海外生活体験者・学生インタビューvol.161

interviewees_g_135_2_profile.jpg 古屋開さん。1990年ドイツ・デュッセルドルフ生まれ。生後1年で帰国した後、小学6年から中学3年まで父の転勤で再びドイツへ。4年間フランクフルト 日本人国際学校へ通う。帰国入試で学芸大学附属大泉校舎へ入学し、現在は中央大学法学部国際企業関係法学科3年に在学。大学では、「飢餓で苦しむ途上国と 肥満で悩む先進国」のフードバランスを整えるTABLE FOR TWO中央大学の代表を務める。

小学校時代 ~サッカーがひとつの転機~

一言で言えば、「常に周りの人を楽しませようとする子供」でしたね。周りを楽しませたいと思うようになった理由が2つあります。

1つは、大自然いっぱいの鎌倉で10年間生活していたので、とにかく毎日山へ行ってアクティブに遊ぶような子供で、好き放題やっても良いという環境が整っていたことです。限度はありますが、好き勝手やっていたので、思いっきり楽しんでいて、常に全力に何かに取り組む姿勢がありました。また、周りの人が喜んでくれることにいきがいを感じ、もっと人を喜ばせたくなる、人目や他人の評価などを気にする子どもでもありました。

2つ目に、3人兄弟の末っ子であったため、家族に溺愛されていて、今思えば非常に自由気ままな生活をすることが許されていたと思います。家族に愛されていたからこそ、その愛情を家族に還元したいという気持ちが常にありましたね。小学生までは本当に無邪気に遊び、家族を喜ばせるためには手段を問わないほど、一所懸命であったと思います(笑)

友達に誘われて始めたサッカーも、幼少期から小学生までの自分の人格を形成する上で、とても大きな要素になったと思います。サッカーはチームスポーツですから、一つ一つのプレーや動作にも、相手のことを思うことが必要不可欠とされていました。

自由気ままな自分は、家族という環境では許されていたのですが、サッカーというチームスポーツでは勝手なことはできず、状況次第で自分を抑えなくてはならないことを知りました。だた、そこでの人間関係でも、やはり自分を抑えつつも、他人を喜ばせるといった存在であり続けることを意識していました。

中学時代 ~ドイツ在住という二つ目の転機~

他人を思いやりながらも自己成長に喜びを感じる子供でした。小学5年生のときに、人生の1つのターニングポイントでもある、ドイツへの渡航があります。日本の鎌倉という田舎で長年育った私には、そのような機会は刺激的としか言いようがありませんでした。

父親の転勤が決まったときに、海外でしかも見知らぬ地へ自分が行くことが決定してしまったことに、驚きを隠せませんでした。不安のあまり、期待感というより寂しいといった感じです。

ここで常に周りを楽しませようとする自分のスタイルが変化する転機が訪れたのです。小学6年から、ドイツのフランクフルトの日本人学校へ通うことになりました。日本人学校ということで、学校の生活環境などあまり日本と変化はありませんが、もっとも変化を感じたことは、学校から一歩外へ出れば「ドイツ」という異国の地であることです。

今まで続けていたサッカーを本場であるドイツでもやりたいと思い、現地のサッカークラブへ入会しました。ドイツ人4割、移民の人たちが5割、日本人1割の国際色豊かなひとたちが所属していました。

ここでは、今まで通用していたことがしなくなる、初めての挫折を味わいました。1つ目は「言葉の壁」による人とのコミュニケーションの断絶と、それによって人間関係の形成に時間が掛かってしまったのです。2つ目は、「体格の差」によるサッカーの能力差です。日本では通用していた自分の力が、こちらでは全くと言っていいほど通用しませんでした。

現地でのサッカーは完全実力主義。結果を出せば良い。今までの手法が通用しないことを悟った私は、手法を変え、レギュラーを奪うべく努力をしました。積極的にコミュニケーションを取るために、まずは好かれようと、日本の漫画など現地の人が関心を抱くようなことを採り入れ、そのサッカークラブ内における自分の地位を築きあげていきました。

また、日本人の素早い動作やスピードを活かそうと、現地の人にないであろう力を自分の特性として活かしました。結果を積み上げ、レギュラーの座を奪い取りました。他者にない強みを生かして問題を克服し、自己成長を感じながらプレーしていましたね。

