海外生活体験者・社会人インタビューvol.103

interviewee_s_103_profile2.jpg 中山雅文さん。1975年葉県生まれ。高校を卒業後、20歳から23歳まで、単身でアメリカとニュージーランドで過ごす。帰国後は出版社に勤めるが、2000年に一身上の都合により退社。その後は、カメラマンの撮影アシスタントとしての下積み時代を経てから、写真家に転身。現在は、(株)中山雅文写真事務所を設立し、グラビア、ファッション広告、企業広告、タレント写真集とジャンルを問わず撮影している。代表作は、前田敦子写真集「ATSUKO IN NEW YORK」(集英社)、大島優子写真集 「優子のありえない日常」(ワニブックス)、他多数あり。

スノーボード&サーフィンに明け暮れる

―今日はお忙しい中、インタビューに応じていただき、ありがとうございます!

以前、RTN Projectのwebsiteでインタビュー記事を読ませてもらいましたが、どっちかと言うと固い感じで、私みたいな人間が出る場ではない気がするのですが、宜しくお願い致します。私のインタビューでは、ゆるくやりましょう(笑)

―固いですか?(笑) 分かりました。では、まず初めてアメリカ行ったときのお話をお聞かせ下さい。

高校を卒業してから、2年間くらいは、アルバイトをしながら自由気ままに生活をしていました。生活をしている中、たまに一人になったときに、「こんな生活が続いていいのか?」と自問自答し始めたのです。

ちょうどそのとき、親に「アメリカに行ったらどうだ?」と言われ、それを機に、知らない世界に飛び込もうと思いました。高校生活中に、何度かアメリカには行っていたので、海外生活をスタートするには、まずはアメリカかな?と思っていたのもありました。

まぁ、実際行ってからは、高校生活の時からハマっていた、スノーボードやサーフィンに明け暮れる生活でしたけど(笑) ですから、留学より遊学の方が正しいかもしれませんね。

―本当ですか(笑)?! 何かアメリカで学んだこととか、役立ったこととか……。

日本とは全く違う環境なので、学ぶことは日々生活すべてですよね。言葉もそうですし、行動もすべて。何を学びましたか?と言われると、なかなか説明するのは難しいですが、行動力、前向きな精神力ですかね。あとは、許容範囲が広くなったこととか。

私は初めにブラジル人と一緒に住みました。言葉は、なかなか通じないのですが、ジェスチャーや、何とかして伝えたいという気持ちが前面に出ていると、何となくわかってくれるんですよね。共通の趣味がサーフィンだったのも大きかったかもしれません普段スムーズにいくことが、なかなかスムーズにいかないので、いろんな手段を考えたりするのも良かったと思います。頭の中をフル回転させる感じですね。

結果的には、他国での生活が今の仕事に役立っているので、その生活は自分にとって大きいと思います。

フォトグラファーになったらどうだろう

―その話に移る前に、帰国後のお話を聞かせて下さい!

そうですね(笑) 帰国後は、出版社に入社して、「BURST」という雑誌を作っていました。バンド、刺青、ドラックの内容が多い雑誌です。結構DEEP世界の人たちとお会いできて、かなり鍛えられました。知らない世界を知ることで、知識の引き出しを多く持つことが出来ましたね。

入社してから2年半ぐらいですかね? 当時の上司に「お前はこの仕事に向いていない」と言われました(笑) 厳しい一言のように聞こえるけど、今はその上司に本当に感謝してます。実際、記事の取材や編集をすることに、可能性を見出すことが出来ないと感じていたタイミングでした。「今はいいけど、5年後は厳しいから、動くなら今だな」って言われたのが、未だに脳裏に残っています。

中堅の出版社なので、小さな取材とかは、カメラマンに依頼しないで自分で撮ることが多かったんです。「編集業よりかは、まだ写真は可能性はあるかもね」と言ってくださる先輩もいたこともあって、25年間、カメラマンになるなんて一瞬たりとも考えたことはなかったのですが、「カメラマンになってみようかな」と思い、退職を決意しました。

先輩に「お前の性格と生活のスタイルは、組織には無理だ!」って言われたことは、未だに忘れません。確かに、組織の中で生活出来ないのは事実かも(笑) その先輩とも未だに連絡は取っていますよ。2年半と短い間でしたが、かなり濃い日々でしたね。毎日気持ちが休まることがなかった気がします。

―いきなりフォトグラファーになれたわけではないですよね?

