海外生活体験者・社会人インタビューvol.98〜前編〜

interviewee_s_236_profile.jpg 八代尚宏さん。1946年生まれ。大阪出身。68年に国際基督教大学(ICU)卒業後、東大経済学部に3年生として編入。卒業後は経済企画庁に入る。75年にアメリカのメリーランド大学へ留学し、博士号を取得。また、87年から90年までの3年間はOECD(Organization for Economic Co-operation and Development)に出向。帰国後は上智大学の教授、日本経済研究センター理事長を経て、05年からはICUで教授として経済学を教える。

大学教授に至るまでの経歴

―先生、本日はよろしく願いします! まず初めに、大学ではどのようなことを勉強されたのか教えてくれますか?

私は、初めから経済学を専攻したわけではなく、もとは理学科(Natural Science)にいました。しかし、どうもそこでの勉強がしっくりこないと感じ、同時に外交官になりたいとも考え始めたので、国際法の勉強に切り替えました。

外交官試験には経済学も出題されるので、経済の勉強も始めたわけですが、それがとても面白かったので、4年生のときは経済学で卒論を書きました。ICU卒業後は、編入生として東大の経済学部に入りました。このように、昔は簡単に専攻を変えることが出来たので、興味ある分野にどんどん移って行きました。ICU卒業後は、編入生として東大の経済学部に入りました。

―最初は経済学を勉強しようとは考えていなかったのですね。大学卒業後はどのような道を進んだのですか?

公務員試験を受けて、経済企画庁に入りました。当時は、ひたすら学者として経済学の研究をしようとも思わなかったのですが、他方で、自分の知識を活かせるかどうか分からない企業で、バリバリ働くのにも疑問を感じていました。そして、この中間に位置する仕事として、公務員を選びました。

経済学を学び続けることもでき、それを仕事でも使うこともできる。とても自分に適していると思ったのです。経済企画庁は、経済の予測や分析をするのが主な仕事ですね。また、経済白書の作成もここでやります。入庁して5年後に、留学でメリーランド大学へ行き、帰国してから4年間で博士号をとりました。その数年後には、OECDに出向もしました。OECDから帰った後は、間もなくして上智大学から声がかかり、それから教授を始めました。

メリーランド大学への官費留学

―たくさんの職場を経験されたのですね! 先生は博士号を取るためにメリーランドに留学されたのですか?

いえ、そういうわけではないです。官庁の留学制度で2年間留学したというだけで、最初から博士号を取るつもりではありませんでした。留学で求められたのは、修士(MA)取得だったので。ただ、アメリカでは修士も博士も同じ試験で取れるのです。試験の成績がよければ博士、だめだったら修士といった感じで、日本のように二つに大きな区別がないのですね。だから、アメリカでは修士号と言えば残念賞のようなイメージなのですよ(笑)

結果的には博士号も取れるレベルで試験をパスできたので、それなら博士を目指そうと思ったわけです。Ph.D Candidacyという博士候補資格をその2年間で取り、帰国して4年かけて博士論文を作り、最終的に博士号を取ることが出来ました。なかなか大変な時期ではありましたが、官庁の奨学金は十分なので、勉強だけに専念できました。留学=出張なので、給料の他に海外の生活費や授業料を全部出してくれます。周りのアメリカ人は働きながら勉強していましたので、彼らより有利な立場でした(笑)

こういった留学は、官庁に入れば行ける可能性は高いですね。企業で留学というと、確率はものすごく低いですが、公務員の場合は、第Ⅰ種に合格すれば、かなりの確率で行けると思います。外務省ではただちに行かされますしね。

―官庁は勉強に専念できる環境を提供してくれるのですね。もう少し詳しく留学についてお聞きしてもいいですか? 先生はいつ頃留学されたのですか? また、なぜメリーランドをお選びになり、そこではどんな勉強または研究をされたのですか?

