海外生活体験者・学生インタビューvol.99

interviewee_s_221_profile.jpg 中湊綾さん。1990年生まれ。生後間もなくして両親の仕事の関係でイギリスへ。そこで5年間生活した後、日本に帰国。都内女子校付属小学校、中学校を経て、再び海外へ。14歳から16歳までをニューヨーク、ウェストチェスターで過ごした後、帰国して再度都内女子付属高校へ。現在は慶応義塾大学法学部の2年生。環境問題に強い関心を持ち、NGOに参加しながら、模擬国連もこなすなど、かなり活動的な学生生活を送っている。

お嬢様学校で勉強漬け

―まずロンドンの話から聞かせていただけますか?

はい。生まれて10ヶ月くらいで、親の仕事の関係でイギリスのウィンブルドンに行きました。あまり記憶はないけど、とにかく旅行にたくさん連れて行ってもらった覚えがあります。ヨーロッパはほとんど行きました。

―近いですものねぇ。電車で国境越えられたりしますし。学校とかで印象的なことはありましたか?

私がいたのは小学校というか、Kindergardenになるんですが、みんな仲良しでしたね。誕生日に教会でクラス全員が誕生日パーティをしてくれて。良い思い出です。イギリスはすごく大きい単位でパーティとかやりますよね。

―学校が教会だったんですか?

教会ではないのですが、教会とも関わりがありました。イギリスはすごくコミュニティのしっかりした社会で、ご近所さんにもよく預けられたり、遊んでもらったりと、そんな印象が強いです。あと庭が広いですよね(笑)

―確かに(笑) じゃあ、話変わって、日本に帰国されたときは、日本をどう感じましたか? 学校だとか社会全体だとか。あ、ちなみに学校は? 差し支えなければうかがっても良いですか?

はい。都内にある女子校の付属小学校なんですけど…。ご存知ですか?

―知ってるも何も、超名門お嬢様学校じゃないですか!(笑) ビックリしました(笑) なんだか、日本とはまた別に、特殊性がありそうな感じがしますが。

そうですね。最初は帰国してすぐに小学校受験をしたんですよ。周りの皆は一年くらい前から受験用の塾に通っていて。だから、私は大変でしたね。発想力というか、応用力というか、そういうものをテストする問題が多かったです。ペットボトルの中にあるビー玉を、ボトルを傾けずに取り出しなさいとか。で、私はあまり受からなくて……。面接重視だったから入れたのかもしれません。

学校生活は、勉強ばっかりだったと思います。自由でのびのびというよりも、規則とかがたくさんあって、レポートの宿題がたくさん出て、毎日てんやわんやでした。小学校のうちから、プレゼンとかパワーポイントとか、ディスカッションもたくさんやりましたね。

「あ、このままじゃヤバいな」

―中学校もそのまま付属の女子校だったということで、その後の、また親の転勤ということですが、ニューヨークのお話聞かせてもらってもいいですか? まず真っ先に勉強が大きな壁になると思うのですが、

そうですね。小さいころ海外にいたし、女子校にも英語はあったので、実際生活していく上ではそこまで問題はなかったけれど、とにかく学校の教科書のAcademicな文章を読むのがすごく大変でした。

最初はESLっていう、英語が第二外国語である子供たちがいるクラスみたいなのがあって、そこに半年いて、まずは学校とか生活に慣れようっていう感じでしたね。どうしても最初の頃は日本人と話したりしていて、後からもったいないことしたなと思いました。せっかく英語をすごく鍛えるチャンスだったのに。

―でも、その半年が終わると高校に上がって、そこではESLには入らなかったということですか?

はい。アメリカの高校ってすごく大学みたいですよね。自分で好きな科目とか選べるし。それで、私はESLを選びませんでした。なんというか……、このままじゃヤバいな」って思ったんです。

―言わんとすることはわかりますよ(笑)

このままESLに甘えていたら、なんのために海外にいるんだろうって思って。それで覚悟を決めました(笑) 以前は授業でわからないことがあっても、ESLでいくらでもフォローアップしてくれたし、日本人もたくさんいたんですけど、とにかく自分で勉強するしかない!って思いましたね。

―特に英語をトレーニングするためにとか、授業で追いつくために頑張ったことはありますか?

