海外生活体験者・学生インタビューvol.105

interviewee_s_231_profile.jpg 松崎衆さん。1989年生まれ。アメリカ・オハイオ州生まれ。生後11カ月で帰国し、5歳から15歳にかけて、再びアメリカ・オハイオ州で過ごす。Worthington Granby Elementry School、Worthington Perry Middle School(現Worthington Phoenix Middle School)を卒業し、中学2年次に帰国後、早稲田大学本庄高等学院に入学。その後、早稲田大学基幹理工学部表現工学科に入学。現在3年に在学。主に映像制作について独学中。プロダクションで即実務を経験できるよう、一日中画面と向き合う毎日である。大学2年次には、自転車ロードレースで入賞。地元の花火大会のポスター制作などもする。

アメリカを「故郷」だと感じていた

―5歳から中2までのアメリカ生活は、どのようなものでしたか?

自己形成の時期をアメリカで現地の学校で過ごしたので、無意識のうちに「アメリカ人」だと思い込んでいる部分が多かったように思います。日本人の血が流れてますが、「アメリカ人」のような感じで、意識的には日本人という意識はあったものの、アメリカを「故郷」だと感じていました。現地に染まるというよりは、元から「アメリカが故郷」と感じていたように思います。

―中2に帰国された後で、苦労されたことはありますか?

アメリカ滞在中も、2年に1度程度は一時帰国していたため、本帰国したときは、表面的な環境にはスムーズに対応することができました。ただ、学校生活のいくつかの点では、やり方が違うなと感じることもありました。

例えば、勉強面だと、日本の学校でのテストの多さには苦戦しました。テスト勉強のやり方がまずわからず、算数や数学は好きだったため問題なかったものの、国語や社会では苦戦しました。現地校では、ほぼ課題で成績が決まっており、学期末に大きいプレゼンテーションがあり、テストは学年の終わりにある程度でした。それが、日本では、成績が全てテストで成り立っていたためです。

また、部活のバスケットボールも、帰国後の環境では戸惑いもありました。アメリカではトライアウトがあって、シーズン制なのに、日本は全員参加で、やり方が全く異なっていたためです。その点はやはり、慣れるまでは苦戦しました。

ただ、高校は、積極的に帰国生を受け入れている学校に入学したため、特に苦労することはありませんでした。クラスも40人中8人が帰国生という環境でした。

将来は映像を作りたい

―大学ではどのような勉強をされているのですか? また、何故その道を選ばれたのですか?

幼い頃から、「何かを作り出す」ことが好きでした。ひたすら車が好きでしたね。将来は車を作りたいとすら思っていました。車を好きになったのは、機能面だけではなく、雰囲気などもあると思います。その雰囲気を担うデザインも、必然的に好きではありました。そして、高3のときに「デザイン」したいと突然思い、静止画を描き出しました。その後は、静止画ができるならば動画を作ろう、動画ができるならば3Dを作ろうというように、発想がどんどん飛躍していきました。

大学では、表現工学科に所属しています。この学科は、芸術的な部分と理工学的な部分を融合して、次世代の産業のスタイルを作り出そうという学科です。ただ、学生も教員も、どちらも持ち合わせている人は、そう多くはいないと思います。その中で、人間に着目した研究室を選びました。映像を作ることや、芸術的な、エンターテイメントな部分を作ることが好きだったからです。

既にある形式のものを作るだけならば、専門学校生に敵わないと思います。そこで、次世代の機材などを学ぶことで、その機材を使った新たなコンテンツを作ることができればと思います。新しいことにチャレンジして、まだ開拓されていないことにも挑戦していきたいです。

―将来は、どのような道に進もうとお考えですか?

まだあまり決めてはいませんが、映像を作りたいとは思っています。CMか映画かゲームか、そういうものですね。見ていて「すごい」と思えるものを作りたい。そのために海外のスタジオで映像を作ってみたいと思います。

大学院へは、海外で進学しようかと検討中です。それは、一つには将来海外で働きたいと思っているためです。そして、コンテンツ主体で、自分の望む方向性の勉強ができる大学院が多いと考えるためです。機材のことも考えれば、コンテンツを考えて勉強をしていきたいです。

―将来に向けて、今はどのようなことをされていますか?

今日も、ちょうどバンドのPVを撮ってくるところで、初PVを制作中です。独学でコンテンツ制作の勉強をして、ドキュメンタリー作ったり、映像合成の勉強をしたりしています。どういうものを作れるか模索しているのです。

自分を信じるしかない世界

―ご自身の海外経験は、どのように現在に影響を及ぼしていますか?

無意識のうちに、海外体験の影響はあると思います。なぜなら、自分が見て育ったものが憧れだからです。日本の広告などは複雑で繊細なものが多いのに対して、自分はやはり、わかりやすくて派手なものが好きな傾向にあると思います。

日本の国民性のなかに、「間」とか「空気」というものがあります。しかし、自分が好きなのは、シンプルなのに動きが激しいものや、わかりやすくて、なおかつ派手なもの。余白の重要性がなくて、ごちゃごちゃしているのが好きなのです。落書き(グラフィティー)のスタイルは好きですね。下町の壁に書いてあるようなものでしょうか。

デザインというものには、国民性が現れています。自己形成の時期がアメリカだったため、無意識のうちにそれが現れている部分が多いと思います。センスの良さなど、それなりに研究室の友だちなどと食い違うこともあります。しかし、それが同時に面白い部分でもあると思います。

―今後、どのようなものを作成していきたいですか?

「こう信じる」ということをしっかり持っていきたいです。万人受けするものを作るのではなく、「これが良い」と思えるものを作る、自分を信じるしかない世界だと思います。その中で、自分が良いと思えるものを作れように、出来るだけそれに近づけるように努力をしていきます。

そのために、柔軟に考える力を忘れるべきではないと思います。何かをやれと言われたときに、それを目標だと思わずに、手段と持つ。そのことで、最終的に自分の達成したい目標に到達できるのだと信じています。

Worthington Granby Elementry School :
http://www.worthington.k12.oh.us/school.php?school=30
Worthington Phoenix Middle School :
https://www.phoenixms.org/
早稲田大学本庄高等学院 :
http://www.waseda.jp/honjo/honjo/

インタビューアから一言

松崎さんは、自分の「良い」と思うものを作ろうと、進み続けている人だと思いました。目標に向かって努力している松崎さんは、とてもエネルギッシュで、インタビューをしている私も、そのエネルギーを分けていただくことができたように思います。今後のご活躍が楽しみです。
重城聡美。1987年生まれ。京都府出身。13歳から17歳までの5年間をアメリカ・テネシー州ノックスビル市で過ごし、Farragut High School卒業後に帰国。東京大学理科Ⅰ類に入学後、工学部精密工学科に進学。東京大学柏葉会合唱団などで歌三昧の学生生活を送る一方、家電量販店での販売員経験を経て掃除機マニアに。また、ベンチャー企業でインターン生としてウェブ関連の業務に従事する。2010年5月現在、東京大学大学院工学系研究科精密機械工学専攻の修士課程1年在学中で、ナノメートル計測の研究に携わる。