海外生活体験者・学生インタビューvol.144

interviewee_g_143_profile.jpg 伏見昌幸さん。1990年にギリシャで生まれ、3歳まで滞在。その後日本へ帰国し、1年間過ごす。4歳から7歳をドイツのデッセルドルフにある日本人学校で、7歳から11歳をオーストラリアのシドニーにある日本人学校に通う。その後再び日本へ帰国し、千葉の公立校で過ごす。13歳でアメリカのロサンジェルスに渡り、Torrance High Schoolを卒業後帰国。現在は早稲田大学人間科学部人間環境科学科3年に在籍。課外活動では、ゴルフサークルに所属している。

―今日はインタビューを引き受けてくれてありがとう!

いやいや、とんでもないよ!

―ちょっと変な感じだけど早速質問させてもらうね。

はいよー(笑)

生まれ故郷への想い

―まず気になるのはギリシャ生まれの経歴だよね。生まれた地として、自分なりに何か意識することはあるの? 正直記憶なしってところ?

ギリシャでの記憶自体はないに等しいけど、この経歴に関しては誇りに思っているよ。やっぱり世界的にも有名だし、神話とかで耳にする国名だからね(笑) それは半分冗談として、物心がついてから一度家族で生まれ故郷へ旅行しようっていう話になって、行ったことがあるんだ。街がすごくきれいで、こんな場所で生まれたんだって思ったら、やっぱり誇りに思ったよ。

ちなみに、ギリシャの大統領の娘さんが生まれたときの助産師が、僕を産んだ母親の助産師と同じ人だったらしくて、それはプチ自慢に使えるでしょ? ただ、昨今の財政破綻の影響で、ギリシャ自慢はしにくくなったよね(笑)

それは確かに凄い(笑)

人生初の送別会は辛かった

―その後一度日本へ帰って、すぐにドイツへ行ったみたいだけど、その頃はどんな少年だったの?

帰国した頃にサッカーを始めたこともあって、ドイツではひたすらサッカーをやっていた思い出が強いかな。兄がいたから、一緒によくボールを蹴ったり。公園でサッカーをしていたらドイツ人が入ってきたり、逆に入れてもらったりもして、学校は日本人学校だったんだけど、意外と現地の環境に馴染んでいた気がする。

―サッカーの本場だもんね! 次に行ったオーストラリアでは?

日本人学校だったけど、小学校はインターナショナルスクールみたいな感じだったんだよね。だから外国人もたくさんいた。日本人の中ではドッヂボールが流行っていたんだけど、現地の子はサッカーをやっていた。僕はサッカー派だったから、オーストラリアでの初めての友だちは外国人だったんだよね。

それまでは日本語とドイツ語だったから、英語圏は初めてだった。最初に覚えた英語は”Can I play?” だった記憶が鮮明に残っているよ。ここでもサッカーを通じて、言葉がわからないなりに、外国人の中に入り込むことができたのかな。差別とかも全然なくて、言葉の壁はサッカーを中心としたスポーツですんなり超えることができたよ。

―逆にドイツやオーストラリアで辛い経験とかなかったの?

うーん。。。ドイツにしろオーストラリアにしろ、やっぱり別れがあったのが辛かったかな。ドイツに関しては、物心ついてから初めての別れって感じがしたから。人生初の送別会をやってもらって、友だちが泣いてくれたりしちゃうもんだから、本当に辛かった。オーストラリアも同じ。6年生の途中っていう中途半端な時期だったし、日本には帰りたくなかった。当時はメールとかもなかったしさ。

―なるほどね。大人になっても別れは辛いもんだよね。でも人生初の送別会とか、自分の中でそういう観点なかったからちょっと感動的!

女の子と話すと「はぶかれる」

―その後日本での生活が始まったわけだけど、これだけ海外を転々として逆カルチャーショックとかなかったの?


あったよ、あった! なんかわからないけど、女の子と話すと「はぶかれる」みたいな風潮があった。その対象になるのが嫌だったから、変に女の子を意識しちゃって、あんまりしゃべらなかった。それまではそういう経験がなかったから、よくわかんなくなっちゃったんだよね。でも、学校でも告白とかはあって、変に日本人はませてるなって感じてた。

―今の君からからは想像もできないストーリーだね(笑)

そーゆーのいいよ(笑) カルチャーショックとはちょっと違うんだけど、あの時期は初めて挫折を味わった時期でもあったかな。サッカーは相変わらず続けてたんだけど、部活っていうのは初めてで、組織サッカーができたのはすごく楽しかった。だけど、一回怪我をして戻ってきたときに、それまで通りにいかなくて、1軍から3軍まで落とされた。そういうのは初めての経験で、サッカーが嫌いになった時期でもあったんだよね。

アメリカ行きは大反対だった

―ある程度の間日本で生活をしてから、今度は渡米ってことだけど、そのときはどういう気持ちだったの?