Socialっていう……、社会ですかね? その授業で、毎週NYTimesから小テストを作ってやらせるという課題があったんです。私の負けず嫌いもあってか、とにかくそれは頑張りました。あれで一番英語の力がついたと思います。

テスト範囲は、その一週間のNYTimes一面だったので、毎日毎日新聞の一面読んで、わからないところは辞書をひきまくって、自分でも覚えておけるようにsummaryを作ったりして……。あれで語彙も増えたし、ReadingやEssayの力も身についたと思います。

―それは学校の先生が見てくれるわけではなく、一人でやっていたんですよね?

はい。家の地下室で一人黙々と(笑)

―ほ、本当に偉いですね……、そこまでやる人は中々いないですよ。そりゃ、英語も身につきます(笑) Social以外にはどんな授業をとってらっしゃいましたか?

あと頑張っていたのは、HistoryのAdvanceクラスとか。数学はいつもアドバンスクラスで頑張っていました。日本人が頑張れるところなんて、そこくらいですから。最初入った頃は、まだESLから抜け出せてない感じが出てたんだと思います。Artや体育の先生なんかが、転校生の日本人として、私をとても気にかけてくれていましたね。日本人として見られるのもなんだかなぁと思っていたのですが、先生と仲良くなると、すごく心に余裕が出来ましたね。

一番の思い出は夢で英語でケンカしたこと

―なるほど。では勉強とは関係なく、友人だとか、課題活動だとか、そんなことで何か日本との違いを感じましたか?

アメリカの友だちは……、もう本当にベタな言い回しですけど、すごくフランクでしたね。会話も、文法だとかがぐちゃぐちゃでも、とにかく伝えようとすれば、相手も乗ってくれて、おかげでspeakingも上達したと思います。アメリカにははっきりとしたクラスというものがないので、体育でたまたま会った子とか、そんななんてこともない出会いでも、友だちになれたりして、みんなすごく積極的に話しかけたりしてくれるなぁと思いました。私の場合、日本に関心がある子が集まってくるっていうのもあったと思いますが。

課外活動は、バスケですかね? 特に部活には入っていませんでしたけど、バスケのSummerキャンプに行ったり、あとは、他にもキャンプに行ったり。友だちと遊んでいる時間の方が多かったです(笑) 向こうは結構車持ってる子が多いですから、友だちとランチに行ったり、日本人の皆でパーティしたり。West Chester Mallっていうのがあるんですけど、そこで一番遊びましたね。

―んー、自分のアメリカ生活にも重なって、すごく懐かしい気がしてきました(笑) 2年間の一番の思い出って何ですか?

一番ですか? んー、難しい! 日本では決して経験できないなと思ったのは、ブロードウェイですかね。あの観客との一体感はたまりません。でも、思い出に残っていると言えば、特にイベントごとではありませんが、ある日、夢の中でアメリカ人の友だちとケンカしていたんですが、英語でケンカしてたんですね。相手の子はもちろん、自分もすごい英語で何か叫んでいて……。英語が定着した証かなとか思っちゃいました(笑)

―珍しいですねぇー! 夢って基本的に母語でしか見れないって聞いたことありましたが。すごい定着力です(笑)

あと、これは日本に帰ってきてからなんですが、帰国して付属の女子校に編入したんです。そこで、模擬国連の全米大会に出て、英語で協議とかした後、最後に“ok, deel!”って言われて握手求められたときは、「あー、自分は今まで勉強してきてよかったな」と思いました。ツールとして英語が使えたことで、この2年間を実感しました。生徒会のスピーチとかも英語でやったりしましたしね。

―向こうにいると、英語使えることって普通かもしれないけど、戻ってくるとすごく自分の能力の一つだって実感しますよね。

何もない日があると不安になる

―大学受験の話を少し聞いてもいいですか?

