海外生活体験者・学生インタビューvol.151

interviewees_g_150_profile.jpg 佐古田麻優さん。1990年北海道生まれ。4歳まで名古屋で過ごす。その後、香港に5年、台北に9年、計14年間を海外で過ごす。台北美國學校(Taipei American School)を卒業後、日本に帰国し、帰国入試を経て一橋大学社会学部に入学。現在2年に在籍する。来年の2月からオーストラリア国立大学へ留学の予定。

日本の良さを世界に発信する

―早速ですが、小学校のときの話からお伺いしたいと思います。


香港の日本人学校に通っていました。当時、香港はイギリスの植民地であったので、とても国際色豊かな文化の中にいました。その一方で、食事は日本食をたくさん食べ、テレビも日本の番組ばかりを見ていました。多分、日本人以外の人と接することが多く、日本から離れていため、日本への憧れみたいなものが芽生え、日本の文化を知ろうとしていたのかなと思います。

―なるほど。外国にいるのか、日本にいるのか、若干わからない感じですね(笑) そのような状況は、小学校4年のときに台湾に引っ越しても、変わらなかったのですか?

いいえ、かなり変わりましたね。日本企業の現地駐在員を親に持つ日本人ばかりの香港日本人学校と違って、台湾の日本人学校には台湾人、台湾と日本人のハーフ等、たくさんの色んな人がいました。また、そこでは、日本語以外の言語も少し使われていました。そして、この日本人学校の校長先生の言葉が、当時の自分の意識を大きく変えてくれました。

―どんな言葉だったんですか?

正確には覚えていないのですが、「君たちのような海外にいる日本人は、日本の良さを世界に発信する責任がある」といった旨の言葉でした。当時の自分にとっては、とても印象的でしたね。この言葉を頂き、初めて自分が海外にいることを意識するようになりました。

実際に日本の良さを世界に発信していくためには、言語力を身につけることと、もっと色んな国の人と交流することが不可欠だなと考えました。だから、台北日本人学校へ転入のわずか1年後、台湾のインターナショナルスクールへ編入しようと決意したんです。

ひたすら努力あるのみ

―インターナショナルスクールは、それまでの日本人学校とかなり勝手が違ったと思うのですが、実際どうでしたか?

入ってからかなり苦労しました。生徒間のやりとりや授業はすべて英語ベースで行われていたので、最初は何も理解できていなかったですね……。また、英語が苦手でも中国語ができれば、まだなんとか一部の友だちとはコミュニケーションがとれたのですが、英語も中国語も不得手な私には居場所がない状態でした。それに、外国語が話せない私を他の生徒は面白がり、嫌がらせをしてくることが多々ありました。

―かなり大変な目に逢いましたね。どうやってその状況を乗り越えたのですか?

そこはもうひたすら努力でした。インターナショナルでは、言語科目が充実していたので、中国語と英語の授業をたくさん履修し、ひたすら勉強しました。中学に進級するころには、大体話せるようになり、友だちに遊びに誘ってもらう機会も増え、生活が楽しくなりました。

また、二胡という中国の民族楽器を習い始め現地の人との交流が深まったこと、陸上部やアカペラ部に入ったことも、生活が一気に楽しくなった大きな要因でしたね。言語が話せるようになることで、色々なことに挑戦しやすくなり、そこから卒業するまで、高校生活をしっかり楽しめたのではないかと思います。

こんなにも差がついてしまった

―そこから先の進路はどのように決めたのですか?


家族がアメリカの大学を推奨していたのと、周りの友だちがみんなアメリカの大学を志望していたので、私も流れ的に受けることになりました。しかし、私は課外活動に没頭しすぎて、自分が希望するアメリカの大学に合格できるほどの成績を持っていなく、当然のように落ちてしまいました。

―そこで日本の大学を受けようと考えたのですね?

