海外生活体験者・社会人インタビューvol.82

interviewee_s_208_profile.jpg 渡邉博之さん。1971年1月小田原生まれ。大学卒業後「Up with People」というプログラムに参加し、1年かけて世界各国を周った後、97年から00年まで同プログラムの日本支部を手伝う。00年から今日までテキサス州政府日本事務所に勤め、現在はエグゼクティブ・アシスタントを務める。大学に再び入学することを決意。2008年に慶應義塾大学法学部法律学科に入学。現在は3年に在籍し、大学に通いながら仕事を続けている。休日にはNPO法人「子供と生活文化協会」(CLCA)の理事の仕事も行っている。

人生は終わったなと

―高校卒業後、大学に入学したときの話をお聞かせ下さい

中学校までは絵に描いたような優等生だったのですが、大学は滑り止めの滑り止めのようなところに不本意に入学しました。そこまで思うのならもう一年頑張ればよかったと思われるかもしれませんが、そのときはどうしてもやる気がおきなくて……。その時点で、僕は日本における人生は社会的に終わったなと思ったんです。

と言うのは、今は大分状況が改善されたと思いますが、当時は今よりも学歴・学校歴社会で、どの大学を卒業したかによって就職先や入社後の道が決まってしまった。そんな社会では、所謂良い大学に入れなかった自分は、人生は終わったなと。枠から外れた人生を歩む勇気もなく、どんなに頑張っても自己実現をしていくことはできないと思い込んでしまったんですね。

大学は留年もせず、そこそこの成績で卒業はしたのですが、あの頃は本当に自分の存在を肯定することができませんでした。青臭い話で、今は良い経験だったと言えるのですが、当時は自己否定ばかりしていて、自分や自分の人生に価値を見いだせず、将来のビジョンも全く持っていませんでした。

TGVよりも新幹線がいい

昔から考えることが好きだったので、大学在学中はよく考えに耽っていました。大学やバイトの帰りに、その日に交わした会話を反省したり、草と人が生きることの違いを考察したり(笑) ある程度考えが纏まるまでは止めないと決めていたので、帰宅途中に自宅を通り過ぎ、町内をフラフラしながら考えることもありました。

おかげで? 卒業するまでには、いくつかのことに納得できるようになりました。第一に、人であろうが草であろうが、役割や存在が与えられていて、それを全うすべきだということ。第二に、今置かれた環境をフルに活用し、+αのことをできるよう進化していくべきであること。第三に、その上で、他人からの評価を得ることで、生きることに意義を見いだせるのではないかと、考えられるようになりました。

また、良い大学を出て良い企業に勤めるといった最短のルートを歩む、所謂「エリート」でない自分も、社会で必要だと感じられるようになりました。確かに、トップの中高に入り、大学に入学し、社会に出て成功するといった、最短の道を歩むエリートも素晴らしいと思いますし、そういった人たちも、苦労はしているのだと思います。ただ、多くの失敗を経験した人もまた魅力的であり、この社会には絶対に必要です。

例えば、フランスのTGVという高速鉄道は、強力なモーターのついた先頭車両が後部車両を引っ張るのですが、それに対し、日本の新幹線はそれぞれの車両にモーターがついています。先頭車両のエリートだけによって牽引される社会よりも、みんながモーターを持って同じ方向へ進む新幹線型の社会の方が望ましいんじゃないか。大学を卒業するころにはそう考えられるようになりました。

行動で自分の価値を示す

―大学卒業後はどのように社会に出たのでしょうか。

大学在学中から、休日や休暇にNPO法人「子どもと生活文化協会」(CLCA)によく足を運んでいて、そこで「Up with People」という国際教育プログラムを紹介され、参加しました。現在は少し仕様が変わったようですが、このプログラムは20ヵ国以上から集まった150人の若者が、1年かけて世界各地を移動しながら、実地体験を通じ多くのことを学んでいくというものです。

