海外生活体験者・社会人インタビューvol.92

interviewee_s_228_profile.jpg 澤田純平さん。1988年生まれ。埼玉県出身。小学校5、6年生をアルゼンチンで過ごし、ブエノスアイレス日本人学校に通う。06年、東京理科大学理工学部に入学し、応用生物を専攻する。大学3年次に起業し、現在株式会社SYN代表取締役社長。

新しい人と出会って別れて

―小学校の5、6年生のときにアルゼンチンで過ごされたとのことですが、そのときのことをお話ねがえますか?

日本人学校に通いました。ここでは、「新しい人と出会って別れて」というのが多かったですね。人格形成に影響を与えた部分はあり、良い意味でわがままになれたと思います。

アルゼンチンでは、友だちが少ないことは寂しかったですね。日本人学校に通っていましたが、小1から中3まで合わせて55人くらいで、1学年では8人程度でした。また、スペイン語も片言ですし、当時のアルゼンチンは情勢が悪くて1人では外に出られなかったので、関わる世界を広げにくい状況でした。

ただ、交流会で現地の子とスポーツをしていたのは楽しかったです。男の子にはサッカーが人気でした。あと、習い事で合気道をしていました。アルゼンチンでも道場があって、そこには日本通のアルゼンチンの人がたくさん通っていました。そこでの交流の中で、「日本人が全員日本刀を飾っている」と思われていたことなど、様々な誤った日本観に触れたのも印象的でした。

陸の孤島 ~社会と関わらない空間~

―中学から高校にかけてはどのような感じでしたか?

中高の頃から、人の下で何かをすることがあまり好きではない性格でした。それが現れたのが、高校で新しく軽音楽部を作ったときだと思います。最初はバンドを部活ではなく組んでいたのですが、場所がなかなか確保できなくて。そこで、校長室にいきなり飛びこんで、申請書の書き方なども聞いて、申請を認めてもらい、同好会として成立させました。中高一貫の男子校なのですが、中3の生徒がたくさん入ってきて、後に部活になりました。

―大学進学後、どのような経緯で起業されたのでしょうか?

日本の中学から大学まで行きましたが、クローズドな空間ですよね。陸の孤島のような社会と関わらない空間。これがつまらないと思っていました。

クラブのイベントなどを大学2年生のときにしていました。これは学生でやっている人が結構多いです。何故なら資本が必要ないからです。これはあくまで箱モノで、自分で決断を下せる範囲が少なく、頭と行動力だけでなんとかなるものではあります。しかし、「お金を儲けるためにどうするか」を、1年間でなんとなく学べたことは大きかったです。

そのときは学生という「ブランド」を持っていたことが強く、やりやすかったです。学生層にアピールしたい企業というのは多いので、「学生」というブランドがあればどうにかなりました。ただ、学生ブランドだけでやり放題していても、いずれ学生ではなくなるわけですから、その後に稼げるかが問題だと思います。

その中で、どうにかビジネスをやってみようと考え出しました。それまでと同じように資本の必要ないものでと考えるうちに、IT系ベンチャーにいきつきました。

IT系ベンチャーを立ち上げる

―どのような会社で、どのような事業をされていますか?

株式会社SYNという会社で、今は3期目です。IT系で、ウェブページを作ったり、直したり、そのために素材をとってきたり、SEMしたり、ゲーム作ったりと、幅広くやっていいます。BtoCのエンドユーザー向けの電子取引などの、コンサルティングのようなこともしています。ウェブのことをよく知ってもらおうという活動などもしています。

2年生の終わりころ、当時バンドを一緒に組んでいた人と一緒に、軽いノリで「起業しない?」と言い出して、3年生の頭に始めました。「資本が少なくて済む」という理由でIT系にしました。メイド喫茶が流行っていたため、それをどんどん量産できるサービスを作れば良いとか考えていました。

しかし、人の作っているオープンソースのものを使っている限り、「営業部隊」に終始してしまうと思いました。これではいけない。動画配信をやろうかなとも思いましたが、これも問題がありました。プログラムを組むのも大変だし、資本もかかるし……。もちろん、ベンチャーキャピタルに打診しても良かったのですが、なんか気に食わない(笑) 何故かと言うと、「(投資する人ではなく)働く人が一番偉い」という感覚が自分の中にあったからです。

