海外生活体験者・学生インタビューvol.153

interviewees_g_152_profile.jpg 小掠瑞希さん。1990年愛知県生まれ。地元の公立小中学校を卒業後、愛知県立千種高等学校国際教養科に進学。在学中に単身アメリカ・コロラド州のJohn Mall High Schoolに留学。帰国後、千種高等学校を卒業し、中央大学法学部国際企業関係法学科に進学。大学では学生団体The Asian Law Students’ Association(ALSA)に所属。日本支部の代表補佐外務担当として、アジア各国支部との交渉に尽力した。国際労働機関(ILO)本部のインターンシップにも参加した経験がある。

自分のことを見てほしい

―瑞希はどんな環境で育ったの?

私は一人っ子で、両親は共働。小学校に入学するまでは、祖父母の家で面倒を見てもらってた。だから、小さい頃は両親と時間を過ごした思い出があんまりなくて。忙しい両親に迷惑かけてはいけないって、いつも思ってた。精神的自立が普通の子どもより早かったかも。一緒に過ごす時間が短い分、両親に自分のことを見てほしいっていう気持ちも強かったように思う。それが影響して、目立ちたがりになったのかな(笑)

―目立ちたがり?

うん。自然に周りの友だちと違うことやりたがったかなあ。習い事は結構アブノーマルなものやらせてもらったよ。和太鼓とか乗馬とか! それから、小学生のときに、英語話せたらみんなと違ってかっこいいなって、漠然と思うようになって、自然に海外に憧れを抱くようにもなったかな。

勉強&部活に没頭する

―中学校ではどんな生活を送ってた?

学校・部活・塾のルーティーン(笑) 学校では、いつもクラスのリーダーや生徒会の副会長とかやっていたよ。目立ちたがりだったのが、自然にみんなの中で場をまとめる人っていう位置づけになってた。それと、勉強がとにかく楽しくて、毎日がんばって勉強してた。特に英語が大好きだったな。

―小さいときから英語に興味あったもんね!

うん。でも、英語の勉強を本格的にスタートしたのは、みんなと同じ中学一年生だよ。英語だけは本当に楽しくて、勉強だと思ってなかった(笑) 学校では、全体的に成績はいい方だったけど、英語だけは常にトップだった!

―すごい(笑)

自然と「英語だけは誰にも負けない」という自信になったよ。もちろん他の科目の勉強も熱心にした! とにかく勉強が楽しくて。毎回テストのときに頑張った分だけ結果に出るのが楽しかったからかな。

―勉強のほかに、中学校での思い出は?

とにかく部活に打ち込んだよ! もともと運動はすごく苦手で、コンプレックスを持っていたんだけど、中学から部活でテニスを始めたの。とにかく試合に出たいっていう思いだけで、毎日走り込んだり、素振りしたり。試合に出て目立ちたいっていう思いがあったのかなあ(笑) そして、そういう努力が功を成して、レギュラーになれた。運動に関しては、本当に自信がなかったから、すごくうれしかった!

―本当に充実した中学時代だったんだね!

ひとつ広い世界へ―名古屋の高校へ

―高校はどうやって選んだの?

とにかく「周りのみんなとは同じような学校に行きたくない」って、漠然と思ってた。私の住んでた一宮市、は教育制度が充実してたから、みんな市内の学校に進学するの。でも私はどうしても名古屋の学校に行きたかった。人と同じ学校は嫌だっていうのと、「一宮から飛び出して広い世界を見たい」って思ってた。「名古屋の学校って、都会でかっこいい!」って気持ちからかな(笑)

―そうなんだ(笑) その中でも千種高校を選んだ理由は?

国際教養科(国教)っていう響きに魅力を感じたんだよね。私は英語が好きだったし、得意だったから、それをもっと伸ばせる環境がそこにはあるって思った。千種高校の国際教養科は、生徒の7割は帰国子女なの。残りの3割は私のように、中学まで海外経験が全くない生徒。今まで考えたこともない環境で、自分を鍛えるには最高の場所だと思った。

―高校に入学してから、国教の印象はどうだった?

