海外生活体験者・学生インタビューvol.124

林洋子さん。1989年生まれ。東京都出身。6歳から1年間アメリカのカリフォルニアに滞在したのち帰国。高校1年まで日本で過ごしたあと、16歳から18歳までタイのインターナショナル・スクールInternational School Bangkok(ISB)に通い卒業し、その後帰国。現在は上智大学国際教養学部の3年生。ミュージカルのサークルに所属しており、学園祭などでも舞台をこなすなど、本格的に活動している。

行ってみたい気持ちが大きかった

―さっそくですが、アメリカでの生活についてお聞かせください。

アメリカでの生活は小さかったし、期間も1年と短かったため、あまり覚えていません。ただ、両親がその頃のビデオをたくさん撮っていて、それを見ると楽しそうにしています。自分の記憶の中でも、楽しかったという思い出しかありません。

―素敵な思い出ですね。帰国してからは、どんな感じでしたか?

小学校は公立に通い、中学、高校は中高一貫の目黒星美学園に通っていました。部活動は合唱部に所属して、副部長を務めていました。性格的には、友だちにはトゲトゲしていたと言われます(苦笑) 日本の教育は先生に言いなりになっている部分があり、そこに嫌気がさしていたからかもしれません。実力主義ではない部分も嫌でしたし、定期テストがあると順位が出て、みんなそればかり気にする感じも嫌でした。

―そんな中でのタイへの親の転勤だったのですね。

そうですね。父だけがタイに単身赴任をするという道もありました。一緒に行くか尋ねられたとき、迷わず行くと決めました。やはり向こうの方が、実力主義で個人を大事にするというイメージがあったからです。また、日本のように周りと比べないというスタイルがあると思ったのもあります。グループなどの派閥がないという印象も持っていました。行ってみたいという気持ちが大きかったです。

―実際、行ってみてどうでしたか?

行ってよかったです。向こうの生活が自分に合っていたと思います。ただ、人種間のグループがないと思っていましたが、実際はありましたね。昼食の時間などは、やはり国籍で分かれていました。差別的な感じもありましたね。そこがイメージと違いました。

―やはり人種の隔たりはあるのですね。

伝えるということがカギ

―普段の学校生活などはいかがでしたか。


タイのインターナショナル・スクールに通っていました。欧米人が多かったです。英語での授業だったため、最初はとても戸惑いました。社会や理科などの専門用語も英語だったので、理解するのが大変でした。だから、絵をヒントに理解するなど、工夫を凝らしていました。

コミュニケーションをとるときは、初めは身ぶり手ぶりでしたね。あとは、辞書を常に持って、それを使っていました。タイに行く前に、数ヵ月英会話のレッスンに通っていましたが、現地はやはり違いました。環境に慣れることが大事ですね。文法よりも単語が大切だということが分かり、必死に単語を覚えました。

伝えるということがカギだと思います。どうにかしてなんとか伝えようと必死の毎日でした。英語でもなまりがあるため、理解するも大変。オーストラリアなまりが1番聞き取りづらかったです。授業をきちんと理解できるようになったのは、卒業間際でした。

―何か印象的な授業などはありますか?

1番印象に残っているのは、生物の授業です。猫の解剖をしました。日本では犬や猫を飼っているので家庭が多いのでやらないと思うのですが、やられましたか?

―猫の解剖ですか! にわとりの脳の解剖はしましたが、猫は聞いたことがないです。どのような感じなのですか?

本当に猫そのままでした。毛皮もついていましたし、私も衝撃でしたね(笑)

―他にはありますか?

数学が簡単でした。中3、高1レベルでしたね。分数や因数分解、XYのグラフなど、一度日本でやったものだったので、楽でした。あとは社会ですね。討論する時間があって、自分の発言が求められました。やはり最初はなかなか発言できませんでした。欧米人は自分の意見をズバズバ言うので圧倒されます。

日本人は恥ずかしいという気持ちが存在し、答えが間違っているかもという不安にも駆られて、なかなか発言をしないですよね。それは謙虚だと取れるのかもしれませんが、必ずしも良いことではないと知ることができました。発言の回数によって成績がつけられることもあったので、とりあえず何か発言しようと必死に頑張りました。主張する姿勢、発言力が大切です。日本の授業では学ぶことができないことだと思います。

―それは素敵ですね。うらやましいです。

ドアが開くのをずっと待って

―友達づくりは困りませんでしたか?


