海外生活体験者・社会人インタビューvol.96

interviewee_s_234_profile.jpg 太田邦史さん。1967年東京都生まれ。理学博士。東京大学理学部生物化学科を卒業し、同大学院理学系研究科生物化学専攻にて修士と博士を取得。学振特別研究員として1年過ごした後、理化学研究所の勤務を経て、07年4月より東京大学大学院総合文化研究科の教授に就任。

久しぶりの駒場キャンパスにドキドキしつつ、今回のインタビューの場所である研究室に向かいました。太田教授はとても若く、びっくり! 教授がフランスへ留学していたことを知っていたので、そのことをメインでお話を聞かせていただきました。

「これからは生物の時代だ」

―まず、いつ頃から教授は研究者になりたかったのでしょうか。

小学校のころから「植物学者になる」なんて思っていました。当時は中央区の小学校に通っていていました。中央区には、選抜した小学校5年生を、週一回実験に参加させてくれるという特別教室があるのです。一応、自主的な実験の結果から論文を書き、発表するのですが、私は化学の中和反応の実験をしました。そのとき、マウスを使った迷路の実験を8mmで収録して発表している子がいて、びっくりしました。当時小学生ながら「これからは生物の時代だ」なんて思いましたね。

そんな想いを抱え、私立桐朋高校に入学し、生物の先生に影響を受けました。分子生物学に詳しい先生で、自分も分子レベルの研究をしたいなと思いました。ただ、物理を取っていなかったので、受けられる大学は限られてしまったのです。ですが、分子生物学を扱っている東京大学の理学部生物化学のことを知り、そこに行きたいなと思い始めました。

無事大学に入学し、細胞分裂やシグナル伝達に関する細胞生物学的な研究をしていました。その後、大学院で修士、博士号を習得しました。

カルチャーショックを受ける

―その後、どういった経緯で、フランスに留学したのでしょうか。

大学院を卒業後、学振特別研究員を1年した後、理化学研究所の研究員に応募して、運良く採用されました。それまでは細胞生物学をやっていましたが、分子生物学をやっていた柴田武彦先生の影響で、理化学研究所では先生の下でDNA組換えに関する分子生物学を始めました。

異分野でいきなりプロの研究員になったので、初めは大変でした。しかし、他とは違う新しいことをしようと思い、「クロマチン構造」の観点を取り込んだ研究を始めました。組換え開始部位の研究で有名なフランスのアラン・ニコラ先生が、ちょうど柴田先生と共同研究を始めるときでしたので、この研究にクロマチン構造の概念を組み合わせて新たな展開をしたいと考えたのが、フランス留学の直接のきっかけです。

―フランスに行ってカルチャーショックは受けましたか。

フランスに行って、研究環境などは日本とそう違いはなかったのですが、かなりカルチャーショックを受けました。国際大学都市の「日本館」という寮に入りましたが、期待に反してあまり日本人はおらず、フランス語しか通じない受付のおじさんとコミュニケーションができずに苦労しました。

フランス人は個人主義で夜5時か6時になるとみな帰ってしまいます。「日本人」らしく夜遅くまで残る私は夕食を一人で食べるのですが、スーパーが平日夜やっていないこともあって、食事でかなり困りました。メニューとかが手書きのフランス語だったりして、頼んでみて「何これ!」なんてこともありました。他にも、買ったジュースにカビが生えていて、パックの口から出てこないので振ったらドバッとカビごと出てきたりしました。おかげで体重は6kgくらい減って良いダイエットになりました(笑)。

フランス人の理屈っぽさにも驚きました。昼食の時も始終ディスカッションですし、議論を突き詰めないといけないので、鍛えられました。他には、フランス人には日本に教養深い人がいて、小津や黒澤の映画や、日本画などについて色々聞かれて、答えられず困ったことも多々ありました。日本人なのに日本についての教養が足りなかったと反省しました。

その分、日本の良さにも気づきました。便利だし、自己主張しなくてもあうんの呼吸で気持ちが伝わるのが、やっぱり楽ですよね。大学はパリの南にあって、のんびりしていたのはよいのですが、寮などは電気系統とかシステムが常に何かしら壊れていて、予定通りにいかないことだらけでした。乗っていた電車が壊れて止まることも、短い間に2回ぐらいありました。

後で分かったことですが、実はフランス人も討論だらけだと疲れるようです。アラン・ニコラ先生は日本に毎年来ているのですが、日本の滞在でよほど癒されるらしく、「日本中毒だ」と言っていました(笑)

