海外生活体験者・社会人インタビューvol.107
|
二本樹顕理さん。1983年神奈川県横浜市生まれ。小学校4年から5年半ばまでオーストラリアに滞在。中学3年生で再び海外へ。アメリカ・ロサンゼルスで高校在学中にバンドデビュー。高校を卒業後、ボストンのバークリー音楽院に進学。05年に大学を中退し、帰国。09年から11年5月までワールド・ビジョン・ジャパンに勤務し、現在は映画・舞台の音楽監督をしながら、神学校であるPacific Rim Christian College Japanに通っている。7月に卒業予定。 |
アイドルグループに入ったわけ
―オーストラリアが初めての海外ということですが、どのように感じましたか?
解放されましたね。日本とはガラリと雰囲気が変わって、大自然に囲まれていました。敷地の広い学校で、校庭にいたカンガルーと戯れていたんですよ(笑) 本当に綺麗な国で、嫌な思いはしませんでしたね。自然だけでなく、現地の人たちの人柄も素晴らしくて、「国全体が美しい国」だと思いました。今では捕鯨問題で日本と対立している部分はありますが、当時は全くそのような感じは受けませんでした。
向こうでは束縛がなくて、本当に自由に過ごせました。日本の学校教育が「あれやっちゃだめ、これやっちゃだめ」なのに対し、オーストラリアではそれがありませんでした。まさに解放された少年でしたね。日本に帰ってきたときに嫌だと思ったくらいです(笑)
―帰国してからはどうされましたか?
地元の中学校に進学しました。確か、ちょうどその頃、某有名アイドルグループに入ったんですよね。
―えっ?! ○○ですか?! なぜです?
親への反発です(笑) 親が英才教育に熱心で、妹と一緒に毎日勉強ばかりやらされていました。子どもをちゃんと勉強させて、一流の大学に入れて、一流の企業に就職させたいという思いがあったようです。ただ、私はそういうレールに敷かれた人生が嫌だったんですよね。それで、親に「自分は芸能界に行く」って言いました。反対されましたが、最終的には承諾してくれました。「それがお前の進みたい道なら」って。
プロになるように養育された
―アイドルグループに入ってどうでしたか?
生活がガラっと変わりました。それまでとは全く違う世界に入って、「学生」としての生活が当たり前だったのが、「仕事」をするようになりましたから。「社会人」とはちょっと違いますが、とにかくプロになるように養育されましたね。楽しかった部分もありましたが、そういった意味では過酷でした。競争が激しいですから。
今は有名なメンバーが同期でしたが、そこらへんと切磋琢磨していました。でも、当時から抜きんでて人気ある奴はいるんですよね。小さい頃から、だいたいそういうのは決まっていました。そのメンバーは側から見ていて、デビューするのが分かったくらいです。「ああ、こいつらデビューするな」って。
―芸能界の裏事情を伺ってもいいですか?(笑)
芸能界の裏事情はあんまり聞かない方がいいですよ。ファンタジーが壊れますから(笑) そういうのを幼いながら見た身としては、そこで結構世界観が変わりましたね。「大人の世界って汚いな」って思いました。子どもは子どもらしく育った方が良いですよ。社会に出てから、そういう汚い部分を見ることになりますから。私はちょうど渡米することが決まったのでやめました。
もっと勉強しておけば良かった
―アメリカに行くと言われたときはどう感じましたか?
「行きたい!」って思いました。アメリカのサブカルチャーとかが好きでしたからね。私の中でのアメリカのイメージは、まさしくあの「ハリウッド」そのもので、ファッションや音楽が全部最先端を行っているところだと思っていたんです。それに触れられると思ったら、やっぱりワクワクしました。
―実際にアメリカに行ってみて、どう感じましたか?
やっぱり、マルチ・カルチャーな面に驚きました。本当に多種多様で、ほとんど単一民族国家の日本とは全然違いましたね。ロサンゼルスやニューヨークといった都市部は、色んな人種が入り乱れていますから。アメリカに行ったら色んな人種がいて、初めは戸惑いましたが、それが一番大きかったですね。幸いすぐに慣れることが出来ました。
―英語に苦労しませんでしたか?
