海外生活体験者・学生インタビューvol.130

島田豪志さん。一橋大学社会学部4年に在籍。父親の仕事の都合で幼稚園の年中から台湾の台北に移る。小学校5年生まで台北の日本人学校に通う。帰国後、東京学芸大附属中学に入学し、高校も学芸大附属高校を卒業。現在は東南アジア研究のゼミに所属。テニスを高校から続けており、大学ではテニスサークルのレギュラーとして活躍している。

―今日はお忙しい中、時間を割いていただき、ありがとうございます。

よろしくお願いします。あまり面白い話はできないと思うけど(笑)

台湾の日本人学校

―最初に、台湾で通っていた学校について教えてください。

あんまり覚えてないのだけど、日本人の駐在員の子供が多く通っている幼稚園だったね。小学校はTJS(Taipei Japanese School)に通っていた。

―現地の学校じゃないということは、中国語を学ぶ機会はあまりなかった?

そうだね、基本的には日本の学校と変わらないから。ただ、中国語は塾みたいなところで勉強していたから、当時は一通り話せた。今でも大学の中国語のクラスなら簡単に思えるくらいは残っているけど、「中国語できる」ってレベルにはないかな、残念ながら(笑)

―日本人学校でもやっぱり台湾という外国にあるから、「変わっているな」と思うところとかあったと思うんだけど、何か印象に残っていることとかある?

うーん。。。変わっているというか、今でもすごい印象に残っているんだけど、学校の廊下に、誘拐された子供のリストが顔写真付きで貼られていたのを覚えている。

―え!? もう少し詳しくそのことを教えてください。

誘拐、特に外国人の子供が誘拐される事件が多かったらしい。だから、学校も親の送り迎えは必須だった。日本じゃ、一人誘拐されたら、もう全国ニュースだよね。親とかはすごく神経質になっていたと思う。

台湾での経験

―確かに90年代ってもう10年以上も前だね。今のイメージと違うのは当たり前か。


そうだね。今は多分そんなに治安とか悪くないけど、当時はまだ色んな意味で「新興国」だったかも。街とか日本の感覚じゃ考えられないくらい汚かったし(笑)

―台湾の以外な一面でした(笑) では、台湾と日本を比べて、他に違いって感じた?

とにかくエネルギーがあったね。日本人は大人しいし静かだけど、台湾人はどこにいってもみんな賑やかだった。食事中も「うるさい!」って思うくらい、周りの人はガンガン話していたね。この活力感はすごく好きだった。

―なんとなくイメージつくかも。台湾の現地の人とはどれくらい交流あった?

残念ながら、あんまり直接交流はなかった。ただ、台湾の人って日本が好きな人多くて、レストランの店員さんとか、ちょっとした人にすごく良くしてもらったのは覚えている。

―台湾の人は日本好きが多いってよく言われるね。台湾人日本好きだな! と思ったエピソードとかある?

エピソードというか、街のビデオ屋とかに、日本のドラマとかのビデオがよくあった! CDとか、LDとか、雑誌とか、日本の芸能関連は多かったね。いくつか買っていた記憶があるんだけど、あれ多分ほとんど違法コピーだったような(笑) ビデオなのにニュース速報とか流れてくるんだもん(笑)

あとアニメ。もう世界的なものになったけど、ドラゴンボールとかドラえもんとか、テレビで放映していたのを覚えている。グッズとかもお店によく売っていたし。他にも、商品の広告とかで、日本と関係ない商品なのに、なぜかひらがなが混ざっていたりする。日本人が英字を使うのと似た感覚で使っていたのかも。

―アニメとかサブカルはもう鉄板だよね(笑) ひらがなが使われているのは意外だった。その反面、やっぱり歴史的で政治的な要因から来る感情もあったかはわからないけど、もし経験していたら教えてください。

まだ小さかったから、意識はそこまでしなかったから特にはないかなぁ。ただ、今になって思い返すと、多分複雑な感情はあったのだと思う。前に一緒に取った授業「台湾の歴史と文化」で、NHKのドキュメンタリーみたじゃない? あれで今のおじいちゃんおばあちゃん世代が日本を懐かしんで、同窓会で日本語を話しながら盛り上がるシーンがあったよね。でも解放後、教育が中国語に変わって、それまで中国語はダメって言われて日本語を必死に覚えたのに、忘れたころにまた中国語に戻るって経験とか、逆の立場から考えると辛いものがあるよね。

経験が活きる

―確かにそういった面はあったのかもね。「台湾の歴史と文化」がちらっと出てきたけど、あの授業についてはどう思った?


