海外生活体験者・学生インタビューvol.112

oomura.jpg 大村森香さん。1990年茨城県生まれ。高校1年の11月に父親の転勤でフィリピンへ。現地のインターナショナル・スクールInternational School Manilaに通い卒業。帰国後は、東京大学理科Ⅰ類へ入学。現在、3年生。ホノルルマラソン走る会や筑波大のYMCAなど、大学外でも積極的に活動している。今年の4月から工学部に進学。

*このインタビューは昨年7月に行われました。

迷うことなく海外へ

―今日はよろしくお願いします。もりかちゃんも私も、日本の高校に入学した後に海外に引っ越した点で、共通しているんだね。私の場合は、受験して入った高校だったから、中退するのが嫌で、ひとり日本に残るという案も出ていたんだけど、もりかちゃんはどうでしたか?

私の場合は、もともと中学3年生の頃にも海外に引っ越す話が出ていて、そのときは英語も勉強したいなと思って、夏にイギリスに語学研修に行ったりと、海外へ行くことには前向きでしたね。高校受験もしないという案があったけど、その海外転勤の話がなくなったので、受験して高校に入学しました。一度そういう話があったから、高校入学後に海外転勤の話が再度持ち上がったときにも、特に迷うことなく海外に行きました。

―では、フィリピンで通っていたインターナショナル・スクールについて教えてください。

小学生から高校生まで1学年約150人いる、割と大きな学校で、とにかくいろいろな人がいたという印象です。日本人も結構いて、アジア人の割合が高かったと思います。最初の1年はESLクラスに入っていて、その後は一般のクラスで授業を受けました。IBの勉強も結構ハードだったけど、頑張っていました。

―勉強面以外ではどんなことに力を入れていたのかな?

放課後のアクティビティで、クロスカントリーとトラックアンドフィールドをやっていました。どちらもシーズン制で、クロスカントリーは8月から11月に、トラックの方は2月から4月にかけて、ほぼ毎日練習してたかな。私の通っていたフィリピン・マニラのインターをはじめ、タイ、インドネシア、シンガポール、台湾とマレーシアにあるインターナショナル・スクール6校で競う、アヤサスという大会が毎年あって、それに出場していました。マニラやタイ、シンガポールでの大会に出場したの。アヤサスという大会は、運動だけではなくて音楽の大会もあったので、コーラスの大会にも出てました。

―海外遠征までしてたんだ! 本格的だね。高校では課外活動にも積極的だったみたいだけど、高校以外で何かやっていたものはありますか?

歌を習っていました。日本でも高校生の時に少しだけ習っていたので。小学校でも合唱部で、歌は大好きなんです。フィリピンでも先生を見つけて教えてもらいました。

―フィリピンの声楽の先生って、日本の先生と教え方は同じなの? 発声方法とか・・・。

うーん、ちょっと違ったかな(笑) でも、基本的には同じだったと思います。

お客さんに構わず歌い続ける店員

―いろいろ面白い経験してるね。では、日本の高校と比較して、フィリピンのインターで良かった点や逆に悪かった点があれば教えてください。

まず、あまり良くなかった点から言うと、日本の学校みたいにホームルームがなかった点です。私はインターに転入する形だったので、ホームルームがあった方が周りの友人にすぐに馴染めたと思います。逆に良かったところは、スポーツがシーズン制なので、1年の間にいろんなスポーツに挑戦することができた点かな。

―少し広げて、日本とフィリピンと比較すると、フィリピンはどうだったかな。

フィリピンの人は本当にフレンドリーで陽気した! 店に行っても店員さんが、お客さんに構わず歌っている……みたいなね(笑) 大きな荷物持って歩いていると、手伝おうかと、周りの人が声を掛けてくれたりと、とても優しい人が多かったと思います。それは本当に良いところだなって思います。

逆に、良くなかったところは、ひとりで出歩けない点ですね。治安の面だけでなく、家からショッピングモールなどの施設までとても遠く、さらに歩行者を想定していないのか歩道は細いので、日本のように簡単にひとりで出歩くことはできませんでした。