はい、そうですね。日本に帰国してきたものの、当初は色々な誘惑に負けて、受験勉強もろくにせずに、遊んでばっかりでした(笑) そのせいか、私立大学に関しては、受験はあまり上手くいきませんでした。

そのとき、「あと半年間頑張って国立大学も受験したほうがいい」という予備校の先生のアドバイスを受けたことと、もう少ししっかり勉強して自分の日本語を磨きたいという思いで、国立大学を受験することにしました。ただ、国立受験を決意したものの、もう私立大学の合格が一つ決まっていた安心からか、中々勉強が捗らなかったです。

―そうだったのですね。でも、国立受験は結果的に上手くいったのですよね? どうやってそこから持ち直したのですか?

きっかけは、アメリカの名門大学に進学した高校時代の友だちとの再会でしたね。12月くらいに、高校のときの友だちが日本に遊びにきたのですが、そのときの友だちの話に大きな刺激を受けました。彼らはすでに大学に入ってから半年間ほど経っており、自分とは比べものにならないほどしっかりした考え方を形成していました。

彼らの話を聞き、「同じ高校時代を過ごした仲間なのに、半年でこんなにも差がついてしまったのか」という驚きと同時に、「自分も負けずに頑張らないといけない!」「だらだら勉強している場合じゃない!」と思いました。

―そういう刺激をもらえる友だちというのは、すごく貴重な存在ですよね。で、そこから怒涛の巻き返しが始まったわけですね?(笑)

はい(笑) そこからもう、入試まではひたすら自分を追い込みましたね。別人のように、ストイックに図書館に引き籠もって、勉強する日々が毎日続きました。その甲斐もあってか、なんとか一橋大学に合格することができました。あの12月の時点での高校時代の友人との再会がなければ、きっと得ることができなかった結果なのだと思っています。そこは本当に友人に感謝したいです。

大学に入ったら部活に入ろう

―大学入ってからは、どのように過ごされているのですか?


それまでずっと海外にいた分、日本の学校の体育会とか、いわゆる日本にしかないものへの憧れがかなり強かったのと、昔からスポーツが大好きだったという理由で、入学後ボート部に入りました。日本的な体育会でのボート漬けの毎日はとても楽しかったのですが、6月に病気が理由で退部せざるをえなくなってしまいました。

これから何をするかを考えているときに、「日本に帰国したから日本っぽいことをする」のではなく、「日本という新しい場で今まで培ってきた能力を活かす」そうと、考えを変えてみることにしました。結局は自分の視野が狭かったんですね。

今は中学時代に台湾で習い始めた二胡の教室に通い、中国人講師の通訳等の手伝いをさせていただいたり、日本での留学生の支援などをしたりしています。そして、やはりまた海外、特に行ったことのない英語圏へ行きたい気持ちも強かったので、来年の2月から、大学の交換留学制度を利用して、オーストラリアへ1年間留学することにしました。

―非常にアクティブですね! 見習わせていただきます(笑) 今日は本当にありがとうございました。

いえいえ(笑) こちらこそありがとうございました。

香港日本人学校 :
http://www.hkjs.edu.hk/
台北日本人学校 :
http://www.taipeijs.org/
台北美國學校(Taipei American School) :
http://www.tas.edu.tw/

インタビューアからの一言

かなりのチャレンジ精神をもった方だな、という印象を受けました。インターナショナルスクールへの進学、アメリカの大学や日本の国立大学への挑戦、民族楽器からボートにまで手をだしてしまう守備範囲の広さ、どれを取っても、佐古田さんのチャレンジ精神の強さが見受けられます。自分も佐古田さんを見習って、これからは色々なことにチャレンジしていきたいと思いました。とても勉強になりました。

interviewees_s_239_profile.jpg 加地隼人。1989年東京都生まれ。父の転勤で2歳から9歳までアメリカはイリノイ州で過ごした後、帰国。東京都の小学校、中学校を卒業し高校入学と同時に再び父の転勤で渡米することに。NY州のScarsdale High Schoolを卒業した後に帰国。2009年に慶應大学経済学部に入学。現在は同大学3年生として経済学を勉強する傍らでバンド活動を行っている。