それは困りませんでした。学校が新しく入って来る子に対して、お世話係のようなパートナーをひとりつけてくれます。その子が同じ日本人だったので、すぐに仲良くなれました。昼食の時間などは、その子のグループに入れてもらうことができたので、友だちづくりには困りませんでした。

―学校以外での生活はいかがでしたか?

とにかく物価が安いのに驚きました。あとは、果物が豊富でしたね。マンゴーが30円から50円でしたよ。好きだったので頻繁に食べていました。日本では考えられませんよね。帰国する前に食べ納めだと思い、たくさん食べて来ましたよ(笑) 問題は治安でしたね。

―治安が悪かったのですか?

そうなんです。特にタクシーには気をつけました。ぼったくられることが多く、また、知り合いが運転手に殺されるという事件もありました。だから、ひとりで乗るのは大変危険でした。私もお金をぼったくられたことがあります。とても不安でしたが、土地勘がないため、乗ることが多かったです。あとは日本と違い自動ドアではないので、戸惑いましたね。始めはドアが開くのをずっと待っていました。手動に慣れていたので、帰国してからは逆に戸惑いました(笑)。

―他に不便な点はありましたか?

あとは季節がなかったのが寂しかったです。じめじめ暑いか、からっと晴れて暑いかのどちらかでした。雪がとても恋しくなりました。娯楽もなかったですね。大きいショッピングモールは近くにひとつしかなかったので、行くとしたらそこしかありません。やはり飽きましたね。その点では東京はすごいなと改めて実感しました。

―やはり日本はその点では飽きることはありませんよね。季節も娯楽も充実していますもの。

自分のやりたいことをしたい

―帰国してから受験までは苦労はありませんでしたか?


それが受験で苦労しなかったのです(笑) 不安もあまりありませんでした。中学の頃から上智大学に行くと決めていました。帰国する前に占い師の方に占ってもらったんですよ。そしたらカトリック系の学校が良いと言われ、「上智はカトリックだからピッタリね」って。受験は帰国子女枠だったので、TOEFLなどの英語の結果で決まりました。本当は早稲田なども受験する予定だったのですが、受験する前に上智の合格が決まったので、受験することなく終わりました。

―受験に苦労や不安がないなんてすごいですねぇ。。。大学での生活はいかがですか?

大学ではミュージカルのサークルに熱中しています。私は大学生活ではサークルに入るべきだと思います。入ってない生活が考えられません。現に途中から入ってきた後輩が、今までバイトと学校を行き来する生活だったけれど、サークルに入って生活にメリハリがついたと言っていました。

―これから就活に向けて何か目標はありますか?

就活も今までの生活のように順風満帆に行けばいいなと思っています(笑) 小さい頃はキャビン・アテンダントに憧れていました。タイで生活しているときは、英語を身につけることができたので、通訳や翻訳の仕事がしたいと思うようになりました。今はホテル業界などに憧れを抱いています。たとえ給料が低くても、私は自分のやりたいことをしたいです。

―自分のやりたいことを仕事にできるって素敵ですよね。一緒に就活頑張っていきましょう!! 本日はインタビューありがとうございました。

International School Bangkok(ISB):
http://www.isb.ac.th/

インタビューアからの一言

迷うことなく、また、悩むことなく、自分の信じた道を進んでいることに感心しました。なかなか真似することはできないと思います。環境に屈することもなく、何事も前向きに頑張ったからこそ、2年間の充実した海外生活が送れたのではないかなと思います。自分の意思を大事にしていくべきだと、改めて実感させられたインタビューでした。

井上由美子。1990年生まれ。福岡県出身。小中と公立の学校に通い、高校は県立東筑高校に通う。09年に早稲田大学法学部に入学する。現在3年に在籍。海外生活経験はない。中高では軟式テニス部に所属し、高校の頃はキャプテンを務める。大学では法律サークルに所属。1年の頃に模擬裁判に出るなど精力的に活動。現在労働法を扱うゼミに所属し、社会に出て働くときに役立てたいと奮闘中。