―ひとりで出歩けなくて不便だったのは、私も同じかも。どこに行くにも親の送り迎えが必要だったもんね。

国立がダメだったら浪人する覚悟

―では、帰国してからの話に進めたいと思います。森香ちゃんと出会ったのは、予備校時代の女子寮なんだよね。そのとき、森香ちゃんを見ていて驚いたことがいくつかあったので(笑)、聞かせてください。まずは、私立を一校も受験しなかったよね。保険をかけて8校くらい願書をばら撒いた私とは大違い……。

国立に行きたいという希望は固まっていたので、私立は一切受験しませんでした。私立に受かっても、おそらく行く気はなかったし……。本命の国立がダメだったら浪人する覚悟でした。

―受験して合格したのは北海道大学と東大だよね。東大を目指したのはいつ頃からなの?

予備校に通っているうちに、志望校が決まっていったって感じかな。高校の頃は、志望校とか全然考えていなかったので。

―理系の学部に行くことは、もともと決まってたんだ?

うん。ただ、フィリピンに行っていなかったら、自分が理系になっていたかには疑問があって……。英語で授業が行われる環境に置かれると、やはり言語系の科目は英語という大きな壁がありました。でも、数学は世界共通だし、物理や化学も割と日本での勉強と共通する部分があって、気が付いたら自分で理系科目の授業ばかり選択して受けていました。フィリピンに行って理系学生になったって感じかな。

―確かに、数学の授業ではクラスメートと対等になれて嬉しかった覚えはある!(笑)

一般受験で東大に合格する

―では、もうひとつびっくりしたことについて質問させてください。もりかちゃんは東大を一般受験したんだよね。

高校1年の11月にフィリピンに行ったので、フィリピンでの滞在期間は約2年半でした。それが、東大の帰国生入試の受験資格に引っかかって。東大は海外に3年以上滞在が応募条件だったんだよね。一応、高校を卒業して、向こうの成績も3年分あるから大丈夫かもという思いで、願書は提出したんだけど、受験できないという回答が12月26日に来たの。

―えー!? 12月26日に初めて知ったの?

早めに問い合わせて確認すればよかったんだけど、ダメだってわかるのも嫌で(笑)

―じゃあ、それからセンターのために勉強したの?

もともと東北大学も受験する予定で、そのためにセンター試験が必要だったから、申し込みはしてあったの。すでに北海道大学に合格してたから、とにかく挑戦だけしてみようという気持ちになりました。

12月26日に東大から回答が来て、帰国子女枠で受験できないことがわかったんだけど、実はその翌日から家族と京都旅行が決まってて(笑)、京都旅行を堪能してから、センターまで3週間で一気に詰め込んだって感じです。理系科目は予備校で勉強してたので、特に問題はなかったけど、初めて手を付ける現代社会とかが大変でした。

受験の秘訣はお風呂にあり

―年明けに寮のお風呂で会ったとき、湯船に古文のプリント持ち込んで勉強してたよね(笑) あれはびっくりした!

国語も、現代国語から古文、漢文までカバーする必要があったから、お風呂の時間も有効活用していました。さえこちゃんだけじゃなくて、寮母さんからも「お風呂でも勉強するの!?」ってびっくりされちゃった(笑)

―3週間でセンターの文系科目をマスターする秘訣は何かありますか?

うーん、やっぱりお風呂かな(笑) とにかく自分で書いてまとめるのが、いちばん理解も暗記もできる方法だったと思います。

―もりかちゃんの場合は、日本で高校受験を経験しているのも大きかったのかもしれないね。

そうだね。受験に向けて集中して勉強するのは経験していたので。

―ただ、そうは言っても、一般受験で合格しちゃうからすごいよね。受かったって聞いたときは、すごい!っていう思いより、怖いっていう思いを抱きました(笑)

私もびっくりした(笑) ひとりで合格発表を見に行ったから、誰かに確認してもらうまで自分の番号があると信じられなくて。

―もしかして胴上げされた?

胴上げされました(笑) ラグビー部らしき先輩にいきなり胴上げされて……。ズボン穿いていてよかった(笑)

ホノルルマラソンに出たい

―では大学生活に話を移します。大学で夢中になっているものとかありますか?

