海外生活体験者・学生インタビューvol.123

篠田あゆみさん。1990年アメリカ・ロサンゼルス生まれ。中学を卒業するまで、ロサンゼルスの現地校と日本人学校に通いながら過ごす。習い事でそろばんやフルートをずっと習っていた。中学卒業後、父親の仕事の関係でニュージャージーに引っ越し、高校生活を過ごす。高校卒業後来日し、始めて日本で生活をする。09年一橋大学商学部入学。現在3年生。大学ではビジネスコンテストや、フリーペーパーを制作するサークル活動を行っている。

毎日絶対楽しむっていうポリシー

―まず、生まれ育ったロサンゼルスでの学校生活について教えてください。

なにげなく通っていたから難しいなぁ(笑) 現地校は、毎日行っているから、友だちと会話をはずむし、好きな勉強ができるっていうのが良かったです。毎週土曜日に行っていた補習校は、勉強というより友だちに会いに行くって感じでした。何度も日本語の勉強をやめようって思ったけど、友だちや先生に会いたい一心で、ずっと通っていました。

―現地校の友だちについて教えてください。

仲良かった友だちは、アジア系の子と白人の子が半々ずつくらいでした。でも、会話は全部英語。週末は、土曜日だったら補習校のあと日本人の友だちと遊んで、日曜や祝日は友だちのおうちやモールで買い物や映画が多いです。

―ロサンゼルスで一番楽しかったことはなんですか?

小さいときのことはあまり覚えていないんですけど、とりあえず小学校も中学校も全部楽しかったです。でも、一番楽しかったのはLAでの最後の1年、8年生のときです。翌年にはニュージャージーに引っ越すって分かっていたから、毎日絶対楽しむっていうポリシーで、悔いのない毎日を過ごしていました。すごく濃い一年でした!

同じ国とは思えないくらい

―中学を卒業した直後にニュージャージーに引っ越したんですよね?

はい。ハイスクール入学とともに、父親の仕事で引っ越すことになりました。

―ロスとニュージャージーは大分違いますよね。

本当に違う国に来たって思うくらい違う場所でした。ロスは天気がいいし空も青くてきれいだし、みんながゆったり過ごしている感じです。だけど、東海岸は日本みたいに四季があって、人もおおらかではないと言うか、最初はなかなか心を開いてくれない感じがしました。少し仲良くなってから本当に打ち解けられました。それまでは壁みたいなものがあったと思います。あと、気候も全然違う。寒いです、本当に。同じ国とは思えない(笑)

ショッキングだった違いといえば、道路がものすごく狭いことです。ロスは3、4車線当たり前のようにあったけど、向こうは1、2車線かな。日本みたいですよね。あと野生の動物がたくさんいます。リスとか…。

―リスはロスにもいたと思いますが……(笑)

違うんです。本当に庭にリスとかウサギとかガチョウとかが来るんですよ(笑) 木とか植物もロスとは違う種類のものだったと思います。東海岸の方がヨーロッパに近い風景なのでしょうね。

―ニュージャージーの高校はどうでした?

ハイスクールはやっぱり全然違いますね。私はロスの高校に通うってずっと思っていた分、余計違うと感じてしまって。ロスは廊下というか、教室が全部外にあるじゃないですか。東海岸は雪が降るから全部建物の中なんですよ。だから、朝入口でカードをスキャンして入って、あとは一日中建物の中で過ごします。日本みたいですよね。私の高校は2階建てだけど横に広くて、最初はどこをどう行っていいのか分かりませんでした。

学校の友だちはロスとの大きく違って、ニュージャージーには日系人があまりいません。アメリカに来たばかりのアジア人がたくさんいて、現地で生まれ育ったアジア人がいないイメージですね。最初はとりあえずアジア人の子たちといたんですが、後に白人とアジア人の間のグループというか、そういうひとたちと一緒にいました。

私もアジア人だけど、ニュージャージーにいるアジア人の子たちは、アジア文化の話をたくさんするんです。テレビとか芸能人の話とか……。私は興味もなかったし、自分には関係ないと思っていたし、話についていけなくて、あまりその子たちとは合わないなって思いました。現地にずっと住んでいる白人の子たちとの会話の方が楽しめました。

土曜日にはまた補習校に通っていました。日曜日は相変わらずショッピングをしたり映画を観に行ったり、友だちと過ごしてましたね。あと、運転できるようになったのは大きい! 16歳のときニュージャージーで免許取得したんですけど、それからは友だちと色々な場所に行けるようになりました。一気に楽しくなりました。

―ずっと気になっていたんですが、生まれも育ちもアメリカなのに、日本語がすごく上手いのは何故ですか?

