海外生活体験者・社会人インタビューvol.101

interviewee_s_243_profile.JPG 徳井千枝さん。1982年アトランタ生まれ。8歳までアトランタ、ニュージャージー、デンバー等で過ごし、日本に帰国。13歳からはロサンジェルスに引越し、Palos Verdes Peninsula High Schoolを卒業するまで暮らす。青山学院大学国際政経学部を卒業し、現在は外資系生命保険のアイエヌジー生命に務めている。

警察と強盗が銃撃戦をしていた

―海外体験がかなり長かったということですが、向こうの生活で、なにか印象に残っていることはありますか?


小学校の頃は、デンバー州コロラドの小学校に通っていたのですが、ある日、学校が終わっても、みんなで教室に残るように言われ、家に帰らせてもらえない日がありました。なにが起きていたのかというと、近くで警察と強盗が銃撃戦をしていたんです。

結局夜の7時くらいまで帰れなかったんですが、日本では絶対に起こらない出来事なので、心細くて怖かったですね。コロラドは特に治安が悪いという地域ではないのですが、その後もコロンバイン事件が起きた州でもありますし、今思えば、やはりアメリカは銃社会だということを実感するような体験でしたね。

高校時代は、特にこれといって熱中したことはないのですが、強いて言うなら勉強でしょう。中学校から自分の好きな科目を履修することができたので、好きでアートとか取っていました。高校になると、建築やインテリアデザインの授業も取りました。日本では出来ないことなので、それは自分にとっても良かったと思います。

学校外では、自分で車を運転して、日本人が経営している塾に行っていました。日本人の学生も結構いた地域なんですが、みんな日本の大学に進学するのが普通だったので、SATやTOEFLなどの勉強をよく塾でしていました。

みんな忙しく勉強していて、それが普通

―帰国して青山学院大学に進学されたんですよね? 大学生活はどんな感じだったんでしょうか?


国際政経学部という学部に入ったんですが、そこの勉強がとても厳しくて、サークルとかに参加する時間はありませんでした。周りもみんな忙しく勉強していて、それが普通という感じでしたね。友だちと集まるときも、どこかに遊びにいくのではなくて、試験勉強を一緒にするみたいな(笑) みなさんが想像するような、いわゆる「遊んで楽しい大学生活!」というものではなかったように思います。

2年生からは、当時唯一のアメリカ人教授のゼミに入り、ファイナンスや環境経済を勉強しました。金融系がやりたかったというのと、英語の能力を落としたくなかったので選んだゼミだったのですが、就職してからもファイナンスの知識は非常に役に立っています。今でも、選択は間違っていなかったと思いますね。ゼミ活動では、具体的には、愛知万博に行って、企業にCSRについてインタビューをしたりしていました。

―素晴らしいですね! 頭が下がります。。。でも、遊んでいる周りが羨ましいとは思わなかったんでしょうか?

当時は少しそういう気持ちもありましたが、今では逆に勉強していて良かったなと思っています。実際に社会に出てから役に立つ知識ということもありますし、なにより就活が楽でした。自分の行きたい業界、企業にすんなり行くことができたのも、大学の間に頑張って勉強したからだと思っています。

外資系金融機関に務める

―新卒で、現在の勤め先であるアイエヌジー生命に入社されたということなんですが、なぜこの会社を選ばれたんでしょう?


元々ファイナンスを勉強していたので金融系、さらに、英語の能力を活かすために外資系企業に行きたいと思っていました。その中で、最初に受けたのがアイエヌジー生命だったんです。最初は名前も知らない企業でしたが、話を聞いているうちに、すごく面白そうな業務内容、会社だなと思いました。なにか最初から、自分はここで働くんだろうなという感覚もありましたし、そのときから第一志望になりました。

―実際に入ってからの印象はどうですか? なにか予想と変わったことはありますか?

初めに入った会社なので、社会人ってこんな感じなんだって思いましたね。他の会社のことはよくわからないのですが、やはり、外資はいい意味でゆるいと思います。入社当時は景気も良かったので、飲み物や食べ物の自販機が全部タダで社内に置いてありました。クリスマスパーティー等のイベントも充実していて、非常に楽しいですね。もちろん仕事に対しては厳しい面もあるんですが、自分のペースで出来るので、すごく気に入っています。もう働き始めて6年になりますが、今から普通のいわゆる日系企業では働けないと思いますね。

―それでは、入社されてから、具体的な業務は何をされているのか、教えてもらってもいいでしょうか?