コロラド州での研修のあと、いくつもの州をまわり、その後もカナダ、ヨーロッパ、日本と多くの国で、教育・福祉活動やミュージカルの上演を通じて、現地の人と交流をすることができました。自分にとっては初めての長期海外生活で、良くも悪くも日本でずっと暮らしてきたので、人種も言語も違う若い人たちと過ごしたこの体験は、本当に貴重なものとなりましたし、ここで得られたものをこのインタビューだけで全て語ることはできません。

英語はサバイバル的に習得したのですが、やはり慣れない英語でのコミュニケーションには限界があるので、「行動」で示すことでしか信頼は得られませんでした。チームごとに仕事を与えられていて、言葉の通じない自分はチームの仕事を全部やろうとしたんです。そこをスタッフの人に評価してもらえたときは、本当に嬉しくなりました。大学在学中、考え事ばっかりしていた自分にとって、行動で自分の価値を示すということは新鮮で、出し惜しみをしない生き方を志すようになりました。

世界をまわったあとは、プログラムのスタッフとして東京を拠点に働きました。アメリカでは名の通ったプログラムだったのですが、アジアでは全く知られていなかったので、そのお手伝いを00年までしていました。

その後、テキサス州政府日本支部からお話を頂き、今日まで勤めさせて頂いています。仕事内容は投資の招致ですね。日本企業で北米に進出を考えているところがあれば、うちの州に来てくださいと呼びかけます。それと、既にテキサス州に進出した企業が、何か困ったことがあったときに、その対応をします。

―この時代に、テキサス州が日本に期待する役割はあるのでしょうか。

これはテキサス州に限らずアメリカ全体に言える話になるのですが、今は同じアジアでも中国のほうが注目を浴びています。中国のマーケットのほうがポテンシャルは高いですからね。ただ、やはりそこにはリスクもありますから、欧米により近い日本の、「アジアの玄関」としての、安定した拠点としての魅力は、未だ十分にあります。

それと、電子機器や家電製品、または、それを製造するラインの重要な部品は、日本製であることが多いんです。やはり「日本製」に対する期待は非常に大きいです。ただ、環境ビジネスにおいては、高い技術を生かせず欧州の国に対して遅れをとっていますね。

結果であるからには原因がある

―大学再入学はどのように決心なされましたか

今日、このインタビューで行き詰まりっていう言葉を何回も使ったと思うんですが、この行き詰まりは結果であって、結果であるからには原因がある。僕なりに色々考えて、これが原因だ!っていうことを、社会から2、3歩下がったところから見つめ直したい、実行するための足がかりを作って行きたい、もう一度学び直したいと思ったのが、大学に再入学したきっかけです。

漠然とそういった思いはあったんですが、新宿の紀伊国屋に本を探しに行ったとき、山積みになった願書を見るまでは、本当に入学するとは思っていませんでした。それを見つけ、思い立って買ってみたら、未だ〆切まで数日あって、慌てて出願をするための書類を集め、ギリギリで願書を出しました。本番の試験当日は土曜日で、疲れていて寝たいなーと思ったんですが、3万5千円も払ったんだから、受けようって。試験後に中華街で美味しいご飯を食べることをモチベーションにして、何とか受ける決心がついたんです(笑)

こんな感じでドタバタしていたので、受かるとは思わず、合格発表も自分で見にいかなかったのですが、ある日家に帰ってみたら「おや?」って(笑) もちろん、漠然と学び直したいと思っていたのですが、最初は嬉しさ半分、困惑半分でした。大学に入る準備を全くしていなかったんです。金銭的な用意も必要でしたし、昼間に働く仕事をしていたので、迷惑をかけてしまうのは目に見えていた。「辞めてくれ」と言われるのを覚悟して、上司に正直に伝えたら、意外にも「じゃあ、学校に通いながら仕事を続ける方向で考えましょう」って言ってもらえたんです。上司には本当に感謝しています。

