海外生活体験者・学生インタビューvol.120

interviewees_s_120_profile.jpg 服部茉歩さん。1990年生まれ。7歳から15歳までアメリカ合衆国のケンタッキー州フローレンスに滞在。現地のElementary SchoolとMiddle Schoolに通い、日本の高校入学に合わせて帰国。名古屋の千種高校を卒業後、東京外国語大学外国語学部へ進学、現在朝鮮語学科3年生。日本語、英語にとどまらず、朝鮮語、スペイン語、オランダ語と、語学力を身につけようと日々努力している。

日本語上手になった?(笑)

―アメリカで暮らしていた頃、小学校、中学校時代は何が好きだったの?

小さい頃からすごく自然が好きで、キャンプとかに行くのが好きだった。学校や家族で外でキャンプするのが夏休みの楽しみだったかな。庭も広かったし、木登りとか、外でスポーツして遊んでた。

小学校からピアノも習い始めて、中学ではバンドとコーラス部に入ったよ。音楽も好きなの。学校でバンドという自由科目があったから、そこでパーカッション始めた。パーカッションはドラムだけじゃなくて、鉄琴、木琴、タンバリンとか、いろいろあっておもしろいのよ。

―じゃあ、中学から音楽好きになったのね。パーカッションでどれが一番好きなの?帰国してからも音楽を続けたの?

ドラム! 友だちとバンド組んだりして、ドラム続けたよ。学祭でライブもできて楽しかった。体操とダンスもやったり、結構アクティブな高校生活だったよ。

―体操もしていたの!? なんでもできるんだね(笑) 帰国してから大変ではなかった? 海外生活長かったし、日本語とか忘れない? それとも最初に英語覚えるほうが大変だったのかな?

アメリカへ行ったときは、まだ小さかったから英語は自然に覚えたよ。最初は分からなかっただろうけど、あまり覚えていない。現地校に通っていたけど、日本人も少なかったから、すぐ身に付いたと思う。宿題も会話も、ずっと英語環境にいたから、英語の方が得意になった。

毎週土曜日には日本語補習校があったけど、アメリカの中学校で水泳部に入っていたから、試合が土日にあると行けないことが多かった。弟もいるけど、お互い英語の方が得意になると、自然に家族内でも英語が混じることがあったんだよね。そのせいで、日本語を忘れたり、帰国したときは本当に大変だった。でも、日本語の環境に戻って勉強していたら、だいぶ分かるようになったよ。

―わかる! 日本語補習校通っていても、現地校の友だちの方がいっぱいいて、日本語あまり使わなくなるよね。「だいぶ分かるようになった」て、日本語上手だよ(笑)

日本語上手になった?(笑) ありがとう!

なんでも「当たり前だよ」と言われると

―アメリカも日本もたくさん経験していると思うけど、生活を比べてみてどう思う?

そうだね、アメリカも長かったから、懐かしくて戻りたいときもあるよ。私から見て、アメリカの方がいろんな生活があると思う。私は日本語より英語のほうが得意だからかもしれないけど、日本ではリミットが多い。伝えたいことがうまく伝わっているかどうかとか、小さいことかもしれないけど、自分にリミットを感じることが多い。

高校では団体行動も多かったし、みんなに合わせないとダメという考えは、あまり好きじゃない。一般的な考え方で、みんな大学に行って、仕事をするのがあたり前っていう考え方にも共感できないかな。たくさんのことに対して、なんでも「当たり前だよ」と言われると、なんか嫌なんだよね。

あとは、電車はすごく便利だけど、狭いのが(笑) やっぱり、アメリカのほうが広々としいて、自然もいっぱいだったから好き。

―わかる! アメリカではいろんな人種や文化もあるし、確かにいろんな生活があるよね。しかも広くて、雨にぬれずに車でどこでも行けるのもいいよね。私は敬語が一番大変だと思ったな。

そうそう、敬語とか上下関係も難しくて日本の生活を大変に感じたりする。「すいません」はいいけど、「恐れ入ります」とか言うと、すごく自分を下げているように聞こえてしまう。だけど、敬語はリスペクトを表していることも分かるから、大事だとは思う。敬語を使っている人を見ると、お互いリスペクトし合っていて、尊敬しあってるんだろうなとか思うときもある。でも、尊敬していない先輩とかには、特に使いたいと思わないけどね(笑)

―その気持ちもわかる(笑) 敬語覚えるのも大変だよね。アメリカと日本のコミュニケーションのやりとりは本当に違う。どちらかというと、アメリカの生活のほうが好きみたいだけど、大学でまた行こうと思わなかったの? 進学はどう決めたの?

