海外生活体験者・社会人インタビューvol.91〜後編〜

interviewee_s_226_profile.jpg 若林寛樹さん。島根県で生まれ、幼少時代は3歳まで神奈川、以後中学生まで広島で過ごす。中学生のときに、父の仕事の都合で、カナダのトロントに移る。高校卒業後、上智大学経済学部経済学科に入学。秋葉原のパソコンショップやパソコン雑誌の編集部で働いた後、学校を一度やめ、いくつかのベンチャーの立ち上げ、運営に関わる。その後、大手IT商社でシステム・インテグレータとして働いたのち、07年からCisco Systemsのネットワーク・コンサルティング・エンジニアとして働いている。

~大学をやめてから~

―ベンチャーの立ち上げというのは、どのような感じだったのですか?

僕の大学で、帰国子女英語みたいなクラスがあったんですよ。そのクラスの先生から、突然、「自分の教え子が会社を立ち上げていて、コンピュータに詳しい人を探しているから、手伝いに行ってくれないか」と頼まれたので、行ってみたんですね。そこで、「こういうことやっているんだぁ」とか思いながら、そのお手伝いを1年くらいやっていたんですね。そうしたら、そこの会社にいた人の一人が、「俺も会社立ち上げるから、こっち来いよ」って誘ってもらって、そっちに移りました。だけど、そこでもいろいろ問題が生じてやめました。

そのときはまだ学生だったんですけど、「次どうしよう。。。」って考えてたら、2000年に大学の先輩が、「うちの会社に来るかい?」って言ってくれたので、そこに行って、ITバブルが弾けるまでをいろいろ見て来ました(笑)

―今の企業を選んだ理由は何ですか?

インターネットって、いろんなサービスがあるじゃないですか。たくさんのサービスが消えては生まれ、消えては生まれってやってますけど、「そもそもなんでインターネットってつながっているんだろう」っていうところに興味を持ったんですね。そういうサービスを生み出す「仕組み」に興味があったというか、「なんで安定して動くんだろう?」とか、「安定に動かすためには何が必要なんだろう?」とか。

シスコっていうのは、そういったインターネットの基幹の部分を作っていて、しかも大きなシェアを持っている。それを知って、さらにシスコのことが書いてある本を読んで、感心したので、シスコを選んだっていう感じですかね。

革新的な技術って、なかなか産まれにくいと思うんですけど、そういうのって、自分で産み出す方法と、M&Aとかによって組み合わせて作る方法があると思うんですね。シスコは、「自社のカルチャーに合っているか?」っていうところを考えた上で、企業を買収して、自分たちの組織に組み込んで、そして、一つの製品を完成させて、他の製品とも相乗的に共鳴するような製品を作っているっていうのが、面白いなぁって思って。そういうところに惹かれたんですかね(笑)

~エンジニアのスキル~

―エンジニアのスキルを持っておくと、絶対に強いっていう話を以前聞いたことがあるのですが、それについてはどう思われますか?

エンジニアって言っても、実はいろいろ種類があるんですけど、何のエンジニアになるかで、大分変わってくると思います。

僕は、今はコンサルティング・エンジニアと呼ばれるものなんですけど、前の部署にいたときはシステム・エンジニア(SE)だったんですね。SEって、何をやるかっていうと、他のいろんなエンジニアと協調しながら、一つの仕組みを作っていくものだと思うんですね。そういう意味では、幅広くエンジニアのことを各パートで見られます。それを知っておけば、例えば、プログラマーとかウェブデザイナーとかが、どういう仕事をするかっていうのもわかります。ですから、プロジェクトの中では比較的に上流の部分を見られると思います。

ただ、私のキャリアでのSEは、プログラムを書くわけでもなく、コーディネーションをする部分が多かったので、泥臭いといえば泥臭いかもしれないですね。

―SEを目指すとすると、何を勉強したらいいですか?

