海外生活体験者・社会人インタビューvol.86

interviewee_s_216_profile.jpg 松澤憲子さん。1981年生まれ。長崎県出身。中学3年生の時にイギリスを訪れる。日本で高校卒業後、1年間のファンデーションコースを経て、01年University of Kentで経済・経営学を専攻。04年、同大学院にて1年間、国際金融と経済発展について研究し、06年よりL.E.Kコンサルティング東京支社にて勤務。10年よりロンドン本社で勤務。現在は3ヶ月の休暇をとり、モスクワにてロシア語の語学留学中。

今回インタビューを受けていただいたのは、L. E. K. コンサルティングに勤務されている松澤憲子さん。彼女のイギリスでの経験や、モスクワにお越しになるまでのいきさつなどを語っていただきました。

イギリスとの出逢い

―初めて海外に行かれたのはいつですか。

中学3年生の夏に、イギリスに3週間語学研修に行ったのが最初です。

イギリスへ行った理由はなかなか恥ずかしい話なのですが(笑)、当時私の反抗期がそうとうやんちゃだったからなんです。手に負えないと考えた父は、私をイギリスへ送ることを決意しました。他の国に行って多くの人と触れ、人に対する感謝の気持ちを学んでこい。これが、彼の思惑でした。

初めは「イギリスでバレエのレッスンを受けてみる?」と父に言われたのですが、適切なサマーコースをなかなか見つけることができず、最終的に語学研修になったんです。

―日本国内を飛び越えて、いきなり海外だったんですか!?

そうなんですよ!(笑) 当時の私は、日本国内でも周りのことはあまり知りませんでしたから。小学生のときに連れていってもらった東京ディズニーランドくらいしか、九州を出た経験がありませんでした。同じ九州でも、福岡ですら遠出だったのですから……。それに、当時の私の英語力は、自慢じゃないですが、相当低かったんですよ。テストでも20点代だったくらいですし(笑)

でも、その語学研修のとき、イギリスで受けた印象が本当に強く、帰国後もずっと「イギリスに住んでみたい!」と思っていました。イギリスの大学に行けば、3年間はイギリスに住める!と思い、イギリスの大学を受験することにしたんです。

一番楽しく、一番辛かった学生時代

―イギリスでの大学生活で、大変だったことは何でしたか。

初めのうちは、どう友人を作ってよいのか、全くわかりませんでした。

ファンデーションコースにいたときは、周囲も私と同じように外国人ばかりだったので、すぐに友人ができました。しかし、その環境に慣れてしまったせいか、大学1年生の初めのうちは、イギリス人の中に溶け込むのが難しかったです。例えば、Fresher’s weekって、知っていますか?

―いえ、残念ながら。

新入生が、大学に早く馴染めるよう、大学で早く友人を見つけられるようにという目的で行われるオリエンテーションがある期間のことです。新学年の初めの週に行われるのですが、私はその存在を知りませんでした。初めに寮に入ったときも、なぜ周りはこんなに騒がしいのだろう、なぜ周りはもう友人ができているのだろうと、とても不安になりました。ですから、最初の3ヶ月ほどは寂しくて、ファンデーションコース時代の友人のところへよく会いに行っていました。

その後、慣れてくると1人、また1人と友人が増えてくるようになりました。ひとり友人ができれば、そこから芋づる式に友人ができましたし、授業が始まるとクラスメイトができたりしますし。友人ができてからは、大学1年生は非常に楽しい1年になりました。いや、楽しすぎるくらい遊んでしまったかも(笑)

2年生になってからは、勉強に本格的に取り組みました。1年生のときのように、テストに通るかどうかだけでは済まされなくなったからです。2年生以降は、授業の成績が学位に響いてくるので。

―院進学を考えられた理由は?