オーストラリアにいたころ使っていた英語は、完全に忘れていたので、かなり苦労しました。最初はESLからでしたが、英語で勉強するのは本当に大変でした。日本人は読み書きが出来るので、周りの皆は割と優秀でしたが、私は全然ダメでした。小学校の頃は勉強ばかりで成績優秀だったのに、すでに勉強しなくなっていましたから(笑) 音楽活動に明け暮れていましたよ。
今思えばもっと勉強しておけば良かったです。ただの詰め込み学習ではなく、経験としてと言うか、スキルとして身につけておくものかなと。何かを勉強するなら、ただ仕組みを理解するだけじゃなく、自分がそれを動かして行ったらどうなるか考えて、学んでいった方がいいと思いますよ。知識だけじゃなくて、実践ですよ。
「俺にはこの道しかない!」
―アメリカでバンドデビューをしたそうですが、どうやって漕ぎつけたんですか?
たまたま機会に恵まれていただけです。英語が出来ないのに、無謀にもオーディションを受けたり、デモテープを送ったりしていたら反応があって、面接を受けました。それで「じゃあ一緒にやろう」って。音楽は世界の共通語なので、英語が出来なくても、なんとかなりました。音楽をやっていて良かったです。「俺にはこの道しかない!」って思っていましたから(笑)
―デビューしてどうでしたか?
最初は浮かれていましたね。「自分は海外でも通用するアーティストになった」って思っていました(笑) レコード会社もプロダクションも相当お金を持っていて、ものすごくプロモーション活動の規模が大きかったというのがありますね。それで自惚れていた面があると思います。
―大変なことはありましたか?
やはり言葉とか色々な壁を感じましたね。英語圏の人たちと一緒に仕事をするのに、言葉のハンディキャップは大分感じました。相手の言っていることが分からないことももちろんありましたし、そういうのは辛かったですね。でも、バンドメンバーが支えてくれたのが有り難かったです。本当に周りの人たちに支えられてやってきたと思います。色々あってバンドは解散してしまいましたが、メンバーとは今でも交流があります。
バークリー音楽院に進学する
―高校卒業後はバークリー音楽院に進学したそうですが、どのような試験があったんですか?
普通の学校の普通の科目が全部音楽に変わった感じで、試験とか審査があります。音楽の理論書みたいな「楽典」って呼ばれるものがあるんですけど、それをどこまで理解しているかとか。実技もありましたね。
―音楽院ではどのような勉強をされたんですか?
ジャズの学校だったので、ジャズばかり勉強していました。ロックばかりやっていたのに、今までまともに触れたことがなかったジャズばかりになったんですよ。それで、ついていくのがやっとというか。 毎日楽典勉強したり、演奏勉強したり、作曲勉強したり。めちゃくちゃペースが速くて、それまでまともに譜面の読み書きもやったことなかったので、かなり大変でしたね。結局ついていけなくてやめちゃいました(笑)
でも、今思うとやってよかったです。そこで音楽的基礎がやっと築かれた感じです。明らかに耳が変わりましたね。Ear Trainingがあるんですけど、そこで音階とかを叩き込みました。絶対音感みたいに、聞いてすぐ何の音とかは分かりませんが、音楽を聴いていて、「ここはこういう和音を使っているんだな」とか、分かるようになりましたね。これは極めると廃人になるので注意ですよ(笑)
ワールド・ビジョン・ジャパンで活動する
―日本に帰国して、どう感じましたか?
「帰って来ない方が良かった」って思いました。ビザが切れて帰国したんですけど、日本でも音楽関係の仕事を探しました。でも、全然仕事が取れないんですよね。日本のエンタメ界は保守的で、人脈がものを言うところがあるんです。アメリカでは、エージェンシーに依頼すると仕事が回ってくるんですが、日本では人脈がないと無理。なんとか人づてに仕事を貰っていました。でも、それだと食べていけないので、チャリティーに興味があったこともあって、NPOに行こうと思ったんです。
―ワールド・ビジョン・ジャパンに勤められて良かったことはなんですか?
途上国の人の人生が変わっていくところを感じられたことですね。私の仕事は国内スポンサーを得ることだったので、実際に途上国に出向いたことはないんですが、実際に行った人の話や成果なんかを見て、それを感じました。先進国と途上国がどういうパートナー関係を築けるか、考えさせられましたね。グローバルな視点を持つことが大事なんだなと思いました。
あとは、世界を良くしようとしている人たちから刺激を受けたことです。いわゆる一流企業を途中でやめて参加していたり、良い大学を出ていたりと、「もっと他で活躍してお金を稼げるだろうな」と思うような優秀な方々がいるんですよ。それなのに、NPOに所属し、途上国の支援をしている姿には、感動しました。
―大変だったことはありますか?
