海外生活体験者・社会人インタビューvol.106

interviewees_g_136_profile.jpg 山口かれんさん。1990年ニューヨーク州ホワイトストーン生まれ。2歳でいったん帰国し、幼稚園の年長の頃からカナダのオンタリオ州で暮らす。Credit Valley Public Schoolおよびトロント日本人学校に3年間通った後、日本に帰国。それ以後日本で生活を送る。都内の私立女子高を卒業後、デザイン専門学校東京デザイナー学院に進学し、雑貨デザインを専攻する。卒業後、アパレル系の仕事に就き、今後はウェブデザインの仕事を主に活動していく予定。

大体1週間後ぐらいには

―まず始めに、アメリカにいた時のことを教えてください。

お母さんが妊娠した状態でアメリカにいたみたいです。だから、0歳から2歳くらいまでいましたね。だからほとんど記憶はありません。ホワイトストーンという田舎の方に住んでいました。すいません、本当に何も記憶ないので、アメリカのことは答えられません(笑)

―そうですよね(笑) それで2歳になってから日本に帰国したんですか?

はい、2歳から幼稚園の年長くらいまで日本に住んでいました。

―それで次はカナダに行かれたんですね?

はい、オンタリオのミシサガという場所に引っ越しまして、大体3年くらい住んでいました。その頃の記憶は、アメリカのときと違って色濃く残っています。

―では、カナダでの生活や、印象に残っているエピソードを教えてください。

うーん……。印象に残っていることというか、楽しかったことは、やはりすごく自然が多い地域だったので、お庭にリスとかブルージェイ(アオカケス)とか、たくさん来ていたことです。エサやりをしているのが楽しくて。あと、冬になると、ものすごく雪が積もるので、お山を作ってソリ滑りなんかもしていましたね。

学校は、向こうだと時期的に小学校1年生という扱いだったので、確か秋学期くらいから通い始めたのかな。まぁ、当然英語は喋れないので、最初の1週間くらいは塞ぎこんでいましたね。でも、兄がアメリカのときの英語がまだ残っていて喋れたから、喋れるよう一所懸命教えてくれました。それで、大体1週間後ぐらいには、それなりに喋れるようになっていました。

―1週間で?! すごい……。

私も記憶にないとは言え、やはりアメリカでの英語が残っていたんだと思います。逆にアメリカから帰国して、日本の幼稚園に入った頃は日本語がかなり不自由で、大変な思いをしました。やはり、あっちで生まれたときから英語を聞いていたので、急に帰国して混乱していたんだと思います。

カナダの差別&日本の差別

―では、カナダでの学校生活はどうでしたか?

とにかく人種差別がすごかった印象があります。まず、日本人というのがあまり知られていなくて。地域的にも、日本人はあまりいませんでしたしね。日本という国が小さいから、地球儀で先生が「かれんが来た日本という国はここだよ」と指しても、「何それちっちゃーい!」、「中国人と一緒でしょ」などと言われました。カナダに中国人はたくさんいるので、あまり区別はつけられないんだなぁと思いました。アメリカは黒人差別が主だと思いますが、カナダはアジア人差別がすごかったです。

―帰国して日本の学校に入ってみてどうでしたか?

日本人はおとなしいなぁと感じました。あと、本人の前じゃなくて、影で悪口とか言っているから怖いなぁとも思いました。勉強の方は、カナダで日本語の補習校通っていたので、特に問題はありませんでした。喋るのも、最初はちょっと分からない言葉とかもありましたけど、すぐに慣れていきました。

中学に入ってからは、私のきつい性格がいけないのかもしれないけど、ぶつかることが多かったです。あと英語ができるという理由で受験シーズンは嫌がらせなどにも遭いました。結構辛かったです。

でも、高校は夢のように楽しかったです(笑) 帰国子女がいっぱいいるし、みんな明るくてさっぱりしているので、家族といるみたいに楽しかった。帰国して大分時間は経ちましたけど、英語力は落ちたとは感じていませんでした。むしろ文法とか分かっていなかったので、高校でしっかり勉強できて、レベルが上がった気がします。

私にしかできないこと

―英語が好きで得意だった印象だったんですが、なぜ大学ではなく専門学校に進学したんですか?

高校のとき、なぜか席替えで後ろの席になることが多くて、みんなが問題を解いている姿を後ろからよく眺めていたんですけど、「なんでみんなと同じようなことをしなくちゃいけないの?」とふと思ったんです。それで私は、「私にしかできないことをしたい」と思い始めました。前からデザインやってみたいとは思っていましたし、そっちの方がみんなを笑顔にできることかなぁと。ほら、女の子って可愛いもの見ると笑顔になるじゃないですか。それでそっちの方に進もうと決めました。

―いつからデザインに興味があったんですか?

ちょうど中3のころですね。プリクラ手帳をデコレーションするようになってから、こういう作業が好きだと気付きました。中学時代美術部だったんですけど、先生に「お前の書く絵は全部デザインだな」と言われていたのもありますね。美術系よりはデザイン系の方が向いているのかなぁと。ちなみに今は雑貨をデザインするのが特に好きです。ポーチとかアクセサリー類、全般大好きです。

―専門学校での生活はどうでしたか?

