海外生活体験者・学生インタビューvol.126

宮崎紗絵子さん。1989年生まれ。愛知県出身。高校1年の夏からアメリカ・カリフォルニア州のサンディエゴで暮らし、Rancho Bernardo High Schoolに通う。高校卒業後帰国し、09年早稲田大学法学部に入学。現在3年に在学。大学では、法律サークルに所属。大学2年の夏は、早稲田大学とKUMONの産学連携プロジェクトに参加し「日本の子育てをもっと元気に!」を掲げて活動。また、夏と春の2度、NPO法人JUKE主催のジョブシャドウィング(一日かばん持ちインターン)に参加。現在は、ジョブシャドウィングプログラム、RTN Projectでのインタビュー活動を通して知ったNPO法人JUKEのスタッフをしている。

バレエ留学に和太鼓&剣道

―それではよろしくお願いします。宮崎さんは、高校3年間をアメリカのサンディエゴで過ごしたんですよね。帰国子女の中では海外生活が短いほうかな。

そうですね。あ!でも、実は小学5年生のときに親元を離れてサンフランシスコに1カ月ほど行っているんです。

―へぇー、ホームステイとかですか?

4歳の頃から続けていたクラシックバレエの留学だったんです。バレエ教室の先生や先輩、他の教室の生徒など15人くらいでサンフランシスコに行きました。

―バレエ少女だったんですか!?

今からは想像もつかないよね(笑) もちろんバレエのレッスンも目的でしたが、外国に憧れていた部分もあって。サンフランシスコ行きを承諾した親も、親元を離れて暮らす経験も、海外に行く機会もこのタイミングを逃したらないだろうから……と。その何年後かに、父親の海外赴任が決まるんですけどね。親としては、あのときの投資はなんだったの!って(笑) でも、海外に住むことなんて想像もしたことほどの普通の家でした。

バレエ留学はどうでしたか?

これが本当に大変で……。辛かったせいか少し記憶が飛んでいるくらいです。ホテル住まいで、朝から晩までバレエのレッスンを受けて、体はくたくたでした。加えて、周りは先輩や自分よりはるかに上手な人ばかり……。小5ながらいろいろと気を遣っていたようで、そのストレスから「家に帰りたい!」とわんわん泣いていました。

泣きながら日本に電話をかけたこともありました。おそらく、一緒に騒げる友だちがいれば辛さも紛れたと思うんですが、その時は友だち作りに苦戦して……。それ以前は、自分が何もしなくても周りに友だちが自然といたので。初めてでしたね、人間関係みたいなものに悩まされたのは。

―じゃあ、外国で英語がわからないとかよりは、友人関係に苦しんだんだ。

もちろん、英語は何もわかりませんでしたが、バレエは言葉の壁を越えるんですよね。言葉については、全然気になりませんでした。それにね、日本人の友だち作りには苦労したのに、現地の教室の友だちはできたんです。マーティンちゃんっていう子で。いまだに、どうやって仲良くなったのか、どうやって会話をしていたのかは、謎のまま(笑)なぜか仲良くなって、帰国後も文通していました。そういえば、ここ何年も連絡を取っていないので、久しぶりに手紙を書いてみたくなりました。覚えていてくれるといいな。

―良い経験になったみたいですね。

はい、親の存在の大きさに気付きましたし、甘えていちゃだめだなって思いました。あとは、それまで自分は良い子と言われることが多かったし、自分でも割と良い子だと思っていたのに、1カ月という共同生活の中で、年上の人に甘えたり、かなり自分勝手な行動もしてしまい……、良い子じゃない!って反省しました。1カ月で学んだことはとても多かったですね。ただ、バレエがレベルアップしたかについては、あまり聞かないでね(苦笑)

―わかりました(笑)。では、宮崎さんはバレエをやりながら優雅な生活を送ってきたわけですが……

それがね、バレエ教室に通う一方で、小学校時代は和太鼓部、中学では剣道部に所属していたんです。

―すごいギャップ(笑)

うん、自分でも不思議。小学校は、徳川家康ゆかりの大樹寺というお寺が真横にある学校で、和太鼓部でも「家康の自立」という曲が定番でした。ちょうど和太鼓部が波に乗っている時期だったので、コンクールに出場したり、訪問演奏をしたり、かなり忙しかったです。和太鼓は本当に大好きでした。でも、今思えば週3のバレエに、和太鼓の練習+週末の演奏会……。よくやっていましたね。

