海外生活体験者・学生インタビューvol.94

interviewee_s_213_profile.jpg 高橋乃枝瑠さん。1989年生まれ。埼玉県出身。中学校2年生の夏からインディアナ州へ。Early graduateでCarmel 高校を卒業。現在、上智大学総合人間科学部教育学科の2年生。中学生の頃、疑問を抱いてから、今までずっと関心を持ち続ける教育という分野を専攻する。中学専門の社会教諭と英語教諭を取得予定で、そのために日々努力している。

―今日はテストおつかれさま。忙しい中来ていただいてありがとう。短い時間ですがお付き合いどうぞよろしくね。

いえ、こちらこそ。ありがとうございます。なんでも聞いてください!

現地や言語に慣れるのに手一杯

―では、さっそくはじめたいと思います。簡潔に高橋さんの海外生活を教えてもらってもよろしいですか?

はい。私は、中2の夏、父の仕事でアメリカのインディアナ州へ家族と引っ越しました。中2から渡米したので、とても大変でした。無事高校へは進学できたのですが、元々父の契約が3年だったので、家族は私が高2を終えると帰国してしまったのです。そこから単身で残り、Early Graduateで卒業し、帰国。その後は予備校に通い、無事上智大学へ進学し、今に至るということです。

ー中学生で始めて渡米とは、大変だったよね……?

そうですね。中学校では、学年に日本人は3人ぐらいしかいないという環境でしたから、現地や言語に慣れるのに手一杯で、そのため、最初の英語が本当に分からなかったときは、家庭教師に勉強を見てもらっていました。土曜日は補習校に通っていたのですが、高校で始めたバンドの練習などと重なり、止めてしまいました。

―そうだよね。私もアメリカにいるときは補習校に通っていたけど、確かにバンドとかやっていたら辛いかな。私は何もなくても宿題に手をつける時間がなくって辛かったから。中学校時代についてもっと教えてもらえるかな。

中学に通い、言語の壁に直面したので、行動によって自分を表現するしかありませんでした。言葉もわからないのに、体育までも皆の足を引っ張れないと思い、テニスをはじめました。親がプライベートレッスンを始めさせてくれ、とてもよかったと思っています。テニスコート場でレッスンを受けながら、家に戻っては近所のテニスコートでも練習することができたので、とても気分転換にもなっていました。おかげで授業でのテニスも上達しましたしね。

―何か1つ没頭できることがあるとよいよね。何年くらいで慣れた?

高校でようやく英語も慣れました。また、高校はいろんなことに力を入れることのできた3年間でした。外国語はスペイン語を履修し、あまり頻繁に活動へ参加することはできませんでしたが、ボランティアもやっていました。

最も力を注いでいたのがジャズバンド。高校の必修授業として履修し、最初はアルト・サクソフォンを学校から借りて始めました。本当に演奏するのが楽しく、プライベートレッスンなどをはじめ、アルトだけではなく、バリトンも吹くようになりました。

ジャズバンドに入る

―え! ジャズ?! かっこいい!! 詳しく教えてくれる?

学校のジャズバンドに高2のころから参加していたのですが、先生からプライベートレッスンを行ってもらいました。彼女はネイティブ・アメリカンの方で、第一言語もネイティブ・アメリカンの言語だったそうです。彼女からはいろんなお話を聞くことができて、とても参考になりました。レッスンも甘いものではなく毎日練習が必要で大量の宿題が出て、毎回定期的に発表会が教会で行われたので学校との両立は大変でしたが今思えばとても充実していたとおもいます。

また、彼女にIndiana Youth Wind Ensembleに入らないかと誘われ、入会を決め、頑張りました。ある日、いつも行っている教会のミサで演奏しないかと言われたので、それから教会で演奏する機会をよくいただき、発表会とかも多かったので、多いに参加させていただきました。今思えば、彼女のおかげで、私は人生の道を切り開くことができたと思います。

―へぇ~、すごい。夏休みとかも練習に明け暮れていたの?

高校時代の夏休みはすべて趣味に没頭していました。自分で面白いMusic Programはないかと検索し、発見したのがイリノイ大学の寮で1週間泊り込みをしながら演奏するというプログラム。そこで大学生活の雰囲気もどんな感じかを掴むこともできたし、少人数構成でしたから、毎回課題を与えられ、それに向かってみんなで練習して発表し順位をつけたりすることができて、とても楽しかったです。お金は$700くらいかかりましたけどね。

―た、高いのね! でも、経験になっているからよかったのかな?

