海外生活体験者・学生インタビューvol.121

interviewees_s_159_profile.jpg 高橋篤哉さん。1989年東京生まれ。日本の小、中学校を卒業後、高校の3年間オーストラリアに留学。Cairns State High Schoolを卒業し、2008年に立教大学経営学部経営学科に入学。現在4年に在籍する。インカレのポーカーサークルに所属。来年4月からIT系企業に就職の予定。

―今日はよろしく

こちらこそよろしく!

俺相当かっこいいんじゃない!?
 
―まず、高校でオーストラリアに留学したってことだけど、中学まではどんな感じだったの?
 
幼稚園のときは、体が弱くて、半分以上幼稚園を休んでた。小学校に上がるにつれて、丈夫になっていったけど、低学年のころはかなり大人しい子供だったね。友だちがいない訳じゃないけど、1人で絵を描いてる時間が一番長かった。高学年になるとサッカーを始めたんだけど、その頃はまだ全然ヘタで、「ガキ大将の手下その4」位のポジションだったね(笑) でも、6年生になるときには、もうほとんど風邪もひかなくなった。
 
中学は絶好調だった。小学校がかなりの進学校だったから、入学当時はかなり勉強出来る方だったんだよね。6年生のときは学年で下から5番目くらいの成績だったんだけど、それが中学1年では学年3位みたいな。サッカーもだんだん上手くなって、ギターも始めて、バンド組んでライブやったりして、今思えば当時はリア充してたな(笑)

―てことは、女の子にもモテてたの?

ところが、それは全然だった(泣) 別に興味がなかったわけじゃないけど、それよりも、もっとサッカーとか、ギターとか、テレビゲームとか、そういうのに夢中でさ。とにかく男の友だちといつも一緒にいたから、あんまり女の子と喋った記憶はないな。今思えば、少し後悔するようなしないような……。まあバンドやったり、当時は本当に凄く楽しかったから、いいんだけどね(笑)

そのバンド繋がりなんだけど、当時は洋楽を聴き始めた頃で、とにかく英語が出来るようになりたかったんだ。あと、漠然とだけど、これからの社会では英語が喋れれば有利だと感じてた。まあ、その頃はリアルに厨2(病)だったから、「15歳で単身留学に行ったら俺相当かっこいいんじゃない!?」って思ってさ(笑) そう考えると居ても立ってもいられなくなって、これは留学するしかないって決めた。親も賛成してくれて、オーストラリアに3年行くことになった。今は行って本当に良かったと思うし、親の理解と決断に物凄く感謝してる。

―厨2恐るべし! 最初から英語はできたの?
 
まさか! 全然わからなかったよ。でも、オーストラリアは1月から学校が始まるから、高校入学する前に、半年くらい語学学校で勉強する期間があったんだよね。そこでは、かなり真面目に勉強して、大体の文法とか、基本的な会話とかは出来るようになったかな。やっぱり、英語の基礎の部分は、この時期に身に付いたって、今でも思う。

やたら発音よく、文法めちゃくちゃ

―なるほど。高校は最初どんな感じだったの??
 
まず、高校に初日登校するときは、かなり緊張したね。公立の高校だったから、日本人は自分1人。英語もいくら半年勉強したからといって、ロクに喋れるわけでもない。いじめられるかと思った(笑) でも、結果的には全然そんなことはなくて、すぐに友だちが出来た。やっぱり、サッカーとギターが出来たのが大きいと思う。オーストラリアの高校生はみんな不器用で下手だったから、両方とも自分が一番上手かったんだよね。中学のときに目一杯遊んでおいて、本当に良かった(笑)
 
―そうなんだ。じゃあ高校も、そのまま絶好調??
 
いや、そんな美味い話はなかった(泣) 最初の1年は、何もかも新鮮で、充実してたんだけど、2年目になると、なんか飽きて来ちゃったんだよね。俺がいたケアンズって、観光地として有名なところなんだけど、まぁ、かなりの田舎でして、やることも、スポーツかパーティかバンドくらいしかなかったんだ。それで、当時の俺は、東京と比べて、なんかつまらない街だなって思うようになった。そのまま東京の高校に行った方が楽しかったと思う日々もあった。
 
でも、途中から、せっかく留学しに来たんだから、せめて最低限の経験とか、得るものは得て帰ろうって思うようになったんだ。向こうでも、バンドを組んでライブやったり、スキューバダイビングしたり、キャンプに行ったり、ハンモックで寝たりして、「機会を常に逃さない」っていう姿勢を、ぼんやりと意識するようになったね。そこそこ充実してたかな。

最後の1年は、ちょっと真剣に勉強したかも。英語は喋れてたんだけど、留学したからには、本当の意味でしっかり出来るようになりたいって思ってさ。紙の上の英語力は、このときに身に付いたものが大きい。帰国の学生って、「英語なんて喋れりゃいい」 って考えてる人が多い気がして、それが凄く嫌だったんだよね。やたら発音よく、文法めちゃくちゃの英語を喋る日本人にはなりたくなかった。
 
ポーカーとの出会い
 
―大学では、また日本だよね。どんな活動したの?
 