勉強はちゃんとしているけど、サークルは楽しくてしょうがないです。「ホノルルマラソン走る会」というインカレサークルに入っているのですが、山手線を一晩で一周走ったり、地方のマラソン大会に出場したりしました。1年次は河口湖のマラソン大会や沖縄マラソン、秋田でメロン食べ放題マラソンに参加して、2年になってからは梨食べ放題のマラソンや秋田100キロチャレンジマラソンに出ました。東京マラソンは応募したけど、抽選漏れしてしまって……。いつかはホノルルマラソンに出たいですね。

そして、授業が結構詰まっていた大学1年目に比べ、2年目は、授業のコマ数も減り少し自分の時間が増えました。2年生になってからは、地元の方で筑波大のYMCAに入って、他大の友人など交流が広がりました。YMCAでは、子供を引率して遠足をしたり、海にキャンプに行ったりしています。

もっともっと積極的に!

―楽しそうだね。じゃあこれからやろうとしていることや、あと2年の大学生活で成し遂げたいと思っていることなどがあれば教えてください。

やりたいことがあまり見つかっていないので、それを見つけるのが第一です。東大に入ったのも、いきなり細かい学部に分かれるのではなく、まずは基礎を学んでから専攻を選ぶ制度に魅力を感じた点があるので。希望の専攻を提出して、2年の後期からは専門分野に分かれての授業がスタートするのですが、正直まだ迷っています。

工学部に進むことは自分の中で決まっていますが、その中の専攻で迷っています。成績さえ良ければ、医学部にでも文系にでも進むことができ、選択肢はとても広いんです。大学で勉強をしてから、興味のある分野が変わることもあるので、私の友人にも文系に進む子がいるんですよ。このインタビューがホームページに載る頃には、専攻が決まっているんですね。

あとは、目標とは違うかもしれませんが、自分が関わってきた人間関係を大事にすることでしょうか。中学時代の友人やフィリピンでの友人、そして、予備校時代にできた友人や、大学生になってからも大学内やサークルなど、いろいろなコミュニティがあるので、それを大切にしていきたいと思います。2年後期からは大学で専門に進むので、そこでも新しいコミュニティができるのが楽しみです。

―では最後に、もりかちゃんにとって、フィリピンでの生活が今の自分に影響した部分ってありますか?

最初から積極的に!という意識的な変化が生まれました。フィリピンでは、最初の一歩を失敗したんです。英語に慣れてきてからは大丈夫でしたが、最初はなかなか積極的になれず、静かにしていました。部活とかをやり始めてやっとという状態で。最初からもっと積極的にしないと!という思いが残ったので、大学では1年の始めからいろいろと自分で動くようにしました。その思いは常に持っているようにしています。

今日はありがとうございました!

International School Manila :
http://www.ismanila.org/

インタビューアから一言

もりかちゃんとは予備校時代を同じ女子寮で過ごした中ですが、東大受験に向けて部屋に籠って勉強していたのを覚えています。東大に一般受験で合格したと聞いたときは本当に驚きました。大学では、授業もサークルも楽しんでいる様子が伺え、その充実度がキラキラ話す姿から伝わってきました。新しいコミュニティが増えていっているというもりかちゃんですが、女子寮コミュニティでも今度集まりたいと思います。

interviewee_s_160_profile.jpg 宮崎紗絵子さん。1989年生まれ。愛知県出身。高校1年の夏からアメリカ・カリフォルニア州のサンディエゴで暮らし、Rancho Bernardo High Schoolに通う。高校卒業後帰国し、09年早稲田大学法学部に入学。現在3年に在学中。大学では、法律サークルに所属。大学2年の夏は、早稲田大学とKUMONの産学連携プロジェクトに参加し「日本の子育てをもっと元気に!」を掲げて活動。また、夏と春の2度、NPO法人JUKE主催のジョブシャドウィング(一日かばん持ちインターン)に参加。現在は、ジョブシャドウィングプログラム、RTN Projectでのインタビュー活動を通して知ったNPO法人JUKEのスタッフをしている。