スポンサーになってくれる企業を見つけるのが難しかったことですね。そもそも日本ではNPOの認知が低く、信頼があまり得られていないんですよ。ワールド・ビジョン・ジャパンは途上国支援をしているので、「政府のODAとどう違うの?」って言われたりして、まずはそこから説明しなければなりませんでした。本当にきちんとお金を使うのか心配されたこともありましたね。
Pacific Rim Christian College Japan
―現在神学校に通われているということですが、クリスチャンになったきっかけを教えて下さい。
アメリカでクリスチャンに会う機会が多かったんです。特にバンドメンバーにクリスチャンがいた影響が大きいですね。スティーブっていう黒人のベーシストなんですけど、彼とだいたいいつも部屋が一緒で、ツアー先のホテルでも聖書を読んでいるような人でした。彼の家族も全員クリスチャンで、彼のお父さんから「クリスチャンになったら人生変わるから、お前もイエス・キリストを受け入れろ」って言われました。
初めは「本当にそんなもの信じているのか」って馬鹿にしていましたね(笑) その頃、私は神様を信じていなくて、自分には関係がないことだと思っていました。
―それなのになぜクリスチャンに?
やっぱりだんだん人生が自分の思うように行かなくなったからですね。人生の歯車が狂い始めた瞬間があって。エンターテイメントに関わり始めて、普通の人生じゃなくなってしまったんですよね。普通の人だったら経験しないようなことを、いっぱい経験してしまって、精神的にすごく落ちてしまった時期があったんです。そんなときにクリスチャンの知り合いに支えられて、気がつくと自分も聖書を読み始めて、教会に通うようになっていました。
生きる目的が分かった
―クリスチャンになって、自分の中で変わったことはありますか?
自分の生きる目的が分かったことですかね。人生に答えを見出したとは言いませんが、自分何のために生きているのか分かった気がします。聖書の中に書いてあるんですよ(笑) だから日々勉強しているんです。聖書は長くて大変ですが、分かってくるとめちゃくちゃ面白いです。学べば学ぶほど、自分が何を信じているのか、より深く分かるようになります。
―宗教というと、日本ではあまり良いイメージは持たれていませんが、それについてどう思われますか?
正直、「宗教キモ!」って思います(笑) 日本ではオウム真理教が事件を起こしたりして、宗教=怖いとか、キモいですよね。私もそういうふうに思いますから。私はクリスチャンですが、宗教というより、「生き方」だと思っています。自分がどういうふうに生きるのか、なんで生きるのか、そういうものを教えてくれるものだと思います。
―教会ではどんなことをされるんですか?
私の通っている教会はロックをやっているんですよ。プロテスタントだと割とそういうところもあるんですよね。若い人たちがいっぱいいて、わいわいがやがやしていて、すごく面白いですよ。教会でロックというと驚かれますが、私は周りにそういう人がいたので、「そんなもんなんだ」って受け入れていました。
逆に、コンサバティブな礼拝があんまり面白くなかったです。なんか「オルガンしかない」みたいな感じで(笑) そういう伝統的な宗教音楽もすごくて、偉大な作品もたくさんありますが、自分がそういうのをやるのはイメージ出来ませんでした。
未だかつてない団結
―キリスト教と言うと、チャリティーなどが盛んなイメージがありますが、今回の震災を受けて、何か活動をしていらっしゃいますか?
はい。チャリティイベントを開催するために、今準備をしているところです。コンサートと演劇のイベントをやるんですけど、元々音楽をやっていたこともあって、イベントをやろうと思いました。3公演やって、1000人動員したいなと思っています。震災後、日本は未だかつてない団結を見せていますから、その勢いで復興を支援したいですね。マイナス思考じゃ何も達成できないと思っているので。
―今日はありがとうございました。イベントの成功を祈っています!
Berklee College of Music :
http://www.berklee.edu/
幼い頃から現在まで、人とは違う人生を歩んで来られて、苦労をされているはずなのに、話し方からとてもポジティプな印象を受けました。「マイナス思考じゃ何も達成できない」というお言葉通りです。そういう姿勢が、バンドデビューやイベント開催への力になっているのだと思います。私も、ハンディキャップを感じても、臆することなく飛び込んで行く力を発揮出来るようになりたいと思いました。イベント開催へ向けてお忙しい中、貴重なお話をしてくださったことに感謝です。改めて、ありがとうございました!