個人的には面白かったのだけど、多分ほかの皆はつまらなかったと思う(笑)

―確かにみんな寝てたね(笑) でも、あの授業はかなり面白いと思ったよ。やっぱり、あの授業に他の人より意欲があったのは、台湾に在住していた経験が大きく作用している?

そうだね。多分、台湾にいた経験がなかったら、あの授業は取らなかったかも。

―帰国してから台湾での経験が活きたこととか、ずっと日本にいたら持たなかったかもしれない視点とかある?

色々あるかな。一つはすでに色々話したけど、日本と台湾とか、日本と外国を比較して考えることは他の人よりも多いかも。あとやっぱり、台湾を贔屓するようになったというか、他の人よりも台湾に注目するようにはなったよね。「台湾の歴史と文化」を履修した理由もそこにあったし。

―それよくわかる! ちなみにゼミでは東南アジア研究をやっているけど、台湾研究を選ばなかった理由とかってある?

確かに最初は台湾研究かなぁとは思っていたけど、実は東南アジアにしたのにも台湾がちょっと絡んでいる。台湾は東南アジア行きの航空券が日本よりも安かったってこともあって、よく東南アジアに家族旅行に行っていて、その経験があって東南アジアにも関心があった。

―ゼミでの研究で海外生活体験があるのは何か役立ったりする?

歴史とか理論とかに詳しい人とか多いけど、やっぱり実体験の大切さっていうのを感じるかも。なんていうか、さっき話した授業で「台湾」っていう国のデータとかは伝わっても、魅力とかそういったのって、理屈でどれだけ説明してもやっぱり伝わりにくいし、肌で体感するのって勉強でも大切だと思うようにはなった。

―「百聞は一見に如かず」的な感じですね!

そんな感じ(笑)

―自分がイギリスにいたって言うと、みんなイングランドの話ばっかりで、ウェールズだから! と思うことがよくあるのだけど、似たような経験ってあった?

たまにある(笑) 日本での台湾の知名度って低いなぁと悲しくなった。いっぱい義捐金送ってくれたのに。特に酷いので言えば、タイと間違えたり、上海や北京とかの大陸の都市と混同したり。

―え、そんなに酷い人さすがにいないでしょ(笑)

いや、いるんだって! 「常識なさすぎでしょ」って思う人(笑)

就職活動でも武器に

―就職活動でも、企業もやっぱり興味もってくれたりする?


うん、興味持ってくれるよ。

―面接官とはどんな話をする?

このインタビューで話したようなこと。台湾と日本の違いとか。あと、たまたまだけど、地震の話はよくするね。台湾にいたころも大きい地震があって、日本でも地震が最近あって色々考えさせられたって。台湾の人が活力あるって言ったけど、地震のときもそうで、翌日には屋台のおっちゃんとかが復帰していたり、自家発電機かなんかで無理やり営業していたり、自粛ムードっていうのは日本よりなかった気がする。

―屋台のおっちゃん強い!(笑) 社会にでたあと、この経験をどう活かしていきたいと考えている?

海外に対する抵抗が低くなったっていうのと、好奇心が強いから赴任とかで行けたらいいなと思ってる。できれば、アメリカとかヨーロッパじゃなくて、東南アジアとか中近東とかに行きたいかな。もちろん台湾もだけど(笑)

最後に

―では最後に、帰国してから10年以上経って、台湾はその間すごい経済も成長して変わったと思うけど、今度台湾にいくとしたらどういったところに注目したい?


実は、去年の12月に台湾に家族と行ってきました(笑) 変わってないとこは汚いとこは汚いままってこと(笑) でも変わったとこも多くて、台北101とか凄かった。外国人も増えていて、進出している企業とか、お店のテナントとか、種類も豊富で経済が成長したのが実感できた。相変わらず飯は美味いし安いしいいとこだった!

―本日はありがとうございました。いつか是非、台湾を案内してください。

インタビューアから一言

真面目でテニスが上手い人というのが最初の印象でした。時が経つにつれ、何かと義務の多いサークルの要求に、全て答え続けるその継続力に尊敬すら抱くようになりました。特に、テニス経験者の多いサークルでレギュラーとして活躍し続けていられるのは、真面目なだけでは無理で、彼には考え行動し向上する強さがあることが伺えます。今回のインタビューで、より彼の内面をより知ることができました。今後も善き友人として付き合ってください!

鈴木優雅。1988年東京都生まれ。生後間もなくイングランドに移り小2まで過ごす。帰国後、東京のインターナショナルスクールChristian Academy in Japanに編入。中学2年から高校卒業までをウェールズで暮らし、Kings Monkton Schoolを卒業。大学受験のため帰国し、一橋大学経済学部に入学。大学では数理ファイナンスを専門に勉強中。