海外生活体験者・社会人インタビューvol.94

interviewee_s_232_profile.jpg 山根佳子さん。1952年生まれ。大阪出身。日本での大学は、立命館大学を卒業。数年間社会科の教師をし、その後、アメリカに渡る。3年くらい滞在し、コロラド大学に通う。卒業後、日本に帰国し、現在英語教師として活動中。

異文化に興味を持つ
 
―英語に興味をもったきっかけは何ですか?
 
英語に興味を持つきっかけになったのは、違う文化に興味を持ったからです。しかし、英語はツ―ルの1つだと考えていました。ですから、英語は少し学べば大丈夫だと思っていたので、大学でも社会学を専攻し、その時点では英語のそのものを学ぶつもりはありませんでした。
 
―留学先は、どこに行こうと考えたのですか? また、いつ、留学を考えるようになったのですか?
 
日本の大学を卒業後、中学・高校の教員免許を持っていたので、数年間は教師をしていました。しかし、先ほども言ったとおり、違う文化に触れみたいと思い、アメリカのコロラド州に行こうと思いました。渡米した理由は、ネイティブ・アメリカンに興味があったからです。
 
当初はコロラド大学の大学院を希望していたのですが、セカンドバチェラ―でコロラド大学ボルダ―校へ3年間通うことになります。ただ、大学に在籍にしながら、大学院の講座のenvironment studyを受講していました。今でいう「町全体、環境全体でのurban planning」を学びました。
 
アメリカで猛勉強
 
―留学生活で辛かったことはなんですか?
 
英語に関して言うと、一般のレクチャ―は平気でしたが、“GreekのArcheology(=ちんぷんかんぷんの代名詞)”を履修してしまったのが一番大変でした。週に2冊本を読む課題がありました。当時はパソコンもなく、タイプライタ―の時代です。さらに、ビザの関係でGPAを維持しなくてはいけないので、朝方まで図書館などでひたすら勉強しましたね。「やるしかない!!!」と思い、死に物狂いで頑張りました。多分日本での勉強より数倍たくさんやりました。
 
―当時の大学はどんな感じだったのですか?
 
この頃は人種差別的な発言も当たり前の時代。ベトナム戦争後だったこともあり、“Flower children”と呼ばれる学生が沢山いました。大学内でも反戦運動が盛んに行われていました。国際便の発着空港も羽田から成田に変わった時代ですね。
 
―現地ではどうやって英語力を伸ばしましたか?
 
大学に入る前に、他の学生たちEnglish intensive course(1 semester)を履修し、ミシガンテスト(今で言うTOEFLテスト)を受験しました。このテストは、ミシガン大学の教授が人種の違う兵隊に英語を教えるために発明したそうです。このテストで550を取れたので、学士入学することが出来ました。入学後には、やはり留学生ということもあって、現地以外の人たちと関わることが多かったです。例えば、アラブ人やドイツ人等ヨーロッパ系の人、韓国など他のアジア人等ですね。
 
アメリカに対して思うこと
 
―異文化を持つ人々と関わる中で得たことや分かったことは何ですか。
 
米国を訪れてみて、普通のアメリカ市民の外国に対しての感覚は誤解を恐れずに言えばあまり他国に関して関心がなかったようです。私が、30年前に米国に行ったときは、アメリカ人は日本がどこにあるかさえも知りませんでした。例えば、ごみ処理問題に関してのアメリカ人の回答は、「米国は広いから問題ない」という人もいるくらいでしたからね。米国に来る留学生の方が、アメリカの学生より問題意識が高かったように思います。
 
現在のアメリカの状況を考えると、昔の傲慢さのつけが今来ているのではないかと感じます。「自己軌道修正」が出来なくなっているし、もう“America is number one.”ではないです。他人のことを考える国ではなく、他人を自分の国のル―ルに合わせるのが米国だと思います。その一方で、ヨ―ロッパ出身の学生たちとは主張しながら、共存も出来ると思いました。当時、関わっていたヨ―ロッパの学生からの印象です。
 
今の職業に就いて良かった
 
―卒業後はどうされたのですか?
 