高校に入学して、生まれて初めて帰国子女に出会ったときのショックは忘れられない。海外経験が長い子たちの話す英語は、自分が同じクラスにいるのが恥ずかしいぐらい完璧で綺麗だった。それまで自分の英語のレベルが一番だったから、ここに来て初めて自分よりも英語ができる人たちに出会ったんだよね。

それに、授業のレベルはすごく高くて、ずっと英語で異文化や社会問題についてのディスカッション。先生はみんな外国人だから日本語を話せないし、自分は授業でなにが起こってるかわからないし、みんなの英語は完璧だし、一気に自信を失った。

もっと広い世界へ―初めての海外生活

―瑞希は高校で留学してるけど、どうして留学することにしたの?

周りの友だちのように英語話せないのが本当に悔しかったから。自分が英語で特別目立つ存在じゃなくなってしまったのも悲しかった。自在に英語を操る友だちとのギャップを埋めたい一心だったよ。

―コロラドはどんなところ?

自然豊かなところだよ。街には鹿がのんびり散歩している(笑) 車がなければ生活できないから、最初は本当に不便だと思ったなあ。私の住んでいた街には、あまり裕福ではない人が多かったし、学校の人数も高校4学年合わせて140人ぐらいの、本当に小さいコミュニティだった。

―英語での授業に最初からついていけた?

自分が思っていたよりもついていけたよ。千種の国教で自分が鍛えられていたんだなあって実感した。それよりも、最初は友だちもいないし、クラスメイトはみんな小さい頃からずっと一緒に育ってきてるから、自分だけみんなの輪の中に入れないことが辛かったな。

―それは結構辛いよね。なんとかなった?

自分が学校内で目立てば、みんなが私と友だちになってくれると思った。せっかくだから、一番華形のチアリーダーをやってみようと思って、トライアウトに乗り込んだの! シーズンの途中だったけどチームに入ったよ。

私の物覚えが良かったから、チームのみんなは、私とチアをするのが楽しかったみたい(笑) すぐに仲良くなれた。公式フットボールの試合でデビューしてからは、フットボール選手とも交流するようになった! でも、私と彼女たちの間に言語や文化の壁はあったし、彼女たちがそれでイライラしてるときがあったのもなんとなくわかったよ。

―文化の壁って、たとえばどんなこと?

私がすぐに「ごめんなさい」って言うこと。私が何に対して謝っているのかわからなくて、きっとイライラしてたんだと思う。性格の問題なのかもしれないけど、私、小さい頃から人に迷惑をかけてはいけないって思ってたから。なにかあるとすぐに「ごめんなさい」って言うんだよね。

家族の大切さに気づく

―アメリカに行って、驚いたことことってどんなこと?

アメリカのひとたちが、みんな自分の家族に対して誇りを持っていることに驚いた。私は両親が共働きだったから、それまであんまり家族と過ごしたことがなくて、両親は一緒にいてもつまらない存在だと思っていたの。

自分の両親がいかに私を愛してくれていたかに気づいた。アメリカではホストファミリーと暮らしていたけど、やっぱり他人だからさ。ホストマザーが意味もなく私にイライラしているときだって、結構あったんだよね。他人の家庭で生活して、自分の家族の無償の愛に気づいたよ。

そもそも、両親がサポートしてくれなければ、留学にだって行けなかったし、小さい頃に通っていた習い事や塾にも行けなかったことを、アメリカで初めて意識するようになったの。それで、自分が両親に対して少し距離を置いたり、反抗的になったりしていたことに、すごく恥ずかしくなったよ。

―アメリカに行って、ずいぶん大人になったみたいだね。

確かに、家族や自分の周りにいる人たちを、もっと大切にしたいと思うようになった。それはさっき話した経験があったからこそね。

それから、自己主張するときはちゃんと自分の考えを伝えることの大切さも学んだかな。アメリカでは自己主張しないと仲間に入れてもらえないから。それまで、人に迷惑かけないように、自分が思ってることを周りの人に伝えないことも多かったんだけど、自分の思ってることはちゃんと言うようになった。

「みんなのお姉さん」になった

―帰国して、瑞希はひとつ学年を落としたんだよね? 高校生活を再スタートさせることは、苦痛じゃなかった?

最初はすごく嫌だった。でも、自分から新しいクラスメイトに積極的に関わっていかないと友だちできないままなんだよね。アメリカのときと同じで、とにかく目立って存在感を出さないと、みんなに気づいてもらえないの(笑) だから、まずは授業中によく発言することから始めたよ。そうしたら、クラスのみんなが自然と私の周りに集まってくるようになったの。

―帰国してから頑張ったことってある?

