海外生活体験者・社会人インタビューvol.113~前編~

interviewees_s_110_profile.jpg 清水宏美さん。1984年生まれ。東京大学出身。大学4年次を休学し、約10ヵ月間ケニアにてNGO研修を行う。研修先は、NPO法人AIESECを通して見つける。現地では、スラム内のCBOを自ら研修先として開拓し、資金調達活動を行う。08年株式会社ワークスアプリケーションズに入社。リクルーティンググループに所属している。

―本日はよろしくお願いいたします。

よろしくお願いします!

フットサルのあとはケニアに行く

―まず、清水さんの学生時代のお話を伺わせてください。大学ではどのように過ごされていましたか。

基本的にフットサルばっかりしていました(笑) もともと、中高とバスケをしていましたが、大学ではサッカーサークルに入りました。1年次はサッカーを、2年次からはフットサルを始め、3年次にはフットサルの社会人リーグに入るほど打ち込んでいましたね。

―フットサル中心ですか(笑) 少し意外な回答ですね! それでは、大学4年次のお話を伺います。AISECを通じて、ケニアにNGO研修に行かれていたとのことですが、そのきっかけは何だったのですか。

きっかけは3年冬の就職活動です。周りが動き始めたとき、自分がどういう仕事に就きたいのか考える中で、研修に行ってみようと考えるようになりました。特にやりたい仕事がなかったからです。周りが就活する中で、業界とかを決めていきますよね。でも、いろんな分野のイベントに参加したり、OBの話を聞いたりしても、あまり興味が湧く業界がなかったんです。業界という切り口で唯一興味を持てたのが、高校時代に憧れていた、国際協力の分野でした。

民間の企業に就職するのと、国際協力の道に進むのでは、全くキャリアが異なるイメージがありました。なので、ただ興味があるという弱い動機で、そのまま国際協力の道に進んでいいのか、確信が持てずにいました。ただ、民間就職の道を選択しても、結局入社2、3年目でまた迷うんだろうなと。ならば、やってみるのがはやいかなと。私の仕事の最終的な利益の享受者の近くに行き、それが意味のあることと思えたならば、自分の道として選択し、人生を賭けられると考えました。

―就活がきっかけなんですね。それでは、短期ではなく1年休学という手段をとったのと、ケニアの地を選択された理由を教えていただけますか。

まず、なぜケニアだったのかというと、私は国際開発というより、緊急援助に興味があり、それに“近い”環境を選びたかったからです。命に関わる、ギリギリのラインで、あまり価値観を相手に押し付けない領域がいいと思っていました。ただ、学生の身でそういう場に行くことは難しかったんです。そこで、開発として注目を浴びていたアフリカの、英語圏であるケニアを選びました。金銭的な負担の少ないAIESECを通じての研修を決め、研修先としては子どもに関する団体をネットワーキングしているNGOを選択しました。

10ヵ月という期間にした理由は、ある程度の期間行かないと何もわからないだろうなというのと、モラトリアムだったので、就職は1年延ばしちゃえという思いからです(笑) 当初は6ヵ月研修して、残りは旅行期間に充てるつもりでしたが、研修に没頭して延長しました。

ボランティアとインターンの違い

―ケニアの研修先では、実際にどういったことをされていたのですか。


ネットワーキングのNGOだったので、いろいろな子ども支援を行っている団体とつながりがありました。まずは、複数の団体を回り、レポートを書く作業をして、興味がある団体があれば、そこにインターン生として行っていいよと言われていました。紹介してもらった団体は、私がやりたいことや見たいものとは少し違ったので、自分の希望をNGOに伝え、それに合致するところに派遣してもらいました。

ナイロビのミトゥンバという小さなスラムで、公立の小学校にすら行けない貧しい子どもたちを集めて授業を行っている人プロジェクトで働きました。

―授業を行う先生ではなく、先生の支援だったということですね。

そうです。先生をやりたいわけではありませんでした。このプロジェクトに何が足りないんだろうと考えたときに、ヒト・モノ・カネと何もないなと(笑) まずはお金を調達しようと考え、プロジェクトのボスに依頼し、資金調達係に就任しました。

―ポストを与えられるのではなく、自分からポストを獲りにいかれたのですね。それでは、ケニアで研修される中で最も苦労したことは何ですか。

うーん、ケニアという土地ならでは、ではないのですが、まさに自分の能力のなさですよね(笑) 既存の研修プログラムをこなすのではなく、自分で仕事をつくって取り組む中で、無力さを痛感しました。

無力と言えば、研修に行く前に、ボランティアと研修(インターン)の違いについて考えていたので、現地では、ボランティアと呼ばれたら、インターン生だと訂正していました。私は彼らに提供できるスキルや能力があるわけではなく、自分が学ぶために研修していたのでボランティアと名乗るのはおこがましいと考えていました。

