海外生活体験者・学生インタビューvol.93

interviewee_s_211_profile.jpg 梅田奈穂さん。1989年千葉県生まれ。4歳から小学校2年生までを大阪、その後中学校時代まで千葉県船橋市で過ごす。03年、マレーシアのInternational School of Kuala Lumpur(ISKL)へ転校。初めての海外で高校生活3年間を過ごす。08年早稲田大学人間科学部に入学。現在は文化人類学を専門とするゼミに所属し、文化人類学・民俗学を学んでいる。また、ソフトボールサークルにも所属し活躍中。

小窓からぴょんっと抜け出して

―さっそくですが、梅田さんの中学時代についてお聞かせください。どういった学生生活を送っていましたか?

勉強は好きではなかったので、勉強はあまりしてなかったです(笑) 代わりに、部活動に励んでいました。卓球部で、1年から3年までやってました。色々ありましたけどね。

―部活で色々あったとは?

部活の先輩とは仲良くしてもらっていたのですが、顧問の先生とひと悶着ありまして。。。一度先生が変わったんですね。1年生のとき私が卓球部に入った頃は、すごく卓球が強かったんです。そのときの先生が、卓球が上手く、育てるのも上手な先生で。メニューもきちんと組んでやっていました。ただ、1年の終わりでその先生が転任してしまったんです。2年生のときの先生とは合わなかったですね。1年のときからの練習メニューは続けていたんですが、それでも私たちに「もっとまじめにやれ」とか、ちょっと反抗すると「お前たちいつでも部活をやめていいんだぞ」とか言われたりして……。

一度、朝練のあとに私だけ先生に呼び出され、「部活をやめていいんだぞ!」と言われたときは泣いてしまいました。それで先生が部屋を立ったすきに、小窓からぴょんっと抜け出して家に帰りました。精一杯の抵抗だったんでしょうね。すぐ後で、担当教員とその部活の先生が家に事情を説明に来ました。昼からはもう学校に行きましたけど(笑)

便座に靴の跡が残ってるし

―結構思い切ったことをされますね(笑) では、高校を海外の学校に転校されたのは、ご両親の勧めだったのですか?

いいえ、私の意志です。はじめは、父親だけ単身赴任をする予定でしたから、海外に行きたいと言い出したのは私のアイデアです。高校も英語が強い学校に元々行きたいと思っていましたし、とりあえず外国に行きたかったんです。

親は驚いて、初めは反対していましたね。出て来た条件が、私が英語の成績で5を取ることと、姉が一人暮らしになってしまうので、私と両親が海外に行ってしまうことに関して、姉から許可を取ることの2つでした。勉強は嫌いだと先ほど言いましたが、結局5を取りましたよ。勉強すればなんてことないです(笑) 姉の許可ももらって、晴れて海外に行けることになりました。

―海外への憧れが強かったのですね。でも、マレーシアだということは知っていましたか? 初めどんなイメージを持っていたのでしょうか?

マレーシアに行くことはもちろん知っていました。ただ、何も知らなくて……。マレーシアのイメージは、正直言うと、路上で物を売っているイメージです。白雪姫に出てくるようなおばあさんが、黒いフードをかぶって布を広げて、その上に物を載せて売っているような(笑) でも、実際は違いましたね。そこまで貧しい国ではなかったです。

代わりに戸惑ったことといえば、道路に歩道がなくてびっくりしました。歩けないじゃないかと。あとは、トイレですね。汚いし、水浸しだし、紙もないし、あっても濡れてるし(注1)、洋式なのに和式で使った形跡があるし(注2)で、これもびっくりしました。

注1:あちらでは用を足したあと、トイレットペーパーで拭かずに、ホースの水で流す
注2:便座に土足でしゃがみこんで使用して、靴の跡が残っている

―では、3年間生活している中で、マレーシアの楽しみは何でしたか?

