海外生活体験者・社会人インタビューvol.99

yasumi_funatsu.jpg 船津靖美さん。1987年生まれ。佐賀県出身。4歳から1年間モスクワに、小学2年から小学4年までエルサレムに滞在。その後一度日本に帰国するが、中学2年から高校2年までロンドンに渡り、St.Martha’s Senior schoolに通う。帰国後は日本の高校に編入し、一般の大学入試で早稲田大学政治経済学部政治学科に合格。卒業後、日本経済新聞社に入社。現在は整理部に所属し、記事の見出しや紙面を作っている。社会面を担当。

勉強漬けの毎日が続く

―今日はよろしくお願いします! 早速ですが、イギリスでの生活について教えていただけますか?

私は親の仕事の関係で色々な場所を転々としていたので、海外は3度目でした。面談をして、現地校のSt.Martha’s Senior schoolという学校に合格し、そこに6年間通いました。昔海外にいた頃は、インターナショナルスクールに通っていたので、意思疎通はまずまず出来ましたが、生活する上では苦労しましたね。

まずは、流行の言葉が分からないので、同年代の話についていけません。それに、イギリスでは全中学生が一斉に受験するGCSEと呼ばれる試験があるのですが、それがたった2年後に待ち構えていました。トータル10個ほどの科目を全て英語で受けなくてはならないので、ちょっと意思疎通ができる程度の英語力では、厳しいものがありました。

イングリッシュに関しては、言うまでもなく苦しめられましたね(苦笑) 現代英語だけでなく、シェイクスピアなど、いわゆる「古典」もやらなくてはならなかったのですから。また、イギリスの高校を卒業して日本で大学受験する場合は、この成績が響くので、プレッシャーもありました。結局は一般受験でしたけどね(笑)

―え~、それは大変ですね(汗) イギリス生活一般についてはどうでしたか?

今まで住んだことがあった海外の国と比べて、イギリスは断然治安が良かったので、自分でも一人でぶらぶらできたのが、これまでとは大きく違いました。そういう意味では、あまり日本にいた頃と変わらなかったと思います。海外滞在も初めてではなかったので、さほど生活面で驚かされることもありませんでしたし。ただ、やはり英語が大変で、勉強に集中した滞在と言えますね。それと、イギリスにいた頃は旅行もよく行きました。特に、フランスはユーロトンネルを使って30分で行けるので、何度も家族で旅行しました。

―僕もイギリス帰国なのですが、フランスは良く行きましたよ! 中学高校と長年イギリスに住んでられたわけですが、帰国後はカルチャーショックがありましたか?

ちょっと心細いこともありましたが、基本的には何の問題もなく高校に編入できました。と言うのも、私がイギリスに行く前に通っていた学校は、中学と高校がつながっていたため、同じ学校の高校に戻ったからなんです。ただ、以前仲良しだった友だちはみんな部活などでバラバラでしたし、バリバリ日本の生活をしていたので、そうでない自分はちょっと不安も感じました。

それと、帰国の時期が高校2年生の冬でしたので、大学受験が結構近かったんです。しかも、向こうの高校を卒業しないと帰国生として大学受験させてくれなかったので、みっちり他の学生と同じように受験勉強しました。また勉強に集中の生活でしたね(苦笑)

―帰国生でそれはつらいですね(汗)

サークル活動漬けの毎日

―早稲田の政治経済学部政治学科に入学されたわけですが、なぜそれを専攻しようと思ったのですか? また、大学ではどんな活動をされましたか?

新聞を読むのが昔から好きで、その影響もあって政治経済学部に入ったのだと思いますが、大学はサークル活動ばかりでしたね(笑) 英語サークルとテニスサークルの2つに入りました。英語サークルは、とにかくディスカッションをするものでした。サークルの代表が決めたテーマについて討論するのですが、例えば、「東京オリンピックをするべきか」など、社会的な問題を取り挙げていました。

私も2年生からはテーマを何度か決めるようになり、緊張することもよくありました。テーマによってはみんなの食いつきが悪いこともあるので。それと、代表は司会役やディスカッションのサポートもします。例えば、議論が進まない人たちには助け舟を出したり、逆にある人たちだけが熱中しすぎてしまうときは、みんなを混ぜるように工夫したり。最初はテーマ決定や司会進行で失敗もあり、好きでやってたサークルなのに、大変に思うこともありました(苦笑) まぁ、苦手意識もありましたが、おかげでこのときから人前で話すことに慣れることができたかと思います。

