海外生活体験者・学生インタビューvol.96

interviewee_s_169_profile.jpg 吉江奏太さん。1989年生まれ。小学6年生から高校卒業まで米国カリフォルニア州サンノゼ、サンタバーバラに滞在。Dos Pueblos High Schoolに通う。高校ではバスケ部に所属し、州大会CIFに出場。高校卒業後、日本に帰国し、一橋大学経済学部に入学。現在3年に在籍。大学では開発金融を専攻し、バスケ・サークル代表を務める。国立バスケットボール・リーグ2010主催者

授業成績のほとんどがF

―アメリカの現地中学校を通ってみて、印象に残っていることは何ですか?

まず、通い始めた頃は、とにかく英語が話せなくて非常に困っていました。授業中は、先生が何を言っているか全く理解できませんでしたし、宿題が出ているのかどうかも知りませんでした。でも、先生に何も注意されなかったので、このままで大丈夫だろうなと思っていて、最初の数ヵ月の授業中はぼーっとしていました(笑)

1学期後の成績が家に送られてきたときに、親が驚愕したんですね。授業成績のほとんどがFだったのです(笑) さすがに私の親も焦って、私をチューターや塾に通わせるようにしましたね。自分もこれは良くないなと思い、必死に勉強しました。それで、半年ほど過ぎてから、だいぶ話している内容も聞き取れるようになって、成績も伸びました。

学校生活は、すごく楽しかったです。当時は、人種の違いも全然意識しなかったので、カルチャー・ショックも全くありませんでした。小学校の頃からバスケットボールをしていたので、学校のチームにも入ってみると、友だちもたくさん作れましたし。スポーツをしていて、本当に良かったと思いました。

入部テストで3軍に落とされる

―高校の生活はどうでしたか?

中学を卒業してから、少し南に離れたサンタバーバラという町に引っ越しました。そのため、また初めから友だちを作らなければなりませんでした。そこで、また学校のバスケットボール・チームに入ったり、色々なボランティア活動に参加したりして、友だちを増やしました。自分の好きな活動をやっている団体に、積極的に参加しようと心がけていました。友だちが全くいないのは嫌だったからですね(笑)

―他に高校生活での思い出がありましたら教えてください。

中学校と同様、高校でも、バスケに没頭していましたね。何より面白かったのは、バスケットボールがアメリカの国民スポーツの一つだけあって、プレイヤーのレベルが非常に高かったことです。白人や黒人の選手が多くいるチームの中では、自分の体格や運動神経は完全に劣っていたと思います。そのなかで、必死に毎日練習して、チームのなかで生き残るのは、非常にやりがいがあったし、楽しかったです。

しかし、一度、毎年行われる入部テストで3軍に落ちてしまいました。今まで自分は必死にトレーニングをしていたし、自分のアイデンティティや強みはバスケしかないと思っていたので、とてもショックでしたね。そこから、次年度の入部テストまでに昇格しようと頑張りました。

CIFという全米大会のに出場する

―それからどうなったんですか?

常に「継続性」を意識しました。自主訓練をさらに厳しくして、一日たりとも、練習をさぼらないようにしました。次の入部テストまで、ボールを触らなかった日はなかったかも知れません。

それから、自分の強みをどう他の選手と差別化するかを常に考えていました。監督にとってみれば、例えば身体能力が高くてリバウンドが取れる選手はすでにチーム内にいるので、そのような選手を新たに獲得しても意味がないですよね。そこで、他の選手が持っていない自分の強みを高めていこうと思いました。

自分はどの選手よりも体格が劣っているけれど、大柄な選手と比べてより細かい動きや技術を持っていました。そこで、トレーニングジムに頻繁に通い、俊敏性やドリブル能力をさらに高めることに集中しました。最終的には、監督にも認められて、1軍に昇格することができました。

また、CIFという全米大会の一つに出場することができたのも、一生に「一度の思い出です。とても大きな体育館で、大勢の観客に見られながら試合をするのは、すごく緊張感がありました。他のチームの試合を観戦していたときに監督から聞いたのですが、NBAのスカウトや第一部リーグに所属する大学の監督も観戦しに来ていたそうです。

絶対に諦めないということ

―帰国後の大学生活はどうでしょうか?

大学では、ゼミとサークルの二つの活動を自分の生活の中心にしています。ゼミでは、アジア諸国の金融制度の取り組みについて勉強していて、発展途上国の経済をどうすれば発展させられるか議論しています。サークルでは、相変わらずバスケットボールを続けていて、代表を務めています。

このサークルに入った理由は、単にバスケットボールが好きだったからだけでなく、運営がしっかりしていたこともありました。練習方法や大会の段取りが上手く機能していると、チームの選手たちが練習や試合に円滑に参加することができます。団体の仕組みが整備されていることに非常に感心したので、3年次には代表を担当し、自分で運営を務めてみたいと思いました。

―最後に、吉江くんが大切にしていることは何でしょうか?

ありきたりの言葉になってしまいますが、高校時代から大切にしていることは、「絶対あきらめないこと」ですね。高校時代の入部テストや、大学受験のときもそうでしたが、どんなに難しいことでも、諦めずに継続的に頑張れば、不可能なことはないと思います。たまに挫折はありますが、これからも常に前向きな姿勢を保っていこうと思っています。

Dos Pueblos High School :
活動報告 「世界の学校から」vol.23 吉江奏太

http://www.rtnproject.com/2010/08/_vol23_1.html

インタビューアから一言



インタビューを通じて、吉江くんは純粋なバスケ男であり、また、ストイックな人間でもあると思いました。例えば、継続力が良い例です。挫折を味わい、成功した経験を通じて、諦めないことの重要性を知ったことにより、泥臭い行動も厭わない。つまり、バスケが彼の性格を形成したのではないかと思います。お互い就職活動で忙しくなると思いますが、たまに会って、また色々話したいと思います。今回はありがとうございました!
山下博之。1988年神奈川生まれ。小学校6年生の3学期からロサンゼルスへ渡り、高校卒業まで、滞在。中学校から高校1年までは日本人学校。西大和学園カリフォルニア校(6th,7th,8th,9th)、Los Angeles International School(10th)、その後、現地のWest High Schoolに転校し、卒業。帰国後、京都大学経済学部に進学し、現在3回生。国際経済学(本ゼミ)とイノベーション戦略(サブゼミ)に所属。サークルは、野球サークルと新書講読会に所属している。