海外生活体験者・社会人インタビューvol.84

interviewee_s_212_profile.jpg S.H.さん。1986年生まれ。中学生のときに、アメリカのニュージャージー州に引越し、現地で中学校と高校を卒業。アメリカ滞在中は、サバイバル・キャンプ、レスリング、アメフトなど、多岐にわたって活動。その後帰国し、慶応義塾大学理工学部に入学。在学中はアメフト部に所属。卒業後は丸紅に入社し、現在は新社会人として活躍中。

アメリカにいると歪んじゃうんだ

―アメリカに行った当初は、どうやって過ごしました?

引越しした次の日から中学校行ってたね。英語は全くできなかったけど、父親の方針で学校に行かされて、本当に拷問のような日々を送っていた(笑) そんときは日本に早く帰りたいって思ってたな……。

アメリカに行った当初はもやしっ子で、上級生に喧嘩を売られることもあって、危機感を覚えた。友だちに誘われたこともあって、それからレスリングをずーっとやってた。他には、ボーイスカウトにも入ったんだけど、色々やって、最終的にはサバイバル・キャンプにまで進化したね。相当いかついレベルまで行ったと思うよ。山の中で風呂入らないで3週間とか。

あとは、日本人離れした人間、ちょっと飛んじゃってる人間になりたかった。要は、日本人じゃなくなりたかったんだよね。理由はよくわからないけど、中学生から高校生にかけては、いわゆる中二病の時代で、頭がおかしいじゃん? だからそれがきっかけで、身体どんどん鍛えたら、ぶくぶくデカくなってったね。

むこうの環境で極限まで溶け込もうと思ったら、やらなきゃいけないことって結構限られてくるんだ。そいつらになりきるとか。そこで歪んだ俺の心が形成されたのかな。自分でいうのも変な話だけど、かなり歪んでると思うよ(苦笑) アメリカにいると歪んじゃうんだよ。

―歪んでしまったと自分でいうのも、かなり変わった話だと思いますが……。

大丈夫!(笑) そういう人間が必要になる時代が、かならずやってくるから。

ゲームの16進数の計算をずっとしてた

―では話を戻します。アメリカの部活について詳しく教えて下さい。

レスリングは向いてたらしくて、結構強かったんだ。大会優勝して、メダルとかトロフィーとかもらってたよ。でも、俺はなんか本番に弱いところがあってさ。一度弱いヤツに負けて、8連敗くらいのスランプに陥ったこととかあった。結構大きいんだよ、8試合って。でも、負けすぎて今度は吹っ切れたんだよ。ある日を境に、俺どうでもいいやみたいになるんだ。そこから復活した経験はある。怪我しまくったし、全然勉強の役には立たなかったけど、まぁやっててよかったんじゃないかな。

あとは、10年生からアメフトをやり始めたんだけど、俺の高校のアメフト部はプロに行きかけたヤツがいたぐらい強かったんだ。だから、そこでやれたのは本当によかったね。今でもアメフト部の友だちとは連絡取り合ってる。

―ちなみに勉強はいかがでしたか?

8年生のときに引っ越したんだけど、アメリカに行って、最初の一週間で、教科書の問題全部解いたな。それでやることなくなったから、よくわからないゲームの16進数の計算をずっとしていた。単純にいかれたガキだったからな(笑)

高校に上がって、それからも数学とか理数系の科目は、全部オーナーズクラス(優等生用の授業)と、APのクラス(大学レベル相当の授業で大学の単位を得られる)で受けてたな。アメリカの大学の単位は20だか30ぐらい取ったよ。

日本の方が数学のレベルが上とか言われてるけど、APまで進むと実際そうでもなくて、アメリカの方が内容的には進んでたよ。他にも、数学の大会に出たりしたり、数学専門誌の証明問題を解いて送ったり、よくわからないキャラだったね。何が狙いだったのかよくわからないけど、とにかく色んなことしたかったから。

とりあえず、自分を見つけたかった。自分を誇れる自分になりたかったんだ。でも結局、SATは1300ちょい(受験した当時は2科目1600点満点)しかなくて、俺が行きたかった大学に受からなかったし、滑り止めみたいなところも補欠でダメで……、心が折れて一時期沈んでいたけど、じゃあ日本に帰ろうかなってことで、気づいたら日本に帰ってたよ。

必要なのは空のボトルだから

―それで日本に帰ってきたわけですね。他に、アメリカでしか出来なかった経験はありますか?