テニスは普通のサークルでしたが、それが主催する100kmハイキングというものがあり、それが私にはなかなかのビッグイベントでした。埼玉までわざわざ電車で行って、そこから東京の早稲田まで徒歩で帰るという、バカげたイベントではありましたが(笑) これが楽しくて、グループリーダーを務めたこともありました。なんと1000人ぐらいでぞろぞろ歩くんですよ! すごく疲れますが、最後まで歩きけると、かなりの達成感がありました。

―面白いイベントやサークルで充実していたのですね! ところで、船津さんは大学時代インターンはされましたか?

大学が主催しているインターンに参加しました。履歴書と面談で、沖縄タイムスという新聞社のインターンに参加できました。インターンのために、実際に沖縄まで行ったんですよ! 約2週間のプログラムで、基本的に見学でしたが、もう一人の学生と先輩一人と、一緒に取材も行きました。例えば沖縄で今流行りのお店の店主にお話を聞きに行ったりだとか、裁判所を見学する地元の小学生に取材に行ったりですね。

私がインターンに行ったとき、偶然沖縄の空港で中華航空機が炎上するという事件があったんです。取材には行けませんでしたが、次の日写真を撮りに行きましたね。そんな具合に色々経験させてもらい、また、色んな部門の人についていきました。文化部、社会部、経済部など、様々です。新しい本の書評を記事として書いたときは、採用してくださり、嬉しかったですね。

―すごい充実したプログラムですね!

新聞記者になるということ

―船津さんは昔から記者に興味があったのですか? どんなきっかけで日経新聞社に入ろうと思ったのですか?

そうですね、親も記者だったので、その影響がかなりあったのではないかと思います。子共のころから新聞を読むのが好きでしたし、記者になれれば一番だなと思っていました。けれど、就職活動は新聞社以外も受けましたよ。例えば、サービス業で旅行業界や、日本を訪問する外国人を招待するような会社も受けました。ただ、新聞社を主に受けたというだけです。

日経に入ろうと思った理由は、東京を中心に地方も周れて、経験を積めると思ったからです。地方ならではの有名企業なんかも、日経で働けば知ることができます。例えば、昔ながらの醤油会社などです。普段なら知ることの出来ない地方の経済や社会を知ることが出来るのは、とても面白いと思いました。

―なるほど。海外生活は今のお仕事を選ぶきっかけにはなりましたか? また、仕事内容や進路に影響はありましたか?

経済財政諮問会議は、経済政策全部に対して提案します。特に私は構造改革についてです。例えば、財政・社会保障や労働市場の改革についての提案です。私は安倍総理のときに任命され、その後福田総理のときもここで働いていました。

現時点ではそんな大きな影響はないと思います。英語ができても、取材能力や日本語の文章力があるわけではないので。それに、英語ができる同期は他にもいっぱいいますが、だからといってやりたい仕事がすぐに出来るなんてことはありません。どんなに英語が得意でも、結局は日本語を使うわけですし、記者としての腕を磨くことが第一です。海外はいずれ行きたいとは思いますが、今は日本を周って経験を積みたいですね。

―日本語の新聞社に勤めるからには、やはり日本語が大切ですよね。具体的にはどんなお仕事をされているか、お話いただけますか?

私は整理部という部署に所属していまして、社会面を担当しています。紙面を作るのが仕事ですね。主な業務は記事の見出しやレイアウト、大きさ、順序を考えることです。一言で言えば、編集者のような仕事ですね。新聞は読みやすくなるよう工夫がされているんですよ。似た関連の記事は近くに配置したり、わかりやすい見出しをつけたりです。

また、記事の内容量の決定や、そもそもその記事を載せるかどうかも検討します。こうした仕事を私たちは一人一枚、毎日出勤するときに任されます。それと、新聞は地域によって、少々構成や内容を変えています。私は、今は東京、中部および全日(ぜんにち)と呼ばれる、夕刊が行かない地域の紙面作成を手がけているのですが、地域別に少しずつ新聞の中身を変えています。

例えば、地方の新聞では地方のニュースを多めにします。同じ記事も、地域によっては取り扱いを大きくしたり小さくしたり、あるいは載らなかったりもするんですよ。こうして紙面作りを進めて行き、最後は他の社員とお互いに確認し合い、相談しながら、最終版を作成します。最終チェックが終われば、その紙面が刊行されることになります。

―そうなんですか。初めてそういったお話を聞きました。

仕事は常に時間との戦い

―と言うことは、一日たくさんの記事を読むことになるんですね。船津さんが手がけた紙面というのは、どのくらいの頻度で、実際に外に出回っているのですか?

