海外生活体験者・学生インタビューvol.95

interviewee_s_215_profile.jpg 木村直樹さん。大阪生まれ、名古屋出身。中学2年生まで地元の東海中学校に通うが、父の転勤により、03年から07年までの4年間を、南アフリカ共和国ヨハネスブルグで過ごす。現地の私立高校St.Stithians Boys' collegeを卒業後、帰国し、慶應義塾大学経済学部へ入学。現在3年に在籍し、白井義昌研究会第13期外ゼミ代表を務め、国際経済学を学んでいる。課外活動では、テニスサークルに所属すると同時に、経済学部ゼミナール委員会の常任委員、全塾ゼミナール委員会の講演会・広報を担当している。

―それではインタビューを始めたいと思います。よろしくお願いします!

よろしくお願いします。

ヨハネスブルクの現地校に通う

―通っていた学校について教えてください。

はい。9年生から12年生の4年間、現地の私立高校に通いました。南アフリカの公用語は英語なので、学校では基本的に英語で授業を受けていました。学校の規模は1000人程度で、生徒の人種の割合は、白人4割、黒人4割、その他アジア人を含め2割ほどでした。毎日、学校から徒歩2、3分の距離にある寮から通っていました。

―学校での生活はいかがでしたか?

入学当初の9年生のときは、英語に慣れるのがとても大変でした。日本を去る前に、英検の3級を取得していたので、ある程度大丈夫なのかなと思っていたら、全然コミュニケーションが取れませんでした。英語に関しては、今でももっと上手くなれたらなぁと感じています。

それと、課外活動では一年中スポーツをしていました。部活は、日本と違ってシーズン制でしたので、冬シーズンはラグビー部で、夏シーズンは陸上部が活動するというように決まっています。私はテニスやラグビー、スイミング、陸上部に所属していました。スポーツをするのが大好きで、2年次以降は、特にラグビーに集中して活動していました。

―何故ラグビーをしようと思ったのですか?

南アフリカでは、ラグビーがメジャースポーツの一つであり、どの学生もプレーしているほど人気でした。皆がやっているので、とりあえず挑戦してみようと思いました。そうしたら非常に面白く、はまってしまいました。

ラグビーの面白い点は、短距離でいかにスピードを出せるかが勝負になります。黒人の選手とは身体能力の差は絶対的にありますが、練習を通じて、日本人のスタートダッシュにおけるスピードは負けていないと感じました。そのため、日本人である自分の長所を活かして勝負できたので、非常にやりがいがありました。

―面白そうですね! 他に楽しかったことはありますか?

ずっと寮で生活をしていましたが、その寮内の友だちと毎日ラグビーしたり、外に遊びにいったりしていました。あとは、学校のプールで飛び込みをしたり、寮の近くの大きな坂で段ボールをお尻に敷いて滑ったりと(笑)。どの国の中高校生ともあまり変わらないような遊びをしていたと思います。

「全員、手をあげろ」

―南アフリカは非常に治安が悪いと聞きますが、外で遊ぶときはどうでしたか?

そうですね。基本的には、非常に治安が悪い場所が多いです。ヨハネスブルグ市の中心街もとても危険で、多くの人たちが拳銃をポケットに入れている様子が見られます。また、日本人1人では絶対に歩いてはならない地域も多くあります。

でも、お金を持っていそうにない高校生が大勢で買い物していても、そこまで危険にさらされることはありません。ほとんどの犯罪者は金銭狙いなので、お金を持っていない人が突然襲われるようなことはないです。

―それでも、やはり危険はあるのですね。

実は、一度事件に巻き込まれたことがありました。滞在してから1年くらい経ったときに、中華料理レストランで家族と夕食を食べていたら、強盗の集団が銃を持ちながら押しかけてきたんですね。「全員、手をあげろ」って言われて、そこにいた客、店員、レストランの全ての金銭を持ち去られてしまいました。すごく恐ろしい体験でした。

自分の財布を取られるときに、頭に銃を向けられて、殺されるんじゃないかって一瞬思いましたが、最終的には全員無傷で、強盗は店を去る時に脅しで一回発砲しただけでした。日本では普段あり得ないことですし、精神的にもショックでした。しかし、この体験とともに、様々な話を聞いて学んだことが一つありました。金銭が唯一の目的である多くの強盗は、抵抗をしないかぎり、脅すだけで何もしてこないということです。

―恐ろしい体験ですね。。。

他にもカルチャーショックを受けたことが多々あります。仲がとても良かった友だちのうちの2人が、ある日、学校に来なくなったのです。クラスの周りでは亡くなってしまったという噂が流れていました。後で聞いた話によると、実は、2人はハンティングに出かけたらしいのですが、ひとりが間違えてもうひとりを誤射してしまい、事故で死なせてしまったそうです。誤射してしまった方は、学校にいられなくなり、転校してしまったそうです。

―怖いですね。。。 狩猟に行く高校生とは驚きです。

人種の意識とオープンな姿勢

―他に印象に残っていることはありますか?