―オーストラリアが初めての海外ということですが、どのように感じましたか?
解放されましたね。日本とはガラリと雰囲気が変わって、大自然に囲まれていました。敷地の広い学校で、校庭にいたカンガルーと戯れていたんですよ(笑) 本当に綺麗な国で、嫌な思いはしませんでしたね。自然だけでなく、現地の人たちの人柄も素晴らしくて、「国全体が美しい国」だと思いました。今では捕鯨問題で日本と対立している部分はありますが、当時は全くそのような感じは受けませんでした。
向こうでは束縛がなくて、本当に自由に過ごせました。日本の学校教育が「あれやっちゃだめ、これやっちゃだめ」なのに対し、オーストラリアではそれがありませんでした。まさに解放された少年でしたね。日本に帰ってきたときに嫌だと思ったくらいです(笑)
―帰国してからはどうされましたか?
地元の中学校に進学しました。確か、ちょうどその頃、某有名アイドルグループに入ったんですよね。
―えっ?! ○○ですか?! なぜです?
親への反発です(笑) 親が英才教育に熱心で、妹と一緒に毎日勉強ばかりやらされていました。子どもをちゃんと勉強させて、一流の大学に入れて、一流の企業に就職させたいという思いがあったようです。ただ、私はそういうレールに敷かれた人生が嫌だったんですよね。それで、親に「自分は芸能界に行く」って言いました。反対されましたが、最終的には承諾してくれました。「それがお前の進みたい道なら」って。
プロになるように養育された
―アイドルグループに入ってどうでしたか?
生活がガラっと変わりました。それまでとは全く違う世界に入って、「学生」としての生活が当たり前だったのが、「仕事」をするようになりましたから。「社会人」とはちょっと違いますが、とにかくプロになるように養育されましたね。楽しかった部分もありましたが、そういった意味では過酷でした。競争が激しいですから。
今は有名なメンバーが同期でしたが、そこらへんと切磋琢磨していました。でも、当時から抜きんでて人気ある奴はいるんですよね。小さい頃から、だいたいそういうのは決まっていました。そのメンバーは側から見ていて、デビューするのが分かったくらいです。「ああ、こいつらデビューするな」って。
―芸能界の裏事情を伺ってもいいですか?(笑)
芸能界の裏事情はあんまり聞かない方がいいですよ。ファンタジーが壊れますから(笑) そういうのを幼いながら見た身としては、そこで結構世界観が変わりましたね。「大人の世界って汚いな」って思いました。子どもは子どもらしく育った方が良いですよ。社会に出てから、そういう汚い部分を見ることになりますから。私はちょうど渡米することが決まったのでやめました。
もっと勉強しておけば良かった
―アメリカに行くと言われたときはどう感じましたか?
「行きたい!」って思いました。アメリカのサブカルチャーとかが好きでしたからね。私の中でのアメリカのイメージは、まさしくあの「ハリウッド」そのもので、ファッションや音楽が全部最先端を行っているところだと思っていたんです。それに触れられると思ったら、やっぱりワクワクしました。
―実際にアメリカに行ってみて、どう感じましたか?
やっぱり、マルチ・カルチャーな面に驚きました。本当に多種多様で、ほとんど単一民族国家の日本とは全然違いましたね。ロサンゼルスやニューヨークといった都市部は、色んな人種が入り乱れていますから。アメリカに行ったら色んな人種がいて、初めは戸惑いましたが、それが一番大きかったですね。幸いすぐに慣れることが出来ました。
―英語に苦労しませんでしたか?
オーストラリアにいたころ使っていた英語は、完全に忘れていたので、かなり苦労しました。最初はESLからでしたが、英語で勉強するのは本当に大変でした。日本人は読み書きが出来るので、周りの皆は割と優秀でしたが、私は全然ダメでした。小学校の頃は勉強ばかりで成績優秀だったのに、すでに勉強しなくなっていましたから(笑) 音楽活動に明け暮れていましたよ。
今思えばもっと勉強しておけば良かったです。ただの詰め込み学習ではなく、経験としてと言うか、スキルとして身につけておくものかなと。何かを勉強するなら、ただ仕組みを理解するだけじゃなく、自分がそれを動かして行ったらどうなるか考えて、学んでいった方がいいと思いますよ。知識だけじゃなくて、実践ですよ。
「俺にはこの道しかない!」
―アメリカでバンドデビューをしたそうですが、どうやって漕ぎつけたんですか?