サッカーとは関係ないのですが、父親が旅行好きだということも、僕の人生においては大きな要素となっています。ヨーロッパはほとんど行っていますね。小さい頃から家族旅行は頻繁に行ってました。とにかく家族が仲良く、その中での私の立ち位置は、いつも盛り上げ役でした。

友だちの勧めもあって、生徒会長にも立候補しました。とても少人数の学校でしたが、生徒会活動は私にとって非常に良い経験でしたね。人の上に立って何かを仕切ったことがあまりなかったのですが、一度やってみたら、案外自分にも適性があるのではと思ってしまいました。非常に良いサポートメンバーに恵まれ、それまでの周りを盛り上げるだけの自分から脱却を図ることが出来たきっかけでもあります。

高校時代 ~活動的な日々を送る~

一応、文武両道でした(笑) ドイツでの生徒会の経験を活かそうと思い、生徒会活動は続けていました。また、帰国子女のみの少人数制の高校であったため、自分がやりたいことは出来るという環境が整っていたと思います。

サッカークラブにも所属していたのですが、監督不在のときはチームメンバーのみで勝つための戦略を練ったり、独自の自主練習をやったりするなど、様々な取り組みをしたのが良い思い出ですね。帰国子女は上下関係があまり厳しくないので、良い意味で先輩と後輩の風通しも良かったです。

もう1つ高校時代に力を入れたものに、生徒会活動の一環である清掃活動があります。帰国子女のゴミの分別のマナー問題を解決すべく、改善されない際の処置など、様々な方法を駆使して、校内の美化清掃に力を入れ、校内美化の徹底に尽力しました。

高校生にもなると、一般的に社会にどう思われるのか、客観的に考える機会が急激に増えたと思います。生徒会活動の「学生フォーラム」と呼ばれる大きなイベントの際には、都内国立校が協力し合って、互いの高校のブース設置、高校紹介を行ったのですが、常に「見られる」ということを意識するようになりました。

大学生活

まだ大学生である自分を表現することは難しいですが、現段階では、人からの期待を受け、それに対して全力を尽くし、やりがいやいきがいを感じるような人物になりたいと思っています。小中高の様々な経験を通して思うのは、やはり自分は第三者に評価されることで自分を知り、さらに何かを期待してくれる状況があるからこそ、頑張ることが出来る。

大学2年のときに出会ったのが、TABLE FOR TWOの理念とその存在です。学生団体で少し社会経験を踏んだ後に出会ったのが、このTFTなのですが、大学の特性と私が叶えたいビジョンに対して、明確にアクションを起こせると確信し、大学生活ではこれ一本に頑張っていくことを決意しました。

18人のメンバーを操る代表として、気をつけた点は、一対一での対話を通し、細かいことでも不明な点をなくして、全員のキャッチアップを図り、進捗状況を正確に把握し、常にみんながついて来られるような体制作りをしました。TFTの活動は、とても地道な作業やなかなか結果に現れない側面もあるのですが、今はメンバーとともに協力し合いし、また切磋琢磨し合って、真剣に取り組んでいます。

インタビューアから一言

内定先の同期も彼と一緒にTABLE FOR TWOをやっています。古屋くんのことをとても高く評価しています。いつも真面目という印象の古屋くんですが、「常に周りの人を楽しませようとするという一面も持ち、ギャップも見せてくれました。家族や友だちを大切にし、周囲の期待に応えるためにベストを尽くす。この根本的な価値観が彼をモチベートし、高校や大学での精力的な活動につながったのではないかと感じました。楽しい時間をありがとうございました。これからの活躍に期待しています。一緒に頑張りましょう!

interviewees_g_152_profile.jpg 盧禹剣。1985年12月中国吉林省生まれ。高校卒業した19歳のときに、日本へ留学する。2年間語学学校に通い、その後早稲田大学基幹理工学部に合格し、2011年現在情報理工学科4年に在学。留学生と現地学生の情報ネットワークを築くために、中国留学生会に入り、企画責任者として国際交流イベントを多数担当する。また、父の独立を手伝い、飲食店の立ち上げにも力を入れた。