もう頭がパンパンになるくらい、毎日記事を読んで、見出し作りに奮闘しています(笑)私の紙面は、ほぼ毎日、何かしらの形で発行されてますよ。東京のであったり、地方のであったりですね。大体、週に5、6日出社しているので、それと同じくらい私が作った紙面が出ています。

―すごいですね! 僕もきっと何度か船津さんの作った紙面を読んだことがあるのでしょうね。お仕事をされて、どんなとき新聞社の仕事っていいなと思いますか? 逆にどんなときは大変ですか?

単純に自分が考えた見出しが残ると嬉しいです。それと一人で失敗することなく紙面を完成させられるのも嬉しいですね。それが外に出回りみなさんの目に触れるわけですから。

大変なことはたくさんありますよ(笑) まず、新聞社の仕事は常に時間に追われます。〆切が毎日あり、その時間内で短い文章で見出しを考え、紙面を作り上げなければなりません。結構バタバタすることになります。なんといっても、時間がプレッシャーですね。

私は朝刊担当ですが、その場合働く時間帯はとても不規則になります。基本的に仕事は朝の2時半までなんです。仕事が大変なときは、それからどんどん時間も延びますし、場合によっては泊り込みのことだってあります。仕事スタートは大体午後の4時からです。本当に周りの人とは異なる時間帯で働くことになってしまうんですね。ちなみに、夕刊担当の方の勤務時間は朝8時から午後6時までです。

また、新聞は基本的に毎日発行されますから、土日に働くこともあります。他の日に休むこともできますが、仕事自体は本当に不規則ということです。そして、やはり疲れますね。パソコンとずっとにらめっこ状態ですので(笑)

―そこまで不規則ですと大変ですね。。。

オープンになんでも興味を持つ

―記者に向いてる人はどんな人だと思いますか?

何にでも興味を持って楽しめる、好奇心旺盛の人が向いていると思います。毎日すごい量の記事を読むわけですが、それを楽しめないと仕事も大変でしょうし。ニュースを一般の人が読む前に真っ先に知ることができるので、そこでワクワク出来るといいのではないかと思います。

記者は様々な分野に顔を突っ込むことになります。同じ分野を退職するまでやり続けるわけではないですから。私も今度はスポーツ面を担当するかと思います。オープンになんでも興味を持つことは大切です。それとやったことがないものをやってみるのも重要だと思います。

―ありがとうございます! 最後に就活生に一言いただけますか?

新しいことをやってみるというのは、何も記者だけでなくて、学生のみなさんにもお勧めできることです。何事も経験ですが、それだけでなく、色々な切り口から話が出来ますから。それは説得力が増すだけでなくて、本当に色々な活動をされたんだなと、面接官も感心させられるはずです。話の引き出しが多いのは必ず役立つはずです。やらず嫌いはもったいないので、是非なんでもトライしてみてください!

―今日はインタビューにご協力くださりありがとうございました。

St.Martha’s Senior school :
http://st-marthas.co.uk/

インタビューアから一言

船津さんは幅広い分野に興味があり、どんなものも学ぼうという姿勢を持っていらっしゃいます。また、優秀な記者を目指して、日本の地方でまず経験を積みたいという思いは、我々帰国生にとって、大事にしなければならない考え方の一つではないかと思いました。海外の知識が少しある反面、日本についてあまり知らない部分もあるのが、今の私の現状です。まだまだ日本について勉強する必要があると、インタビューを終えて思いました。優秀な記者として船津さんが活躍されることを期待しています!
中野雄介。1989年東京都生まれ。小学校3年生のときにイギリスへ渡りサリー州に滞在。Whitgift Schoolに11年生(15歳)まで通い、その後日本の高校入学に合わせて帰国。国際基督教大学高等学校に入学し卒業後は国際基督教大学に進学。現在教養学部アーツサイエンス学科の4年生。専攻は経済学だが、リベラルアーツの教育方針の下で、経済学以外の科目も多数学ぶ。部活動ではソフトボールをしており、経験者に負けぬよう練習に取り組んでいる。