海外生活体験者・社会人インタビューvol.114

interviewees_s_114_2_profile.jpg 浦賢子さん。大阪出身。小、中、高と大阪で生活、大学で上京し、創価大学経済学部へ進学する。学部時代には南アフリカへ1年間の留学を経験。帰国後1年間NGOでインターンシップを行い、大学卒業後2年間、青年海外協力隊としてモザンビークでJICA(独立行政法人国際協力機構)の活動に従事する。その後在モザンビーク日本大使館での1年間の勤務を経て再び帰国。政策研究大学院修士課程では、世界銀行にてインターンシップを行い、国際開発修士号を取得。現在も短期コンサルタントとして世界銀行に勤務している。2011年10月をめどに一区切りを迎える予定である。

―ご多用の中、インタビューに応じていただきまして、本当にありがとうございます。

いえいえ、こちらこそ。インタビューを受けるのは初めての経験なので、緊張しますね。

アフリカへの関心

―それでは早速始めさせていただきます。大学生活についてお聞きしたいのですが、学部時代は主にどのような活動をなされていたのですか?

パンアフリカン友好会というサークルに所属していました。文化祭で何かテーマを決めて展示会を行ったり、スワヒリ語のスピーチコンテストを主催したりしていました。大学内外からスワヒリ語を話すことのできる人を呼んで、何か決まったテーマについてお話していただくというイベントです。

―そのサークルへ入ろうと思ったきっかけはあるのですか?

高校3年生のときに観た『未来の教室』というNHKの番組で、ソマリアにおける女性性器切除について放送していて、こんなことがあるのかと衝撃を受けました。それでアフリカへの興味がわきました。

―なるほど。南アフリカへ留学されたとのことですが、そのあたりにも繋がってくるのですね。でもなぜ南アフリカにしたのですか?

そうですね。他にもガーナとケニアが選択肢としてあったのですが、正直スワヒリ語自体に興味が強かったわけではなかったのです。それと、高校生のときから英語は結構頑張って勉強していたので、その3つの国の中では一番きれいな英語が話される南アフリカへ行こうと決めました。あとは単位や時期などの関係からですね。

―その留学経験で、一番印象に残っていることを教えていただけますか?

正直、12ヶ月のうち10ヶ月は帰りたいと思っていたと思います。とにかく犯罪率が高い国でした。友だちといいますか、知り合いが留学生の部屋からPCのような高価なものを全部泥棒して、目の前から消えたことがあって、本当に人間不信になった時期もありました。でも、後になって考えれば、そのひとを恨むというよりも、そのような社会的背景がそうさせているのだと強く思いました。

エイズへの関心

―帰国後はNGOで1年間のインターンを経験されているとのことですが、どのようなことをされていたのですか?

在日アフリカ人に対するエイズに関する情報提供やプロジェクトに携わっていました。 他にも、実際には達成できなかったのですが、他の大学生と大学生向けにエイズ教育をするプロジェクトを立ち上げようとしていました。

―大学卒業後は、青年海外協力隊として、2年間モザンビークへ行かれたとのことですが、協力隊について少し教えていただけますか?

JICAという政府支援の下に活動する独立行政法人の下にあり、応募すると適性を検査され、参加できるかが決まります。協力隊の要請というのがあり、どういう人がどのような場所に必要なのか、過去の経験等によって配属地が決まります。南アフリカへ行きたいとオファーを出してはいたのですが、モザンビークに決まりました。今は変わったようですが、当時は2年間1度も日本へは帰ってはいけないルールがあったりもしましたよ。

―主にどのような活動をされていたのですか? また、素朴な質問なのですが、しっかり人数は集まるのですか?

柔道や水泳という職種では国体の人がいたり、他にも看護師の方もいたり、IT関係の方もいたりで、本当にいろいろな職種があります。参加応募者数は景気に左右されたりするようですが、人数が足りないということはあまりないようですね。私はエイズ対策に主に携わっており、看護学校で授業を行ったりしていました。その前に3ヶ月ほどの訓練期間がありました。

―そんなに職種があるものなのですね。知りませんでした。南アフリカへの留学経験は活きましたか?

アフリカでやるという決心は、間違いなく留学なしにはなかったことだと思っています。ただ、エイズというのは、インターンがきっかけでしょうね。留学とインターンの2要素が合わさって、協力隊への参加があったという認識です。

開発への関心

―その後1年間モザンビーク大使館にお勤めになったとのことですが、どのようなことをしていたのですか? 1年間だけ仕事をするというのはなかなかイメージできないのですが。

1年更新、最大2年の仕事で、コーディネーターとしてプロジェクトのオファーに対応する仕事をしていました。例えば、小学校を作りたいとか、井戸を作りたいというオファーが来たときに、それをどうハンドルするか考えていました。このような開発系の世界は基本的に短期が多いですね。個人的に結婚もあったので、この仕事は1年の任期で終えました。

―日本へ帰国すると、大学院へ行かれたとのことですが、それはなぜですか?

