海外生活体験者・学生インタビューvol.119

interviewees_s_120_profile.jpg 丹羽浩司さん。1989年10月18日生まれ。愛知県出身。両親の転勤により、8歳から10歳までミズーリ州、11歳から高校卒業までミシガン州デトロイト過ごす。Walled Lake Central High Schoolを卒業後、家族と共に帰国し、中央大学文学部社会科学社会情報学専攻情報コミュニケーションコースに進学。インカレのポーカーサークルに所属し定期的に活動。また、自作PCが趣味。現在、3年に在籍している。

テキストが全部CDに入っていて

―丹羽くんは、いつからアメリカに行っていたの?


愛知県出身なんだけど、小学2年生の2月から両親の仕事の都合で引っ越して、高校卒業までずっと向こうで過ごしたよ。最初は、ミズーリ州という田舎に住んでいて、とにかく広くて何もない印象だった。当時は、英語が喋れないのが悔しくて、よく泣いていたかな。ミズーリ州には、日本人があまりいなくて、現地の公立の小学校に通っていたから大変だった。英語はESLクラスという、英語が第2言語の生徒用のクラスで勉強して、だいたい2年くらいで、リスニングもスピーキングできるようになって、学校が楽しいと思えるようになったよ。

5年生の10月に、転勤でミシガン州に引っ越すことになっちゃたんだよね。せっかく英語が喋れるようになって、友だちとも仲良くなって楽しい時期だったから、離れるのは寂しくて。それに、慣れない英語を使って、知らない土地で、もう一度始めから友だちを作るのは、憂鬱だったなあ。だけど、そんな心配は無用で、ミシガン州のデトロイトの外れは、治安が良くて日本人がたくさん住んでいる地域だったから、現地の公立高校にも、日本人がたくさんいたよ。

それが嬉しくて、2年間くらいは日本人とばっかり遊んでいたなあ。英語を全然使わなくなって、せっかく苦労して覚えた英語を忘れて、反省したよ。せっかくアメリカに住んでいるのだからと思い直して、アメリカ人とも遊び始めて、英語をちゃんと覚えた感じ。それから、高校卒業までデトロイトで過ごしたよ。

―向こうの中学はどんな感じ?

うーん、どんな感じって言われると難しいな(笑) 日本の中学校がどんな感じかわからないから比較はできないけど、僕の中学では普通のクラスとパソコンを使うクラスの2種類あって、僕はパソコンを使って授業をするクラスだったね。テキストが全部CDに入っていて、数学、英語、社会、科学とかの授業を全部パソコンでやるシステムだった。当時にしては、すごくハイテクな授業システムだったなー(笑) そのおかげでブラインドタッチもできるようになったし、パソコンについて詳しくなれたよ。毎日大きいノートパソコンを持ち歩くのは大変だったけどね(笑) 高校からは、そのシステムがなくなって、普通の授業だった。

―高校時代はどんなことしていたの?

高校時代はとにかく多趣味だった。中学からオーケストラに入って、バイオリン弾いていた!

―えっ! 初耳だけど!?

あれ、言ったことなかったっけ?(笑) 6年生から10年生まで、5年くらいかなあ?  同時にギターも始めて、最終的にはまって、バンドを組んで熱中していた! あとは、学校のクラブでテニスをやって、スケボー、スノボもしていた! 青春だったなあ(笑)

―ずっとPCオタだと思っていたよ……。ごめんね(笑) 授業はどんな感じ? ハイスクールは日本の大学みたいって聞くけど!

本当に日本の大学みたいだよ。授業が決まってなくて、必修と選択で授業を組んで単位を獲得する感じ。おもしろい授業が多くて、僕は筋トレが当時趣味だったから、履修していた(笑) 成績は、日本と同じようにテストで評価されて、AからFで判定がでるんだ。日本にはないみたいだけど、GPAシステムも高校からあるよ。

―そういえば、ずっとアメリカにいたのに、日本語上手だよね。ちゃんと漢字も読めるから、ちょっとびっくりしてたんだよね。

本当に? ありがとう。僕は、家では日本語だったし、アメリカに行ってからは、毎週土曜日に、日本人学校に通っていたからかな。日本語、歴史、社会、基本的なことを中学校まで学んで、高校からは小論文、数学だけだったよ。アメリカの数学の授業は遅れているから、日本に帰国したときのためにフォローが必要で、ずっと授業があったよ。あと、日本語の文章を書く機会がないから、もしそこで練習していなかったら、日本語は苦手になってたかも。そうならなくて良かったと思ってる。

―どうして、日本の大学に進学しようと思ったの?