それからは、朝出勤して、1、2限の授業に間に合うよう会社を出て、5限まで出たあとまた会社に戻る、今の生活が始まりました。月曜日から金曜日にそれが続いて、土曜日はいくつか授業があって、日曜日は完全なオフですね。最初は大変でしたが、慣れましたし、3年生から三田キャンパスになったので、大分楽になりました。

ビジュアル的におっさん

―大学には何を期待しましたか。それと、入学から2年以上経ちましたが、期待していたものは得られましたか。

先ほどお話したように、社会を見つめ直すために必要な知見、時間、プラットフォームを得ることを第一に期待しました。それと、色々な人との出合いですね。自分一人で出来ることはたかが知れているので、何かを共同ですることが出来ないかと、人との出会いを期待しました。

未だ結論を出せる段階にいるかはわかりませんが、あえてこのタイミングで言わせてもらいますね。一つ目の期待についてですが、特にこれっていう具体的なものは実はないのかもしれませんが、今後何かを考えるうえでのバックボーンといいますか、「経験値」は着実に上がったことを実感しています。

僕の人生則の一つは、人間には成功と失敗の経験がバランスよく必要であるということです。仕事で講義に行けなかったこともあり、多くの失敗があったのも事実です。ですが、20代までは「失敗=悪いこと」としか考えられませんでしたが、今はその失敗も良い経験になっていると思っています。

二つ目は、言わずともがなですが、多くの素晴らしい出会いがありました。ただ、どうしたって僕はビジュアル的におっさん(笑) 良くも悪くも、この大学で僕は異端分子なので、同じ年代の人ばかりいる中で、みなの2倍ほど生きているのは、やはりハンデにはなっていますよね。欧米のように年上にもフランクに接するという文化はこの国にはやはりないですから。三雲さん(注インタビューアー)もいたフランス語インテンシブのクラスなど、多くの素晴らしい人たちと出会いもありましたが、やはり年の差がハンデになっていることは否めません。そこは力量不足と感じていますので、今後1年半で僕なりに出来る努力をしていきたいなと思っています。

最後にメッセージ

―これから大学の再入学、「学び直し」を考えている人にメッセージをお願いします。

一人一人が学び直すような社会になることを願っています。多くのことを達成し成功するエリートはいますが、死ぬまでにゴールに達する人はいません。社会に出たあと、大学に戻ることが未だ「個人の趣味」の範疇を脱せない、今の社会の風潮を非常に残念に思います。今学び直すことを考えている方は、是非そうして頂きたいですし、そうでない方も、これをきっかけに考えてみてはいかがでしょうか。

―今日は有難うございました!

インタビューアーから一言

渡邉さんは僕が大学で出会えた素晴らしい人たちの一人です。いつもフランクに冗談を1つ2つ、時には5つほど(笑い)交えながら話しかけてくれたので、入学当初から渡邉さんはクラスの人気者でした。同時に、毎日朝出勤してから1限に向かい、フランス語や中国語、法律科目を5限まで受講したあと、また仕事に戻る渡邉さんの、誰よりも高い「学ぶ」意識に感服しています。今後日本の大学も、同年代の人が「とりあえず行く」ところではなく、渡邉さんのような「学び直す」人も多く通うような、多様性に富む「学ぶ」機関になることを期待したいですね。以前から「学び直し」のお話を幾度かお伺いしていましたが、今回はインタビューを通じ改めて、貴重なお話を聴くことができました。有難うございました!
三雲俊介。1988年生まれ。中学1年の夏に幼少期にも数年滞在した、米国カリフォルニア州オレンジカウンティー、ニューポートビーチに移り、私立St. Margaret's Episcopal Schoolに高校卒業まで6年間通う。高校卒業後、慶應義塾大学法学部法律学科に進学。現在3年に在学。現在は法律系サークルとフットサルサークルに所属している。