今の成功に繋がっている

―大変な思いをしたフランスで、何か転機などはありましたか。

転機は2つほどあります。後半は、パリの日本人キリスト教会に行き、多くの日本人と会ったのが転機となりました。パリには芸術家や音楽家の卵が多く、このような人はパリにも詳しいので、観光スポットとは異なる見所やレストランなど、色々なところに連れて行ってもらいました。このおかげで地図がなくても、パリを歩くことが出来るようになりましたし、大分グルメになったと思います。

また、フランス滞在はわずか2ヶ月でしたが、その間にアメリカの会議にも出ました。米国に入国して英語の環境に衝撃を受けました。「人の話が分かる!」と(笑) 外から入ってくるひとにもフレンドリーで、その時間でかなり癒されました。

―フランスに留学してよかったなという点はありますか。

たくさんありますね。まず好結果が出て、良い論文を書けたからです。2ヶ月という限られた時間に「背水の陣」で実験をしました。事前に試薬などかなり準備して持って行き、着いた翌日からフルスピードで実験をしました。この集中力があったからこそ、引用回数の多い論文が書けたのだと思います。

次に、ディスカッションをして、自分を出す良い体験になりました。そして世の中いろいろな人がいるとわかり、いろいろなことに対して寛容になりました。そして教養もつきました。

もう一つ大事なことは、海外に出ていくと素晴らしい人間のネットワークが出来ることです。アメリカやスイスの若手に親友ができ、この人たちは、その後成功して、偉くなっています。もちろん、今でもそれらの人との交流があります。学会などで会いますし、未だにわからないことがあったら聞いたりしています。

―フランスに行った後は、理化学研究所に戻ってきたのですか。

そうです。フランスでの研究が今の成功に繋がっていると思います。フランスの論文がもとで多くの論文を書くきっかけとなり、仕事も増えました。そして、その分野で成功し、自分の研究室を持っていました。ですが、理研に十数年もいたので、他のところに行くいい機会かと思って、東京大学の教授になりました。

教授は中小企業の社長のようなもので、何から何までやるので大変です。ですが、人を育てることは大切なことだと思っているので、それに関わることは幸せなことだと思っています。あとは、海外に旅行に行きたい人に、教授は向いていると思います。

諦めずに続けること

―海外に出ることのメリットは何ですか。

若い頃に海外へ行くことは、世界を広げるべき良い機会だと思います。これは行かないとわからないですね。今は中国、韓国、インドに元気があるので、そこに行って雰囲気だけでも感じ取ってきてほしいです。インドは特に価値観が変わるほどインパクトがあるので、体調に気をつける必要はありますが、おすすめです。

―最後に、学生へのメッセージをいただけますか?

諦めない精神です。最近の学生は、研究が好きでも周りが就職するからという理由で就職したり、博士になっていいのかと悩んで就職したりする場合が多いです。ですが、それはもったいないと思います。どんな人でもどん底になる時期はあるので、そんな時期を頑張り続ければ成果が出ると思います。

やはり何事も一番難しいことは、「ずっと」続けることだと思います。周りの人を見ても、ずっと研究している人は何かしらの成果が出ています。ですから、諦めないでどん底の時期も乗り切ってほしいと思います。

特に、女性にもっと頑張ってほしいです。海外では、生物の分野では、半分以上が女性です。自分のペースでも確実に研究を続けられれば、日本の女性も海外の女性の研究者のように成功できると思います。

また、チャレンジ精神を忘れないでほしいです。私も大学を出てから、大学でしてきたこととは違う研究を始めましたが、それが逆に良い結果を生みました。何事にも飛び込んで行ってほしいです。

インタビューアから一言

太田教授は、一般的な教授像とは、良い意味で違っていました。とてもきさくで、若々しく、活動的でした。フランスでの話は、住んだ人としかわからない話で、とても面白かったです。私の気持ちは、あまり研究に向いていなかったのでしたが、お話を聞き、大学を卒業するまでには、ちゃんとした成果を出そうという意欲が湧いてきました。
内山紗也子。1986年鹿児島県生まれ。その後、東京、沖縄に暮らし、小学5年から2年間マレーシアに滞在。東京に帰国後、中学2年の夏から米国シカゴへ。高校卒業まで5年間在住。 Deerfield High School卒業後、帰国し、東京大学理科Ⅱ類に入学。現在、東京大学大学院農学生命科学研究科獣医学専攻高度医療科学研究室の5年生。クルクミンと抗癌剤の併用効果の研究をしている。