大学では、ほとんどポーカーしかしていないです(笑)
 
―ポーカー? あのトランプ5枚の? あれって運じゃないの?
 
運じゃないよ。日本では、ポーカーって言うと、みんな5枚のやつだと思ってるけど、今世界で流行ってるのは、2枚でやるやつなんだ。運の要素もあるんだけど、相手のハンドやベット額、ポジション、心理を読むことがメインだから、海外ではギャンブルじゃなくて、完全にスキルゲームとして扱われてる。アメリカでは、スポーツって認められてて、アメフトとかと並んで、FOXチャンネルで放送されてるんだよ。実際、ここまでポーカーが浸透してないのは、世界中日本くらいじゃないかな。
 
―ってことは、日本にも、ポーカーサークルみたいなのがあるの?
 
そうなんです。インカレのサークルがあって、俺も最初はそこで留学先の先輩に誘われて始めたんだ。そしたら、面白くてはまっちゃってさ。1、2年の頃は、結構本格的にサークル活動してて、日本のエンタメ系イベント企業とか、海外のポーカーサイトからスポンサー料をもらって、毎週六本木とか新宿のクラブを貸り切って、ポーカーしてた。もちろん、お金は賭けてないし、日本の法律は守ってるから、安心してね(笑)
 
―すごいな(笑)  じゃあ、大学はポーカー漬けですか。バイトとかは?
 
バイトもポーカー関係なんだよね(笑) 最初は、ただポーカーが好きで遊んでたんだけど、そのうちに、企業の人に翻訳の仕事をもらったんだ。帰国子女だから、まぁ、英語はある程度できるんだけど、ポーカー関係の翻訳とか通訳って、ポーカーのルールとか、用語とか、いろいろ知らないと出来ないんだよね。それで、それに該当する人材はなかなかいないということで、雇ってもらった。最初は、主にサイトと海外カジノとのメール翻訳がほとんどだったね。
 
そのうち、電話での通訳とか、直接韓国のカジノまで行って、通訳まで任せてもらえるようになった。元々、俺自身ポーカーが好きだから、自分だったらこうして欲しいっていうのが出てきて、そのイベントを実際に向こうのカジノでやったりしてた。カジノのマネージャーとか、見た目も厳ついからすごく緊張したけど、やっぱり良い経験になったね。なにより、バイトなのに、韓国とかマカオまで連れてってもらえるっていうのが、すごく嬉しかった。
 
ポーカーを通じての出会い

―ポーカーっていいことだらけだな。俺もやればよかった。
 
仕事もそうなんだけど、ポーカーを通じて、いろんな面白い人たちと知り合いになれた。それが1番良かったかな。普通の学生は、ポーカーって聞いたら、みんな「なにそれ(笑) ギャンブル?(苦笑)」って言って、大体来ないんだよね。だけど、逆にそこで「面白そう!!」って思う人たちもいるわけで、そういう人たちは、積極的だったり、帰国子女だったり、本当に面白くて優秀な奴らが集まってると思う。 実際に、ポーカーで出会った学生は、有名企業に行く奴もいれば起業する奴もいて、本当に尊敬できる優秀な人が多いと感じてる。
 
あと、ポーカーで遊んだり、バイトをしてるうちに、ポーカー好きの社会人とも知り合う機会が多いんだよね。ポーカーをやってる以上、ある程度はみんな裕福だし、一流企業の社員とか、編集者とか、映像監督とか、プロレスのレフェリーとか、ハイパーメディアクリエイターとか、普通じゃ出会えない人たちと知り合えるっていうのは、本当に良いことだと思う。

 ―じゃあこれからの目標っていうか、まとめみたいなものをお願いします!
 
とりあえずは仕事かな!! ポーカーも最近は一段落してるし、就活は自分の実力を確かめる良い機会だったと思うから、来年からの仕事に全力を出し尽くしたいと思います。そして、これからも、チャンスは絶対に逃さないように、積極的に動いていきたいね。
 
―今日は、ありがとうございました!

Cairns State High School :
http://cairnsshs.eq.edu.au/wcmss/

インタビューアから一言

高橋くんは、見た目はそこら辺の適当な学生っぽいんですが(笑)、10分も話せば、彼の一味違う優秀さに誰もが気づくと思います。インタビュー内容は、ユニークで面白く、それでいて話し方はロジカルで分かりやすいので、あっという間に時間が過ぎてしまいました。就活も終わって、IT系企業に内定。彼ならどの分野に進んでもきっと活躍してくれるでしょう! お互いに頑張りましょう!
畑悠歩。1988年神戸生まれ。14歳から18歳までイギリスのロンドンに滞在。St. John’s Leatherheadを卒業後、帰国する。予備校で受験勉強をした後、慶應義塾大学に入学。現在、経済学部4年に在籍中。大学では、金融系のゼミで国際 経済と金融を学びつつ、学園祭の実行委員会にも所属している。