すごく勉強するようになったよ。一緒に入学した学年の友だちが、みんな受験勉強で忙しそうにしてるのを見て、初めて大学受験を意識するようになったのが影響しているかも。それで、帰国して初めてのテストで学年トップ層に入ったんだ。そうしたら、勉強を教えてほしいっていうひとも周りに集まるようになった。

おかげで、「面倒見のいいお姉さん」っていうキャラクターを確立することができたんだ。それからは、中学のときみたいに、クラスのリーダーをやるようになったよ。自分がひとつ年上だっていうことを上手く利用できたの(笑)

さらに広い世界へ―たくさんの出会い

ー大学では何をやってるの?

ALSA(The Asian Law Students’ Association)っていう学生団体に所属してる。長期の休みを利用して、アジアのいろんな国の人たちと学術交流と文化交流するの。今まで行ったことなかった国を訪問する機会に恵まれて、たくさんの素敵な人たちに出会うことができたよ。

それから、自分の英語力を活かして、日本支部代表の補佐もやらせてもらった。外務担当で、海外と連絡取ったり、企画のお手伝いをしたり。かっこいい名前のわりに細かい作業が多かったんだけど、正確かつ迅速に物事を処理する力が身に付いたかな。

―団体の活動を通して得たものは?

なんでも深く話せる人たちに出会えたこと! いろんな考えを共有して、本当に何でも話せる人が、いろんな国に一人ずついたら素敵だと思わない? 活動を通して、シンガポールや韓国にそういう友だちができたこと、活動を通して得た最高の財産だと思ってる。

―学生団体のほかに頑張ったことは?

国際労働機関本部でインターンをさせてもらったこと。中大法学部から8人の選抜メンバーがジュネーブに派遣されるんだけど、その派遣団の代表もやった。世界ではあまり注目されていない、日本における外国人労働者の権利が研究課題。私たちのプレゼンを見て、初めてILOの職員さんが問題意識を持ってくれたことが、すごくうれしかったよ。すごく高い評価も受けたしね。

ジュネーブでは、とにかく世界の広さを知った。自分がこの地球上でいかに小さな存在かを思い知らされて、よく気が遠くなったよ。様々な機能を持った団体が相互に関係し合って、それで初めて何か小さいことが動く。自分一人の力では何にもできないんだなあって思ったなあ。

―将来はどんな人になりたい?

グローバルに活躍したい。せっかく今までこんなに世界を見る機会があったから、今度は今までに培った経験や人脈を活かしながら、社会に貢献したいな。

自分は日本の小掠という家に生まれ育って、いろんな困難もあったけど、それらを乗り越えて来た中で、今の「小掠瑞希」という人間を形成したことにすごく誇りをもってる。自分が今までたくさんの人からもらってきた無償の愛に感謝しながら、「小掠瑞希」がもっともっと成長できるような環境にどんどん飛び込んで行きたいです!

John Mall High School :
http://huerfano.k12.co.us/jm/
千種高等学校国際教養科 :
http://www.chigusa-h.aichi-c.ed.jp/

インタビューアから一言

これまでRTNのメンバーとしてともに活動してきましたが、このような形で詳しく話を聞かせてもらうのは初めてでした。実際には海外経験が短いのにもかかわらず、流暢に英語を話すことのできる彼女。その裏側には、幼いころから抱き続けた英語への強い関心と弛まない努力があるのだと強く感じました。自称「目立ちたがり屋」の性格も、常にそれを活かすことのできる環境へ自らを導いていく力があるからではないでしょうか。今後も幅広い領域で活躍していくであろう彼女を、陰ながら応援していきたいと思います。非常に楽しいインタビューありがとうございました。

interviewees_g_135_2_profile.jpg 浅野卓也。1989年東京生まれ。小学校、中学校ともに地元の公立校に通う。2004年、9年生の開始に合わせ渡米。アメリカ、コネチカット州のGreenwich High Schoolを卒業後、帰国する。現在は早稲田大学教育学部複合文化学科3年に在籍。第2外国語はスペイン語を選択。課外活動ではゴルフサークルに所属し、年2回のリーグ戦にむけて日々練習を重ねている。