海外生活体験者・社会人インタビューvol.80〜第2編〜

interviewee_s_205_profile.jpg 堀井貴史さん。1976年生まれ、滋賀県出身。同志社大学法学部卒。キヤノン(株)本社の海外部門にて、デジカメ・ビデオ関連製品の海外調達業務に従事後、外資系ベンチャー企業の日本事業立上げに参画するために転職。その後、ロータリー財団国際親善奨学生として、バージニア州立大学ダーデン経営大学院に留学しMBA取得。卒業後、武田薬品工業株式会社 事業戦略部にて海外事業戦略立案に従事しつつ、土日を使い「キャリア教育の変革と普及」を掲げるNPO法人「JUKE」の共同代表(社会人サポーター代表)として活動中。(2010年8月取材当時)

日系大企業から外資系ベンチャーへ

―キヤノンで勤務された後に転職されていますよね。そのお話を伺えますか。

はい。キヤノンに3年数ヵ月勤務した後、外資系スタートアップの日本事業立ち上げ、つまりベンチャーに転職しました。

―すごく違いますよね。

そうですね(笑) でも、実は僕の中では一貫性があります。当時、キヤノンではデジタルカメラの事業を担当していて、とても面白く充実していました。デジカメ版の初代IXY(イクシィ)カメラが出た頃なので、フィルムのカメラからどんどんデジカメのスペックが上がり、キヤノンの生産台数も倍増していくときでした。相変わらず業績が好調なキヤノンでしたが、一方で日本の製造業全体は苦しんでいる時期でした。例えば、日産は赤字まみれでカルロス・ゴーンが来たり、ソニーもパナソニックもあまり好調ではなく……。

そんなとき、所属していたMBA友の会という、MBAをキーワードに集まった社会人のコミュ二ティで、様々な会社の人と交流をしていました。僕は当時、デジカメやビデオの関連製品の海外調達業務をやっていて、そういった調達業務に対してのサービスが変わり始めていました。それまではインターネットやITがなかったため、FAXで注文書を送るなどアナログでしたが、インターネットができたことにより物の買い方が世界中で変わりました。

B to Cの世界で言うと、ヤフオクのようなものですね。今では当たり前だけど、20年前は想像もできないものでした。それのB to B版です。企業と企業の取引において、そういう電子取引を行っていく。そういった産業がアメリカで大きくなっていて、僕はキヤノンで仕事をしながら、これは可能性があるなと興味を持っていました。そういったサービスをアメリカ企業は当時どんどん取り入れて、コスト削減などを進めているという話を聞きました。

それを聞いて、日本の製造業もこういうことをやっていかないと、競争力がどんどん落ちてしまうと思いました。そこで、いろいろな日本の製造業の会社に対して、そういったサービスを提供していく会社に行って、貢献するのは面白いと思いました。

あとは、ベンチャー自体に面白みを感じていたのもありますね。正直、大きな企業が設定する社員の成長スピード、まあ、入社何年後にはこのくらい成長してくださいといったものが、僕にとっては遅く物足りなく感じるものでした。ただ、本当に自分のキャリアを見直すためには、キヤノンが入社3年目で社員に出す評価でちゃんと結果を出さなければなりません。そして、3年目で成果を出すことができました。

そんなとき、偶然自分がやりたいと思っている会社との出会いがあり、10人ほどの小さな所帯でしたが、メンバーに外国人やMBAホルダーもたくさんいたため、こんな人たちがどんな仕事をしているのだろうと、興味もあり転職を決意しました。

経営全体にインパクトを与える能力

―その転職後に、MBA取得のため渡米されていますが、そのタイミングはどうお決めになったんですか。

MBAは社会人3~5年目くらいで行く人が多くて、僕は30歳で行ったので遅めでした。初めはキヤノンの頃に行こうかとも考えましたが、MBA友の会の人の話も参考にして、もう少し別の仕事をやってからでもいいかなと、先に転職をしました。そして、その新しい会社でも、しっかり成果を出したいと思いました。

ベンチャーでは4年半働きましたが、かなり大変でしたね。名前のない新しい会社で、大きな客を取りに行こうとしていたので、本当に良い苦労をしました。たった1年程で大きなプロジェクトのリーダーを務めるようになり、それなりに良い結果を出しました。ただ、もう一超え自分の底力が足りない・・・と感じました。例えば、英語のディスカッション能力も、グローバルで仕事をしていくための最低限なイロハも、もう少し肌感覚で知りたいと思いました。

あとは、前から日本の製造業の現状をどうにかbreak throughしたいという思いがありましたが、自分の持っている知識と経験だけでは、どうしても会社の経営全体にインパクトを与えるようなことはできないという、能力の限界を感じ始め、もっと全体を見ることができるようになりたいと思いました。仕事の知識であるハードスキルと、日本人、または、前提が全く違う外国人たちを引っ張っていけるリーダーシップや、語学だけでないコミュ二ケーション能力などのソフトスキル両方を磨きたくて、社会人10年の締めくくりとして留学を決意しました。

毎日3時間睡眠で乗り切る

―では、アメリカ留学中のお話を聞かせてください。

英語という語学面では、大学院進学の前提としてTOEFLほぼ満点がありましたし、もともと仕事で英語は毎日のように使っていましたが、それでも非常に苦労しました。仕事で外国との交渉もしていたため、中身には不自由しませんが、学校生活における飲み会や友人とのおしゃべり、ジョークなど、朝から晩まで英語漬けの日々はわからないことだらけでした。

また、大学院は読む量が半端じゃなかったですね。アメリカ人が大変という量の文章や教科書を、同じだけこなさなければならなかったので。3、40ページのケースを読めば、何十人と登場人物がいて、人間関係の話があり、そこに難しいビジネスの話が絡むので、もう訳わかんなくなるんですよ(笑) 毎日、授業のための予習、クラスのグループメンバーとの合同の予習、ディスカッションなどをこなしていると、毎日3時間睡眠でしたね。通っていた学校もブートキャンプと呼ばれる全米でも最も厳しいプログラムを持つと言われていたところで、人生でいちばん勉強しました。第3編はこちら>>

第1編はこちら>>
宮崎紗絵子。1989年生まれ。愛知県出身。高校1年の夏からアメリカ・カリフォ ルニア州のサンディエゴで暮らし、Rancho Bernardo High Schoolに通う。高校卒業後帰国し、09年早稲田大学法学部に入学。現在2年に在学中。大学では、法律サークルに所属。現在は、NPO法人JUKEのスタッフとして活動中。趣味は、ミュージカルなどの舞台鑑賞。