海外生活体験者・学生インタビューvol.108

interviewee_s_166_profile.jpg 三雲俊介さん。1988年生まれ。中学1年の夏に幼少期にも数年滞在した、米国カリフォルニア州オレンジカウンティー、ニューポートビーチに移り、私立St. Margaret's Episcopal Schoolに高校卒業まで6年間通う。高校卒業後、慶應義塾大学法学部法律学科に進学。現在4年に在学。現在は法律系サークルとフットサルサークルに所属している。

とにかく活発でよく動いてた

―三雲さんは幼少期どんな子供だったんですか?

幼い頃は余り記憶がありません。アメリカと日本両方の幼稚園に通いましたが、覚えているのはショッピングモールを走り周ったり、団地を自転車で爆走したり、とにかく「動いていた」こと。外に出れば楽しくて走り周り、なにかを見つけどこかに消えてしまうので、親も目を離せなかったそうです。

小学校時代は、よく遊びよく怒られていたこと、そして、一日が長く毎日が楽しかったことを覚えています。習い事を複数やり、運動会では応援団長を務め、マラソン大会や音楽のコンクールに参加したり、とにかく活発だったイメージがあります。

この後ずっと続けることになる、サッカーを始めたのもこの頃でした。野球とどちらのチームに入るか迷いましたが、ちょこまか動くのが得意だったので、サッカーかなって。地域のチームやYMCAのチームに所属し、放課後も毎日日が暮れるまでボールを追いかけ回しました。Jリーグの選手になることを夢見ていて、フランスのワールドカップの試合でも、「将来のために」なんて考えながら、テレビの前で国歌を一所懸命に歌っていました(笑)

塾に通い始めたのも、理由は友だちがいっぱい通っていて楽しそうだったから。実際に、授業後友だちと楽しく帰るのを目的に通っていた覚えがあります。そのまま受験して、東京の私立中学に進学し、3ヶ月だけ通いました。東京タワーの隣にある学校だったのですが、ずっと横浜っ子だったので、都会で六本木を通るたびにドキドキしていました。

たちまち人気者になりました

―渡米した時の話をお聞かせ下さい。

中学校には3ヶ月しか通わずカリフォルニアに渡ったので、習っていた英語はアルファベットと”Hi Mr. Tanaka”ぐらい。一方、アメリカで入学したのは、過去に英語を話せない学生を受け入れたことのない私立学校。be動詞すら知らないのに、最初の授業でシェイクスピアの『真夏の夜の夢』を渡された時はびっくりしました。

日本語訳を読んで対策をしても、何も言えない。最初の1年間は、授業に出ても、椅子に座って聞き取れない授業に耳を傾けることしかできませんでした。リスニングが出来るようになった2年目も、現地の学生と比べられたら何もできません。放課後や夏休みにライティングの授業に通うなど、英語を向上させる努力はしたのですが、数学以外の授業では成績が悪く、ずっと先生を困らせていました。

―大変だったんですね。。。日本が恋しくなりませんでしたか?

学業では本当に苦労したのですが、不思議とアメリカにいることを苦痛とは感じませんでした。「そう言えば、アメリカにいるんだよな」とたまに思うくらいで、文化的にはすんなり順応することができました。

ポジティブな性格と、友人に恵まれていたからだと思います。学校では英語を話せない学生が珍しく、入学したその日からたちまち人気者になりました(笑) 困っていても、「君があのShunsukeか」なんて言われながら、知らない人から助けてもらったり。幼稚園から高校までが一緒になっている学校だったのですが、何故か付属の小学生や高校生も、みんな自分のことを知っていていました。

―確かにカルフォルニアは結構フレンドリーですよね。

クラスメイトもみんな本当に仲良くしてくれました。入学して半年くらいの時に、友人の家族とラスベガスに一緒に旅行したこともありました。英語が下手なのに、友人と何を話していたんでしょうか?(笑)

それと、サッカーには凄く助けられました。ボールを持てば活躍できたので、英語を話せない分、サッカーにのめりこみました。学校のチームではキャプテンを務めたり、学外でも地域選抜に選ばれたり。ピークは中学3年生で、ユースチームの選手も擁する全国4位の強豪クラブチームに所属したときです。出場機会に恵まれず、悔しい思いもしましたが、フロリダ州まで遠征をするなど、良い思いでもいっぱい。中学卒業後も高校で4年間、学校とクラブの2チームに所属し、サッカーを続けました。

多くのことに挑戦するようになった

―高校時代はどんな感じだったんですか?