そうですね。夏休みを使って行ったバンドのキャンプはもう1つあったのですが、どれも本当にプライベートレッスンなどでは味わえない貴重な体験をすることができました。2つ目のIndiana Universityのキャンプの方が私は好きだったのですが、そちらの方は少人数ではなく、バンド単位でのレッスンなどが多く、本当に強化合宿みたいな感じがして、練習への力の入れ方が違って楽しかったです。プロの指導とかも受けることができたので、よい刺激になりました。

無事にEarly Graduateする

―そっか。。。なんか、とても充実した高校生活送っていたね! 学業はどんな感じだった? APとか履修していた?

Advanced Placementという、レベルの高い授業を沢山履修していました。科目としては物理と心理学を履修したのですが、ただ単純にその授業が好きなのです。科学系の科目でも私は物理が大好きでしたし、友だちに聞いたところ、心理学も普通レベルはつまらなかったらしいので、AP心理学を履修していました。もちろん、1日に30ページ読まされるのが当たり前という感じで、課題の量も多く、難易度は高かったですけどね。それなりに内容が詰まっていて楽しかったですよ。また、授業期間外の夏期講習など、ほぼ毎年履修していました。

―あれ? 一時帰国とか毎年夏してなかったの? 私は夏休みほとんど日本に帰国していたけど(笑)

私は、父の転勤が決まったとき、滞在年数が3年と決まっていたので、早めに卒業できるよう準備しておきなさいと言われていました。そのため、毎年夏は講習を履修し、かなりの単位を取得していました。2ヶ月という夏休みもあまりやることなかったですしね。ちなみに、一時帰国は2年に1度、会社の方からお金が出るので、そのときにしかしていませんでした。

―ちなみに、統一試験とかの対策は何かしていた?

統一試験の勉強は、母の友人が教えてくださっていました。母は、栄養士なので、海外に来て2年目にして、弟の通っている中学校でLunch Ladyをやっていたのです。そこで出会ったひとに教会へ誘われたのをきっかけに、教会の友人が私の勉強を見てくれることになったのです。私は皆に支えられて生きていると本当に実感しました。

―じゃあ、3年経った後、家族は皆で帰国しちゃって、その後、高橋さんはどうしていたの?

高校3年生のとき、私は英語の家庭教師だった親しい先生の家にホームステイさせてもらいました。この最後のアメリカ生活半年が、私にとても大きな影響を与えました。彼女のおかげで、大学を海外にすることも考え受験を考えました。ただ、いくつかの大学からは合格をいただいたのですが、私が将来何をやりたいかと考え、やはり日本に戻ることを選択しました。夏休みに頑張ってたくさん単位を取っていた甲斐あって、無事Early Graduateを12月にすることができました。でも、正式な卒業式とかは参加できなかったので、案外寂しいものでしたけどね。

アメリカの教育に目を見張る

―日本でやりたいことがあったみたいだけど、それは何かな?

私は、日本で通っていた中学で、問題に直面し、疑問を抱いていました。私が通っていた中学校は、生徒を型にはめる画一的な教育を行っていて、教師が望むような生徒になることが重要視されていたので、なぜ自分らしさを追及してはいけなのか、また、追及すればなぜすぐに抑圧されるのか疑問に思い、葛藤していました。

そんな中、アメリカ独自の教育制度の素晴らしさを痛感して、やはり興味を持ったことがきっかけですね。教員になりたいと思っていた感情がさらに強くなり、日本で教員になるなら、日本で教員免許を取得しなくては意味がないなと思い、日本に帰国することに決めました。

―なるほどね。確かにアメリカ教育学とかを専門的に学べても、日本で教員になるなら、日本で教職取得しなくてはならなくなってしまうね。アメリカ独自の教育制度って言っていたけど、それは授業スタイルとかかな?

生徒1人1人の意見を大切にするという制度もとてもよいのですが、特に私が転校した学校はインディアナ州でも教育に力を入れている学校だったので、毎日一時間ほど、Study Hallという自習などを行える自由時間が設置されていたことが印象に残っています。その時間だけは、全校生徒、教師が作業をやめ、わからないところがあったら先生に聞きに行ったり、生徒同士で宿題をやったり、様々なことを自由に行える時間でした。

成績評価などもとても厳しく、今思えば生徒の学習環境がきちんと保障されていたので本当によかったと思います。私の学校では、成績はすべてコンピューター上で管理されていて、生徒は自分の成績を確認することができるようになっていました。生徒の学習意欲もそれで向上していたのではないかと今では思います。もちろん保護者へのサイトもありましたよ!

