海外生活体験者・学生インタビューvol.127

interviewee_s_149_profile.jpg 越島健介さん。1989年ロサンゼルス生まれ。2歳から9歳まで神奈川県で過ごした後、再び渡米。Scarsdale High Schoolを卒業したのち、帰国。早稲田大学先進理工学部に進学し、現在4年生。大学での最初の2年間は、学校の課題やレポートに追われながらも、音楽活動に明け暮れ、COLLO SOUND ROOTSというバンドでキーボードを担当するが、3年になりバンドをやめる。大学院進学か就職かで悩み、半年ほど企業でインターンをして、大学院に進学することを決断する。現在は、AFRO PARKERというバンドの活動と研究の両立に奮闘中。

”May I go to the bathroom?”

―まず、幼少期はどんな子供だったのかを聞かせてもらえる?

んー、多分2つある。家ではすごいのんびりしてて、マイペースな子供だったらしいんだけど、外では積極的で、自己顕示欲が強い子供だったと思う。小さいながらにもオンとオフがあったのかな(笑) けど、どちらでも共通して言えるのは、負けず嫌いで、しつこいところだと思う。とにかく、周りに「すげーー!」って言われたい子だった。

―小学校もずっとそんな感じ?

アメリカに行くまではそうだったかな。今思うと、あのときはとにかく元気だった。授業中は、うっとうしいくらいに「はい!はい!はい!」って手あげて、何かあったらすぐに「オレがやる!!オレがやる!!」とかいってた感じ(笑) 学校終わっても、日が暮れるまで近くの山とか沼とかで遊んでた。

―それがアメリカに行ったら変わったんだ?

うん。小学3年生が終わって、アメリカに行ったんだけど、ホントに衝撃的だった。コミュニケーションが全く取れないから、日本にいたときみたいに、シャシャリ出たくても出れない。だから、学校にいるときは、すごくシャイな性格だった。

―やっぱり最初はつらいよね。

うん、辛かった。授業は、一つもわからないから、とにかくつまらないし、宿題も何が出されたのかすらわからないから、毎日半べそかきながら母親と一緒に先生のところに行って、宿題の範囲を聞いてた。

あと、印象的なのは、一番最初に先生が教えてくれた英語が、”May I go to the bathroom?” だったってこと。日本から来た子は、みんなトイレに行くときにどうしたらいいかわからなくて、結局いけなくて、パンツの中にしちゃうってことが多いらしくて。まあ、それだけみんな辛いってことだよね。

―大変だったんだ。どうやって乗り越えたの?

とにかく、自分が頑張れば点数を取れそうなところを絞って頑張ったかな。歴史とか読解とかはチンプンカンプンでも、算数と単語だったらできるんじゃないかって思って、頑張った。算数はもともと簡単だったんだけど、単語テストで点数がいいのは努力の証だから先生もすごく誉めてくれた。そうこうしてるうちに、英語は身についてきて、小学校を卒業する頃には、日常生活には困らなくなってたと思う。

あのころはアメリカ人が大嫌いだった

―中学校はどうだった?

辛かった!(笑) 僕がいた地区には小学校が5つあって、中学には全部の小学校から集まってくる感じなんだ。だから、いろいろと人間関係が変わって、「英語あんまりしゃべれない変なジャパニーズ」っていうポジションに舞い戻っちゃったんだよね。

しかも、小学校ではなかったのに、中学になると差別的なことも多くなった。そのくらいの年頃になってくると、現地の子たちも大人びてきて、悪くなってくるのかな。”Fucking jap”って呼ばれるのは結構いつもだったし、つばをはきかけられたこともある。あのときはアメリカ人が大嫌いだった。

けど、中学2年生くらいで急激に背が伸びて、身体能力も高くなった。放課後は毎日のように体育館いってバスケしてた。それまでは別に運動が得意ってわけじゃなかったんだけど、活躍できるようになってきたんだよね。それで、少しずつ周りに認められて行ったって感じかもしれない。

―じゃあ、高校生活は楽しくなった?