開発系に携わるには、どうしても修士が必要で、政策研究大学院へ行きました。院自体が開発関係で、教育や保健などを学ぶのですが、実際1年間のコースワークはこてこての経済学がメインでした。学部時代も経済学を勉強していたのですが、そんなもんじゃなかったですね。バリバリの数学です。

―世界銀行でのインターンというのは、どういった経緯でされたのですか?

大学院は全1年半のコースだったのですが、1年はそのコースワーク。残りの半年はインターンをしなければならないプログラム内容でした。全部で30人ぐらいでしたが、15人は留学生でした。彼らは日本でインターンをしなければならず、残りの15人の日本人学生は海外でインターンをしなければなりませんでした。

―大学院のプログラムの一環だったのですね。そのインターンというのは、全て個人でアプライするのですか? なにか大学院との提携先があるのですか?

全部個人ですね。それでも最終的にみんな決まります。私は、世界エイズ・結核・マラリア対策基金へ行きたかったのですが、残念ながらダメでした。たまたまエイズ関係を専門とする教授に紹介していただき、世界銀行でのインターンが決まりました。

場所はワシントンで、短期コンサルタントをやっていました。年に150日まで働けるルールです。長期コンサルタントというのもあるのですが、それは一生涯で2年だけ働けるというルールです。その時その時のプロジェクトがあり、その150日の一部として現在も短期コンサルタントとして世界銀行で働いています。10月末までこの仕事は続ける予定です。

世界銀行での仕事

―具体的にはどのようことをされているのですか?

リサーチ部門という部署にいます。いろいろな部や局があるので、正直他は詳しくありません。リサーチ部門の中でも、人間開発部門にいました。仕事は主に2つあって、問題を見つけることが1つ。現在行っているプロジェクトの効果を見ることが2つ目。1つの国について細かく見ていく仕事をしていると言えます。

―どのようなところのやりがいを感じますか?

そうですね。日常は常にPCの前なので、案外淡々としています。ただ、プロジェクトの効果を見て、良い結果がでていると、凄く嬉しいですね。逆に大金をつぎ込んで失敗するプロジェクトもあるので、それは悲しいです。また、やりがいとは少し話がずれますが、世界銀行は経済学者が多いので、その人たちの下でリサーチの事を勉強できるのはすごくいいですね。最新の研究を身近に知ることができるは最大のメリットだと思っています。

―お話を伺うまでは、世界銀行でこれからもお勤めすると思っていたのですが、そうではないとなると、今後のプランはどのようなものを予定しているのですか?

とりあえず、世界銀行での仕事は、10月末を目途に一度区切りをつけるつもりです。自分自身の中では、PCの前よりも実際にフィールドで活動したいという気持ちもあるので、今はまだ模索中です。今後、配偶者の仕事の関係で、NYで暮らすことが決まっているので、近い将来としては、NYで何かしたいと思っています。それは仕事でもボランティアでもいいのですが。行ってみないとわかりません。昔はキャリアキャリアだったのですが、今は子育てや親の介護等の現実も考えなくてはならない時期に来ていると思っているので、悩ましいですね。

―やはり現実とは向き合わなくてはならないのですね、どんな方でも……。最後になりますが、今後就職活動を行う学生に向けて、何かアドバイスをいただければと思います。

うーん。。。何でもやってみることですかね。何でも良いので、ひたすらにいろいろなことをやっていくことで、必ず後に繋がっていくと思います。これだけは譲れないという1つ強みを持つことも大切だと思います。

―貴重なお時間本当にありがとうございました。残りの大学生活や今後の就職活動などを考えるにあたって、参考にさせて頂きたいと思います。

―インタビューアから一言

初対面の社会人の方へのインタビューは初めてだったのですごく緊張しました。インタビュー前のメールでのやり取りなども、失礼のない対応ができているかすごく不安でした。しかし、ご多用中にもかかわらず、浦さんには快くインタビューに応じていただけました。アフリカの魅力や開発の世界での活動など、とにかく私にとっては無知な領域の話が多かったのですが、大変刺激を受けました。ボランティアや人助けが偉いという認識でそのような活動を捉えるのは個人的には好きではありません。しかし、やはり自らの活動が多くの人へ良い影響を与えることができるのは素晴らしいことだと再認識しました。

interviewees_s_251_profile.jpg 浅野卓也。1989年東京生まれ。小学校、中学校と地元の公立校に通う。04年、9年生の開始に合わせ渡米。アメリカコネチカット州のGreenwich High Schoolを卒業後、帰国する。現在は早稲田大学教育学部複合文化学科に在籍し、3年目を迎える。第2外国語はスペイン語を選択。課外活動ではゴルフサークルに所属し、年2回のリーグ戦に向けて、日々練習を重ねている。