大分昔の話なんですけどね(笑) あれはカーターが大統領になったときで、75年から77年までです。留学中は都市経済学やSocial Policyと呼ばれる社会保障や人種差別問題に経済的手法を用いる学問を専攻しました。伝統的ではない、かなり新しい経済学の分野です。単にこれは自分の興味で選びました。自分が勉強したいもの、つまり、政策的なことに力を入れている大学に行きたくて、アメリカに詳しい先輩に相談したところ、メリーランド大学が一番だと思いそこに決めました。

今や戦犯!? 経済財政諮問会議

―なるほど、ありがとうございました! 次にちょっとお話を変えて、経済企画庁のお仕事とはどんなものか教えてくださいますか?

先ほども言ったように、ここではあらゆる経済の予測や分析をします。一番重要なのは来年度の経済予測ですね。また、経済白書を作るための調査分析、経済計画など行います。今は内閣府の一部となっています。けれど同じ仕事は続けています。

簡単に言うと、経済関係で、個々の省庁に属さないことを全部やるという場所ですね。それと総理に経済に関するアドバイスや提案もするところです。企画庁をやめてから随分たってからですが、私は経済財政諮問会議の委員もやっていました。ここがまさに総理に直接アドバイスをする機関でした。

―総理にアドバイスなんて……すごいです! 先生はどの総理にどんな提案をしたのですか?

経済財政諮問会議は、経済政策全部に対して提案します。特に私は構造改革についてです。例えば、財政・社会保障や労働市場の改革についての提案です。私は安倍総理のときに任命され、その後福田総理のときもここで働いていました。

私は、4人の民間委員の一人として、諮問会議の場で発言するだけで、直接総理と話し合うというわけではないです。経済企画庁長官が間に立ってマネジしてくれます。当時の長官は大田弘子さんでした。

これは面白かったですよ。日本を変えていく、つまり構造改革ですが、これに直接関与でき、色々な議論もできるので。単に本を書くとかでなくて、実際に政策に移せるよう仕事をするのは面白かったです。

―確かにワクワクしそうですね。総理は会議で提案されることを受け入れてくれるものですか?

そうですね、安倍さんはポジティブでした。けれど、今民主党から見れば私は戦犯かもしれないです(苦笑) 今は政府の仕事はほとんどしていません(笑)

小さな政府vs大きな政府

―民主党はやはり自民党には反対なのですね。何にそんな反発しているのか、お聞きしてもいいですか?

これは、自民対民主といった単純な話ではないのですね。簡単に説明すると、自民党の中の小泉総理や竹中大臣は市場に重きを置き、いわゆる小さな政府を目指していました。けれど、この考えは麻生総理のときは完全にひっくり返っていました。多額のお金を使う、大きな政府でやっていくというスタンスに変わったのですね。それを民主党はある意味では受け継いでいます。

正確に言うと、自民党対民主党というより、小泉さんの小さな政府のやり方に、民主党は全部反対といった感じです。今は規制を改革していくというより、お金を使うことでよくしていこうという考えですからね。他方で、国民に不人気な負担増はしない。その結果、財政赤字は増え続け、財政破綻のギリシャと同じ道を歩んでいます。

それと、もう一つ問題だと考えられることは、民主党になってからは経済財政諮問会議が廃止され、機能していないということです。最近は経済成長戦略会議と呼ばれる、似たようなものが作られたのですが、これは以前よりも格下の機関です。経済財政諮問会議は法律に基づき、総理の政治主導を支える仕組みですが、今の経済成長戦略会議は閣議決定だけで設置された不安定な組織で、何を決めても各省庁が尊重しない、重みがない会議になってしまったのです。

―そうですか……。民主党も今はあまり国民の期待に応え切れていなくて、信頼を失いつつありますよね。確かにばら撒き政策にはいささか疑問を感じます。数年後は、僕も税金を納める身となるので(笑) 政治的なお話が聞けてとても勉強になりました!


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中野雄介。1989年東京都生まれ。小学校3年生のときにイギリスへ渡りサリー州に滞在。Whitgift Schoolに11年生(15歳)まで通い、その後日本の高校入学に合わせて帰国。国際基督教大学高等学校に入学し卒業後は国際基督教大学に進学。現在教養学部アーツサイエンス学科の4年生。専攻は経済学だが、リベラルアーツの教育方針の下で、経済学以外の科目も多数学ぶ。部活動ではソフトボールをしており、経験者に負けぬよう練習に取り組んでいる。