入った会社で、何をするかにもよってくると思うんですよね。だから、学生のうちに何かやることがあるかというと、僕はないと思いますね。そういうことよりも、入社したあとにどれだけ伸びるかだと思います。スタートラインに乗るときの能力の差というのは、いくらでも巻き返しがきくと思います。

反対に、今学生じゃないと出来ないことを、どんどんとやっておいた方がいいかもしれないなと思います。遊んでおくことも一つですし、インターンとかをして人脈を作るというのも一つの手です。社会人になると、長い休みをとることも出来なくなるので、長期で行ったことない場所に旅行してみるのも良いと思います。

とにかく、時間が学生のときみたいに使えなくなるので、そういうことは極力やっておいた方がいいと思いますね。

―仕事をする上で最も重要なことって何ですか?

コミュニケーション能力ですね。いかに人の話を聞いて、相手がどうしたいのかっていうのをちゃんと聞いて、その上で自分は何ができるかっていうところを考えて、いろいろと提案と相談ができることだと思います。どんな問題に対しても、いろんな提案があるし、いろんな提案のやり方があるじゃないですか。その中で、自分の提案をいかにうまく相手に伝えながら、相手の気を害さないかっていうところが重要なのかなぁと思います。

―これからのIT業界はどうなっていくと思われますか?

最近よく思うのは、エンジニアって、手を動かす仕事が多いんですけど、そういう仕事は中国とインドに全部持って行かれると思います。彼らは優秀な上に、なおかつ人件費が安いから。そうなったときに、「じゃあ、日本人ってどうすればいいんですかね?」っていう話になると思うんだけど、そういったインドや中国の人たちをコーディネイトするような立場なのかなぁと思います。頭を使う作業の側に、行ければいいですけどね。行けるかどうかっていうのは、正直まだよくわからない。日本は、どんどんいろんな国に追いつかれているので、追いつかれないようにする必要がありますよね。

~後輩へのアドヴァイス~

―それでは最後に、学生へのメッセージをお願いします。

帰国子女の人たちには、どんどん自分を売り込んで、どんどん海外に出て行ってほしいですね。やっぱり英語が喋れるということは、とても強い武器だと思うんですよ。僕は、4年しか海外にいなかったので、もっと海外にいた人とかに比べると明確な差はあるんですけど、それでも喋れるか喋れないかで決定的な差が出てくるんですよね。そういうのを考えると、どんどん海外に出て、自分の持ち味を活かせるような仕事をした方が楽しいかなとは思いますね。

あと、大事なのは失敗を恐れないことですね。「失敗したなぁ」と思って、そのことにフォーカスしてしまうと、気持ちも後ろ向きになりますし。やりたいことを失敗を恐れずに、全力でやり通せば、大体はうまい方向に動くのかなあと思いますね。

それと、幸せは強く望んだ人のところに来るんですよ。僕の嫁さんが最近よく言っている言葉なんですけど(笑) まぁ、でも、確かにそうなんですよね。結果的には、上がったり下がったりの繰り返しだとは思うんですけど、下がったときに下がったとは思わずに、上がるための準備だと思って、耐えられるかどうかっていうところが重要だと思います。不可能なことって、なかなかないんですよね。自分がそれを不可能だと認めない限りは、大概のことは出来るんじゃないかなって思います。

―本日は、本当に忙しい中ありがとうございました!

インタビューアから一言

僕から見たら、若林さんの人生はまさに波瀾万丈。それだけに、仰っていることには、すごく説得力と深みがありました。常にいろんなことに興味を持ち続けることの大切さ、そして、常に自分のやりたいことを定めて、そこに全力投球することの大切さを、若林さんのお話を聞いて実感しました。インタビュー中も、もちろんいろんなことを教えてくださいましたが、ボイスレコーダーを止めた後も、1時間ほどいろんなお話を聞かせてくださって、すごく楽しかったです。お忙しい中、本当にありがとうございました。

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越島健介。1989年ロサンゼルス生まれ。2歳から9歳まで神奈川県で過ごした後、再び渡米。Scarsdale High Schoolを卒業したのち、帰国。早稲田大学先進理工学部に進学し、現在3年生。大学での最初の2年間は、学校の課題やレポートに追われながらも、音楽活動に明け暮れ、COLLO SOUND ROOTSというバンドでキーボードを担当するが、3年生になりバンドは解散。音楽は趣味として続けている。