America’s Finest City

―では、話題を変えてサンディエゴに引っ越しをしたときのことを聞かせてください。宮崎さんは日本の高校に少し通っていたんだよね。サンディエゴ行きは迷いましたか。

とても迷いました。海外転勤の可能性は中学生の頃から聞かされてはいましたが、せっかく受験勉強しているのだからと、高校受験をしたら志望校に合格したんです。いわゆる地方の進学校だったんですが、そこでは気の合う友だちばかりで。勉強にはついていけていませんでしたが(笑)、せっかくできた友だちと離れたくないし、入部したての全国レベルのコーラス部を辞めたくないという思いで、アメリカ行きには渋りました。

結局、いろんな人の意見を聞いた結果アメリカに行くことにしました。決め手となったのは、「留学に行きたくても行けない子がたくさんいる中で、親と一緒に住みながら海外で勉強できるなんて、100人に1人のチャンスだよ!」という母親の言葉でしたね。そのときに、アメリカに行ってみたい!と、バレエ留学をした頃のことを思い出して、確かにこのチャンスを逃してはダメだと決意しました。高校時代の友人は、東京の大学に進学しているひとも多く、今でも連絡を取り合っています。

―向こうではどんな生活でしたか。

サンディエゴは本当に良いところでした。毎日がバカンスのような気候で。ただ、せっかくAmerica’s Finest Cityと呼ばれるほど地域にいたのだから、ゴルフやサーフィンに挑戦したり、もっとビーチで遊んでおけばよかったな……。その反省もふまえ、隠居生活はサンディエゴでなんて秘かな夢もあったりします。

―素敵な夢だと思いますよ。では、学校はいかがでしたか?

そうですね、通っていた学校は比較的白人が多くて、安全な地域にあったため、アジア人もたくさんいました。日系企業もいくつか駐在していたため、他に比べて日本人は多い学校だったと思います。キャンパス内に「日本人村」なんていう謎の自治体もあったので(笑)

―日本人が多かったことによるメリット・デメリットはどんなものでしたか。

パッと浮かぶデメリットは語学面ですよね。帰国子女の中には、日本人なんて全くいない学校に放り込まれたという人も結構いるわけで、そういうひとに較べたら、自分はもっと英語を勉強しないと。

日本人に限らずいわゆる外国人が多かった学校だったことで、相手が私のような片言の英語にも対応し慣れている点は良かったと思います。もちろん、誰も自分を助けてくれない、何もわからないというどん底を経験するもの大切だとは思います。ただ、私の場合3年弱と比較的短期間だったので、どん底から這い上がり始めてさあこれからというときに帰国になってしまいますよね。

まぁ、そのスピードは人それぞれだとは思いますが、私の場合は、辛いながらも何とか周りも理解を示してくれる状況だったので、ひどいいじめなどのトラウマを抱えることなく、初めからポジティヴな姿勢で学校に馴染んでいくことができました。

―では楽しい3年間だったんですね。

とは言っても、辛いことは多かったですよ。仲良くしてくれる子とたくさん話したいのに言葉が出てこない。絶対自分の方が勉強はできるはず!というような子からもバカにされたり。人にあからさまにバカにされることって、普段ないですよね。だからとても悔しかった。でも話で言い返すことはできない。なにせ、周りの人が何を言っているのか全然わからない状態だったので。

そこで、全部わかろうとしなくてもいいじゃん!と、フッと力が抜けました。どちらかというと完璧主義的な傾向があったため、考え方が変わりましたね。全部わかろう、全部やろうとするのは無理だから、まずできることから確実に押さえていき、その範囲を広げていこうと。

―力の抜き方がわかったんですね。

そうですね。だからか、一時帰国で久しぶりに会った知り合いや友人からは、「何だか性格が丸くなった」「ちょっと適当になった」と言われました。「ちょっと適当になった」はポジティヴに解釈するようにしています(笑)