もちろん、違いますよ(笑) オートフォーカスでしか撮影をしたことがなかったので、マニュアルカメラの知識はなかったし、フィルムの知識もなかったので、退職してから学校に行くか、現場に出るのがいいのか考えました。まったく分からなかったので、スタイリストをやっている先輩に相談をしたら、「何を撮りたいの?」って聞かれて、「女性のグラビアを撮りたい」と言ったのを覚えています。

学校行かずに、現場で学んだ方が早いからって言われ、いくつかの白ホリスタジオの連絡を教えてもらい、コンタクトを取り、面接に行き入社という流れになりました。生粋の現場叩き上げですね(笑)

―アシスタント時代に学んだことは何ですか?

仲間のネットワークの力の大切さをあらためて学びました。一般的なカメラマンの道のりは、学校に行って、スタジオに入って、師事する師匠を見つけて、師匠のアシストをして、そこを卒業しカメラマンになるのがスタンダードです。私も学校は行ってはないですが、師事する人を見つけることができ、何となく道筋を作ってきました。

アシスタントをして10ヵ月くらいたった頃に、師匠が体調を崩されことで、アシスタントがあまり出来なくなりました。それが出来ないということは、給料がもらえないと一緒で、さすがにまずいと思い悩んでいたところ、「別の良いカメラマンを紹介するよ」と言われました。私の中では、師匠の写真が好きでアシストをしたいと思って来たので、別のカメラマンのアシストをするくらいだったら、自分でやろうと決めました。

初めは、当初働いていたBURST編集部を訪ねて、仕事を頂いて、バンド、彫師、アーティストの写真をたくさん撮らせてもらいました。その撮った写真をアルバムに入れて日々営業でした。

営業というのは、かなり根気強さが必要ですね。出版社に電話をしても取り次いでくれなかったりすることも結構あるので、タイミングと運もかなり大切な気がします。仲間の力をお借りして、仕事につながる人を紹介してもらったり、コンビニに行って、営業先を増やすために、雑誌の裏の連絡先をこそこそとメモったりしてました。大胆にやりすぎると捕まるので(笑)

人間を撮ることって本当に難しい

―中山さんにとってフォトグラファーとしての醍醐味は何てお考えですか?

グラビアで人を撮ることが多いので、表情が命です。ピントが合ってなくても、ブレていても、今まで見たことがない表情が撮れたときには、かなり興奮しますね。マネキンではないので、体調やメンタルも大事になってきます。撮影は人と人とのセッションで、相手が男性でも女性でもそれは変わらない。

何をやっても無理なときはありますよ。相性が合わないときもありますからね。そのために、自分も色々と経験して、修行を積まなきゃとよく思います。フリーフォトグラファーになってから8年目になりました。日々勉強です。他の先輩方と比べると、人生経験がまだまだ浅いので。

―被写体の心を上手く引き出せないときは、どう対応しているのですか?

お話をして、心の探りに入りますね! カメラマンそれぞれアプローチの仕方は違いますが、探りながら撮影するのは楽しいですよ。私も探られてますからね。写真は、同じ場所でも、カメラマンが変われば、違う写真が生まれる。例えば、前田敦子さんの写真集のときも、ニューヨークでしか出ない表情を撮ることに集中しました。写真集が初セッションだったので、かなり探りながら撮影しました。

―前田敦子さんの写真集の舞台裏について、よろしければ教えていただけますか?

前田さんを撮影するのは、その写真集が初めて。ニューヨークでの撮影は、与えられた時間は2日間。その短い期間に、どれだけ前田さんの心を摑めるかが課題でした。写真集の中では前田さんに「NYに住んでいて華やかな世界を目指している女性」を演じてもらいました。写真集を三冊連続発売するにあたって、1、2冊目の写真集は、今の彼女を撮影しています。等身大の前田敦子ですね。3冊目は、新たな彼女を撮影したいと思う気持ちもありまして、普段あまり見せない大人の表情を撮ることを意識しました。

―アメリカは3年間滞在した場所ですよね。そこで一番学んだことは何ですか?