大学では、授業のレポートを終わらせるためコンピューター室を利用しようとすると、パソコンを利用するのに皆並んでいるんです……。信じられます? 自分の大学で好きなようにパソコンが使えないのです。ありえないですよね(涙) 本当に、設備とかきちんとして欲しいですよ……。

特急列車スーバービュー

―帰国後はどうしていたの?

12月に帰国後、実は少しだけ予備校に通っていました。そこで1つだけ興味のあった国立大学を受験してみるのですが、やはり不合格だったので、バイトをしながら、夏に予備校に入学しました。

―バイトは何をしていたの? 夏の予備校の開校まで時間あるよね?

たまたま募集していた、東海道本線の特急列車スーバービューの売り子をやっています。

―えー! すごい! どんな感じの仕事なの?

主に、お弁当やドリンクなど、車内販売をしながら、放送業務もたまに任されます。売店で仕事をするときもありますよ。通常は駅員さんが行う、特急に乗るときの検札業務を任されることも多いのですが、クレームが来ることが結構多くて、クレーム対応係りになりつつある今日この頃です(笑) 検札業務は、私がアルバイトしている会社とは別なので、いろいろクレームつけられても困るんですけどね……。

東海道本線の他にも、たまに人手不足だからと言われ、×かいず→○かいじ・あずさにも乗ったことありますよ。伊豆まで行ったりして、海が綺麗で良いですよ。宿泊する日もあるのですが、結構楽しいです。

―へえ~、なんだか大変そうな仕事だけど、とても楽しそう。今も続けているのかな?

現在、シフトに入っている回数は減りつつあるのですが、時々入れてもらっていますよ。大体1日単位で働くので、7時間労働で結構なお金になるんです。なかなかできる職業ではないので、働かせてもらっていることを嬉しく思っています。

ーわー! なんか大学前までの内容なのに、沢山いろんなことを教えてもらっちゃった。ありがとう!

モットーは一期一会

―あと少しだけ、現在のことについて聞いてみたいと思います。現在大学では教育学科に所属しているみたいですが、何を専攻としていますか?

教育学を専攻しています。教諭免許としては、中学の英語と社会。今は教育者になるための基礎知識を蓄えています。そして、3、4年には、教育学をさらに深く研究し、自分の人生と教育学を結びつけて、色々考えて行きたいと思っています。

具体的には、デューイやペスタロッチなど、教育学者の理論をより深く学び、日本の学校教育の環境や性格などを考慮しながら、その理論をどのように現場に活かしていけるかを考えていきたいです。

ーじゃあ、高橋さんは就職活動とかは視野にはいれていないのかな?

就職活動ですかぁ……。私はやりたいことがあるので、それを犠牲にしてまでも、就職活動へ力を入れようという気にはなれないのです。教育学は学んでいてやはり楽しいですし! 今は学習への興味や関心が強いですね。でも、いずれ教員という道を選ぶなら、その前に一度企業に就職し、視野を広げて物事を多角的に見ることを取得してから、教育という場に戻ってもよいかなとは考えています。

―経験って何事も大事だよね! これからも一緒に頑張っていこうね♪

―では、最後の質問です。これだけは大切!という、これから大学生になるひとへのメッセージなどありましたら、お願いします。

私のモットーは一期一会です。これから大学生になる人には、人や思想との出会いを大切にしてほしいと思います。自分のやりたいと思ったことはしっかりと貫き、そこに楽しさを見出していって欲しいと考えてます。

―長い間、本当にありがとうございます! これからも自分たちの未来ために頑張っていきましょう。

こちらこそありがとうございます。

Clay Middle School :
http://www1.ccs.k12.in.us/clm/home
Carmel High School :
http://www1.ccs.k12.in.us/chs/home

インタビューアからの一言

長時間、インタビューを引き受けてくださって、ありがとうございます! 私も専攻が高橋さんと似ていたので、とても楽しくお話を聞くことができました。教育理論を基礎知識からきちんと頭に叩き込み、それを理解した上で教育を行う。1つのことを一所懸命続けることの大切さを教わりました。中学のころからの疑問を今でもしっかりと胸に抱き、未来を描きながら一歩一歩前へ確実にステップアップしていている高橋さんです。
土橋美紀。1988年生まれ。長野県出身。小学3年から小6まで、アメリカのオレゴンに暮らし、高校3年間はアメリカのジョージア州で生活し、North View High School卒業。大学受験のため帰国し、青山学院大学文学部英米文学科に入学。現在3年に在学中。大学では、教職課程を専攻し、英語教育などについて勉学中。児童福祉ボランティア青山子ども会という部活に所属し、相模原と青山キャンパスの往復をしている日々。