たまたま機会に恵まれていただけです。英語が出来ないのに、無謀にもオーディションを受けたり、デモテープを送ったりしていたら反応があって、面接を受けました。それで「じゃあ一緒にやろう」って。音楽は世界の共通語なので、英語が出来なくても、なんとかなりました。音楽をやっていて良かったです。「俺にはこの道しかない!」って思っていましたから(笑)
―デビューしてどうでしたか?
最初は浮かれていましたね。「自分は海外でも通用するアーティストになった」って思っていました(笑) レコード会社もプロダクションも相当お金を持っていて、ものすごくプロモーション活動の規模が大きかったというのがありますね。それで自惚れていた面があると思います。
―大変なことはありましたか?
やはり言葉とか色々な壁を感じましたね。英語圏の人たちと一緒に仕事をするのに、言葉のハンディキャップは大分感じました。相手の言っていることが分からないことももちろんありましたし、そういうのは辛かったですね。でも、バンドメンバーが支えてくれたのが有り難かったです。本当に周りの人たちに支えられてやってきたと思います。色々あってバンドは解散してしまいましたが、メンバーとは今でも交流があります。
バークリー音楽院に進学する
―高校卒業後はバークリー音楽院に進学したそうですが、どのような試験があったんですか?
普通の学校の普通の科目が全部音楽に変わった感じで、試験とか審査があります。音楽の理論書みたいな「楽典」って呼ばれるものがあるんですけど、それをどこまで理解しているかとか。実技もありましたね。
―音楽院ではどのような勉強をされたんですか?
ジャズの学校だったので、ジャズばかり勉強していました。ロックばかりやっていたのに、今までまともに触れたことがなかったジャズばかりになったんですよ。それで、ついていくのがやっとというか。 毎日楽典勉強したり、演奏勉強したり、作曲勉強したり。めちゃくちゃペースが速くて、それまでまともに譜面の読み書きもやったことなかったので、かなり大変でしたね。結局ついていけなくてやめちゃいました(笑)
でも、今思うとやってよかったです。そこで音楽的基礎がやっと築かれた感じです。明らかに耳が変わりましたね。Ear Trainingがあるんですけど、そこで音階とかを叩き込みました。絶対音感みたいに、聞いてすぐ何の音とかは分かりませんが、音楽を聴いていて、「ここはこういう和音を使っているんだな」とか、分かるようになりましたね。これは極めると廃人になるので注意ですよ(笑)
ワールド・ビジョン・ジャパンで活動する
―日本に帰国して、どう感じましたか?
「帰って来ない方が良かった」って思いました。ビザが切れて帰国したんですけど、日本でも音楽関係の仕事を探しました。でも、全然仕事が取れないんですよね。日本のエンタメ界は保守的で、人脈がものを言うところがあるんです。アメリカでは、エージェンシーに依頼すると仕事が回ってくるんですが、日本では人脈がないと無理。なんとか人づてに仕事を貰っていました。でも、それだと食べていけないので、チャリティーに興味があったこともあって、NPOに行こうと思ったんです。
―ワールド・ビジョン・ジャパンに勤められて良かったことはなんですか?
途上国の人の人生が変わっていくところを感じられたことですね。私の仕事は国内スポンサーを得ることだったので、実際に途上国に出向いたことはないんですが、実際に行った人の話や成果なんかを見て、それを感じました。先進国と途上国がどういうパートナー関係を築けるか、考えさせられましたね。グローバルな視点を持つことが大事なんだなと思いました。
あとは、世界を良くしようとしている人たちから刺激を受けたことです。いわゆる一流企業を途中でやめて参加していたり、良い大学を出ていたりと、「もっと他で活躍してお金を稼げるだろうな」と思うような優秀な方々がいるんですよ。それなのに、NPOに所属し、途上国の支援をしている姿には、感動しました。
―大変だったことはありますか?
