海外生活体験者・学生インタビューvol.118

50/img/interviewee_s_246_profile.jpg 綾春佳さん。1990年生まれ。小学4、5年をTexas Houstonで過ごし、Frostwood elementary schoolに通う。その後New Yorkに移り、そこで小学6年、中学1年を過ごし、Scarsdale middle schoolへ通う。帰国後学習院女子中等科に編入。学習院女子高等科を卒業後、慶応義塾大学に入学。現在、法学部法律学科3年に在籍。大学では、民法系のゼミに所属し、現在国家公務員を目指して勉強中。

突然自分の中で意識が変わった

―アメリカに行くまでの綾さんはどんな女の子だったの?


一言で言うと、くそ真面目で、クラスに一人はいる先生の言いつけを守る女子だった(笑) 今思えば、自分に自信があって強がっていたんだと思う。自分の思ったこと、言いたいことをズバズバ言う子だったな。そのときは今とは違って、運動も図工とかも苦手で、家でずっとピアノを弾いていたり、勉強を頑張っている子だったよ。

―自分の考えをちゃんと主張できるのなら、アメリカは綾さんに合っていたんじゃないかな?

確かに、自分は論理的に物事を考えてそれを言う子供だったけど、アメリカの子供の行動にはそれが通じなかったんだ。例えば、いきなり私の席を勝手に取って、それは自分のものだって主張してきたりね。返してって言いたいけど、上手く喋れないから、逆に内省的な子になっていったと思う。色々自分で考えてしまって。アメリカの小学校に入って間もない頃は、言う前に考えるようになっちゃった。

―他の国言葉で、自分の気持ちを伝えるのって、難しいよね。英語は自然に身についていったの?

両親の力が大きいって思う。アメリカ行く前に、英会話や筆記体を勉強させてもらったんだよね。だから、アメリカに行く前には、すでに簡単な会話や筆記体でノートをとるくらいなら出来たんだ。アメリカでは家庭教師をつけてくれたしね。すごく怖かったけど(笑)

3か月くらいで話していることはかなりわかるようになってきたよ。ただ、常に英語に触れる努力はしたんだけど、スピーキングはできなかった。間違っていたらどうしようって、そこを恐れていたんだ。半年くらい経ったら、突然自分の中で意識が変わって、「とりあえず間違ってても喋ろう」って気持ちになったんだ。喋ってみたら意外に喋れて、そこからどんどん話すことが上達していったな。

―なるほどー、自分の中で変わろうとしたんだね。

日本とアメリカの初等教育を経験して

―カルチャーショックは他には何かなかった?


私の言ったHoustonの学校では、英語喋れない人間が珍しいんだよね。日本人はいたんだけど、みんなペラペラだった。他に、例えば授業のスタイルが日本と全然違う! チャイムがなかったり(笑) 教室の秩序が全く違うよね。日本みたいに黒板に向かってばかりじゃないし。時には、みんな地面に座りながら授業受けたりもするんだよ(笑) あと、生徒の発言の仕方が違う。本当に自由気まま。思ったことをすぐ口に出してる。先生もどんどん質問を生徒に振ってくるんだよ。やっぱりそこが日本と全然違うなって思ったな。

―だから、アメリカや欧米では、ディスカッションやプレゼンが上手い人が育つんだろうね。じゃあ、あっちで挑戦していたことを教えて!

凄く印象が強かった出来事が、体育と図工で褒められたことなんだよね。そこで自信がついて、私のアーティスティックな部分がどんどん伸びていった(笑) その後向こうでストンプっていう身近なものでリズムを作り出すパフォーマンスグループのDVDを見て、自分もやってみたいって思った。台所でお鍋や包丁使ったり、バスケットボールをつかったり、凄くクリエイティブなんだよ! 日本に帰ってきてからも、高校生のときにストンプを布教活動して、文化祭などで形にして披露したんだ。現在は社会人と一緒にやってるよ!

―日本に帰ってきてから、何か自分の中で変化はあった?

私は日本とアメリカ両方の初等中等教育を経験して、その違いを目の当たりにしたから、教育に興味を持つようになったんだ。特に、アメリカの授業スタイルに衝撃を受けた。日本は受動的で一方的だなーって感じさせられたよ。みんなで体を動かしながら勉強したり、羊の脳味噌切ってみたり、こんなこと今の日本の小学校では考えられないよね(笑) 中学生のときは、授業で何に関しても意見を書かされたなぁ。そういう経験を通じて、アメリカの教育の良さや、逆にこれは日本の教育の方がいいなって部分を客観的に見ることが出来るようになったんだ。

「アメリカひとりで横断してきます!」

―教育に対して、自分から何かアクションを起こしたりもしたの?