高校に入ると、英語のハンデも少しずつなくなり、より学校を楽しむようになりました。友人を増やし、授業を楽しむ余裕もでき、英語の授業では、好きな本のレポートでクラス一番の成績を取ったことが嬉しかったですね。

より多くのことに挑戦するようになったのもこの頃です。バンドを組んだり、サーフィンに挑戦したり、演劇に出たり。フォトグラフィーでは、地区大会で入賞し、自分にはアートの才能は皆無だと思っていたので、本当に驚きました。多くのボランティア活動にも参加しました。地域でリサイクルをしたり、障害を持った子供のサッカーチームのコーチを務めたり、メキシコの貧しい家庭のための家を建てる手伝いに行ったりしました。また、近くの学校で、自分のように英語を母国語としない子供に英語を教えるインターンを3ヶ月行いました。

夏休みは毎年、東海岸のサマースクールに通いました。最初は英語を向上させるために一度のつもりで参加したのですが、そこで世界中の学生と知り合ったり、新しいことを学んだりするのが楽しく、結局卒業するまで毎年違う大学のサマースクールに参加しました。特に、最後の夏はコロンビア大学のサマースクールに通うことができ、大学の教授に自分の大好きな”The Great Gatsby”のレポートを褒めてもらったときは、英語で苦労してきた分、本当に嬉しかったです。

チームで「日本一」になる

大学を進学するにあたり、そのままアメリカに残ることも考えましたが、この頃になると、「自分は日本人だ」という意識を明確に持っていました。日本に一度戻りたいという思いから、帰国子女受験を選び、その結果、慶應義塾大学に進学することになりました。

―大学ではどのような活動を行っていましたか。

大学では、最初は複数のサークルに参加していましたが、現在は主に法律サークルとフットサルサークルに所属しています。前者では、毎年行われる法律討論会に参加し優勝することができました。チームみんなで京都に行き、「日本一」になることができたことは素直に嬉しかった。アルバイトは翻訳、飲食店のホール、家庭教師を経験しました。

3年からは、民法の研究室に所属しています。主に債権法の改正について研究し、毎週3、4人のグループで発表し教授を交えて議論を行っています。また、学外ではRTN Projectに所属し、学生イベントや就活セミナーの開催、インタビュー活動を行いました。RTNの活動を通じて、本当に多くの学生や社会人に会うことができ、将来について考える機会が多くなりました。

それと、大学在学中は多くの国に行きました。アジアでは韓国と中国に数回、ヨーロッパには毎年行きました。特に印象深かったのがトルコ。欧州から渡っても特に違和感を覚えないほどヨーロッパ化が進んでいて、その一方で文化と言語両方においてアジアの影響も受けているんですが、朝6時にコーランを爆音で流すあたり、どうしたって中東の一国なんですよね。本当に不思議で、もっと積極的に異文化に触れなければいけないと感じるようになりました。

南仏にいったときは、知人が経営するホテルで2週間働くこともできました。でも、フランス語は難しいですね。大学でも仏語のインテンシブを受講しましたが、英語以上に苦労したのに、全然覚えられません(苦笑)


―将来について、何か目標などありますか?

そこが悩みです。人を幸せにしたい、社会に貢献したいといった抽象的なものはありますが、具体的な目標を設定できていません。強いて言えば、海外に再び行きたいと考えています。それと、現在はとにかく社会に出たいです。一所懸命働くことで、何か見えてくるものがあるのではないかと期待しています。若いうちに色々なことに悩み、失敗を繰り返しながらも少しずつ前に進んでいけば、幅に富んだ人生を歩むことができると信じてます。

―インタビューありがとうございました!

インタビューアから一言

三雲くんはフランクに冗談や皮肉を交えながら話してくれるので、とても楽しみながらインタビューをすることができました。また、インタビューを通じて、彼が色々な経験をして来て、凄く抽象的に考えているようで、それが具体的な体験に基づいていること、だから芯が通っていることを知ることができました。どうして三雲くんのような人間ができあがったのか、少し理解できたような気がします(笑) 本日はインタビューありがとうございました。今後の活躍に期待してます!
上田千佳。1989年生まれ。京都出身。生まれてすぐ台湾に渡った後、4歳から13歳までをロンドン、中学3年 から高校1年までをニューヨーク、高校卒業までをロサンゼルスで過ごし、LAのWest High Schoolを卒業後、帰国し、東京大学文科Ⅰ類に入学。現在法学部2類(公法コース)4年に在籍。大学ではスポーツ愛好会バレーボールパートに所属し、 セッターとして日々練習に励みつつ、学外の社会人サークルでイラスト活動にも勤しむ。3年からは刑事政策を扱う川出ゼミでも奮闘中。