RTN  Projectのゼミに出逢う

―適当さは加減に気を付けてね(笑) それでは、そんな海外生活を経た後の大学生活について聞かせてください。

大学生、楽しくて仕方がないの! ただ、この楽しいにもいくつか種類があって、大学1年次は、ただひたすら遊んでいました。サークル活動して、バイトして、テレビ観賞行って、大好きなミュージカル観劇に行って、六本木ヒルズ遊びに行って、京都と韓国旅行して……。

―ミーハー!(笑)

そう!(笑) まさに田舎から上京したての女子大生! その気質は今も変わっていませんが、大学1年の終わりになってみて、自分に何も残っていないことに気付きました。

―あぁ……。

このままではダメだ! 危機感は持っていましたが、何をすればいいのかがわからなくて……。何かしなきゃいけないのはわかるんだけど、どう動けばいいのかわからず、不安ばかり大きくなりました。

―それでどうしのですか?

ちょうどそんなときに、RTN  Projectの「能力開発&人材開発ゼミ」の存在を知って。ただ、大学1年間何もしていなかった私にとっては、ゼミ参加は「清水の舞台から飛び降りる」くらいの勇気が必要でした。

―大げさ!(笑)

(笑) でもそこで一歩思い切れたことで、全てが変わりましたね。吉村くんはじめ、他大学や他学年の人と絡むことも、それまでほとんどなかったので。自分がいかに狭い世界で大学1年を過ごしてきたのかを思い知りました。

―では、劇的なスタートを切った大学2年生は、どう過ごしましたか?

私、合格通知をもらった早稲田大学と名古屋大学で進学先を迷ったとき、早稲田を選んだ理由をやっと思い出したんです。それは、「何かしよう!と思ったときに、それを実行できる場や方法の選択肢が多いのは東京だというのと、「とにかくいろんな人に出会いたい」というものでした。

自分が早稲田にいる原点を思い出してからは、「今しかできないこと、興味を持ったことは、とにかくやってみよう!」「失敗したっていいじゃん!」をモットーにしています。確かに、空回りしたり、失敗してあちゃーということもあったりしますが、それも含めて初めて知ることばかりの毎日で楽しいです。この楽しさは大学1年次に感じていた楽しさとは全く違うものなんですね。そして、そんな楽しい日を過ごしていたら、いつの間にか周りにはとても面白くて尊敬できる人ばかりがいました。

―本当に楽しそうですね。では最後に、3年になってどうですか?
 
とにかく今は、欲張りになろうと思っています。あれもやりたい!これもやりたい!という気持ちを大事にしようと。ただ、欲張りすぎる私はパンクを起こすこともしばしばです(笑) 自分の許容力を見極めて、やることを取捨選択することも覚えなきゃいけないのかな。今の課題は、やりたいことをできる限り実行するために、テキパキ物事を進めていく力をつけることです! ゆっくりのんびりな私から、変わらなきゃです!

活動報告 vol.37 宮崎紗絵子
http://www.rtnproject.com/2011/02/_vol37.html
活動報告 vol.33 宮崎紗絵子
http://www.rtnproject.com/2010/10/_vol33.html
NPO法人JUKE :
http://npo-juke.com/
RTN Project「能力開発&人材開発ゼミ2011」
http://www.rtnproject.com/2011/01/2011.html

インタビューアから一言

宮崎さんは同じ予備校出身の同期です。帰国子女入試のときには、ともに同じ目標を目指して日々勉学に励んでいたことを覚えています。予備校にいたときから宮崎さんが努力家であることは知っていたのですが、同時に物静かで謙虚な方だなとも思っていました。ですが、今回、RTN Projectを通じて再会し、インタビューをさせていただくことで、宮崎さんの能動的、積極的な一面を垣間見させていただき、内心大変驚かされました。思えば、大学に入られてからもRTN Projectで頻繁に活動報告をしていただいています。宮崎さんを見て、自分もまだまだ頑張らなければと思いました。今後ともよろしくお願いします!

吉村政龍。1989年東京生まれ。小学5年から約8年間台湾に滞在。Dominican International Schoolを08年に卒業し、帰国。予備校で約1年間受験勉強に明け暮れた末に、京都大学法学部に合格。入学当初は、大学で学ぶことの意義に疑問を抱き無気力に陥ってしまったが、2回生になった昨年からは、法学と経済学の勉強を両立させながらロースクールを目指すと同時に、いろいろな新しいことに挑戦することを決意した。