭に生まれ、いい教育を受けてきて、「てめぇにオレの気持ちわかんのかよ!」ってなところがあるわけじゃない? だから、僕がゲイの奴らに言うんだけど、「俺ら美味いワイン知ってるけど、お前知らねえだろ、みたいな立場取るのやめろよ」って(笑)
 
そこの「資格」っていう問題については、すごく悩んでいた時期もあったし、それについての自分のスタンスというか、割り切りみたいなのが、大学4年のときにやっとできてきた感じかな。

―そういう「資格」って必要なものなのでしょうか?

結論から言うと、そこは想像力の世界で、目に見える資格みたいなのはあった方がいいけれど、でもそうじゃない資格もあって、例えば、僕らはアジアの国の人たちに対して侵略をした先祖を持つ相続者なわけだから、戦争責任が今の自分に全く関係ないとは言えないよね。本人は気づいていなかったとしても、ある人から見れば僕らはその「資格」を持ってしまっているって言えるよね。僕はそういうレベルに落として理解をしている。

こうありたいなって思うのは、多様性みたいなのを常に受け入れられるような寛容性と、予測不可能性があった方が人生は楽しいと思っていて、ある意味予測不可能性っていうのは開いていることだと思うんだよね。いかにグレーゾーンを持ち続けられるかだと思うんだよ。だから、僕は医者って選択肢を常に持っていようとは思っているし、宇宙飛行士もまだ忘れられずにあるし。予測不可能性は不安ではあるんだけれども、開いておいて、ある来たるべき時のために準備しておきたいなとは思っている。それがどこに向かうかは分からないんだけど。

だから、最近でもいろいろまだ迷っているし、迷っているのが僕のいつものスタンスなのかもしれない。そもそも、今のような組織に行くってことを予想していなかったし、もし僕が東大に行っていたら、逆に、官僚になろうと思わなかったかもしれない。

日本の古い組織だから、時々呼吸困難に陥る

―研修から日本に帰ってきて、既存のNGOから選んで入ってもよかったところを、自分で立ち上げたんですもんね。可能性の角度、幅みたいなのを広げておきたいんですね。

やっぱり僕は恵まれているなと思うのは、色んな人に会えているなってこと。自分がオープンであったからというのもあると思うし。会社に入ってからはその角度がすごく狭められるような感覚がある。忙しいし、細かい作業も多い会社で、元々細かいこと苦手で、大きいことにこうど~んと突き進むタイプだから(笑) 今までも、アデオジャパンでも、他の人に色々後ろで拾ってもらってたからね。

―じゃあ森さんのいうように、社会に出てみてよかったですね(笑)

そうそう(笑) うちの会社独特な重しみたいなのもあって。でも、まぁ留学とか、出口っていうか、次のステップはちゃんとある。あと、異動が早いのはいいなーと思ってるんだよね。証券会社とかコンサルって、同じこと繰り返すじゃん。うちは異動すると全然違うことをやるからいいなって思うし。今の部署もすごく恵まれていて、すごく尊敬できる人もいる。

―仕事の決め手となるのは、環境というか、やっぱり「人」なんですかね。

うん。けれども、日本の古い組織だから、時々呼吸困難に陥るときはあるね(笑)

―そこを広くありたいんですよね、天野さんは。

うん(笑) でも、その元気すらなくなっちゃうっていう部分が出てきているね、ここ1年。今、バリバリ理論経済学系のことが必要な部署にいて、多分ここ半年くらいで、日本の大学のマスターでやるようなことを超詰め込んだんだよ。理論も必要だし、分析手法も必要だし。だからそういう意味では、ある種の専門性が付いてきてる。

ん? 専門性かな~。でも、それってやっぱりこれまでどこかでちゃんと勉強してきた経験があるからできたとは思ってるから、良かったなとは思っている。だから、突然理系の世界に入ったとしても、まぁなんとなるんじゃないかって思えるし、そこは常に可能性として開いておきたいと思う。いまさらそんなことできないよとか、あんまり言いたくないね。

―じゃ、気付けばNASAに入るかもしれないですね!

母親には、NASAのトイレ掃除係りくらいならなれんじゃないのってよく言われる(笑)

日本人の感じる劣等感とかコンプレックス

―これから留学をしようと思っているわけですけど、この先のビジョンっていうのは、どういうふうに考えてるんですか。

アフリカに行っていたときは、ちょっと特殊で、スペシャルな存在として行ったから、それって多分、普通に日本人が海外に行ったときとは違ったんだと思う。

昔、タイのバンコクに行ったときに、欧米系の人の集まるクラブに行ったのよ。そのとき、アフリカで暴動に巻き込まれた経験をしたあとで、焦燥しきった感じで、かつ、すごい汚い格好をしていて(笑) ローカルな格好っぽかったし、多分タイ人にしか見えなかったと思うんだよね。そういうときにクラブに入ると、周りは欧米系ばっかだから、なんでこいつらここにいるんだ?みたいな目で見られるわけよ。いわゆる日本人の人が海外で感じる劣等感とかコンプレックスとかってのいうのを体感したかな、って。

思いたくはないけど、やっぱりそうなのかなと思ってしまうのは、アフリカのことをやってて、ある意味自分が優位な立場からやっているところってあって、人種差別ではないけど、文明国から未開のところへ行き、欧米でいうイエローモンキーじゃないけど、俺らの方が前を行っていてお前らは後ろだよね、みたいな感覚を心のどこかに持ってしまっているのかもしれない。

そういう流れがあるっていうことを、考えてしまうことそのものがどうなんだろうって思うけど、留学すると今度はイエローモンキーに見られるかもしれなくて、それを楽しみにしているところもある。また、学生としての留学だから、全然違うかもしれないけど、今までにない関係性を色んな人と築けると思うから、そこに対してすごく楽しみ。また新たな視点も見付かるだろうし。

―天野さんには大きなことをして欲しいです! とりあえず、TOEFL頑張ってくださいね(笑) 今日は本当にどうもありがとうございました!

インタビューアから一言

非常に生真面目な部分がある一方で、実は大分ダメダメな面もある天野さんですが、それもすべて含めて本当に魅力的な人物です。アデオジャパンに入ろうと思ったときの魅力を再発見するインタビューでした。まだまだ天野さんから学びたいことたくさんあります。また色々お話させてくださいね!

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岡村美佳。1986年東京生まれ。4歳から8歳までの4年間をアメリカのニューヨーク・カリフォルニアで過ごし、日本に帰国。中学1年生のときに、今度はイギリス・ロンドンに渡り、5年間過ごす。Marymount International Schoolを卒業後、日本に帰国し、06年に東京大学理科Ⅱ類に入学。教養学部生命認知科学科を卒業後、東京大学総合文化研究科に進学し、現在修士1 年。大学では、酵母を使ってDNAの転写・組み換え機構について研究を行っている。