学校では生徒は10つの「ハウス」というクラスのグループに分けられます。映画「ハリーポッター」の中で、4つの寮のどれかに選ばれるのと同じで、僕は「コリンズ」という寮生の10人のグループに所属することになりました。やはり、そのなかで知り合った人たちとはすごく仲良くなりました。

日本と違うなって思ったのは、人種の意識が非常に人々に根付いていることでした。「コリンズ」の仲間にも黒人や白人がいて、人種を意識したブラックジョークでからかったりすることが多くありました。私も白人や黒人とは違う黄色人種ということで、色々なことを言われたこともありました。

―やはり人種間の対立は多少あるのでしょうね。

そもそも、南アフリカでは、つい最近まで政府が自主的に人種隔離政策を行った歴史があります。そのなかで、白人や黒人の友人たちはそれを重く捉えず、冗談で流すだけで、上手く仲良く生活していました。私の学校の人たちは、お互いの人種が異なっていて、一緒ではないからこそ、積極的に仲よくなろうとする姿勢を大切にしていたと思います。日本の多くの人は、境遇や背景が一緒の人と固まって、グループを作ろうとしますよね。現地にいた人々はお互いの違いを理解し、とてもオープンな姿勢を持っていたと思いました。

―日本に帰国し、自分が変わったなと思えることはありますか?

悪い意味では「適当」ですが、物事に対して楽観的になったと思います。あと、引っ越す前は、とても真面目だったのですが、人に対してフランクに接して、もっとオープンになれたと思います。これは、様々な人種と積極的に仲よくなろうとしたからだと思います。

責任感を持つということ

―そのような経験は、今の大学生活に影響していますか?

環境に適応するのが上手くなったと思います。今の大学生活では、「帰国子女」らしいって全く言われないんですよ。むしろ、多くの友だちには、高校からの内部生だと思われていました(笑) それは、人や環境に同化する能力が身に付いたのと、そもそもアフリカの高校が男子校だったのもあり、内部生と波長が合っていたからだと思います。

アフリカ生活はとても自由で、責任感を持つことが比較的なかったというか、好きなことをすることができました。その反動として、今通っている大学では、責任のある仕事をやる良い機会だなと思い、現在2つのゼミ委員会に参加しています。

―ゼミ委員会ではどのような活動をしているのですか?

ゼミ委員会では、学内全てのゼミの統括を、10人のスタッフですべて行います。また、業界講演会の企画をし、就職活動をする学生のために、30社ほどの企業のスポンサーを得る必要があるのですが、そのためにテレアポを取ることも仕事としています。とても大変な仕事ですが、自分の就職活動にも役立ちますし、とても意義があるものだと感じています。

将来は国際的に活躍したい

―所属しているゼミでは、何を研究しているのですか?

白井義昌教授のもとで、国際経済学を学び、国家間の貿易問題について研究しています。父親が商社に勤めているのですが、その影響もあり、国際的な問題について触れてみたいと感じていました。また、ゼミでは英語の論文を読むので、それも自分の英語力をさらに培う上では良い経験になると思い、このゼミを選びました。

―将来はどのようなことをしたいですか?

将来は国際的に活動できる仕事に携わりたいと思っています。先ほども言いましたが、父親の仕事を聞いていると、社会の動きに常に関わりながら、様々な仕事を自分が率先して行なうことは、とてもやりがいのある仕事だと思っています。

―お互いに就職活動は頑張りたいですね! 今日はありがとうございました!

こちらこそ、ありがとうございました。

St.Stithians Boys' college :
http://www.stithian.com/

インタビューアからの一言

木村さんは非常に柔軟でしなやかな人だと感じました。インタビューで初めてお会いしましたが、スポーツや海外の文化について共感できることも数多くあり、フランクにお話をしていただきました。全く想像が出来ないアフリカの高校生活のお話も詳しく聞くことができ、非常に興味深かったです。どのような環境にも適応し、人と積極的に関わっていく木村さんの姿勢は、人種問題が数多く存在しているアフリカに住んでいたからこそ、培うことができたのでしょう。同じ就活生として、今後もお話を聞けたら嬉しいと思います。今回はありがとうございました!
吉江奏太。1989年生まれ。小学6年生から高校卒業まで米国カリフォルニア州サンノゼ、サンタバーバラに滞在。Dos Pueblos High Schoolに通う。高校ではバスケ部に所属し、州大会CIFに出場。高校卒業後、日本に帰国し、一橋大学経済学部に入学。現在3年に在籍。大学では開発金融を専攻し、バスケ・サークル代表を務める。国立バスケットボール・リーグ2010主催者。