スポンサーになってくれる企業を見つけるのが難しかったことですね。そもそも日本ではNPOの認知が低く、信頼があまり得られていないんですよ。ワールド・ビジョン・ジャパンは途上国支援をしているので、「政府のODAとどう違うの?」って言われたりして、まずはそこから説明しなければなりませんでした。本当にきちんとお金を使うのか心配されたこともありましたね。
Pacific Rim Christian College Japan
―現在神学校に通われているということですが、クリスチャンになったきっかけを教えて下さい。
アメリカでクリスチャンに会う機会が多かったんです。特にバンドメンバーにクリスチャンがいた影響が大きいですね。スティーブっていう黒人のベーシストなんですけど、彼とだいたいいつも部屋が一緒で、ツアー先のホテルでも聖書を読んでいるような人でした。彼の家族も全員クリスチャンで、彼のお父さんから「クリスチャンになったら人生変わるから、お前もイエス・キリストを受け入れろ」って言われました。
初めは「本当にそんなもの信じているのか」って馬鹿にしていましたね(笑) その頃、私は神様を信じていなくて、自分には関係がないことだと思っていました。
―それなのになぜクリスチャンに?
やっぱりだんだん人生が自分の思うように行かなくなったからですね。人生の歯車が狂い始めた瞬間があって。エンターテイメントに関わり始めて、普通の人生じゃなくなってしまったんですよね。普通の人だったら経験しないようなことを、いっぱい経験してしまって、精神的にすごく落ちてしまった時期があったんです。そんなときにクリスチャンの知り合いに支えられて、気がつくと自分も聖書を読み始めて、教会に通うようになっていました。
生きる目的が分かった
―クリスチャンになって、自分の中で変わったことはありますか?
自分の生きる目的が分かったことですかね。人生に答えを見出したとは言いませんが、自分何のために生きているのか分かった気がします。聖書の中に書いてあるんですよ(笑) だから日々勉強しているんです。聖書は長くて大変ですが、分かってくるとめちゃくちゃ面白いです。学べば学ぶほど、自分が何を信じているのか、より深く分かるようになります。
―宗教というと、日本ではあまり良いイメージは持たれていませんが、それについてどう思われますか?
正直、「宗教キモ!」って思います(笑) 日本ではオウム真理教が事件を起こしたりして、宗教=怖いとか、キモいですよね。私もそういうふうに思いますから。私はクリスチャンですが、宗教というより、「生き方」だと思っています。自分がどういうふうに生きるのか、なんで生きるのか、そういうものを教えてくれるものだと思います。
―教会ではどんなことをされるんですか?
私の通っている教会はロックをやっているんですよ。プロテスタントだと割とそういうところもあるんですよね。若い人たちがいっぱいいて、わいわいがやがやしていて、すごく面白いですよ。教会でロックというと驚かれますが、私は周りにそういう人がいたので、「そんなもんなんだ」って受け入れていました。
逆に、コンサバティブな礼拝があんまり面白くなかったです。なんか「オルガンしかない」みたいな感じで(笑) そういう伝統的な宗教音楽もすごくて、偉大な作品もたくさんありますが、自分がそういうのをやるのはイメージ出来ませんでした。
未だかつてない団結
―キリスト教と言うと、チャリティーなどが盛んなイメージがありますが、今回の震災を受けて、何か活動をしていらっしゃいますか?
はい。チャリティイベントを開催するために、今準備をしているところです。コンサートと演劇のイベントをやるんですけど、元々音楽をやっていたこともあって、イベントをやろうと思いました。3公演やって、1000人動員したいなと思っています。震災後、日本は未だかつてない団結を見せていますから、その勢いで復興を支援したいですね。マイナス思考じゃ何も達成できないと思っているので。
―今日はありがとうございました。イベントの成功を祈っています!
Berklee College of Music :
http://www.berklee.edu/
幼い頃から現在まで、人とは違う人生を歩んで来られて、苦労をされているはずなのに、話し方からとてもポジティプな印象を受けました。「マイナス思考じゃ何も達成できない」というお言葉通りです。そういう姿勢が、バンドデビューやイベント開催への力になっているのだと思います。私も、ハンディキャップを感じても、臆することなく飛び込んで行く力を発揮出来るようになりたいと思いました。イベント開催へ向けてお忙しい中、貴重なお話をしてくださったことに感謝です。改めて、ありがとうございました!
|
矢田部洋子。1991年山口県生まれ。生まれてすぐ日本国内を転々とした後、5歳まで3年半マレーシアで過ごす。帰国後しばらく東京の学校に通うが再び海外に。高校4年間を、アメリカのカルフォルニア州にあるPalos Verdes Peninsula High Schoolで過ごし、卒業後帰国。現在は一橋大学経済学部2年に在籍。幼い頃から美術が好きで、大学では書道会と創作同好会に所属している。 |