雑貨デザインの学科に入りました。とりあえず、課題を出されたら、自分で工夫して、自分流にして提出していましたね。わりと好き勝手にやっていました。でも、私が作れる雑貨って、可愛いだけのものなんです。実用性はあまりなくて。可愛くてかつ実用性があるものの方が売れるから、そういうものを作れるようには努力しました。

授業は大学の講義とは違う感じだと思います。レクチャーと呼ばれるものが週1くらいであって、まぁデザインの歴史とかの授業ですね。普段の授業は、テクニカル・ドローイングと呼ばれるもので、主に製図の勉強をしていました。いろんな素材、例えばスチレンボードなどを切って、立体的な物体を作ったりしていました。最初は基本的にそういう内容の授業ばかりです。それから、選択科目として他学科の授業も取れるようになるんです。私はファッションや絵本の製本の授業を取りました。

卒業制作では、自分でテーマを自由に設定して、好きなものを作れるんです。私は「母性本能をくすぐるうさぎアイテム」というテーマで、うさぎの耳がついたパーカー、レッグウォーマー、マフラーを作りました。それを先生や生徒の前でプレゼンするんですが、すっごく先生が厳しいので、本当に緊張します。先生方は「新しい」可愛さを求めているんですけど、女の子ってもっとフツ―に可愛いものを求めていると思うので、ちょっと先生方の好みには合わなかったのかもしれません。でも入賞したし、成績もよかったので、まぁ良かったかなと思っています。

―卒業後は、なぜアパレルに勤務することを選んだんですか?

まず、自分が行きたかった雑貨屋さんが、全て正社員の募集をしていなくて。テキスタイルやりたかったんですが、どこの企業も募集自体していないんです。それで、どうしようと思っていたときに、自分の好きな洋服ブランドの募集が目に入ってきたんです。前に短期アルバイトで働いていたことがあるお店だし、自分が大好きなお洋服に囲まれて仕事できたら楽しいし、続けられると思ってそこに勤務しました。

実際働いてみると、店舗によって雰囲気が全然違いました。短期で働いていた頃と職場環境もガラリと変わっていて。その上ブランドの傾向も変わってきてしまい、私が好きだった以前のブランドとは段々異なってきてしまって。それで徐々に仕事が楽しくなくなっていき、辞めてしまったんです。

普段アパレルで英語を使うことってあまりないんですけど、他店のヘルプに入ったときは、外国人の観光客のお客さまに接客でき、英語を使える機会がありました。そこで、やっぱり私英会話好きなんだなぁと再認識したりもしました。

自分のブランドを立ち上げる

―次にどういう仕事に就きたいと考えていますか?

やっぱり、自分ができることってすごく少ないので、できることを増やせる仕事がいいと思っています。いろんな素材を扱う卸問屋とか、あとはパソコンをちゃんと使いこなせるウェブデザインの仕事にも興味があります。

知ってると思いますが、私は高校の頃からアクセサリーのデザイン画をノートによく書いていて、将来自分のブランドを立ち上げたいって思っていました。その夢は今でも変わりません。私の最終目標です。

―どういうブランドにしたいと考えていますか?

そうですね。。。私の名前のとおり、可憐なブランドにしたいなぁと考えています(笑) 今の時代いろんな可愛いものがありますけど、「可愛い!」って思っても、手に取るだけで、実際買わない人って多いと思うんですよ。だから私は「可愛い! これ買う!」って思ってもらえるようなアイテムを作りたいんです。数打てば当たるという考えで、とりあえずたくさん作るとかはしたくないんです。本当に可愛いものだけを作りたいんです。

―海外で生活していたこととデザインに興味を持ったことは、関係していると感じていますか?

ちょっとはあるんじゃないかなぁ。母が絵画とか好きだったし、あっちの美術館はすごく安いというのもあり、よく連れてってもらっていましたし。博物館にも行き、古代の美術品も見ていました。きれいだなぁと思ったり、これはもっとこう作った方がいいんじゃない?と思ったりしながら見ていました。そのときの気持ちが今に繋がっているのかもしれませんね。だから、海外に住んでいたことは、いい経験といいきっかけになったと思っています

Credit Valley Public School :
http://schools.peelschools.org/1653/Pages/default.aspx

トロント日本人学校(補習授業校) :
http://torontohoshuko.ca/index.html

インタビューアからの一言

高校時代の友人なのですが、とにかくいつも可愛らしい雑貨をデザインしていて、みんなに見せてくれたり、時には実物を作っていたりしていました。帰国して大分経つのに、英語の発音がまったく衰えていないのも、彼女のすごいところだと思います。それにしても、カナダの学校に入り1週間後には英語を喋れていたというのには驚きです。これからもデザインに磨きをかけて、一日でも早く、自分のブランドを立ち上げてください!

interviewees_g_136_2_profile.jpg 柳井恵理子。1990年東京都生まれ。9歳の時千葉県に引っ越し、その5ヶ月後にロサンゼルスに移る。現地の小学校Victor Elementary Schoolに通い、卒業。その後Bert Lynn Middle Schoolに入学。13歳のとき帰国し、都内の中高一貫の私立女子校に編入。2009年に慶応義塾大学文学部に入学。現在3年に在籍し、西洋史学専攻。スペイン史やアメリカ史を主に勉強中。サークル活動では留学生との交流や大学スポーツの新聞制作をしている。