僕は、ほとんどアメリカの学校でしか勉強したことがなかったから、単純に日本の学校に憧れてたのと、日本の大学は楽って聞いていたからだよ(笑) それは冗談として、両親の帰国も大学進学の年に決まっていたから。結局、両親は愛知に帰って、一緒には住んでいないんだけど、すぐに帰れる距離にいるのは安心だよね。

―受験に対する不安は?

僕は楽観的な性格だから、不安は全くなかったよ。なるようになると考えていたからね。帰国後は予備校に通って、小論文・英語・面接の勉強をして、すぐに受験が始まって、バタバタ忙しかったのが辛かったかも。10月には、中央大学に合格することができて安心したよ。僕の人生で、最初で最後の受験は、あっという間に幕を閉じて、それから入学までの間は、予備校で友だちになった人とたくさん遊んで、いい思い出ができて楽しかったなー(笑)

―ずっといたアメリカ離れるときの心境は?

当初は、5年間の転勤の予定でアメリカに引っ越したから、ずいぶん長引いて、正直帰りたい気持ちの方が強かった。最初は、アメリカから離れたくないって気持ちが強かったんだけど、1年延長、また1年延長……って繰り返していくうちに、いい加減にしてくれ! という状態だったから、本帰国が決まったときは嬉しかったなー(笑) 友だちと離れるのは寂しかったけど、離れていても友だちであることは変わらないから、新しい環境でまた頑張りたい気持ちが強かった!

―久しぶりの日本の印象はどうだった?

とにかく狭くて、最初は窮屈でたまらなかったね。アメリカは本当に広いよ。あとは、日本人はみんなオシャレだと思った! 言い過ぎかもしれないけど、アメリカでは、Tシャツ、ジーンズ、パーカーの組み合わせを変えて着てれば、なんにも問題なかったんだ。だけど、日本人はスキニージーンズとか履いていてびっくりした! 向こうだったら、ゲイっぽく間違われちゃうからね(笑)

よく言われることだけど、ご飯は本当においしくて、帰国した直後は食べ過ぎてちょっと太ってしまったよ。それから、やっぱり日本は治安がいいなと思った。長く住んでいたデトロイトは、外れの方だったから治安が良かったけど、ダウンタウンは治安が悪くて、銃声も聞いたことあるし、怖いと思っていた。車で移動しなくても、だいたいどこでも遊びに行けるっていうのも、日本はすごくいい部分だと思うね。

―そうなのね。大学に入ってからはどう?

話で聞いていた通り、本当に楽で、こんなに楽でいいのか! という印象しかなかったよ。最初は、友だちできるかなーとか心配だったけど、問題なく馴染めて、今はTwitter、アニメ、ゲームをして楽しんでいるよ。

―みんな見ていますよ!(笑)

別に隠しているわけじゃないから、大丈夫だよ(笑)

―最後に将来の夢は?

普通に就活して、週末はダーツとかアニメが楽しめるサラリーマンになれれば良いと思っているよ! 人生、楽しく過ごさなくちゃね!

―今日は大事な時間を割いてくれて、本当にありがとうございました!

Walled Lake Central High School :

http://www.wlcsd.org/central.cfm

インタビューアからの一言

丹羽くんは、とても仲の良いと友だちですが、彼の海外生活のことは、何も聞いたことがなかったので、インタビューするのがすごく楽しかったです。とてもPCに詳しいので、アメリカ時代もPCばかりしている少年だと思っていたところ、スポーツに積極的に取り組むなど、意外な一面を垣間見ることができました。とにかく、彼はとてもポジティブなので、私も見習えるように頑張りたいです。今回はインタビューに協力してくれてありがとうございました。

interviewees_s_250_profile.jpg 梅澤実樹。1989年生まれ。東京都出身。公立小学校、中学校を卒業後、私立中央大学附属高校へ進学。高校卒業後は、中央大学商学部会計学科へ内部進学。現在、学部4年に在籍。大学では、インカレのポーカーサークルに所属し活動。幼い頃にそろばんを習っていたことにより、数字好きになる。現在は将来数字に強いビジネスパーソンになることを夢見て頑張っている。