ずっと戻りたいと思っていたけど、高校受験のときにアメリカの大学という選択肢に気づかなかった。帰国生は多かったけど、周りも日本の大学を受験していたし、それが普通だと思って受験頑張った。でも別に後悔はしていない。アメリカの大学に編入や留学もしようと思えばできると思うけど、日本も好きだから(笑) リミットを感じることも多いけど、日本でも多くのチャンスもあって、これからもあると思う。

オープンな人間になりたいと思っている

―大学での生活とかも教えてくれる? サークルやバイトは? どういう授業を受けているの

サークルは韓国の太鼓を叩いている! サムルノリといって、外語祭で演奏したり、小学校にいって演奏してあげたりするの。バイトは家の近くの居酒屋でしている。授業は言語学と言語人類学が好き! 朝鮮語以外に、スペイン語、フランス語、オランダ語を学んでいるよ。

―私も語学好きだよ! フランス語勉強しているけど、難しい。Multi-lingualになりたいの? 言語人類学ではどういうことをするの? 大変な授業なの?

なれたら、なりたいな!(笑) 言語人類学は、言語がひとや生活に実際どう影響するか勉強するの。例えば、自分たちで新しい言語をつくったの。どういう環境にするかを決めるとき、私のグループは、ラクダと人が共存する砂漠を考えた(笑) ラクダは人より位が高く、敬語を使わなくてはいけない。人と人の間には敬語など一切なくて、みんな平等。その他、砂漠で必要のない、ないものに対して呼び方はない。例えば、砂漠では雪は降らないから、「雪」という単語がない。最後に会話をつくって、スキットでみんなの前で披露したのよ。

グループワークでやるんだけど、文法も考えなくてはいけないから、大変だった。でも、ラクダのほうが人間より偉いとか、変わった設定を作ったり、楽しかった。新しい言葉を考えるときも、ないものには呼び方がないのは当然だけど、そこまで深く考えたりすることも今までなかったから、すごく面白かった。

―将来は何になりたい? 将来に向けて何か頑張っていることはある?

これからゼミで、ひとの「Identity」は異なる環境で育つとどう変わるのか研究したいと思っている。例えば、日本とアメリカをコンバインして、どのような生活を送っているのか知りたい。きっと辛い経験もしている人もたくさんいるから、円滑にうまく生活できるような方法や、本当に理解してもらえるカウンセリングとかがあればいいなと思う。そのために、いろいろ研究して、将来に活かしたい。

私は「日本人」に偏っていないから、オープンな人間になりたいと思ってる。人と人を繋ぐ仕事ができたらいいなと思う。朝鮮語もある程度話せるようになったから、例えば、日本人、韓国人、アメリカ人を繋げたい。仕事は、まだ何をしたいか分からないけど、国連や外交に興味あるよ。独立していて、世界中で仕事のできる女性になりたいな!

Walled Lake Central High School :
http://www.wlcsd.org/central.cfm

インタビューアからの一言

服部さんは小さい頃から習い事もたくさんしているので、とても活発で多くのタレントを持っています。自分のペースで、やりたいことをとことんやるアクティブさと努力に惹かれました。自分を日本人に偏らせず、多くの言語を学ぶことによって、人と人をつなげたいという思いはきっと叶うと感じました。それが実現することを期待しています! 頑張ってください! 今回のインタビューを引き受けてくれて、ありがとうございました。

harada.jpg 原田幸実。1990年アメリカ合衆国オハイオ州生まれ。16年間シンシナティで過ごす。Sycamore High Schoolへ2年間通い、2006年の9月から神戸市立葺合高校へ編入。現在は早稲田大学国際教養学部に在籍中。大学ではビジネス、文学、フランス語など複数の科目を勉強中。ゴルフサークルに所属し、サッカーサークルのマネージャーもしている。