海外経験は豊富だったから、アメリカへ行くことへの恐怖は全くなかったよ。ただ、そのことに関しては大反対だった。さっき話した挫折から、結果的に1軍に戻れた矢先の話だったし。監督にそれを伝えると、1軍の練習相手としてまた2軍に落とされたりとか、泣きそうだったよ。

―サッカー、サッカー、サッカーの人生だね(笑) アメリカでは、初めての現地校だったみたいだけど、それはどうだったの?

最初はインターナショナルスクールに通っていて、逆に外国人が全然いなかったんだよ。先生が外国人だったんだけどね、授業は英語で生徒は日本人という特殊な環境。人数も少なくて、正直この学校で良い思い出があるかって言ったら、そうでもないかな。

皆良い人だったけど、日本の学校でうまくいかなかった人とかが通ってたりとか。だから現地校への転校を決めた。親は反対したけど、自分自身が英語を忘れかけていることへ危機感を覚えいたし。ここでの2年間は、強いて言えばおしゃれに目覚めた期間(笑)

―珍しい環境だね、それは。ちょっと想像できないな。転校先の現地校はどうだったの?

初めての現地校ってことで、予想はしていたけど、最初は差別にあった。わざとものすごい早口で喋られたり、全然わからない単語を使われたり。授業中には消しカス投げられたりとかね。11年生のときに転校して、9年生の授業も取ったりしていたから、年下ばっか。相当腹立ったよ。ただ、アメリカで喧嘩すると大問題になるのは、父親に聞いていたから、そこは我慢。ツバとかかけられていた日本人もいたよ。

―そんなこともあったんだ。自分もアメリカの現地校を経験した身だけど、その光景は見たことなかったな。

日本は狭いって感じがする

―多くの国に滞在してきたわけだけど、一番印象に残っている国はどこかな?


オーストラリアだろうね。

―それはなぜ?

やっぱり人種の壁を一切感じなかったことが大きいかな。それは人種差別自体がなかったのか、自分が感じなかっただけなのか、よくわからないけど、とにかくそうだった。街並みも好きだったし、人も気さくですごく居心地がよかった。自分に合っていたのかもしれないね。

―逆に、これだけ海外を転々としてきた中で、日本に対する何か特別な想いはあるの?

海外にいても、2年に1回は帰国していたんだ。おじいちゃんとおばあちゃんに会いに帰ってた。だから日本は旅行の対象国みたいなイメージがずっとあったよ。毎回の帰国は凄く楽しみだったな。電化製品をおじいちゃんと見に行って、何か買ってもらうのが楽しかった。

―住んでた日本と一時帰国の日本では、一時帰国の日本の方が好きだったってこと?

うーん。。。それは難しい質問。やっぱり母国語は日本語だし、日本に住んでて全然不自由は感じないから、暮らしやすい。ただ、若干の物足りなさみたいなのは感じるときがあるかな。それが何か明確なわけじゃないんだけど、いろんな意味で日本は狭いって感じがする。

人と話すことひとつとっても、やっぱり新鮮味がないっていうか。見下しているとか、そういうんじゃないんだけど、感覚として、現地で出会った日本人とか外国人の方が、経験も豊富でいろいろな考え方を持っている人が多かった印象が強い。それは今、実際に日本で暮らしていて感じる。

―なるほど。感覚的な部分があるんだね。ちょっと共感できるかも。最後の質問になるけど、海外経験をしてよかったと思うことは何かある?

自分でいうのもあれなんだけど、心が豊かになったよ。やっぱりいろいろな国でいろいろな人とコミュニケーションをとる機会があったことで、いろんなことを受け入れるっていう姿勢が身についた。こんな人もいる、こんな考え方の人もいるっていうのが多くて、自分は割となるほど、なるほどって受け入れられる人間になったかな。だから、あんまり反発とかせずに、穏やかな人間になれたんじゃないかなって思ってる。

―ある意味、日本人感が強くて面白い。でも、すごく伏見くんっぽさが伝わる(笑)

活動報告 「世界の学校から」vol.12
http://www.rtnproject.com/2009/08/_vol12_1.html

インタビューアから一言

滞在国の多さにはとにかく驚いた。質問に対しては、飾ることなく赤裸々に答えてくれて、もう少し飾らなくていいの? と思うところもあったくらいだが、「こういう帰国子女だって実際はいるでしょ?」とのこと。確かにそうだ(笑) ただ本人も、もっと現地校での生活が多かったら、全く別の人間になっていた気がすると語っていた。受け入れ上手の、好青年の素直さを再認識させられる形で、今回のインタビューを終えた。インタビューを引き受けてくれて本当にありがとう!

interviewees_s_59_profile.jpg 浅野卓也。1989年東京生まれ。小学校、中学校と地元の公立校に通う。04年、9年生の開始に合わせ渡米。アメリカコネチカット州のGreenwich High Schoolを卒業後、帰国する。現在は早稲田大学教育学部複合文化学科に在籍し、3年目を迎える。第2外国語はスペイン語を選択。課外活動ではゴルフサークルに所属し、年2回のリーグ戦に向けて、日々練習を重ねている。