一番の理由は、経済学が面白いと思っていたからです。

学部では、経営学と経済学の両方をやっていたのですが、そのときに経済学に対する興味がものすごく強くなっていきました。せっかくだから、もっとやりたいと思いましたし、イギリスでは修士は1年でとれますし。就職活動のときも、修士があったほうが有利だと考えたので、大学院へ進み経済学を続けることを決めました。

―大学院はいかがでしたか。

今までの人生で、一番苦労した1年だったかもしれません。

まず、履修していない科目がいくつかあったことです。私は、経営学と経済学のジョイント学位だったので、ガチガチに経済学を専門にしている学位だと必修だけど、私の学位だと必修でない科目などがあったんですね。具体例を挙げると、計量経済学なんかがそうでした。しかし、大学院に進むと「計量経済学上級」が必修科目に途端に現れたので、大変でした。

何でも簡単にこなすコースメイトに比べ、劣等感を感じ、コースを辞めようかと思ったことも、幾度もありました。周囲の大学院生は、経済学をしっかりやって入学している方々で、やはり学部時代にそれなりに準備をしてきている一方、私は基礎すらままならない科目もある状態でした。ですから、なんとか授業についていこうと人一倍努力しました。みんなが遊びに行っている間も、授業後すぐ家に帰り勉強しました。それにも拘らず、クラスでコースワークの点数が一番低かったこともあり、そのときは本当に泣きそうでした。

そうした苦しい1年ではありましたが、最後の最後、最終試験のときに、計量経済学の授業でクラス2位の成績を修めることができました。1年の努力が実った!!と本当に嬉しかったことを覚えています。

ボストン・キャリア・フォーラム  怒涛の三日間!!

―就職活動はどのように行われたのですか。

就職活動をするときは、ほとんど「フィーリング」でしたよ(笑)

と言うのも、就職活動をはじめたときに、私にはいわゆる「先輩」という方がいなくて、どこから始めたらいいのか、就職活動って何をしたらいいのか、全くわかりませんでした。例えば、面接の後にはお礼のメールを送るべきだということすら知らなかったですし。ほとんど手探り状態でした。

私にとっては、ボストン・キャリア・フォーラムが最初の就職活動でした。このキャリア・フォーラムの準備をする上で、初めは金融系に行きたいと思っていました。大学で学んだ経済学の知識を活かしたいと思っていたので。こうやって、まず大きな分野を決め、そこから調べ、対象企業や職務内容を絞っていきました。

―ボストン・キャリア・フォーラムはいかがでしたか。

熱気があって、楽しかったですよ!! 企業も学生も精力的に雇用・就活をしていたので、会場中に熱気とエネルギーが溢れていました。

手順としては、まずフォーラムの前にCVを受けたい企業に提出します。各企業が予めCV提出締め切りを設定していて、書類審査を通過すると面接を受ける時間をもらえます。空き時間にも他の企業を回って、飛び込みで面接を受けました。閉場後は面接を受けた企業からディナーに誘われることもありました。朝から晩まで一日中緊張し続けて、ディナーから帰る頃には夜はもうだいぶ遅くなっていましたが、帰宅後は次の日の準備。この3日間はほとんど寝られませんでした(笑)

ボストン・キャリア・フォーラムの後もいろいろと面接を受け、最終的に受かったのが現在の会社です。その後、06年より勤務することになりました。

海外を目指して

―東京でのお仕事は、どのようなものだったのですか。

今考えると、私もだいぶ未熟だったなぁと思います。

入社当初は、本当に大変でした。「新人研修がなかった!!」というと語弊があるのですが、私の入社は5月だったので、9月のアメリカ支社との共同新人研修まで、きちんとしたトレーニングがありませんでした。出社初日から「今日、ロンドンオフィスと電話会議があるから」と言われ、自分の仕事もまだわからないまま、会議に同席させられたことなんかもありましたよ(笑)

東京での生活は、イギリスと似ていました。最初に東京に来たときは、ほとんど友人がいなかったので。初めのうちはものすごく寂しかったです。ただ、4年住んでいるうちに、バレエ教室の友人や高校時代の友人など、様々な友人ができたので、それはとても嬉しかったです。

―ロンドンオフィスへ異動になられたのは、やはりご希望されたからなんですか。

そうです。ボスに直々に伝えていました(笑)

もともと、大学を終えたときには、まず日本で働きたいと考えていましたが、2、3年後には海外で働いてみたいと思っていました。ですので、そのことについてボスとも何度か相談しました。

私が入って3年目のときが、ちょうどリーマン・ショックが起きたときでした。そのため、ほとんどの人事異動が凍結されてしまい、3年目で海外に行くことはできず、この1年は待つことになりました。

翌4年目、つまり今年(インタビューにお伺いしたのは2010年6月)なのですが、いろいろと好条件が重なり、ロンドンオフィスへの異動をボスが許可してくれました。この5月にロンドンオフィスへ異動し、3ヶ月の長期休暇を頂きました。

―さ、3ヶ月もいっぺんにですかっ!?