―ボランティアとインターンの違いですか。

私はそれを意識していました。もちろん、インターンだから何も提供しなくてもいいわけではなくて、やるからには価値を出したいと考えて取り組んでいましたが。

そういうわけで、とにかくがむしゃらにやっていたわけですよね。自分なりに一番の問題は資金調達だと考えて、自分の滞在費を使いながら「営業活動」をしていました。やり方はわからなかったので、手当たり次第、国際NGOや大使館、日本企業などに出向き、どうすれば提案が通るか話をしたり、NGO支援をしている団体の人に、どうすればいい提案書が書けるのか相談したりするなど、我流でやっていました。

我流だったので、今から考えると全くなってない方法なんですよね。何もない状態の中で、自分ひとりの力で価値を発見するのは本当に難しい。私は、日本人としてというよりは、現地の人材のひとりとして何かをしたかったんです。だから、自分のツテで日本から寄付を集めてというよりは、資金調達という形でプロジェクトに成果をもたらしたいなと考えていました。

―現地の人材としてですね。スラムという現場では、もちろん日本語は一切通用しないですよね。英語でのやり取りですか。

そうですね。あとは、教育がなければないほど英語が通じないので、スラムの子供とは、現地で覚えた片言のスワヒリ語でコミュニケーションをとっていました。

働くって社会に関わること

―それでは帰国後の話を伺います。大学に戻られてからはどう過ごされましたか。


まず、フットサルをやっていましたよね(笑) あとは、大きな変化としては、モラトリアムから一転して、早く働きたいという気持ちになっていました。帰国後、翌日から会社説明会に行き(笑)、1ヵ月ほどスーツを着たいわゆる「就活」をやり、内定もいただいたんです。6月からは、スタートアップ企業で働き始め、半年ほどインターン生としてお世話になりました。その中で、最終的にワークスアプリケーションズを選びました。

―ワークスアプリケーションズの内定は、もしや入社パスですか。

そうです。実は、ケニア研修前に入社パスをもらっていたので、そのおかげで4年次に1年間ケニアに行く勇気が出た部分もあります(笑)

―そうだったんですね。少し、話が戻りますが、「働く気になっていた」と仰いましたが、それはどういった経緯からでしょう。

働くって、社会に関わることなんだというのを、ケニアで自らの体験を通して学べたんですね。滞在中に1ヵ月ほどタンザニアを旅行して、もちろん楽しいのですが、浮草みたいだなと感じることがありました。日本からのゲストとしてちやほや扱われるけど、その社会に根差しているわけではないですし……。ちゃんと社会に関わろうという気になりました。社会に関わろうと思えて、でもその上で、何かしようとしても、何も生み出せない自分がもどかしく思いました。

ケニアには、そもそも国際協力をやりたいのかという、職業選択のために行きました。結論としては、新卒の段階では、「私は合わないな」となりました。理由はいくつかあり、開発という社会への関わり方は私には違うなと感じたり、その領域にいる人とあまり水が合わないなと感じたり。

―違うと思われたのは?

開発に関わっている人を粗く分類してしまえば、大きく2種類いると思っていて、ひとつはグローバルなキャリアを楽しみたい人と、もうひとつは、その地域が本当に好きで地域のために何かやりたい人。前者は、私が勝手に思うには、本当の問題解決はできてなく、後者は現地に溶け込んでいるし影響範囲が狭いながらも良いことをしているとは思いますが、世界は変えられないなと。私は、そのどちらのタイプでもなかった。少なくとも自分のファーストキャリアではないと結論付けました。

―現地で自ら経験された故の考えですね。ファーストキャリアではないと。

まず、自分にビジネスの力が全くない。問題解決ができない状態で、私が国際開発や援助の道に行っても、何も変えられません。そして、そのエリアにいる人たちが、能力がある人たちかというと、ビジネスに長けているわけではない。

例えば、国際公務員のキャリアを見ても、アカデミックなバックグランドはしっかり築く必要があっても、本当に「仕事」ができるのかには疑問がありました。私が本当にこの領域に身を投げ、世界を変えたいのならば、能力をつけなければならない。

かつ、ここの領域を選ばないとしても、私は結構自分勝手に生きていきたいので(笑)、やりたいことをやって、自分で住む国も選んで生きていける状態を作るには、自分で仕事の力をつけなければならないと感じました。研修を通じて、自分の無力さは嫌というほど思い知ったので、好き勝手に生きるためには、力をつけなければなと。

社会に関わらなきゃというのと、力をつけなきゃというのが合わさり、働きたいなという思いになりました。

―なぜ働くのか、なかなか見えてこない私にとって、とても勉強になります。

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interviewees_s_251_profile.jpg 宮崎紗絵子。1989年生まれ。愛知県出身。高校1年の夏からアメリカ・カリフォルニア州のサンディエゴで暮らし、Rancho Bernardo High Schoolに通う。高校卒業後帰国し、09年早稲田大学法学部に入学。現在3年に在学。大学では、法律サークルに所属。大学2年の夏は、早稲田大学とKUMONの産学連携プロジェクトに参加し「日本の子育てをもっと元気に!」を掲げて活動。また、夏と春の2度、NPO法人JUKE主催のジョブシャドウィング(一日かばん持ちインターン)に参加。現在は、ジョブシャドウィングプログラム、RTN Projectでのインタビュー活動を通して知ったNPO法人JUKEのスタッフをしている。