海外生活体験者・社会人インタビューvol.81

interviewee_s_206_profile.jpg 二本樹重美さん。1958年、山口県山口市生まれ。79年、山口芸術大学卒業後、山口日産自動車(株)勤務。82年、結婚のため退職。92年に夫の転勤でオーストラリアに滞在。その後も、ロサンゼルス、ニュージャージー、サンフランシスコ、シンガポールへの夫の転勤に伴い、引越を繰り返す。08年に帰国、現在は東京で学童保育の仕事をしている。27歳の息子(東京在住、ワールド・ビジョン・ジャパン勤務)と25歳の娘(NY在住のイラストレーター)の母。

初めての海外生活

―初めて海外に滞在することになった時はどのように感じましたか?

やはり戸惑いはありました。英語力に関することもそうですし、小学生の子供2人のことも。実際に現地に行ってみて、英語が上手く喋れないために簡単な買い物も苦労しましたし、免許も英語で取らなければいけなかったので大変でした。でも、日本人の多い地域だったので、周りの方がフォローしてくれたおかげで、すぐに馴染めました。子供たちもシドニーの日本人学校に通わせたので、抵抗なくすぐに溶け込めたようです。

―そのあとも、海外に転勤になったんですよね?

オーストラリアは1年半で帰国して、その後今度はロサンゼルスに行ったんです。そのときは2度目の海外生活だったので、私自身は特に問題なかったのですが、子供たちは現地の学校に通わせたので、そのケアをするのが大変でした。娘が中学から、息子が高校からで、学校に馴染んでくれるまでは色々と苦労しましたね。

―確かにお子さんが現地の学校に行かれると大変ですよね。

はい。でも、うちの子供たちは、2人とも適応するのが早かったと思います。息子は最初の1年目でバンドオーディションに合格して、ロサンゼルスのバンドのメンバーとしてドイツでデビューしましたし、娘も高1、2で大学のサマースクールを経験して、早くから日本ではなくてアメリカの大学に進学するつもりだったようです。結局2人ともアメリカの大学に行きました。現地によく馴染んでいたと思います。

子育てと趣味を通じて広がる交流

―現地の方とはどのように関わりましたか?

やっぱり、子供の関係でできた繋がりから現地の人と関わることが多かったです。シドニーにいた頃はボランティアで子供たちのキャンプのオーガナイザーのアシスタントをしたり、アメリカでは息子のバンド友達や学校を通して現地の方々と交流がありました。アダルトスクールに通っていたことも大きかったですね。

それから、テニスを通じて現地の方々と交流することが多かったです。チームに入って試合をたくさんして、あちこち行きましたし、人間関係がどんどん広がっていきました。テニスをやっていたおかげで、どこに行ってもすっと入って行けたというのはありますね。どこにでもテニスクラブはありましたし、話題として臆することなく話せたというところもポイントだと思います。

―積極的に現地の方々と関わっていたんですね。

はい。アメリカにいた頃は、現地の方々との繋がりは結構あったと思います。ただ、シンガポールには06年に行ったのですが、そのときにはもう子供は2人とも独立していたので、主人と2人での駐在で、子供を通じて人間関係を広げることができずに、半年ぐらいは苦労しました。ミュージアムのガイドのボランティアをやったり、現地の方に日本の文化を伝えるイベントのお手伝いをしたり、日本人と現地の方々を繋ぐような形で交流をしていきましたね。

色んな人を受け入れる器

私が海外で住んだところは、どこも日本人社会が完成されていたような地域だったのですが、日本人社会はとても狭くて凝縮されている感じなので、その中だけで生きていたら世界は広がっていかないし、狭い中でトラブルも起こさず上手く付き合っていくのも、それはそれで大変だと思うんです。だから、日本人のコミュニティにはいたけれど、現地の人ともたくさん接点を持とうとしました。

それに、今まで接する機会がなかった人と話せるので勉強になります。例えば、アダルトスクールで出会ったメキシコの方は、「国境を命がけで渡って、英語もままならないし、不法滞在してビザもないから仕事もできず」なんて、私たちには想像もできないような人生を歩んできた人で、色々なことを気付かせてくれました。私たちは生活の様々な面で保証されていて、でも人の生き様って、書類やステータスで決まるものではないと感じました。おかげで、色んな人を受け入れる器が広がったと思います。

シンガポールでは、スリランカから出稼ぎに来ていたホームヘルパーさんを雇っていましたが、彼女は稼いだお金を母国の家族に送るために働いていて、家族と離ればなれでも、お金を稼いで無事娘さんを大学卒業させていました。苦労して英語を学んできて、それでも気に入られなければすぐに首を切られてしまう仕事ですが、それでも頑張っていた姿は人間として尊敬できます。今でも彼女とはメールでやりとりをしますが、色々なことを学ばせてもらえるし、彼女との出会いは良い経験になりました。日本にいたらそんな人と接する機会もないし、出会えて良かったです。

現地のひとと積極的に交流

―最後に、これから海外生活を始める人に向けて、アドバイスなどあればお願いします。

とにかく、どんどん日本人社会の外に出て、現地の方々と交流すると良いと思います。日本ばかりに依存していたら、考えは偏りますし、海外に適応することでより客観的に日本を見ることができます。日本国内で当たり前だと思ってたことが、国外では当たり前ではなかったりしますが、色々なことを知ることで視野が広がって楽しいですよ。是非、外の世界と積極的に交流していって欲しいです。

―今日は本当にありがとうございました。

インタビューアから一言

明るく素敵な方です。ポジティブな話ばかりで、こちらまで元気をもらったような気になりました。自分も前向きに、どんどん積極的に行動していこうと思います!
矢田部浩平。1988年山口県生まれ。関東を点々としたのちマレーシアで3年半をすごし、その後小2から東京で暮らす。高2で渡米、Palos Verdes Peninsula High Schoolを卒業後すぐに帰国。現在は早稲田大学基幹理工学部表現工学科及川研究室に所属。デジタル信号処理など音響の研究をしている。