海外生活体験者・社会人インタビューvol.108

interviewees_s_108_profile.jpg 渡辺努さん。1965年東京生まれ。89年早稲田大学教育学部を卒業。同大学在籍中の87年から88年にかけてアメリカへ留学。フロリダ州のタンパ大学付属の語学学校に2ヶ月間通い、その後ジャクソンビル大学経営学部に入学。89年に現在勤める日系のメーカーに入社。97年から02年まで、カナダ・トロントの販売現地法人に駐在。02年からは、アメリカ・サウスキャロライナの生産現地法人に駐在し、09年に帰国。現在はイメージング事業部に所属している。

コンプレックス克服のための留学

―留学に行こうと思ったのはどうしてですか?

大学で何をしようか、ちゃんと考えていなかったんだ。受験戦争に飲みこまれて、大学受験をして、一番入りたかった早稲田に入れたのは良かったけど、そもそも特に教育学に興味があったわけでもなくて。大学を出て教師になるのも、ちょっと違うよなぁと思ったし、将来どうしようか悩んでいたときに、ここで一番自分が苦手なものに挑戦してみたいと思ったんだよね。それが英語だった。

実際、英語のコンプレックスは相当に大きかった。受験勉強でももちろん苦労したし、大学時代にテニスサークルの関係からジャパンオープンで日給4000円のボールボーイのバイトをしたときも、帰国子女の友だちは海外の有名選手の通訳で日給3万円もらったりしていて(笑) そうしたコンプレックスを克服したかったっていうのが大きい理由かも。

―当時は留学に行く人も今ほど多くはなかったですよね?

まだそんなに多くはなかったね。僕が行った頃がちょうど走りだった。それまでは、英語ができる人が留学に行くことはあったけど、僕みたいな普通の人が留学に行くのは、バブルの頃にかけて増えていったんじゃないかな。

―ということは、留学に関して相談できる人もいないですよね。

いなかった。自分で全部調べて自分で決めたよ。それに、親が猛反対していたから、企画書や予算書を親に提出して、コミットメントまでして。語学学校に2カ月通って大学に入れなかったら、その瞬間に留学は終わりだって約束していたから、もし2カ月で大学に入れなかったら、本当に帰らなきゃいけなかったんだ。だから、語学学校に通っていた時期は、それまでで一番勉強したよ。フロリダに行くことにしたのも、そこが日本人が少ないと言われたからで、自分を追い込むためだった。僕にとって、その2カ月が本当に勝負だったからね。

2カ月で大学に入るというコミットメント

―2カ月の間に、大学に入れるほどの英語力を獲得したんですね?! どんな勉強をしたんですか?

ホームステイをしていたんだけど、そこの家のお母さんと毎晩ずっと話してたのが、英語の上達にとっては一番大きかったかもしれない。本当にとにかくしゃべっていたよ。あとは映画館に毎日通って同じ映画を見るっていうことを繰り返してた。3ドルくらいで安かったしね。繰り返し見てるから、段々と理解できるようになったね。

語学学校では、入るときにはクラス分けの試験を受けさせられたんだけど、それで1番下に入れられたんだよね。クラスは5段階あって、1番上までいくとTOEFLのスコアが低くてもタンパ大学に入れるっていう制度があったんだけど、そのクラス分けの試験は2週間に1回しかなかった。でも、僕には2カ月しかなかったから、必死に勉強して、飛び級させてもらって、なんとか1番上のクラスまで入ったよ。その間にTOEFLも受けて、スコアもそこそこ取れたから、他の大学に行くことにしたんだ。

―怒涛の2カ月だったんですね。

そうだね。同じ語学学校に日本人が2、3人いて群れていたんだけど、嫌われてもいいと思って関わらなかった。僕にはその2カ月が本当に勝負だったから。昼は語学学校、夜はお母さんと話して、その繰り返しと、あとはサバイバル。それを繰り返していたら、スタートがひどいものだったこともあるけど、毎日のように英語がうまくなっていったよ。逆に、その後は伸びがあまり感じられなくなったけどね。ちなみに、タンパの語学学校にいた日本人は、結局僕が帰国するときもまだ語学学校にいたね。

サバイバルっていうのは、向こうで安い車を買ったんだけど、それがもうとんでもないポンコツで(笑) 何年物かも全くわからないようなやつだったんだけど、それが壊れては近くの家に走って電話を借りて、車の状態を説明して、修理の値段を交渉したりして。それが何度あったか覚えていないくらいなんだけど、そのおかげで英語は伸びたと思う。それまでは科目の一つにすぎなかった英語が、生きるための道具に変わった。

最初はもちろん苦痛だったけど、そのうち英語の方が楽になってきた。今考えると、なんだこいつって思われてたと思うんだけど、そのときは日本にいる家族や友だちに送った手紙も、全部自然に英語で書いてたんだ(笑) それも無意識に。でも、それだけナチュラルに英語を学んでいたんだと思う。

コミュニケーションツールとしてのテニス

―大学に入ってから大変だったのはどんなことですか?

大学では、課題も容赦してくれないし、授業でも意見言わないと意味がないし、現地の学生と同じスピードで読んで、書いて、スピーチもしなきゃいけなかったから、それは大変だったよ。でもそのときは、大学に入るってことが一番の目標だったからね。経済とか経営とか、早稲田ではできなかった勉強ができたのはよかったよ。

―留学先の大学で、勉強以外にはどんなことをやっていましたか?