ロスのときは、日本のビデオ屋さんがたくさんあったから、日本のテレビよく見ていましたね(笑) だけど、ニュージャージーはロスより確実に日系のお店が少ないんで、全然見なくなりました。やっぱりアジア人がこっちは減っているみたいなんですよね、ロスとかに集中しているようなので。でも、日系のお店がない生活に慣れれば、特になんともなかったですよ。あと、小さい頃からの家族内のルールで、家では日本語って言われていました。親とは必ず日本語で喋っていたんで、それで日本語力をキープできたのかな。

日本には自分の知らない半分がある

―3年間ニュージャージーで過ごした後、日本の大学に進学した理由はなんですか?

これは本当によく聞かれます。私は最初アメリカの大学に行く気満々でした。ただ、親の心境としては、国籍がアメリカにも日本にもある以上、いずれどちらかを選ばなくてはいけない。その前に日本も知ってほしいっていうのがあったみたいなんです。ずっとアメリカにいた分、日本で生活して日本人的思考を培ってほしいとも言われました。それが一つ大きな理由でした。

色々考えたけれど、アメリカの大学に行ったら、私は一生日本の国籍を取らないだろうなっていう確信もあったから、もったいないなと思いました。まぁ、大学4年間だけだし知らない世界に行ってみようかなと。日本には自分の知らない半分があるって思っていました。

―初めて住んでみた日本はどうですか?

今はもう慣れたけど、人が密集していて、いつも周りに人がいる感じがすごくします。ずっと車生活だったので、いまだに電車は好きになれません。待たされるのも好きじゃないです。

―現在、どのような大学生活を送っていますか?

大学では、1年生のときは街づくりのサークルに入っていたんですけど、地域密着型とか、商店街とか、自分にまったく縁のないことだったんで、最初は入るつもりはありませんでした。でも、学生が主体となって商店街を盛り上げていこうっていうコンセプトだったんで、今までやったことないことだし、面白そうだと思い入ってみました。ただ、入ってみると本当にミクロな世界でした。広報とかも国立駅周辺でしかしないし、国立の外で活動をしようともしない。なんだかすごく狭いところに縛られている気がしてしまい、自分には合わないと思いました。

1年が終わる頃に、今も所属しているフリーペーパーを作るサークルに入りました。理由は、まったりしていて自由だったっていうのが大きいです。あと私の文章力って、大学の友人と比較すると、本当に乏しいんです。もともと勉強してきた量が違うっていうのはあるんですが。たまに「日本人か、留学生か」っていう項目があり、日本人に○をつけると、「なんで日本人なのにこんなに文章かけないの?」って思われるんです。日本の大学で勉強している以上、こんな乏しい文章力じゃいけないと思ったのも理由です。

それから、ビジネスコンテストにも参加しています。帰国子女でフランスとかバーレーンに住んでいた友だちから誘われたんですが、海外志向ですごく話の合う子なんです。2年生のときに企業サークルに入らないかって誘われて行ってみたことがあるんですけど、ただの飲みサーで(笑) 3日で脱退しました。その脱退した人たちの中で、自分たちのやりたいことやろうと話し合い、賞金のでるビジネスコンテストに参加することにしました。プログラムの一環でベトナムの大学に行き、プレゼンをしてきました。大学側もバックアップをしてくれたり、ブリティッシュ・カウンセルの人たちからプレゼンの指導を受けたりしました。それで大学の2年目は終わったという感じです。

英語を喋ると国際人なのか

―では最後に、ご自身の将来についてどう考えていますか?

やりたい仕事とかは具体的に決まってないんですけど、とりあえずアメリカには戻りたいです。絶対将来はあっちで暮らすと思います。日本の大学に来て思ったんですが、自分が帰国子女であるから国際的とか国際人とか言われてきたけど、それは絶対違うなって思いました。英語を喋れるから国際人というわけではなく、その国の人の立場になって考え喋れるかが問われると感じました。今まですべてアメリカ視点からしか見てなかったなって、日本に来てから感じたし、それから世界はアメリカだけじゃないし、その国に行ったらその国の視点から見なくちゃいけない。日本に来てからそういうことに気付いたので、これからもその心を忘れない「国際人」になりたいです。

インタビューアからの一言

長い付き合いのある友人ですが、思えばこのようにじっくりと海外生活の話をしたことがありませんでした。ニュージャージーに移ったときの心境や日本の大学に進学した理由などを初めてじっくりと聞きました。そして彼女なりの「国際人」の考えには感服しました。日本で暮らすことで、新たな観点から世界を見られるようになったのは、立派な成長だと思います。本当に日本語も英語も流暢で、尊敬できる友人です。今回インタビューで彼女の新たな一面を見た気がしました。
柳井恵理子。1990年東京都生まれ。9歳のときに千葉県に引っ越し、その5ヶ月後にアメリカのロサンゼルスに移る。現地の小学校に通い、卒業。現地の中学校に進学するが、13歳のときに帰国し、都内の中高一貫の私立女子校に編入学する。09年に慶応義塾大学文学部に入学。現在3年に在籍し、西洋史学専攻。スペイン史やアメリカ史を主に勉強中。留学生との交流や大学スポーツの新聞制作もしている。