環境に応じた柔軟な適応能力ですね。特にロケだと必要と感じることが多いです。ロケの場所がどこだろうと、常にベストコンディションで撮影に挑むこと。前田さんの写真集を撮ったときもそうでした。アメリカで培った能力が役にたっていたと思います。3年間のアメリカの生活は、今も体に染みて込んでますからね。

一瞬の表情を撮れるかが勝負

―ずばりお聞きしますが、中山さんにとって、写真とは何ですか?

写真とは、「一瞬一瞬の思い出が詰まった記録」。

その場所、時間の空気感がすべて写しだされますからね。特にポートレートの撮影は、未だに緊張します。被写体との関係性が写しだされますから。騙せる写真を撮ることが出来るジャンルはありますけど、ポートレートはなかなか誤魔化せないです。写真は人によって感性が違うため、その写真が好きか、嫌いかだと思います。ピントが合っていようがなかろうが、その一瞬の表情を撮れるか撮れないかが勝負ですね。特に人を撮るときはそう思います。一瞬の隙を逃して、被写体の方に人に「もう一回やって下さい」とか、言いずらいですよね(笑)

目標めがけて一直線に突き進む

―まるでキャンバスに絵を描く作業みたいですね!

そうですね。何もないところに自分で作り出すみたいなんだ。それが楽しい。特に、個性的な人間ほど面白いし、学べることも多い。空気感というのかな? あと、色々なジャンルを撮っている先輩と会って話を聞くのは、本当に勉強になるし、考え方が変わるよね。成功している人は貫くものがある。やっぱり、色々な人と会って学ぶ。何が正しいとかはないんだし、人の話はきちんと聞いた方が自分のためだよね。目標に向かっている人と話すと、その人にパワーがあることがすぐに分かりますね。組織の中で生活している人は、目標とする先輩を見つける事が出来ると、仕事に対する気持ちが違ってきますよね。

―中山さんともっとお話をしたいのですが、最後にお聞きしたことがあります。これだけは若者に伝えたいというメッセージはありますか?

んー、メッセージですか……。自分のやりたいことを決めて、それに向かって一直線に突き進んで欲しいですね。目標見つけるために、色々な人と出会って、色々話を聞いて欲しいです。自分の意見も大切だけど、他人の話を聞くことがもっと重要だと思います。そこでたくさん経験して、投げ出さない目標を見つけて欲しいです。行動力がないと、目標なんて見つからないですよ。

例えば、時間があるときに旅に出掛けるとかどうだろう? たくさん遊ぶべきです! 遊んでるときに新しい発見もあるし、仕事できる人も遊び方も上手いですよね。目標が見つかったら、まずは行動することが大切ですね。私もまだまだですから、お互い頑張りましょう!

―今日はありがとうございました!

インタビューアから一言

私が中山さんにインタビューのオファーを出したきっかけは、前田敦子さんの写真集を拝見したことです。彼女の可愛らしい表情はもちろんですが、今まで見た写真集には感じられない、ダイレクトなメッセージが伝わって来ました。今回中山さんとお話させていただいたのですが、私が想像していた以上に、この写真集には中山さんの想いがこもった作品だと思い知らされました。また、このインタビューを機に、個人が大切にしているものも重要だと思いますが、人の話を聞く姿勢の方がもっと大切であることに気付きました。これからも中山さんとの出会いを大切にしていきたいと考えています。

徳井洋平。1989年生まれ。アメリカ合衆国コロラド州出身。1歳半で日本に帰国。小学1年生で再びアメリカのロサンゼルスに移り、中学3年までシカゴなどの様々な土地で暮らし、高校3年間はカナダのトロントで生活し、Pine Ridge Secondary Schoolに通う。大学受験を機に帰国し、立教大学社会学部に入学。現在4年に在学中。大学では、朝から講義、午後は放送研究会のサークル活動のため、多忙を極める。趣味はサッカー観戦で、ACミランのカカをこよなく愛す。