海外生活体験者・学生インタビューvol.92

interviewee_s_209_profile.jpg 上原健太郎さん。1990年生まれ。フランスのパリで生まれ、3歳のときに日本へ帰国。ノートルダム学院小学校へ通い、9歳の時に今度はイギリスのロンドンへ。パークハウス・ミドルスクール、ドゥルウィッチカレッジへ通う。15歳で日本に再び帰国し、国際基督教大学高校に編入。現在、慶応大学経済学部2年生。学生団体adoir (アドワール)、経済新人会マーケティング研究部、小室ファミリー12期(幹事)、Keio Debate Squad等で精力的に活動中。

最初の頃は”weak line”とからかわれていた

―まず、海外滞在体験を教えていただけますか。

フランスのパリで生まれ、3歳までいたのですが、その頃の記憶はほとんどありません。9歳で今度はイギリスのロンドンへ渡り、現地のパークハウス・ミドルスクールと、ダルウィッチ・カレッジという学校へ通って、15歳で帰国しました。

―イギリスでの生活はいかがでしたか?

ロンドンにいたころは、近くに公園がたくさんあり、そこのサッカースクールに参加したことがきっかけで、とにかくサッカーばかりやっていましたね。住んでいたマンションに、当時のオランダ代表選手がいたので、友だちになって試合を見に行ったりしました。当時は稲本選手がフルハムというチームに所属していたのですが、試合を見に行って、実際に話しをする機会もありました。ウィニングイレブンなどのサッカーゲームも、毎日のようにやっていましたね。

―昔から熱狂的なサッカー少年だったのですね(笑) 健太郎くんは高校のサッカー部でとても活躍していたのを覚えていますが、当時から、サッカーは得意だったのですか?

イギリス人は日本人に比べると体型ががっしりしている人が多いので、サッカーを始めた最初の頃は、典型的な日本人体型の私は、”weak line(突破しやすそうな場所)”などと、からかわれたりしていましたよ。それが悔しかったので、家の庭をオリジナルのサッカー練習場に改造して、毎日そこでドリブルやフリーキックの練習をしました。

サッカーのプレイに関することを記録しておく「サッカーノート」を自分で作って、そこにテレビで見た選手の動きをこまごまと、そのときの選手のポジショニングやパスを出すタイミングや顔を上げるタイミング、それから、そのときの選手の足の形まで、詳細にメモして研究していました(笑) すると、いつの間にか実力がついたのか、チームの中でも認められるようになって、あるとき、チームの中で強い選手だけを集めて別のチームを作る機会があったのですが、そのなかに選ばれました。あの時は嬉しかったです。

―その当時から、努力家の一面が垣間見えますね(笑)

熱い「部活」に打ち込みたくて

―では、次は学業についてお聞きします。イギリスではイレブンプラスという入試制度があると聞きますが、健太郎くんも受験したのですか?

私も受験しました。私は9歳でロンドンへ行ったので、それから約1年半ほどですぐに受験しなければなりませんでした。科目は、verbal reasoningとnonverbal reasoningと呼ばれるIQテストなようなものと、数学、英語、小論文と面接でした。

数学は、問題自体は簡単なのですが、イギリスに行ったばかりの私には、英語で書かれた問題文を読むのは大変でした。英語は週1、2回ほど家庭教師に教えてもらっていました。その結果、第一志望のキングスカレッジという学校は落ちてしまったのですが、第二志望だったダルウィッチ校に受かりました。イギリスでは、イレブンプラスの結果によって、その後の人生が変わってしまうという現実があるので、とにかく必死で勉強していましたね。

―そして、15歳で帰国することになったのですね?

そうです。その後は、そのままイギリスで進学するか、日本に帰国するかはわからない状態だったため、イギリスで進学することを前提に勉強を進めていました。しかし、15歳のときに急遽帰国することになり、日本の高校に編入することになりました。

渋谷幕張、ICU高校、奈良県の西大和、同志社高校の4つの高校を受験したのですが、その中でも私が一番行きたかったのは、全国区の実力を誇るサッカー部がある渋谷幕張でした。しかし、残念ながら渋谷幕張は落ちてしまい、他の3つは受かったので、その中で、「部活動」としてのサッカーに一所懸命取り組めそうな、ICU高校を選びました。

イギリスにいた頃、日本のスポーツ漫画などを読んで、日本の情熱的で、汗がほとばしるような「部活動」に、漠然とした憧れを抱いていました。イギリスには日本の「部活」のようなものはなく、サッカーチームでの人間関係も意外とドライだったりするのです。熱い「部活」に打ち込みたくて(笑)、毎年100人以上京都大学合格者を出している西大和高のような進学校ではなく、ICU高校を選びました。

―ICU高校でのサッカーはいかがでしたか?

