海外生活体験者・社会人インタビューvol.109

interviewees_s_109_profile.jpg Y.K.さん。イギリス、ハンガリー、インドネシア、シンガポールに滞在し、計13年間海外に滞在する。日本の高校を経て、上智大学法学部国際関係法学科に入学。卒業後、化学メーカーに入社。趣味は音楽、マラソン、野球、そして、合気道。上智大学在学中には合気道サークルの主将も務めた。現在も時折大学を訪れて、後輩の指導を行なっている。

「壁」というものを感じた

―まずは、幼少期の海外生活体験についてお聞かせください!

イギリスのロンドンにいました。生後3ヶ月から4歳までしかいなかったから、どんなことがあったかあまり覚えていないです(笑) 幼稚園にサンタクロースが来たとか、道路に鳥の死骸が落ちていたとか、印象的だったことは、場面場面で思い出せるんだけど、残念ながら記憶はほとんどないかな。その後、日本に戻ってきて幼稚園に通ったけど、特に違和感なく馴染めたよ。

―その後、ハンガリーに引っ越されたとか。

6歳から9歳まで滞在していました。ハンガリーでの生活も楽しかったよ。インターナショナルスクールと補習校に通っていたので、英語と日本語の勉強を両立して行っていたね。それぞれ色々な文化があって面白かった。休み時間に鬼ごっこしたり、ドッジボールしたり、普通の男の子だったかな。

―その後、インドネシアにお引越しですよね。

インドネシアだけど、治安が良くないため、外国人ばかりの厳重なセキュリティが敷かれている地区に僕は住んでいたので、現地の子どもたちと交流する機会というのはあまりなかったね。

とにかく貧富の差が激しかった。高層ビルや高級マンションに住んでいる現地のインドネシア人もいれば、少し離れた地域に、スラムとまでは言わないけど、劣悪な環境に住んでいる人たちもいたんだ。自分が街中を移動するときは、基本的にスクールバスだったり、運転手さんの車だったりするので、なんだか「壁」というのを感じたね。自分と同じ立場の子どもたちが学校に沢山いたから、「壁」についてなにか思い悩んだりはしなかったけど。

楽しい日本への憧れもあって

―そして12歳のとき、今度はシンガポールへ……。転々としていますね。

本当に転々としていたなぁ(笑) 今思えばよくやっていたと思うよ。こんなに引越しが多かったのは、当時が証券会社に務めていた父の仕事の関係からなんだけど、なにをやっていたかはよく分からないです(笑) 海外ではずっとインターナショナル・スクールに通っていたけど、日本からハンガリーに行った当初は英語が喋れなくて苦労したかな。ただ、すぐにESLを卒業したし、特に言語の問題はなかったです。

ただ、順調かって言われれば、そんなことはなかった。大体3年に1回は海外に引っ越してしまうわけで、付き合う友だちもどんどん変わっていったから、それは辛かった。それぞれの国に友だちができたのは楽しかったけどね。

シンガポールって、近代的なイメージあるかもしれないけど、それは中心地だけ。シンガポール自体が東南アジアの中でダントツに発展しているから、綺麗な建物や街並みがあるけど、少しそこから離れれば昔ながらの家とかあったしね。確かに汚したら罰金とかあるけど、全部が全部綺麗なわけでもなかった。

あと、シンガポールでは、日本で流行ったものが1年遅れで入ってくる感じだったんだけど、ある日を境に皆が一斉にヨーヨーをやり始めたりしてたよ。なんだこれは! ってなった(笑)

中学3年生のときに、親が再び日本に帰ることになって、僕自身は帰るのか、帰らないか、選択をしなければならなくなった。シンガポールに友だちも出来てるし、辛いから残ると親に伝えたけど、家族として一緒に住みたいと言われたし、海外生活も十分だから、日本で勉強して欲しいと言われた記憶があるな。悩んだけど、日本の生活も体験してみたいとずっと思っていたから、最終的には帰国を決断したよ。日本には新しいものが沢山あって楽しいという憧れも持っていたしね(笑)

中途半端なところに違和感

―日本に戻ってきて、違和感があったりはしましたか?

そうだねぇ。すごく細かい話なんだけど、日本の歌手が歌う曲の中に、英語のフレーズが一杯入っているっていうのが気になった。「意味が分からない! なんだこれは!」と(笑) 日本人なら日本語で歌えとか、英語で歌うなら全部英語にしろとか思ったね。中途半端なところに違和感あったよ。

あとはね、「厚底ブーツ」と「ガングロ」ブームの全盛期だったんで、これも「なんだこれは!」と感じたね(笑) ただ、こんなのが流行っていて、こんなものなのかぁと思っていたくらいだったから、別に嫌悪までしていたわけではないね。日本ってこういう場所なのかと理解したよ。でも、海外滞在経験のある生徒ばっかりの高校に入ったこともあって、そんなに違和感だとか、カルチャーショックだとかは受けなかったかな。自分が鈍感なだけかもしれないけど(笑)