まず思い出すのは、高校3年になる前の夏休みに行ったボーディングスクール。5週間の泊まり込みのサマースクールだったんだけど、本当に楽しかった。自分がもともといた街は8割がユダヤ系の白人っていう感じだったんだけど、そのボーディングスクールには本当にいろんなところから人がきてて、「あー、グローバルって、こういうことを言うんだな」って思った。あれだけいろいろな人種が一箇所に集まると、人種差別も何もなくなって、本当にみんながみんなを認め合うって感じになるんだよね。そういう世界を見られたのがすごくよかった。

で、もとの街に帰ってきて、「あー、ここつまんないなー」って思ってて。で、そしたら別の学校に行ってる日本人の子たちと会う機会があったんだけど、彼らもみんな日常に物足りなさを感じてたのね。それで、「刺激のない日本人コミュニティに革命を起こそう!」っていう大義名分のもとにバンドを結成した(笑)。バカなことばっかりしてたけど、最終的にはその界隈にいる日本人の高校生ほとんど集めてライブやったりして、結構成功したんじゃないかなとは思う。あの頃は本当に楽しかった。

人とのつながりって大事にしないと

―大学でも音楽を続けてるんだよね?

うん。大学では勉強以外に何かしら特技を身につけたいと思ってて、サークルを選ぶときも、何かしら自分が向上できるものを探してた。新しいスポーツを始めるのもありだなって思ってたんだけど、あるサークルのライブを観に行ったら、プロみたいにうまいキーボードの人がいて、その人に惚れてそこに入った。音楽に対してすごくストイックで、練習しないとついていけないって感じのところだったんだけど、だからこそいいなって思って。

しかも、音楽だったらライブすれば目立てるし(笑) それで、その年の夏ごろに、自分でもバンドを作って、それからはずっとそのバンドが生活の中心にあったかなぁ。曲を作るのも、レコーディングをするのも、大変なことばっかりだったけど、すごくいい経験ができたと思ってる。

―なるほど! それじゃ、最後に生きていく上で大切にしてることってなにかな?

うーん、一つは常に上を目指すってことかなぁ。だから、何か一つでも自分より優れたものを持ってる人がいれば、できるだけそれを吸収しようと頑張る。あと、常に自分にそれなりの負荷がかかる場所に身を置くようにしてる。

性格的に常に刺激的なものを探してしまうのかも。だから、何かができるようになったら満足とか、どこかに入れたから満足とかではなくて、いっつも「まだまだだぁー。全然足りない。」とか考えてる。よくも悪くも満たされない感じ(笑)

あと最近よく思うのが、人とのつながりって大事にしないとだなーってこと。もともとは、わりとすぐに人と疎遠になりがちなところがあったんだけど、最近それがすごいもったいないことだなって思い始めてる。人とのつながりを大切にして、その人にいろんなものを提供していれば、見返りを求めているわけじゃないけど、いつかすごく大きなものになってかえってくると思う。コミュニケーション能力を鍛えるっていう意味でも、僕の場合人見知りを直すっていう意味でも、やっぱりいろんな人と話して、いろんな考え方に触れるっていうのが大事だと思う。

ただ、難しいのは、人付き合いに使う時間と自分に使う時間のバランスだなって思う。自分にだけ時間を使っていればいいんなら、スケジュール組み立てて、それにしたがって勉強したり、本読んだり、いろいろ練習したりってできるよね。けど、人付き合いっていうのが入ってくると、いろいろとイレギュラーな事態が発生することが多くなる。

だからといって、人付き合いを少なくして、その分自分に時間を使おうって思ってちゃ、結局いろんな機会を逃すことになるとおもう。だから、しっかり両立できるように時間を使わないといけなくて、自分はまだこれが全然できてない(笑) 精進しなきゃです。

活動報告 「世界の学校から」vol.26 越島健介
http://www.rtnproject.com/2010/08/_vol26_1.html

インタビューアから一言

「めちゃくちゃかっこいい!」AFRO PARKERのライブを初めて聞いたとき、感動しました。越島君自身もかっこいいですが、バンドも負けてません!!(笑) 高校生のときから、刺激的なものを求めているなんて、びっくりしました。現状に満足せず、上を目指して行く姿勢をこれからも貫いて、どんどん進化して行くと思います。みなさんも、ぜひAFRO PARKERのライブ見に行って、楽しんできてください!!

内山紗也子。1986年鹿児島県生まれ。その後、東京、沖縄に暮らし、小学5年から2年間マレーシアに滞在。東京に帰国後、中学2年の夏から米国シカゴへ。高校卒業まで5年間在住。 Deerfield High School卒業後、帰国し、東京大学理科Ⅱ類に入学。現在、東京大学大学院農学生命科学研究科獣医学専攻高度医療科学研究室の6年生。クルクミンと抗癌剤の併用効果の研究をしている。