バイト先の人たちと、アメフトとか野球のテールゲート・パーティに出たりした。あと、印象に残っているのはジェッツとバイキングスの試合で、ジャイアンツ・スタジアムだったから、バイキングスファンがジェッツファンに野次られたり、喧嘩をよく見たりしたことかな。面白いよ。

あと、今もやってるかは知らないけど、水曜日のメッツの試合は「ペプシ・デー」っていう、ペプシの空のボトルを持っていくと、タダで入れる日があったんだ。それでさ、タダだから、いる客が皆ホームレスみたいな連中なの。ちょっと変わったヤツもいっぱいいて、めちゃくちゃ面白いよ(爆笑) ヤバいヤバい(再び爆笑) しかもさ、入場するためにコーラ買うんだけど、必要なのは空のボトルだから、みんな買った後に道に捨てて、コーラの川みたいのが店の目の前に出来てんだよ。

それで、席も所詮タダだから、ショボイ席でさ。そこのヤツらは応援のスタイルとかも変わってるから、ブーイングしまくり! マナーも悪い! でも、そこで一緒に野次るのは楽しかったな(笑) 周りの客と一緒に大声で合唱したの覚えてるよ。なんやかんやで、そういう経験ばっかだったなぁ。

なにか健全なことっていうと……、車で10時間ぐらいのところにある国立公園とか、50ヵ所ぐらい父親と行ったなぁ。

―僕の住んでた世界とは全然違います……。

マグマに飛び込んでも死なない

―日本に帰ってきてからはいかがでしたか?

アメリカに行って、頭がおかしい状態で、日本に帰ってきたからさぁ……。漠然とだけど、「俺はひょっとして凄い人間なんじゃないか?」とか、「俺は日本人を超越してるんじゃないか?」とか、漠然と思ってたな。あんまり現地に染まり過ぎるのも、よくないかもしれない。昔の俺に言えるなら、「調子に乗るなよ!」って言ってやりたい!(笑) 肩をポンと叩いてさ。本当にぶっ飛んでたから。このままマグマに飛び込んでも、死なないんじゃないか!? みたいな気持ちだったんだと思う。

日本では、慶應の理工学部情報工学科ってとこに入学して、アメフト部に入ったんだけど、試合中に選手生命が危ういぐらいの大怪我して、入院したんだ。それが原因なのかな? 人として丸くなった。やっと心が正常に戻ったって言うか。

―凄い……。就活に関してはどういうことがありましたか?

一応4月の半ばに決まったよ。商社なんだけど。就活に関して、これは俺の考えなんだけど、参考書みたいなのに書いてあることとかを真似て書くよりも、もっと自分らしいことを書いた方がいいんだよ。人がやってないことをアメリカでやってたから、そういうこと書いたよ。サバイバル・キャンプの学生リーダーやってたとか、「体育会で数学が好き」とか受けるし……。結局なんだろう? ギャップかな?

あと、俺は体育会だったから学ラン着て就活したよ。パッと見が大事だと思ったから、印象を与えておこう、反則ギリギリの技を使おうと。まあ、そういうのが嫌いな人もいるけど、オール・オア・ナッシングって割り切ってたよ。学ランってだけで、取っ掛かりとか出来たからね。一人だけ周りと違う格好だから、話しかけたくなる心理っていうか。

就活のときは「よかった、変なやつで」と思った。やっぱり、自分のやり方でやるのが一番いい。でも、社会人には遠く及ばないわけだから、どれだけ調子に乗らないかっていうのもあったかな。謙虚な気持ちで、しっかりと物事が言えて、それなりの経験をしていれば、それなりの会社に行けるんだと思う。

他の人は全く違うことを言うかもしれないけどね。

―とても参考になります。それでは最後に一言どうぞ!

とりあえず、まぁ、アメリカ人目指しすぎると痛い人になるよ! それから、帰国子女は日本人とは違うわけで、人とはズレるから謙虚になってアジャストしていって欲しい。

あとは……洋服いいの買おうね(笑) 日本人は皆おしゃれだから!

―(笑) ありがとうございました!

インタビューアから一言

とにかく濃いインタビューでした。ここに全部を載せることは出来ませんが、とても過激なことを数多く体験している方で、僕がどれほど平凡な海外生活体験者なのかを再確認できた気がします。S.H.さんほど、他の人には出来ない経験を実際に積んでいる人は滅多にいないし、この方のインタビューを担当させていただいたことは、文字通りに勉強になりました。S.H.さん、本当にありがとうございました!
稲葉省吾(どうかInaba Shogoと発音してください)。1990年生まれ。神奈川県出身。小学校5年生のときにアメリカのニュージャージー州に引っ越し、小・中・高を通して7 年8ヶ月ほど滞在。Parsippany Hills High Schoolを卒業後、日本に帰国。2009年に上智大学国際教養学部に合格し、2年に在学中(2010年現在)。神奈川新聞社主催、「北条イラストコンテスト」入賞。