普通、新入社員は営業で入るものだし、自分もそうなると思っていたのですが、配属された先は広報部でした。具体的には、社外PRでは、記者への対応、ディスクロージャーなどです。社内では、タウンホールミーティングと呼ばれる全社会議のオーガナイズや、社長のプレゼンの翻訳などをしていました。やはり、外資系企業ということで、役員は外国人が多いんです。基本的に社内言語は日本語なのですが、英語を使う機会も多いので、通訳、翻訳などの仕事も多かったですね。

―仕事を通して得たものはなんですか?

やはりコミュニケーション能力ではないでしょうか。よく聞く言葉ですが、実際に実践するのは非常に難しいと思います。同じ会社でも、部署が違えばやはり壁があるものです。それを取り除くために、主にインタビューや社内報の制作を行っていました。意識していたのは、相手にいかに気分良く話してもらうか、また、社内報等のアウトプットを見る人に対し、いかに分かりやすく伝えるかということです。これをいかに実践できるかが、私にとってのコミュニケーション能力だと思っています。

会社にとって一番重要な数字

―現在は違う部署に異動されたんですよね?


09年からは、財務業務部という部署に移動になり、経理の仕事をしています。異動のきっかけは景気悪化でした(笑)

他にも異動部署の選択肢はあったのですが、経理を選びました。理由は、会社のお金の動きがわかるからです。広報時代、ディスクロージャーを扱う機会があったのですが、そのときはその数字が何を意味しているのか全くわからなかったんです。会社にとって一番重要な数字といっても過言ではないのに、それがわからないのは嫌だなと単純に思いました。

今でもわからない数字や項目もありますが、毎日どんどん知識がついていくのが実感できます。実際には、各部署の支払い管理、一般経費の支払いチェック、社員の立替え費用の管理などをしています。ある意味ルーティーン・ワークでもあるので、広報のときに比べれば仕事は楽ですね。でも、その分、知識を吸収して慣れてしまったら、飽きてしまうのではないかという不安も少しあります。

とにかく発言しないと話にならない

―仕事をされる上で、帰国子女のバックグラウンド、経験が生きたという場面はありますか?


社会に出てからのスキルという意味では、英語がやはり大きいですね。ただそれだけではなく、自分の意見をはっきり伝えることが出来るのが、帰国子女ならではの特徴であり、強みではないかなと思います。アメリカでは、本当にディベートやディスカッションが多かったので、とにかく発言しないと話にならないんですね。そのときに身についた姿勢や能力は、就活でも非常に役に立ちました。今でも、社内コミュニケーションで生きていると思います。

―それでは、徳井さんが思い描くキャリアビジョン、これからについてすこしお聞かせいただけますか?

当然、まだはっきりとは決めていませんが、日本での生活が10年経つので、近い将来、海外でも働いてみたいですね。馴染みのあるアメリカも魅力的ですが、現在は向こうも不況なので、やはり次はアジア、特にシンガポールなんかがいいかなと漠然と思っています。

―最後に、大学生になにか一言アドバイスをお願いします。

大学時代は貴重な時間なので、めいっぱい楽しんで、後悔しないようにして欲しいです。それはただ単に遊び呆けるという意味ではないですよ(笑) 自分の好きなことを、好きな時間にやれる期間というのは、おそらくこれからないと思います。社会人になれば、1週間以上の休みなんてほとんど取れません。それを意識して、自分にとって意味のあることを探してみてください。

―どうもありがとうございました!

インタビューアから一言

徳井さんは、とてもアカデミックな方で、僕とは正反対の学生生活を送った人という印象を受けました。しかし、だからと言って、勉強ばかりでつまらない人間ということでは全くなく、話していて非常に楽しい、本当の意味でのコミュニケーション能力が高い人だと感じました。これからも、グローバルに活躍されることは間違いないと思います。僕も、徳井さんを少しでも見習いたいと思います!

高橋篤哉。1989年東京生まれ。日本の小、中学校を卒業後、高校の3年間オーストラリアに留学。Cairns State High Schoolを卒業し、2008年に立教大学経営学部経営学科に入学。現在4年に在籍。インカレのポーカーサークルに所属し、代表を務める。