海外生活体験者・学生インタビューvol.159

interviewees_g_135_2_profile.jpg 浅野卓也さん。1989年東京生まれ。小学校、中学校ともに地元の公立校に通う。2004年、9年生の開始に合わせ渡米。アメリカ、コネチカット州のGreenwich High Schoolを卒業後、帰国する。現在は早稲田大学教育学部複合文化学科に在籍。第2外国語はスペイン語を選択。課外活動ではゴルフサークルに所属し、年2回のリーグ戦にむけて日々練習を重ねている。

―今日はよろしくね!

よろしく!

いわゆる“悪がき”って感じ

―幼少期の自分を振り返るとどんな少年だったと思う?

物凄く元気がよくて、いわゆる“悪がき”って感じ(笑) 基本的に外で遊ぶのが大好きで、愛車のマウンテンバイクでいろいろな場所をうろうろしてた。雨が降った後なんて、わざわざ水たまりに自転車で突っ込んだりしてね。楽しんでたよ。家に帰れば、しっかり母親に怒られるっていうコースね(笑)

今はそうでもないけど、釣りとか、昆虫採集も好きだったな。釣具屋で餌のミミズを買って、おじさんに冷蔵庫に保管するように言われてさ、聞いたまま実行したら、これまた母親激怒(笑) 冷静に考えれば、家の冷蔵庫にミミズが入ってたら、怒るのも当たり前なんだけど……。それだけ夢中だったんだと思う!(笑)

両親は基本的に厳しくて、食事中のマナーとか、時間には特に厳しかった。やんちゃで、見栄っ張りな時期だから、みんながまだ遊んでいる中、ひとりだけ早く帰ったり、当時はそれが本当に辛かったけど、今はありがたく思ってる。寝坊や遅刻をしないのは、その頃厳しくしてもらったからだと思う。

―なるほどね。うちも親が割と厳しかったからその気持ちすごいわかる!

もう頭の中真っ白(笑)

―中学では何か変化はあった?

小学校からずっとサッカーをやっていたんだけど、そのままの流れでサッカー部へ。それまで先輩には可愛がってもらってきたし、後輩とも仲良くしてきたから、縦の関係って一度も考えたことがなかったんだ。だけど、中学の部活ではそれを初めて意識させられた記憶がある。つい1、2年前には凄く仲良かった先輩と敬語で話さないとならなくなったり、後輩も変に意識して敬語で話してきたり。部というか、中学校にそういう雰囲気があって、正直やりにくかった。だけど、基本的にはサッカーを中心に楽しく、それなりにやんちゃに過ごせたかな。

―中学3年生になると、父親の転勤の関係で、アメリカ行きが決まったんだよね?

そう。実際にアメリカに行く2ヶ月前くらいかな? 父親にアメリカのコネチカット州へ行くことを告げられて、もう頭の中真っ白(笑) しかも時期が悪い。こんな性格だから、体育が一番好きな授業なわけですよ。渡米は運動会の数日前。本番に僕はいないから、運動会の練習は全部自分がいない想定で進むわけ。学年で1つ作る組体操のピラミッドのメンバーにも入れなかったし、かなり歯がゆい2ヶ月間が続いた。海外に行きたいと思ったこともなかったから、とにかくクラスのみんなやサッカー部のみんなと離ればなれになるのが辛かった。直前は泣きまくった(笑)

とりあえず5日間は終了

―実際にアメリカへ行ってみてどうだった?

僕が行った6月末は、アメリカの学校の年度末にあたる時期だったんだ。ちょっと中途半端な時期だったんだよね。だからアメリカへ行って、すぐに現地のミドルスクールに行くことになって。ESLっていう英語が第2言語の人が受ける授業だけ受講した。たったの5日間だけだったんだけど、ちゃっかり卒業証書をもらったりなんかしたんだよ(笑)

でもそんなことより、どこへ行くにも親に送り迎えをしてもらわなければならなくなったせいか、すごく幼稚な気分になった。中学3年にもなって、学校に親の送り迎えだからね……。それに、ESLの授業にいた外国人も、なんとなく幼いというか。日本人だからだろうけど、ポケモンの話とかされて、小学校でポケモン卒業したよ……とか思いつつ、すごく微妙な気分になった。そんなこんなで右も左もわからないまま5日間は終了。

本当に全てが嫌だった

―高校は4年間現地校に通ったんだよね?