そうです(笑) 私の会社はプロジェクトごとに節目があります。東京でのプロジェクトが終わり、ロンドンへの異動だったので、ちょうど節目にいました。ですから、3ヶ月連続で休暇をとっても問題ないんですよ。

親友の故郷、ロシアへ

―さて、ようやく本題?に参ります。なぜモスクワへいらっしゃったんですか?

昔から、ロシア語が話せるようになりたかったんですよ。

ファンデーションコース時代、一番仲良くなったのがロシア人学生グループでした。1年間、とても濃い時間を過ごしましたよ。帰宅したら、私の部屋がもう彼らに占領され、アジトのようになっているくらい(笑)  そんな濃い時間をともに過ごしているうちに、ロシア語というものが、私にとって非常にアットホームな感じのものになったんです。

お互い別々の大学に行きましたが、私が東京に帰った後も、ずっとコンタクトを取って来ました。そして昨年、友人の結婚式があり、数年ぶりにモスクワを訪れました。以前から、ロシア語を話せるようになりたいと思っていたのですが、この旅行の際にその想いに拍車がかかり、ロシア留学を決意したんです。

社会人として4年間しっかり働いてきましたし、先述の想いもあったので、ロシア留学のために3ヶ月の休暇をいただきました。かれこれ10年来の友人とこの3ヶ月間は毎日時間を過ごせる!!と思うと、嬉しくてたまりません。

―モスクワでの生活はいかがですか。

そうですね……。今は、葛藤の多い日々を送っています。普段は気にならないことも、疲れていたらイラッとくることもありますし、話したいことはたくさんあるのに、ロシア語で話せないことにフラストレーションがたまっていくこともありますし……。モスクワに来てまだ一週間なのでまだそういう時期なのかもしれませんが、早くロシア語を話せるようになりたいです!

「助ける人」に早くなりたい!

―では、今後の方針をお聞かせ願えますか。

そうですね、仕事に関して言えば、9月にイギリスに戻った後は、2、3年くらいはロンドンで仕事をしたいです。その後は、日本だろうと、他の国だろうと、どこで働くかは気分次第。「フィーリング」です(笑)

それから、これは早く実現したいのですが、「助ける人」に早くなりたい!!と思っています。

これまでの人生、自分の出来ることの範囲を越えて、やってみたい!という強い好奇心から、様々なことに挑戦し続けてきました。こうして、自分の出来ることが少しずつ広がっていったことは、とても嬉しく思っています。

しかし、こういうふうに活動できたのは、その時々で多くの人に支えられてきたからなんです。特に、友人には本当にお世話になりました。いつも助けてもらってばかりいて、では今度は自分が助ける番になろうと思ったときに、今の自分は友人に何をしてあげられるのだろうと、考えることがよくあります。そして、自分の未熟さをよく痛感したりもします。

ですから、早く人を助けられるくらいの力をつけて、助ける番になれるよう、努力していきたいと思います!!

―では、最後に日本の方へ何かメッセージを

ええっ!! 難しいなあ……。

これは私が普段から心に留めておいていることなのですが、今やりたいことや具体的な将来像がわからなくても、焦らず今できることを一生懸命やれればいいと思っています。目の前にあることに精力的に取り組むうちに、やりたいことが見えてくる可能性もありますし、やりたいことができたときに、そこにつながる力もついてくると思います。もちろん、「今」を楽しむことも忘れずに、今後も自分のポテンシャルにいつまでも挑戦し続けていきたいと思います。

University of Kent :
http://www.kent.ac.uk/

インタビューアから一言

松澤さんはモスクワにいらっしゃる前、ロシアの情報を検索されていたときに、私のブログを見つけてくださったことが、お会いすることになったキッカケです。海外生活体験者としての就職活動について、自分を知ることや自身の「フィーリング」を知ることについてなど、多くの教訓をご教授いただき、とても有意義な時間を過ごせました。本当に、ありがとうございます!!

海外生活体験者ブログ vol.6 木村荘一郎
http://www.rtnproject.com/2009/12/_vol6.html
木村荘一郎。1987年生まれ。高校三年間を米国オハイオ州で過ごし、帰国後は北海道大学経済学部に入学。現在4年に在籍。1・2年は課外活動、2・3年は学業に精力的に取り組み、09年秋より一年間モスクワ大学外国語学部に留学。現在は将来の道を模索中。