大学のテニス部に入ってた。テニス留学をしてくるような学生がいたくらいだから、僕にはレベルが高すぎたけどね(笑) だけど、そのおかげで仲間はできた。テニスで人と繋がるっていうのは、カナダに行ったときも、アメリカに行ったときも同じだったよ。

言葉だけだと、ネイティブスピーカーからしたら幼稚に聞こえることもあるし、馬鹿にされることもある。でも、言葉以外のところで、ある程度「こいつできる」と思わせることができるものを持っていると、対等な関係を築けるようになる。僕の場合はそれがテニスだった。

何でもなんとかできるという自信

―留学を通して、一番印象に残っている出来事は何ですか?

いまでも苦しいときに思い出すのは、さっきも話した車でタンパからジャクソンビルに引っ越したときのこと。車で行くと、普通でも12時間くらいかかる距離なんだけど、そんなに長距離を走れるような車じゃなかったから、何度も壊れながら進んで、着くまでに3日かかったよ(笑)

途中で車がどうにも直らないくらいの状態になったときがあった。でもお金もないし、電話を借りにいける家も近くにないし、どうしようもなかったから、とにかくなんとかしなきゃという思いで、道端に生えていた草で作ったひもで、壊れた部品を結び付けて走ったんだ。そうしたらなんとか走ってくれて、無事に入学式に間に合った。

あれだけひどい思いをしたんだから、何でもチャレンジしたら、なんとかなるかもしれないって思えるようになった。そういう意味では、日本でのほほんと生きてたときとは、ものの見方が変わったね。

多分こういう話は、就活のときにもしたんだと思うよ。体で感じてきたことだから、話せちゃうし、説得力もあったんだろうね。「外から日本を見ることができました」とか、格好いいことは言おうと思えば言えるけど、面白くない。それよりも、自分の体験に裏打ちされた話しの方が、はるかに説得力がある。今は自分が学生を見ている側だから、そう思う。

対話を通したコミュニケーション

―入社してから8年目、海外行きが決まったときは嬉しかったですか?

涙が出るほどうれしかった。海外の仕事がしたいって言い続けていたし、一番行きたいところがカナダだったからね。そんなことって滅多にないんだよ。行ってからも、仕事はすごく面白かった。現地では、社長補佐っていう、日本にいたときに比べてかなりシニアなポジションに就いて、その分責任レベルも高かったけど、やりがいがとてもあった。経営者のすぐ傍で仕事を見ていたから、経営の大変さも知ったけど、その面白さにもすごく魅かれたよ。

―12年間海外で働かれていたということですが、海外で働く上で必要な能力はどんなことでしょうか?

まずは、英語の上手い下手に関わらず、自分の意見をしっかりと言えることだね。あとは、対話を通してコミュニケーションがちゃんとできること。自分の本音を話しつつ、相手の本音を聞き出すんだね。日本では、会議とかでもある程度根回しが済んでいて、会議の場で本当に議論することは少なかったりする。そうやって会議の場でコミュニケーションができないから、飲みニュケーションで埋め合わせをするんだよね。でも、アメリカでは会議の場でしっかり対話を通したコミュニケーションがあるから、飲み会なんてしない。その分、家族と過ごす時間がたくさんとれるのも、海外で働いていてよかったことだね。

―最後に、就職活動中の学生にメッセージをお願いします!

少し立ち止まって自分のことを真剣に考えることに必死になれるときなんて、就活のとき以外、後にも先にもない。自分はどんな人間なんだろう、どんな経験をしてきて、どんなふうに物事を考えて、どんな強みや弱みを持っているのか。それを何度も繰り返し自分に問いかけて、自分に合う仕事が何か考えてくれるといいな。

去年は面接官をやったけど、学生の受け答えがしっかりしすぎていて、びっくりした。でも、完璧すぎるのには違和感があって、もっとドギマギしてくれたり、素朴なことを言ってくれたりした方が、その人のことがわかるのにって思う。

面接官は、学生が練習を重ねて作り上げた武装をはがそうとするし、それをはがしたときに、中身がなくちゃだめなんだ。だから、テクニックばかりを磨くんじゃなくて、本当の自分ってどうなんだろうってことを考えるのに十分に時間を使ってほしい。やっぱり、自分がどういう人間かわかっている学生の話は説得力があるよ。

―どうもありがとうございました!

Jacksonville University :
http://www.ju.edu/

インタビューアから一言

渡辺さんは私にとっては叔父にあたるのですが、親戚だからこそ、逆に今まで話を聞く機会があまりありませんでした。今回インタビューをさせていただいて、留学先での波乱万丈な経験に、とても刺激を受けました。私もこれから留学に行きますが、同じくらい濃い経験をして帰ってきたいと思います。今回はお忙しい中お話を聞かせてくださり、どうもありがとうございました!
report_38takashina3.jpg 高品美紀。1990年愛知県生まれ。生後間もなくドイツ・ベルリンに渡航し、1年間滞在。その後イギリス・ロンドンに移るが、6歳のときに帰国し、以来日本で暮らす。09年横浜共立学園高校を卒業し、早稲田大学法学部に入学。11年現在同大3年に在籍。所属するアジア最大の法学生団体ALSAや学部の憲法ゼミでは、様々な社会問題について議論を行なっている。また、本年9月よりカナダ・カルガリー大学に1年間の交換留学生として派遣される予定である。