高校に入って、なにか部活をやろうと思ったから、野球部に入ったんだ。もともとインドネシアとシンガポールでもやってたから。野球は好きだったけど、元々下手くそだったし、すごく体育会系できつくて、1年で辞めてしまって……。それで友だちに誘われて、新たにオーケストラ部に入ったんだ。

インドネシアにいたとき、親の勧めでバイオリンを弾きはじめていたんだけど、クラシック音楽への興味もあまりなかった。でも、オーケストラ部に入ってからは、部員それぞれの楽器が生み出す音色で一つの曲を作り上げる楽しさに目覚めたよ。新鮮な経験だったし、自分の好きな曲を演奏できたからね。

―高校卒業後は、また海外に行こうとは思いませんでしたか?

実は、行きたいと思ったことはあったんだけど、それほど野心的ではなかったかな。とりあえず、大学には行こうと思っていたけどね。僕は派手なのが好きじゃなかったから、小ぢんまりした大学がいいなぁとか思ったりはしたかも(笑)

高校でオーケストラやってたから、大学でも続けようと思っていたけど、楽器の維持費や演奏会の場所代などでむちゃくちゃお金がかかるから、続けられなかったな。

世界に通用するものを広めたい

―それで大学では合気道と。

そう、なぜかね(笑) 実は、インドネシア住んでいたときにテコンドーをやったり、家の近くで合気道やったりした経験はあったんだけどね。オーケストラがダメだとわかってからは、とりあえず運動系のサークルに入りたいと思った。色々なサークルあったけど、最終的には昔やっていた合気道のサークルに入ったんだ。マサ(社会人インタビューvol.89)とはこのサークルで出会った。

―そこで主将を経験されたわけですが、いかがでしたか?

なぜか、主将に選ばれてしまった(笑) いい経験だったけど、少し余裕がなかったかもしれない。人に技術を教えたり、グループをまとめあげたりすることの大変さを知ったよ。ただ、自分でなんでもやろうとするところがあったかな。幹部にもっと仕事を的確に振り分ければよかったという反省はある。今後、トップに立つ機会があったら、もっと人を上手に使うようにならなきゃなとは思う。

―就活とお仕事のお話も少しお伺いしてよろしいでしょうか?

実は就活を始めた当初、志望業界はありませんでした(笑) でも結局は、なにをやっているのかわかりやすいメーカーがいいなって思うようになったよ。ただ、メーカーでも色々あるからね。その中でもあらゆるところに使用されている素材を作るメーカーのほうが面白いと思った。夏まで続けたくなかったし、続かないと思っていたから、早く決めるように頑張った(笑)

志望理由なんだけど、日本って世界で通用するものをいろいろ作ってるんだよね。それは車であり、電気製品であり、いっぱい作っているわけだけど、そういうものを海外に広められたらいいなぁと思っていた。自分が海外に住んでいたのもあるし、外国と繋がっているっていうのもあったから、ずっとやりたかったよ。将来機会があれば、海外で仕事したいなぁ。ヨーロッパとかね。

―では、最後に後輩の海外生活体験者に向けてお言葉をお願いします!

常に、日本が世界においてどういう位置づけか考えておくといいと思う。自分の経験だけど、色んな国に住んで、色んな人種や宗教に出会ったことで、なにかしらの形でどの国も日本と関わっていることがわかったよ。東南アジアの国々だと、侵略されたから、日本に対して良いイメージがなかったりとかあったんだ。そこで、過去と現在の関係を上手く理解しつつ、自分たちの世代がやったわけじゃないことも念頭において、コミュニケーションをして欲しいと思う。

外国に住んでいたから、日本の良さとか、自分が如何に恵まれているかがよく分かってると思う。だから、モノじゃなくても、日本特有の仕組みだとか、高度に発展しているものを海外に広めつつ、それを誇りに思って生きていって欲しい。

―ありがとうございました!

インタビューアから一言

僕のサークルの先輩で、とても優しい方です。僕が合気道の超初心者だった頃から、丁寧に技術を教えていただいています。今回のインタビューを通じて、Kさんは、日本という国に対して、強い誇りを抱いていらっしゃることがよく分かりました。僕も、日本人に生まれたことを誇りにし、いかに日本が優れているかを発信し続けたく思います! インタビュー、本当にありがとうございました!
interviewee_s_151_2_profile.jpg 稲葉省吾。1990年神奈川県の田舎生まれ。小学校5年生のときにアメリカのニュージャージー州に引っ越し、7年8ヶ月ほど滞在。Parsippany Hills High Schoolを卒業後、日本に帰国。2009年に上智大学国際教養学部に合格し、現在3年に在学。国際教養学部の制度を活用して、史学や政治学など複数の科目を学んでいる。RTN Project上智支部代表。