食と気候と人々です。食べ物は本当においしいですね。個人的にマレー料理を表現すると、(インド+タイ+ベトナム)÷中華=マレー料理です。アジア圏の料理を思い浮かべて、中華寄りに食べやすくなった感じでしょうか。

気候は、常夏なので寒くないですし、洋服も一年中いっしょなので面倒はないです。寒いのが苦手なので、朝起きたときに寒くないのは、本当にありがたいですね。

マレー人は、大抵ルーズで適当です(笑) 何に関しても「大丈夫、大丈夫」と言うので、「なんだこいつら?」と、最初は思いました。レストランで食事がなかなか運ばれてこないので、尋ねたら"On the way."と言われます。それで、ああそうなんだと。これが普通なんだと思ったら、別に気にならなくなりました。寛容さが身についたと思います。

マレーシアへの愛

―ここからは、高校生活についてお聞きしたいと思います。インターで苦労されたことはありますか?

やはり言語、英語ですね。初めての授業を今でもよく覚えているのですが、まず先生が何を言っているかまったく分からなかったです。それなのに、突然グループが作られ、絵を見て何か意見を言えと言われて、とりあえず「ふにゃふにゃ~」と何か言ったんですが、訳が分からないことを言ったんだと思います。

アッセンブリー(学年集会)のときに、同学年の日本人の子に、「これ言ってること全部分かるようになるの?」と尋ねた覚えがあります(笑) ちなみに、その子には「まあね」と言われました(笑) 言葉が分からないことで孤独感を覚えたこともありますが、でも、珍しい環境なので全体的に楽しかったです。

―インターでの楽しかった思い出を具体的に教えてくれますか?

1つ目は、人間観察です。お気に入りの人に対して少し追っかけっぽいことをしました。一番の思い出ですね(笑)

2つ目は、ボランティアに触れられたことです。タミール系の孤児の集まる施設へ行って、言葉が通じない子どもたちと遊ぶボランティアをしていました。よくUNOとかやってましたね。他には、体の不自由な子どもたちと接するボランティアです。彼らと遊んだり、オイルマッサージをしたり、ご飯を食べさせてあげたりしていました。

3つ目に、オーストリア旅行です。学校で聖歌隊の授業があって、その一環で、楽器を演奏する生徒たちと一緒に行きました。一応オーディションもありましたね。オーストリアのウィーン、チェコのプラハとザルツブルクへ行きました。現地の言葉で歌うコンサートをしたり、半分くらい観光旅行もかねていたので、色々なものを見られたり、とても楽しかったです。

―ISKLに通うことについてどう思われますか?

マレーシアは多民族国家で、学校はアメリカンスクールです。白人が多いかと言えばそうでもなく、アメリカ以外の色んな国の人がいました。みんながみんな外国人といった感じです。アメリカにも色んな人種の人がいるんだと思いますが、アジア圏のインターは、また違うんだと思います。マレーシア、いいところですよ! 私は日本人なのでもちろん日本は好きですが、マレーシアに対しての愛は強いですよ。

―最後に、これから海外の学校に入ろうとしている学生の方にメッセージを頂けますか?

海外に長くいると、どうしても慣れてしまい、また同じような明日が来ると思ってしまいます。でも、日本に帰ってくると、その何気ない日々がいかに特別だったか、それを実感できるはずです。だから、帰ってきてから後悔しないように、一日一日を大事にしてほしいです。受身で過ごすのではなく、海外でしか体験できない何かを、毎日積極的に感じ取ってほしいと思います。

インタビューアから一言

梅田さんとは同じ高校ですごし、今でも親しい間柄です。高校時代から、目先のネームバリューにとらわれず、自らの価値観や好みと照らし合わせて行動する姿が、とても印象的な方でした。お話を拝聴していて、梅田さんが「自分の求めていること、好きなこと」を明確に持っていることがよくわかり、それが彼女の芯のぶれない理由の一つになっていたんだと思いました。また、同じ学校ですごしていても、見方が違うと思う点もあり、また共通点もあり、今回のインタビューを通して自分を見つめ直すとてもいい機会になりました。課題で忙しい中、本当に快く引き受けて下さってありがとうございました!
横山知子。1988年三重県生まれ。小・中学校をマレーシアの日本人学校、高校をマレーシアのThe International School of Kuala Lumpurですごす。計14年間滞在した後、早稲田大学教育学部へ入学。現在3年に在学。