アメリカでは、Citizenshipがないと大変だと考えたので日本に帰国しました。帰国してからは、研究所で研究したり、テレビ局でテレビのplanningをやったりしました。これらの企業で働いたのは、自分の興味を広げたり、夢を具現化したりするためのステップになると思ったからです。
 
当時、日本で子供を預けて働くのは厳しかったと思います。仕事と家事・子育てを両立させるのに落ち着きがいいのは、「教えること」だと考えました。そして、International schoolで教師をすることにしました。中東で湾岸戦争があった時期で、アメリカがイラクを攻撃したわけですね。アメリカ人やイラク人の生徒たちもInternational schoolに通っていたので、やはり見えない人種差別のようなものがあったように感じました。
 
―英語教師として働いている中で得られることはありますか?
 
日本は高齢社会なので、生涯教育の一環として、シニアの教育に力を入れていると思います。現在、学生も含めて、お年寄りも教えていますが、今までで一番楽しい経験です。なぜなら、シニアの方たちからから学べることがたくさんあるからです。
 
初めは、消去法で選んだ英語教師の道でしたが、結局は人と関わる仕事が好きなのだと思います。関西風に言うと「しゃべってなんぼ」「笑わせてなんぼ」ですね。テレビの仕事も楽しかったので続けたかったのですが、自分の状況を受け入れて、常にflexibleである必要があると思います。
 
夢中になっていること
 
―今の仕事の楽しさを教えてください。
 
毎日、仕事でお年寄りと関わることが増えました。そこでは、お年寄りから刺激を受けています。例えば、調べてもなかなかわからないような情報や経験を教えてもらえます。今は、そんなお年寄りから得られる情報を元に、「MEMORO」と言って、戦後の内容などをビデオに撮影をし、字幕などをつけて世界に発信する取り組みをしています。これは、実体験談から文化を知ることができる伝書。新たに取り組みたいと考えていることは、「語源」について楽しく学べるテキストを作ることです。
 
挑戦してチャンスを広げる
 
―私はこれから就職活動なのですが、何かアドバイスをいただけますか?
 
私が考えるのは2つあって、1つ目はもちろん、自分を高めるためにスキルアップを一所懸命行うことです。本人の希望に沿う企業や、目標に100%ヒットする企業の件数は低いと思います。内定をもらったところが第一希望ではないとしても、とりあえず入ってみて、最低2年くらいは頑張るべきです。人間は適応能力がありますし、また、育むべきです。それが、自信に繋がると感じます。
 
それから、同じことですが「これではないとやらない」というのは、あまりよくないです。そうではなくて、様々なことに挑戦して、自分のチャンスを広げるのがいい。お金を稼げる仕事してから自分の夢を考えた方がいいと思います。人生、我慢も必要です。自分の納得できないことがある中でも、ボスの指示、会社の方針にとりあえず沿って、頑張ってみる中で鍛えられる柔軟さもあります。同時に、技術も含め自分の商品価値を上げる必要性があります。どのくらいestimateするかも、自分の能力に関わってきます。
 
―今日は、本当にありがとうございました!
 
こちらこそ、ありがとうございました。
 
University of Colorado at Boulder :
http://www.colorado.edu/
 
インタビューアから一言
 
山根さんは、本当に様々なことに挑戦なさっていらっしゃいます。今回、インタビューをした中で、「柔軟さ」がとても大切なのだと強く感じました。「こだわり」も必要だけれど、「可能性」を広げるなら、山根さんのように視野を広げていく必要があるのでしょう。お忙しい中、インタビューに応じていただいて、本当にありがとうございました。いただいたアドバイスを、就職や仕事に役立てたいと思います。
立花友恵。1989年生まれ。東京都出身。幼稚園から小学校まで横浜で過ごし、中学・高校と私立和光学園へ通う。高校在学時に、オーストラリアのメルボルンに1年間、留学生としてForest Hill Collegeへ留学。現在、多摩大学グローバルスタディーズ学部3年に在籍中。大学では、バスケットボールサークルとボランティア・サークル Habitat For Humanityに所属している。