次に、携帯のゲームを作ることにしました。昔からの知り合いでデザイナーやっている人を知っていたので、資本100万円でゲームを作りました。しかし、資本が足りなくなってくると、日常的に収益の入るものを作ろうということになりました。エンドユーザー向けのビジネスはどうしても不安定ですし。そこで、HPを作ったり、直したり、そのための素材をとったり、プログラム組んだり、SEM対策をしたり……というような事業で収益源を確保しました。

さらに収益を上げるために、いつも他の会社さんと協力して、色々なことをできないかと模索しています。ウェブ系といっても、サーバーからプログラムから全部できるかというと、それは難しい。結局はコンサルティングが強くなります。収益を上げるために、他の大学のゼミへマーケティングの勉強をしに行ったり、それを基にして色々なことをやっていこうとしたりしている段階です。

―「起業する」ってどんな感じなのでしょうか?

起業しようとするのは、飛び抜けて「くそやろう」か、とてつもなくやる気のある人か、どちらかなのではないかと思います。個人的には、人の上に立ってでも、他の人の下についてでも、どちらでもできるという人材が欲しいなと思っています。現状では、多くの学生は、60%までできたら単位もらえるという「学生感覚」が抜けないのです。100%を当たり前に出して、お金をもらって、120%を出したら評価。そこの意識の切り替えがなかなかできない人も多いように思います。

一番大きかったのは好奇心

―起業する上で大学を退学されたのは何故ですか?

大学では、応用生物を専攻していたのですが、途中でやめました。理由は、「退屈したから」というのが一番近いと思います。つまり、自分の「知りたいな」というスピードが授業のスピードとあっていなかったのです。

起業して、他の社長さんと喋ったりしていると、どんどん世界が広がります。自分の求めているのは、そのようなスピード感でした。大学の授業ですと、同じ本をじっくり半年かけて学ぶようなスタイルですが、それだと遅く感じていました。

もちろん、大学には自分の知らない世界があり、それはそれで楽しいとは感じていましたし、今でも友人とは仲良くしています。究極的には、自分の楽しいと思えることをしてきた結果なのだと思います。

―なぜ、一般企業に就職されずに起業する道を選ばれたのですか?

「お金を稼ぐ」ということではないかと言われることもありますが、実際には一番大きかったのは好奇心だと思います。「何でもやってみたい」と思う性格ですので。大きな影響を社会に与えることができれば、お金はある程度ついてくるものだと思います。

―将来の目標やビジョンはどのようなものですか?

あまり遠い未来の目標はとりあえず考えていません。宇宙行きたいとか、そういう欲望はありますが、それが目標かと言われると「ん?」という感じがしています。「欲望」ならありますが、「目標」と言われるとあまりないのかもしれません。好奇心というのが全てだと思います。それを満たしながら、ジェネラリストになっていきたいと思います。

ブエノスアイレス日本人学校 :
http://www.jpschool-arg.com.ar/
株式会社SYN :
http://syn-vision.com/

インタビューアより一言

こうあるべきというような既存の枠に捕らわれずに、好奇心を満たす方向に新たな物をどんどん生み出そうとされている澤田さん。学生時代に企業する方って、どんな方なのか、すごく興味がありました。お会いして分かったことは、自分の好奇心を率直に貫いている方だということです。好奇心を満たすこと、楽しむことが、澤田さんの放つポジティブなオーラの根源だと感じました。
重城聡美。1987年生まれ。京都府出身。13歳から17歳までの5年間をアメリカ・テネシー州ノックスビル市で過ごし、Farragut High School卒業後に帰国。東京大学理科Ⅰ類に入学後、工学部精密工学科に進学。東京大学柏葉会合唱団などで歌三昧の学生生活を送る一方、家電量販店での販売員経験を経て掃除機マニアに。また、ベンチャー企業でインターン生としてウェブ関連の業務に従事する。2010年5月現在、東京大学大学院工学系研究科精密機械工学専攻の修士課程1年在学中で、ナノメートル計測の研究に携わる。