日本に帰ってきてから、ずっと漠然と「日本の教育を変えたい」と思っていたから、大学1年生のときに文科省でインターンをしてみたんだ。だけど、いまいちピンと来なかった。なんかすごく保守的な組織に感じたんだ。それに、教育を変えると一言で言っても、実際は教育問題も他の問題と密接に絡んでいて、教育の分野の中だけで解決できる話ではないよね。

だから、今から選択肢を絞らず、とりあえず視野を広げなければと思った。職業や年齢を問わず色々な人から話を聞いたり、ジャンルを問わず様々な本を読んだり、「経験が第一」をモットーに何事にも挑んだよ。浪人期の疲れも取れてきて、ピアノもストンプも再開したしね。

でも、充実はしているし、興味も広がったんだけど、やはりいまいち何かピンと来ないんだ。ずっと、「教育」「海外」というところが、引っ掛かってた。だから、いつか「ここぞ」というときのために使おうと貯めておいた貯金を叩いて、大学2年の夏にひとりでアメリカ横断の旅に出ようと思い立ったんだ(笑)

―いきなり「アメリカひとりで横断してきます!」ってメールが来たときは驚いたよ(笑)  あの旅は今の綾に何か影響を与えた?

旅の途中で様々な人と出会い、大学生になって同じように将来に悩む旧友と再会して語り合うことで、さまざまな人の夢や考えに触れることが出来たよ。それから、横断中の列車での果てしなく暇な時間(笑)という、何もすることがない状況の中で、ゆっくり一人で考えることができたのも大きかったな。

その旅の中で、自分は教育に興味があるのは確かだけど、それは突き詰めれば日本を良くしたいということ。それは、人材が第一の資源といっても過言ではない日本で、いい人材を育てたいという思いがあるからではないかってことに気づいたんだ。

どんな仕事に就いても、海外生活で得たことは既に自分の土台になっていて、色々な形で役に立つだろう。だから、それを将来に無理に活かそうと考えなくてもいいって思えた。それまでは、将来のビジョンについて、海外に焦点を当て過ぎていたんだ。要するに、この旅で、世界の広さ、無限の可能性、そして、自分の視野の狭さに気づいて、本当の意味で視野を広げることの大切さを実感したよ。

―じゃあ最後に、残りの大学生活をこれからの将来にどうつなげていきたいのかな?

私はこれまでの大学生活で、将来やりたいことを絞るどころか、逆に将来を模索する上では選択肢を広げてしまったと言えるよね。そういう意味では、白紙に戻ってしまったとも言えるけれど、焦ってはいない。できる限り時間をたっぷり使って、色々なものに触れてみようと思った。だから、とりあえずただ視野を広げると言っても、知識が足りなくてはどうしようもないので、色々な業界の知識を集めてみようと思う。

将来的には、やはり国のためにする仕事に興味がある。最近では官庁の合同説明会に参加するなかで、まだなんとなくではあるけど、経済産業省に惹かれ始めたんだ。教育には、まだもちろん関心はあるけど、様々な人材を育てていくという点においては、「学校教育」というところに固執しなくても、他の色々な方面からアプローチできると思う。

とりあえず今は、可能性を狭めないために、公務員試験に向けた勉強だけでなく、多くの人に会って様々な知識をつけようと思っているよ。民間も興味があるし、尻ごみせず、色々なことに挑戦していきたいと思う。そして、海外生活のときのように、大学生活の間に挑戦と失敗を繰り返して、もっと打たれ強くなってから社会に出たいな。

―綾さんが10年後どのような人になっているのか、すごく楽しみだよ! 今日は忙しいなか、時間を割いてくれてありがとう!

インタビューアから一言

私と綾さんは浪人時代からの付き合いなのですが、今回インタビューをして、初めてそのクリエイティブな発想、チャレンジ精神の旺盛さの源となるものを知ることが出来ました。質問に対する受け答えがとても丁寧で、一つの質問に対し、様々な視点からの考えを述べてくれました。まだ、将来やりたいことが明確に決まっていないとのことですが、彼女ならその持ち前の創造性を存分に発揮し、どの方面でも人に影響を与えるような人物になるのではないかと感じさせられました。インタビューを受けてくださって、ありがとうございました!

interviewee_s_117_profile_3.jpg 田島慶人。1989年生まれ。小学3年から中学3年まで、父親の転勤でオランダで過ごす。アムステルダム日本人学校を卒業後、筑波大学付属高等学校に入学。09年中央大学法学部法律学科に入学。10年にUniversity of California, Irvine の夏季ビジネスプログラムに参加。大学では、バスケサークルの代表を務める。3年からは峯唯夫ゼミで知的財産法と格闘中。