大学へはAO入試で入りました。一応、一般入試も考えていたので、世界史や国語の勉強もしていましたけど。法学部FIT入試っていうのは、一次で2000字くらいの志望動機とか、書類を提出して、二次がディスカッション、プレゼン、面接、あとは講義理解力テストっていうのもありましたね。

―なるほど、また随分一般受験とは内容が異なりますね。で、慶応大学法学部に合格し、今に至ると。ちなみに、大学では勉強以外に何かされてますか?

忙しいのが好きというか、何もない日があると不安になるので、なんでもしてます(笑)環境系NGOに入って、高校生に環境について教える講義というか、プレゼンみたいなのを開いたり、里山保護の活動をしたり。模擬国連にも再挑戦しています。

現状に甘えたくない

―最後に、ちょっとまとめ的な感じで、全体的な質問をしてもいいですか? 海外で生活していて、良かったことと、悪かったことって、何かありますか?

よかったことは、視野が広がったことですかね。単純に色々な国の人と知り合うことで色々な偏見も取れたし、逆に相手が自分のことどういうふうに感じているのかを知って、いろいろな文化や考え方を知りました。パキスタン人の親友が出来たり、中国人に「日本人とは遊ぶなって言われてる」って言われたり。それで、相手によってどう話し方を変えるべきかってことを、かなり考えるようになりました。

悪かったことは、良い環境を与えられすぎたかな、ということです。やっぱり私みたいに、親の転勤で海外に行かせてもらっている子と、何十万もアルバイトでお金を貯めて留学に行く子とでは、モチベーションとかアグレッシブさが全然違いますよね。そこまで苦労しなくても、良い経験をさせてもらえる環境にいたせいで、「気を抜いたら、他の子に負けちゃうな」って思うときがあります。今の現状に甘えたくないですね。

―環境が良過ぎるのが悪かっただなんて、どこまでも自分に厳しいといいますか、しっかりしてらっしゃいますね。ちなみに、今のは私が某広告会社のインターン面接で聞かれた質問です(笑)

えっ!? ちょっとそんなふうに試さないで下さいよー! 私、そんなの上手に答えられません(笑)

―(笑) では最後にもう一つだけ、このインタビューは、今現在海外に住んでいる後輩たちも読む機会があると思うのですが、彼らに「これだけはやっておけ」ということがあれば、教えてください。

これだけは……。そうですね、今をエンジョイして欲しいです。私はニューヨークにいた頃の2年間、日本語のフォローアップはほとんどしていませんでした。でも、古文とか以外は、そこまで問題を感じませんでしたね。日本語の心配なんかしないで、せっかくの海外のチャンスをエンジョイして欲しいです。

私も最初甘えていた部分があって、やり残したこととかたくさんあったので。スペイン語も取りたかったし、他の課外活動とかにもいっぱい手を出したかったですね。海外に長い間いるからって日本人とずっと一緒にいたり、毎日ぼーっと過ごしていたりするのは、もったいないと思います。貴重な体験がいくらでも出来ると思いますね!

―すごく綾さんらしい積極的で向上心あるアドバイスですね! 本日はインタビュー本当にありがとうございました。

インタビューアから一言

ご自分でもインタビュー中何度もおっしゃられていましたが、「負けず嫌いなんだな」という印象がすごく伝わってきました(笑) でも、そのアグレッシブさとか、ストイックさがあってこそ、短い2年間の間に多くのことを吸収し、英語も格段に上達できたんだと思います。日本人がたくさんいる地域に暮らすことは、確かにとても安心できるし、海外に行ったばかりのときには、羨ましい環境かもしれませんが、そこから脱却してアメリカ社会に飛び込んでいけた人は少ないと、今思い返してもそう感じます。共通の話題の多い楽しいインタビューでした。
上田千佳。1989年生まれ。京都出身。生まれてすぐ台湾に渡った後、4歳から13歳までをロンドン、中学3年 から高校1年までをニューヨーク、高校卒業までをロサンゼルスで過ごし、LAのWest High Schoolを卒業後、帰国し、東京大学文科Ⅰ類に入学。現在法学部2類(公法コース)4年に在籍。大学ではスポーツ愛好会バレーボールパートに所属し、 セッターとして日々練習に励みつつ、学外の社会人サークルでイラスト活動にも勤しむ。3年からは刑事政策を扱う川出ゼミでも奮闘中。