うん。9月からは、実際に現地のGreenwich High Schoolという高校に通い始めた。全校生徒2800人の大きな学校。日本の大学と一緒で、自動登録された授業以外は全部自分で選択するシステムだったり、履修登録等の相談をするカウンセラーがいたり、日本とのスケールの違いに驚かされた。小学校、中学校と地元の雰囲気しか知らないうえに、授業で習う程度の英語で、そういうプロセスをこなすわけだから、辛いのなんのって……。最初は本当に全てが嫌だった。全てが。

―その後も何か辛い経験はあったの?

振り返ると、自分にとってやっぱり辛かったのは、先にも後にも英語なのかなって思う。それまで特に何にも困らず、どちらかと言えばイケイケな感じで生きていて、いきなり言葉が通じない環境だからね。自分を出し切れないことで、外国人に相手にされなかったり、なんとなく誤解をされたり。年月を重ねるにつれて、ある程度英語はできるようにはなるわけだけど、その次元、その次元で、やっぱり言葉の壁はあった。本当の自分を表現できたうえで、この人たちと付き合うことができればなぁって思うと、すごく不甲斐ない気分になった。

今の自分があるのは

―逆に良い思い出とかはある?

大きく分けて2つある。まず、現地での思い出としては、やっぱりずっと続けてきたサッカーがかなり役立った。特に最後の年は、前年に主力選手が抜けて”rebuilding year”とか言われてた中で、地区優勝をしたんだ。もちろんサッカーでも、もっともっと自分を出せればというか、歯がゆい思いは常にあったけど、チームメートには凄くよくしてもらったし、心の底から喜びと楽しさを感じられたのがその年のサッカーシーズンだった。

サブであまり試合に出れないメンバーも含めて、ものすごく良い雰囲気のシーズンだったんだよね。サブのメンバーにイスラエル人のチームメートがいたんだけど、みんなの得点シーンをビデオ撮りして、YouTubeにUPしてくれたりして、実は自分の動画もあるんだけど(笑) 凄くいい雰囲気のチームだった。

―えー!! 検索しよー(笑) もう1つの思い出は?

もう1つは、現地で出会った日本人との関係かな。僕が行った学校には日本人も結構いたんだけど、アメリカへ行った当初は、なかなか違った性格の人を受け入れることができなかったんだ。だけど、そのうち他校の日本人との交流も増えたりして、本当にいろいろな人と出会えたことで、人に対する考え方が大きく変わった。

どこで誰が自分にとって大事な存在になるかわからないし、どのタイミングで誰が自分を救ってくれるか分からないってことを学んだのかな。人との繋がりがどれだけ大切か考えさせてくれたし、自分がいかに恵まれた環境にいるのか感じさせてくれた。本当に尊敬できる人がたくさんいるんだよね。今はそれぞれ別々の大学で、それぞれの活動をしていたり、なかには社会人になっている人もいたりするけど、今でも何かあればいろいろ話せる人がいるのは、自分にとって何にも変えられない大きな財産だと思ってる。

辛い経験も、最高に楽しい経験もできたアメリカ生活が、自分にとって確実に人生のターニングポイントになったって強く思う。あのまま普通に日本で暮らしていたら、どうなってたか想像もできないよ。今の自分があるのは、この経験があったからだと思ってる。

―いいねー! ほんと人との繋がりって大切だよね。

いろいろな人がいるから面白い!

―大学では一変、ゴルフサークルに所属? なんでいきなりゴルフに目覚めたの?

そう! ゴルフ!(笑) 単純にゴルフがやりたかったっていうのもあるけど、やっぱり高校のときにサッカーで優勝したことで、一区切りかなって思ってしまった部分があった。さらに言うと、サッカーじゃないスポーツを通して出会う人に凄く興味があって、大学ではゴルフを選んだ。そういう意味では、もう両立が厳しくなって辞めてしまったけど、子どもと遊ぶボランティアサークルにも入ってた。各団体には、いろいろな人がいるから面白い!