ICU高校では、本当に充実した部活動をすることができました。最初の1年間は、両親がまだ帰国していなかったので、高校の寮に住んでいたのですが、朝から晩までずっとサッカーのことを考え、そして、サッカーばかりしていました(笑)

さとしさんというとてもドリブルが上手い先輩がいたのですが、その先輩を目標に、日が暮れるまでグラウンドを走り回っていました。先輩も、一緒に朝練に付き合ってくださったり、プレイに対するアドバイスをくださったりして、とても嬉しかったことを覚えています。

ICU高校のサッカー部は、チームとしてはそれほど強くないのですが、結局、私とその先輩の代のチームは、都大会の予選3回戦まで駒を進めることができ、これは学校としては、歴代の最高記録と並ぶものだったそうです。

グローバルに活躍できる人間

―念願の「部活」に、心底打ち込むことができたのですね。部活を引退してからの、受験勉強はいかがでしたか?

大学では経済学をやりたかったので、慶応の経済を第一志望にしていました。受験期は、一日11、2時間ほど勉強していたのですが、第一志望には受からず、上智大学の経済学部に入りました。大学生活は楽しく、単位もすべて取っていたのですが、私はもう一度受験することを決意し、大学から家に帰ってからは、黙々と勉強をしていました。

今まで、イギリスのイレブンプラスのときも、日本の高校に編入するときも、どちらも第一志望には落ちてしまっていて、今回の大学受験もそうでした。ですから、このままではずっと2番目のままなのではないかと危機感を覚えました。結果に甘んじるのではなく、自分の力で自分の希望を実現させたいと思ったのです。大学の友人には、再受験することは一切言っていなかったですし、確かに大学へ通いながらの受験勉強は楽なものではありませんでした。しかし、再受験では、念願の合格を掴むことができました。

―敢えて大変な道を選択し、それを達成した健太郎さんはすごいですね。それでは、現在の活動についてお聞きしたいと思います。

現在は「グローバルに活躍できる人間」になることを目指して、大学での経済の勉強と並行して、自分が成長できそうだと思うような団体やイベントには積極的に参加しています。その過程で「なぜ自分はグローバルに活躍できる人間になりたいのか」ということや「グローバルに活躍できる人間とはどのような人間なのか」ということについて、日々自問自答しています。

今私たちが中心となって動いている”my Japan”というプロジェクトでは、「日本の良さを日本の学生が、CMを通して世界に発信していく」ということをコンセプトに、広告界の著名人の方をも巻き込んだイベントを企画しています。私は、プロジェクトの中で、グローバルチームのリーダーを務めていて、主に海外のメディア戦略などを担当しています。これからの時代、日本の良さを海外の方にアピールして、理解してもらうことはとても大切だと思うので、このコンセプトに共感してくれる人がいらっしゃいましたら、ぜひ私たちと一緒にプロジェクトに参加して下さい(笑)!

―最後は宣伝で締めましたね(笑) どんなことにも、精力的にチャレンジし、努力を惜しまない上原健太郎さんへのインタビューでした。この度はどうもありがとうございました!

インタビューアから一言

健太郎くんは高校の時の同級生で、同じ寮生活の仲間でした。そのときも努力家だなぁと思っていたのですが、今回のインタビューで、さらにその印象が強まりました。常に向上心にあふれ、前進していく健太郎くんの姿勢はすばらしいですね。今度は、また一緒にサッカーをしましょう(笑)
貫井隆。小学校5年から中学2年までの3年間をアメリカ合衆国イリノイ州で過ごす。帰国後、地元の中学校へ半年間通い、中学3年から駒場東邦中学校へ編入。国際基督教大学高校へ進学し、大学は受験勉強を経て、国際基督教大学へ進学。現在教養学部アーツサイエンス学科3年に在籍。