―具体的な活動としては? 確か主将をやっているんだっけ? 大変だった?

サークル活動自体は、ゴルフをメインにした多くの行事があるんだけど、ぼくは主将という役職がら、年2回行われるリーグ戦に注力してきたよ。リーグ戦は他大学と戦う公式試合で、かなり本格的。1年生の後期に、先輩のキャディーとして試合を見に行ってから、ゴルフにはこんな世界があるのかと衝撃を受けて、選手として出場することが自分の中の目標になった。2年生の春から試合に出させてもらって、3年次は主将になった。

仲間と手にした最高のトロフィー

主将という役職は先輩に選んでもらうんだけど、正直今までの主将像と自分自身のレベルの差がかなりあると感じてた。リーグ戦での成績等を評価してくれて、先輩が自分を選んでくれたのはすごく伝わってきたから、絶対この役職をやりきろうと決めた。だから、自分としても納得できるような主将像に近付くためにかなり練習したよ。

結果としては、春に2部で優勝して1部に昇格。大好きなメンバーと優勝できて、本当に主将に選んでもらえてよかったと思った瞬間だった。そして迎えた秋も、1つ上のリーグで、あえて優勝だけを目標にみんなで取り組んできた。正直こんなドラマチックな展開があるのかというくらい僅差で、まさかまさかの優勝!!!

最後は気持ちだと強く感じたし、心の底から感動した。ゴルフは個人競技だけど、リーグ戦は団体戦だから、チームで勝ち取った優勝という感覚がたまらなかった。間違いなく大学時代で1番の思い出になったよ。最高の仲間と手にした最高のトロフィーだよ。

―そっかぁ。ほんとにおめでとう! 最後に、将来こんな人になりたいとか、何かあれば教えてください。

現段階では大したことは言えないけど、ロングスパンで変わらない信念みたいなものを持っていたいな。いろいろな人との関わり合いから、いろんなことを考えるけど、割とそういうのは刹那的な感情として終わる気がする。だから、何かぶれない自分なりのこだわりを持って生きたいなって思う。そういう人を見てかっこいいと思うし、自分自身もそれがあればぶれないのかなって。それを見つけるのは時間がかかるのだろうけど。

―なるほど。 今日はどうもありがとう! お疲れ様でした。

こちらこそ本当にありがとうございました!

Greenwich High School :
http://www.greenwichschools.org/page.cfm?p=20
帰国子女大学入試・合格体験記vol.58
http://www.rtnproject.com/2011/06/vol58_4.html
Paddy Golf Club :
http://paddygolf.web.fc2.com/index.html

インタビューアから一言

以前から知り合いだった浅野くんですが、このインタビューがきっかけになり、よく話すようになりました。周りの人に、常に敬意や感謝の気持ちを持って接する浅野くんのバックグラウンドを知ることで、彼という人間がいかに形成されて来たかがわかり、とても楽しかったです。最後に話してくれた「信念を持って生きること」には深く共感しました。楽しいインタビューありがとう。これからも仲良くしてくださいね!

interviewees_g_152_profile.jpg 小掠瑞希。1990年愛知県生まれ。地元の公立小中学校を卒業後、愛知県立千種高等学校国際教養科に進学。周りの帰国子女に触発され、在学中に単身アメリカ・コロラド州のJohn Mall High Schoolに留学する。留学中は精力的に学校活動に励んだ。帰国後、学年を一年下げて千種高等学校を卒業。中央大学法学部国際企業関係法学科に進学。大学では学生団体The Asian Law Students’ Association(ALSA)に所属。日本支部の代表補佐外務担当として外交交渉に尽力した。また、法学部の制度を利用し、国際労働機関(ILO)本部のインターンシップに参加。現在は安井哲章先生の刑事法ゼミに所属し、刑法を通して日本の法理論への理解を深めている。